5.はじまり

 私と奏多の奇妙な関係が始まったのは、入学してすぐのこと。ひどく風の強い日だったのを、今でもよく覚えている。


  大嫌いな数学の授業をサボって屋上へ逃げてくると、誰もいないはずのそこには、憧れの奏多先輩がいた。

 彼はフェンスから身を乗り出すようにして、真下のグラウンドを眺めている。

 彼の周りにはいつも男女関係なく誰かしらが取り囲んでいて、ひとりでいる姿はあまり見たことがなかったから、正直、驚いた。

 後ろ姿には、彼にはないはずの闇を垣間見た気がした。

 声を掛けて良いものかと立ちつくす私に気付いた彼が、振り返ってにこりと笑う。

「あれ?新入りだよな、陸上部の」

 私は憧れの人と話している事実が信じられなくて、咄嗟に声が出せなかった。

「俺のこと、よく見てるよね?」

「は、はい。いや、ち、違います!」

 彼は紺のブレザーに3 年生カラーの赤ネクタイがよく似合う。制服を着せられてる感満載の1年生とは、明らかに種類が違う気がする。

「好きなの?」

 長めの前髪を風に靡かせながら、柔和な笑みを浮かべた彼がゆっくりと歩み寄ってくる。

 あまりにも自意識過剰な発言なのに、少しも変だとは感じなかった。私は完全に、彼の涼しげな表情に見惚れていたから。

「名前は?」

「…天、です」

「てん?動物の?」

「違います!」

 一瞬イラッとしながらも、私は人差し指を上へ向け指した。つられて彼は、空を見上げる。

「あー天か。いい名前だね」

「そうですか?」

「じゃぁ天、付き合おっか。俺たち」

 ごく自然に彼の手が伸びてきて、腕を掴まれた。

「は?いや、その、」

 細く冷たい指先にグッと力が込められ、状況が読めずに困惑していた私は、そのまま引き寄せられた。あ、と一歩踏み出したところで、温かい物が触れる。

「え」

 事の後で初めて、キスをされたのだと気付いた。

 やめて!とそう叫ぶはずだった言葉は、胸を押し返して彼を見上げた瞬間に失われた。

「天、どうする?」

  不思議と、怖いとは感じなかった。

 強気な口調とは裏腹に、彼の声は震えていたから。

「どうして、泣いてるんですか?」

 涙を見たわけではないが、そう感じた。

 彼は驚いたように一瞬目を見開き、

「…黙ってろ」

 そして強く私を抱き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る