6.温もり
日中は、日傘を持たずに外を出歩くなんて、まさに自殺行為。日焼け対策を少しでも怠ればもうすぐに肌が赤くなってしまう。
梅雨を通り越して、もう真夏の気分。
体調不良(ウソ)で早退してきたのは良いけれど、選りに選ってこんな時間に早退してくるんじゃなかった、と校舎を出てからものの数秒で後悔した。
2時間目からもう保健室に逃げ込んでいた私を心配してくれた朝希だけには、仮病であることを告げてきた。
あまりの暑さに、じんわりと身体が汗ばんでくる。薄めの教科書で扇いでみても、汗を抑えるのにはとても追いつかない。
できるだけ日陰を探して歩いているうちに、団地の一本手前の道を行ったところにある公園に辿り着いた。
大きく枝を広げた桜の木が僅かに作り出す木陰。
それが私にとって唯一の救いだった。
家までは、もう少しかかる。
たまにはこんなゆったりした日があってもいいか、と私は木陰に置かれたベンチに掛けて一息吐く。
そしてふと、この公園で昔よく遊んでいたことを思い出す。兄とふたりで。
今思えば、あの頃は、幸せだった。
そんなもの、長くは続かないと知っていたけれど。
兄は、砂場でよく大きな大きなお山を作ってくれた。できるだけ堅くして真ん中にはトンネルを通す。時に芸術的すぎるお城だったり不思議な生き物だったり、どんな物ができるんだろう、そんな期待は徐々に膨らんで、私は瞬きさえ忘れる。
兄は、私と違って何でもできて、凄い人。どんな時も私を守ってくれるヒーロー。
兄のやる事すべてが新鮮で、私はいつも後をくっついて歩いていた。
両親が共働きで家に居ることの方が少なかったこともあってか、兄の
兄に彼女が出来たと知った時はちょっぴりショックだったけれど、兄が幸せになれるなら、と一番応援していたのに。 大好きだったのに、どうして?
3年前のあの日、突然兄を失った。
狂ったように取りみだし、何度も兄の名前を呼び続けていた婚約者の
もしもあの時、何かひとつでも違う行動をしていたら…あんなことにならなかったかもしれない。
今もときどき“もしも”を考えては感傷に浸る。ありもしない妄想で現実逃避していれば、楽だから。
その時突然鳴り出したスマホに空気を乱され、一気に現実に引き戻される
着信が示す相手は、奏多。
彼とは、昨日約束をすっぽかされてから一度も連絡を取り合っていない。
私から連絡をする義理などないし、向こうから謝ってくるのが当然のことなのだからと、本当はどうしているか気になって仕方がないくせに、勝手に頭にきて昨日は一晩中あれやこれやと考え込んでしまった。
奏多は恐らく約束したことさえも忘れているだろうに 。彼が約束を破るなんて事は、今回が初めてではない。
その度に悲しい思いをして、涙を呑んできた。
今度こそは、と鳴りやまない電話をそのままにしておく。一度電話に出てしまえば、虚しいほどのボランティア精神で彼に尽くしてしまう自分が目に見えていたから。
自我のない流されやすい自分自身から逃れたい。
そう思ってはいるけれど、
たかが数秒で断ち切られた、僅かな抵抗。
「何か用ですか?」
そう言えば、気を引けると思った。
心配してほしくて、もっと構ってほしくて、いつも意地汚い私が現れる。
『今すぐ俺ん家来て、待ってるから』
「は?何言ってんの。他の子にしてよ」
『天?どーしたんだよ。お前が早退したって聞いたから俺は急いで帰ってきたんだからな』
「だったら病人呼びつけるようなことしないでよ」
そんな小さな打算がいつも空振りに終わってしまうのに。 こんなにも突然呼びつけられて、会えばきっと心配も謝罪もないと、わかっている。
『いいから来い。早くな』
「いいかげんにして!私は忙しいの!」
勢い余って電話を切ってしまった私は、勝手に動いた親指を見つめながら不安と後悔の渦に呑み込まれる。
どうせ無駄な抵抗だから、と奏多からの誘いを断れないでいたのは、他の誰のためでもなく、自分のため。
彼の語る愛の言葉に真実などひとつもない。
それでも彼を失いたくないとどこかで思ってしまっているから。
電話を切ると、すぐに閑散とした公園の静けさが戻ってくる。
一緒にいると、耳障りでウソが得意の憎たらしい声なのに突然断ち切ってしまうと、妙な侘びしさに、つい折り返し電話が掛かってくることを願ってしまう。
わかっているのに…
今までだって、散々酷い仕打ちを受けてきた。目の前で他の女とイチャつかれたこともあるし、良い雰囲気の時に電話がかかってきて、一番良いところでお預けにされたこともあった。
だからこのまま彼とは終わってしまうだろう、と自分に言い聞かせる。
その時またスマホが鳴った。慌てて画面をスライドする。
『遅い。向かってる?』
と彼の声。
「え?は、はい。向かってます」
すぐにまた彼から電話がかかってきたことが信じられなくて、咄嗟に出たウソ。
『わかった』
と電話が切れる。
やっぱりこうなるか、とため息がひとつ。本当に弱い自分に腹が立つ。
すると、
「ウソつき」
項垂れた私の背に投げられた、暴言。
ハ、と振り返ると、
「え?奏多!」
「立ち上がる気配すらないし」
彼は制服のワイシャツの襟元を掴んで扇ぎ、気怠そうに顔を顰めながらそう言った。
「どうして、ここに?」
「どーいう反応するかと思って見てた」
「初めから?」
「まぁな。それにしてもホント地球大丈夫かー季節間違ってんぞ」
あーあぢぃ~と何事もなかったかのように隣に掛けた奏多。パタパタと扇いでいる割には、涼しげな表情。
「部活ぐらい出ろよな」
「自分だってどーせ走らないくせに」
「俺はいいの。めんどくさいし、暑いし」
「何それ」
私はつい彼の綺麗な横顔に見とれてしまっていた。
「天?そんなに見つめんなよ」
それに気付いてこちらを見た奏多が楽しそうに柔らかく笑う。
彼に約束を破られても溢れてこなかった涙が、胸が熱くなるのと同時に込み上げてくる。
やっぱり大好きだ。
「だって」
「なんで、泣いてんの?」
「ごめんなさい」
頭を軽く引き寄せられると、ワイシャツを一枚挟んで頬に感じる彼の
私は奏多に身体を預けて、消えてしまわないようにと袖を掴む。
「いいよ、べつに」
抱き締めてくれる奏多は、自分の物みたいに私の髪を指に絡めて遊んでいる。
「うん」
ぎゅ、と回された腕に力が込められると、もう何もかもどうでもよくなってしまう。
「ねぇずっと、一緒にいて……お願い」
ずっとこうしていたい。どこにも行かないで。
「わかった。…まー汗臭ぇけど我慢しろ」
私が願った“ずっと”なんて、ものの数分で終わりが来るんだろうけど。
案の定、スマホが着信したのと同時に、パッと私から離れて立ち上がった奏多。ディスプレイで相手を確認すると、
「天、悪ぃ。急用」
「え?何で?どこ行くの」
「…ちょっと、学校戻る」
悪びれた風でもなく、奏多は軽く片手を上げて公園を出て行ってしまった。
「奏多、待って!」
遠ざかる小さな背中にぶつけた叫びも虚しく、彼は一度も振り返ることなく消えた。
反対方向に。
「学校、そっちじゃないじゃん」
奏多が好きだと思う心は本物だけれど、だからと言って彼に何か見返りを求めているわけじゃなかった。
彼に抱きしめられるのも嫌いじゃないけれど、会う度にそれを願っているわけじゃない。
欲しいものは、甘い言葉でも、優しさでもない。
求めているのは、そんな形式的な事じゃなくて、小さくても確かな温もり。
傍にいてほしい、ただそれだけなのに。
どうして、叶わないのだろう。
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