EPISODE:4 その名はレイブン/RAVEN:The Hunter name

 翌日。


 明は朝からクラスメイトの追求を躱すのでいっぱいっぱいだった。これまで全く話したことの無いクラスメイトや、明を小馬鹿にしていた生徒達から「昨日のバスケ、なんだったんだよ!」と連続して質問を浴びた。


 普段から誰にも話しかけられないの自分が、こんなにも注目を集めてしまうだなんて。


 正直なところ、目立ちたくてやった部分があったのは否めない。クラスの昼行灯の自分だって、注目の的になりたかった。教室の隅っこでウジウジしているだけの自分から、一歩前に踏み出してみたかった。実際、めちゃくちゃ気持ち良かった――とは言え明は本気で後悔していた。


 案の定、菊池は今でも遠くの席から自分を睨み付けている。怒りと、どこか畏怖の混じったような目線。それを見てまずいと感じる反面、内心で「ざまあみやがれ」と思っている自分も同時に存在していた。普段から僕をからかってきたツケだ――と、明が敢えて睨み返すと、菊池は居心地悪そうに目線を逸らした。


 昼休み。ようやく人が捌けた教室で、明は甘ったるい缶コーヒーを飲みながら、コンビニで買った弁当を食べ始めた。


「よ、有名人」


 明の目の前の空席に、どかりと座り込む真山隼人まやまはやと


「……なんだ、山本達と食べてたんじゃないのか」

「いやいや、ヒーローインタビューの時間を逃す訳にはいかないでしょ……つかおまえ、いつの間にかバスケの達人になったわけ?」

「練習したんだよ」

「練習してあんなん出来るようになっかよ」

「お前が前に言ってたマンガ。アレ読んで練習した」


 かつて週刊少年誌で連載していた国民的バスケ漫画。隼人に以前から「読め読め」と言われていたが、そういえば読まずにいたなと頭の裏側で思い出す。


「アレ読んで上手くなれりゃそら世話ねーわな……ま、いいや。次の球技大会は頼んだぜ。上手いこと俺にパス回してくれ」


 隼人は突然何か興味を失ったように、コンビニで買ったおにぎりを食べ始めた。


「そういえば」


 明は今朝から気になっていた事を口に出した。


「天塚さん、今日休み?」


 缶コーヒーに口を付けながら、明は何気なく聞いた。


 天塚翔あまつかつばさの席は空いていた。元々病弱で学校を休みがちな彼女なので欠席自体は特に珍しくもないのだが、昨日から空いている席が、何となく、明の興味を引いた。どうせちやほやされるなら、あの子から注目されたかったな――というのが、内心での本音だった。


 隼人が目を伏せた。言うか、言わぬべきか。沈痛な面持ちで少しの間逡巡すると、隼人は普段の彼に似つかわしくない慎重な声色で、口に出した。


「……友達が、亡くなったんだってさ」


 ぴたりと、明の体が硬くなった。


「流石に知ってるだろ。例の廃工場での事件。あそこで見つかった死体……あの内の一人が、森園にいた天塚の友達だったんだってさ」


 ――どくん、と。


 心臓を鷲づかみにされたかのように息が詰まる。瞬間的にフラッシュバックする光景が、脳裏に生々しく再生される。


 地面に落ちていた定期入れ。廃工場の天井に逆さ吊りされた少女の死体。学生証の顔写真に載る快活な笑顔とは裏腹、灰色に凍てついた表情は蒼褪めたまま二度と変わることは無く、明の記憶に焼き付いていた。


「そう、か」


 巧い返しが出来ずに、言葉が喉元で詰まった。


 あれが、天塚さんの友達だったなんて。明の手が、無意識に震え始める。天井から吊るされた女子生徒、そして死体を喰らう蜘蛛の姿をした怪人。自分も等しく犠牲者になったはずなのに、どうして生き残ってしまったか。それは未だに、わからない。


「クロ?」

「……何でもない」

「お前、やっぱヘンだぞ」

「気にするなって」


 目覚めた後、明はあの廃工場がテレビで報道されているのを知った。しかしレイブン絡みの事は一切報道されておらず、廃工場内で複数人の遺体が見つかったという淡々とした事実のみが放送されていた。工場は怪物の巣ではなく猟奇殺人犯の根城として報道され、その他の真実は全て伏せられていた。


 あの後、明も事件現場に足を運んでいた。しかし工場は警察によって封鎖されていおり、周辺地域は立ち入り禁止とされていた。遠目で現場を睨む以外に近づく術は無く、真実は闇の中へと掻き消されつつあった。


「とにかく、それにも『レイブン』の噂があってな……あの廃工場の近くで白い姿の怪人が目撃されたって噂もあるし、何故だか警察と一緒にメトセラ製薬の車が出入りしてたって話も聞いた。どうにもきな臭い話なんだが、流石にもう、こういう話は天塚の前じゃできねーしな」


 自分は生き残った。天塚翔の友達は殺された。一体そこに何の違いがあるのだろうか。この町に巣くう都市伝説と背後に渦巻く陰謀の影が、次第に、自分達に牙を剥こうとしている。


 永遠に同じ時を刻むと思っていた日常の歯車が、急激に狂い始めていた。


「おい、クロ、お前」


 気が付けば明は、手の中のスチール缶を握り潰していた。


 唖然として、空気が硬直する。

 流石の隼人もこれには言葉を失っていた。

 まずい、と思って言い訳を考えた。


「筋肉番付でも、出れんじゃねーの?」


 アホなクラスメイトで良かった。と明は呆れ混じりの溜息をついた。


 EPISODE:4


『RAVEN:The Hunter Name』


 家に帰ると、明はすぐにノートPCを開き、お気に入りに登録してあるまとめサイトにアクセスした。


 最近世間で話題のオカルトサイト。開設当初は宇宙人や未確認生物など平凡な内容で一定の支持を集めていたが、ここ最近は鴉ヶ丘市周辺で起こるレイブン絡みの事件に関して注力して記事が更新されていた。掲示板の書き込みからSNSの投稿まで、最近の明は血眼になって情報を集めていた。


 気が付けば明が住むワンルームの壁は、レイブンに関する新聞や雑誌の切り抜き、プリントアウトしたサイトの記事で埋め尽くされていた。SNSやウェブサイトにアップロードされた写真や想像図など、レイブン絡みのものは些細なものまでピックアップし、情報として収集していた。


 自分を襲い、そして助けた怪物らの正体。手掛かりを掴みたい一心で、明は寝食を忘れて調査に没頭していた。


 週刊誌やスポーツ新聞の記事は殆ど読者の目を引く為のでたらめばかりだったが、多くの記事に目を通していく内に、中でも白石というライターが執筆している記事に信憑性がある事に気づいた。


 レイブンと呼ばれる未確認生物の出現箇所には一定の規則性が存在し、更に、レイブンの目撃例があった日には、決まってメトセラ製薬の車両が同時に目撃される例が多いのだという。


 ――本当、なのだろうか。


 鴉ヶ丘市とメトセラ製薬の関係性は深い。米国系多国籍企業であるメトセラ・コーポレーションのうち、二次大戦後の復興期に鴉ヶ丘市に根付いた製薬企業がメトセラ製薬である。戦後、焼け野原と化した鴉ヶ丘の土地を工業地区として利用し、日本における大手医薬品メーカーとして成長したメトセラ製薬は、今や鴉ヶ丘市と切っても切れない関係になっている。


 明が通う鴉ヶ丘市立八咫第一高等学校でさえ、メトセラ製薬の協賛があって運営されている側面があると聞く。政治、経済、雇用――戦後の鴉ヶ丘市は、メトセラ製薬の存在の元、多くの人口を擁する政令指定都市として復活を遂げた。


 明がつい先日訪れた総合病院だってメトセラ製薬傘下の団体だ。市民はおろか、国民なら誰でも一度は世話になっている大企業が、よもや都市伝説に関わりがあるだなんて、オカルト話が過ぎないだろうか? 


「……ダメだ」


 明は溜息をついて、天井を見上げた。相も変わらず、染み一つ無い天井だった。

 考えれば考える程、思考が堂々巡りに陥った。都市伝説の噂、そして連続猟奇殺人事件、レイブンと名付けられた怪物。そして怪物になろうとしている自分。


 確かにレイブンは現実に存在している。事実、明確な被害が出ているのにも関わらず、警察は一体何をしているのだろうか。怪人の存在に水面下で対処しているならまだしも市民――もとい国民に対し事件を隠蔽しているのだとしたら。加えてメトセラ製薬の関与さえも疑ってしまえば、一体何を信じればいいのか分からなくなる。


 長時間パソコンのモニターを睨んでいたせいか、目が疲れていた。明が深呼吸と同時に目を休めようとしたその時。


 脳裏に映像が、挿入される。


 明は反射的に席を立ち、窓を開けた。そのままベランダの手すりに足を掛けると、軽く三メートルほど跳躍。二階建てのアパートの、屋根の上に降り立った。


 調べ物に熱中してたせいか、いつの間にか時刻は夜の十一時過ぎ。道を歩く通行人は無く、時折通り過ぎる車の音だけが、閑静な住宅街に響いている。


 夜風を浴びながら、明は瞼を閉じた。視覚を遮断し、感覚を鋭敏に手繰り寄せる。荒い呼吸を一定のリズムに落ち着けると、瞼の裏に再び映像が再生される。聴覚、触覚、嗅覚――単純な感覚機能では説明出来ない、立体的な感覚を伴う映像。


 即ちそれはレイブンの目線。人間を狙い、食い殺す異形の怪物が、今まさに、腹を空かして獲物を狙いに舌舐めずりしている様子が、自分の視点で見えていた。気配の数は一体。未だ獲物は見つけていないが、空腹で気が立っている様子だった。


 手頃な獲物を見つけて、暗がりに引き摺り込んだ後に喰らおうとする本能の昂りが、肌で感じられた。


 映像が途切れ、明は目を見開いた。


 体感的には一分にも満たない短い映像。しかし明は鮮明過ぎるほどに怪物の存在を知覚してしまった。今までも曖昧な気配だけは感じていたが、ここまで明確な映像として予知出来たのは初めてだった。


 今夜、被害者が出るのは間違いない。腹を空かせたレイブンが獲物を見つけたその瞬間、何も知らない誰かが犠牲になる。


 放っておけと、明の中で理性が警告する。幾ら自分が普通の人より凄い力を得てしまったとはとは言え相手は何人も殺している怪物だ。不良やチンピラを相手取るのとは訳が違う。何とかしたいのであれば素直に警察や自衛隊に頼ればいい。そんなのはお前の仕事じゃ無い――そう理性が耳元で囁いていた。しかし明の身体は反面、気配を感じた方角をじっと見つめていた。


「オレに……できること」


 開いた掌を、強く握り締めた。


 何も出来ない自分が、嫌いだった。


 困っている人が近くにいても、泣いている誰かを見つけても、無力な自分に出来ることは無いと目を背けていた。でも今の自分なら。


 もしかしたら、自分のような価値の無い人間が、他の誰かの大切なものを守れるのだとしたら。これから失われる命を僅かでも助けられる可能性がこの身にあるのだとしたら。


 無視することは簡単だ。その代わり次に犠牲になるのは、自分の大切な人かもしれない。ふと天塚翔の顔が、頭に過ぎった。彼女の友達はレイブンに殺された。もう二度と、彼女にそんな悲しみを味わせない為に。そして、新たな犠牲者を出さぬ為に。


 深呼吸の後、意を決して踏み出した。明の身体が、現代都市の虚空に踊る。気配を感じた方向を見据え、建物の屋根から屋根へと軽快に飛び移る。


 アパートからマンションへ、マンションから高層ビルへ。本能の赴くままに跳躍を繰り返す。都市が生み出す闇を纏い、夜風を切り裂き加速する疾走。眼下には数多くの人々が行き交い、密集する文明の灯火が、加速する視界の中で光の線と変わる。


 揺れる気配が、街外れの建設現場に蠢いていた。建設途中で会社が倒産し、解体予定の廃ビルの中に怪物の存在を感じた。


 感じるのは嗜虐的な昂り。既に獲物は見つけている。逃げ惑うのはスーツを着た中年男性。怪物――レイブンは自らの縄張りに誘いこんだ獲物を弄ぶように、執拗な足取りで追い詰めていた。


 廃ビルの屋上に辿り着いた。恐怖と興奮がせめぎ合う中に、自らの内側から鎌首をもたげる衝動を覚えた。薄い板材で塞がれたすぐ下には、中年男性を捕食寸前のレイブンがいる。このまま行くべきか、それとも引くべきか。


 ――今なら取り返しが付く。ここから踏み出してしまえばもう、戻れない。


 考える間も無かった。明は右足を思い切り振り上げ、全力で踏み抜いた。


 乾いた板が破壊される音。剥がれ落ちる細かな粉塵。上空から現れた襲撃者に、レイブンは完全に不意を突かれていた。天井から落下してきた明は着地寸前、レイブンの顔面に向けて強烈な飛び蹴りを見舞う。


 ガラス窓から差し込む月明かりに、舞い散る埃が空間に際立つ。唐突な奇襲に転倒するレイブンと、完全に腰を抜かした中年男性の間に、明は着地した。


「き、きみは……」


 突然の出来事に、呆然とする中年男性。


「行ってください、早く!」


 しかし明の声に我を取り戻した中年男性は、取り落とした眼鏡をかけ直すと、その場から一目散に逃げ出した。


 明の攻撃に怒り狂ったレイブンは再び立ち上がると、甲高い声を廃墟に響かせた。


 その姿は昆虫のカマキリに似ていた。ひょろりと長く筋張った緑色の上半身、下半身は人間の面影を完全に失くした四脚で剥き出しのアスファルトを踏みしめる。


 何より特徴的な前足は、通常ヒトが持ちうる五本指から、湾曲した刃を有した長大な鎌へと変貌していた。大自然の狩人の姿を模した怪物は、明に無機質な視線を向けると、その両鎌を振り上げ、五メートル超えの体でおぞましき威嚇の声を上げる。


「――っ……」


 昆虫に似た姿ながらこの間目撃したレイブンとは姿形が全く違う。しかし人を喰らおうとしている点は全く同じだ。せっかくの晩餐を邪魔されたレイブンは怒りで殺気立っており、既に明の事を新たな獲物と認識していた。


 予告無しにて放たれた横薙ぎの一刀を鼻先で躱す。勢い余った鎌は鉄筋コンクリートの柱を粘土のように易々と切り裂いた。柱にごっそりと刻まれた切り口を見て明は戦慄する。その虚を突かれ、明は強靱な脚部での蹴りを下腹部に喰らう。


「ぐっ……ッ!」


 問答無用に吹き飛ばされ、硬い床にもんどり打って叩き付けられる。普通の人間よりも格段に発達した身体能力を持つ玄崎明でもなお、敵わない生命体。それがレイブン――強烈な力に改めて、彼我の差を自覚させられてしまう。明はアスファルトの上に転がったまま、胃液混じりの血を吐き出した。


 それでも再び、明は立ち上がる。


 心臓の鼓動が秒刻みで増していく。恐怖と興奮が混沌として息が荒くなる。


 再び迫り来る怪物、何もしなければ数秒後には両手の鎌にて二分割にされるのが目に見えている。丸腰で来てしまった明に人間として出来る抵抗手段は皆無。


 


 ――鼓動が、ひときわ大きく聞こえた。

 どくん、と。何かが起きる予感だと思った。


 レイブンに襲われてから運動神経は急激に上昇した。高層ビルの合間を生身で飛び回れるほどに、そして刃物を持った犯罪者にも太刀打ち出来る身体能力を得た。それは決して代償無しに授かった贈り物じゃない。体から零れ落ちる黒い破片、そして、身体の危機に甲殻で覆われた自分の体。


 人間からかけ離れてしまった自分の体を、果たしてどう遣うべきか。

 このままでヒトの形を保ったままで居られるのか。あるいは理性を喪くした怪物として無辜の人々を襲うのか。


 いったい、何をすべきなのか。

 心臓の鼓動が、絶頂に達する。


 ――答えは、もう決まっていた。

 さあ、覚悟を決めろ。

 実験の成果を見せる時だ玄崎明。


 お前はこんな場所で死ぬために、生まれたわけじゃないだろう——!


 蟷螂の鎌が躊躇なしに薙ぎ払われる。

 明の体が水平に両断されるまでの僅かな間。


「――装殻レイブン


 寸前、刹那に呟いた一言。


 それは狩られる側の獲物が、捕食者に変わる瞬間だった。


 振るわれた鎌は玄崎明に届くこと無く空を切った。その代わり、突如腹部に強烈な衝撃を受けたカマキリ型レイブンはフロアの反対側まで一直線に吹き飛ばされ、鉄筋コンクリート剥き出しの壁に叩きつけられた。


 明の全身を徐々に甲殻が覆い始める。右手から始まる変異。常夜の闇が玄崎明という人間に全て凝結したかの如く、漆黒の鎧が身体の隅々まで纏わり付いた。


 足下に散らばる鏡の破片、明はそこに映し出された自分の姿を見る。全身が闇色に染められた、ヒトの面影を残すも人間とは遠くかけ離れた怪人の姿。西洋騎士の兜に似た顔の隙間から覗く琥珀色の瞳が、鏡の中の自分を睨み返した。


 窓から差し込む月明かりに照らされて、鴉羽色の騎士が緩やかに上体を起こす。自らが忌むべき怪物――その名はレイブン。


 奇しくも玄崎明は玄崎明ヒトとしての意識を変わらず保っていた。しかし鋭敏に研ぎ澄まされた感覚は、人間のそれをゆうに超えていた。視覚、聴覚、嗅覚――感覚器官から入る込んでくる膨大な情報量は変身前の体とは比べものにならない。


 だがそれ以上に。

 奴を狩らなければいけないと、強迫観念じみた衝動が、明を突き動かす。


 蟷螂レイブンに相対する、闇鴉レイブン


 カマキリ型レイブンが苦悶の絶叫を挙げて立ち上がる。レイブンと化した明を認識すると、再び超速度で接近する。昆虫を模した脚部を目にも止まらぬ高速で動かし、天井から奇襲を仕掛ける。背部に収納された四枚羽根を展開し、廃ビル内の狭い空間を浮遊しながら縦横無尽に動く。


 その全ての動きでさえ、現在の明=黒きレイブンには捉えられている。

 高速で飛来する鎌の一刀を回避、その隙に空いた体に拳を叩き込む。超重量の鉄塊で殴りつけられたような衝撃をまともに喰らい、苦悶の声が漏れる。怒り狂って両手の鎌を振り回すも、その全てを明は寸前で回避する。


 しかし、有効打は与えられずにいた。。

 それどころか。


 右腕でストレートを放つ。鎌を空振らせた隙を見据えての渾身の一撃。しかし相手も同じくレイブン。常軌を逸した反射神経にて攻撃を見切ったのか、ストレートで繰り出された攻撃は容易く回避されてしまう。放たれた拳は標的を失い、勢い余ってコンクリートの壁に突き刺さる。強化された破壊力が仇となってか一瞬、壁から動けなくなった明の隙を、容赦なく狙われる。


 反射的に体を捻るも、カマキリの鎌が左肩に突き立った。強固な甲殻が易々と貫かれ、強烈な痛みが左肩から疾駆する。全身を貫く激痛に「ぐっ!」と思わず悲鳴が漏れた。的確に急所を狙った刺突。あと少し判断が遅れれば、今頃明は心臓を穿たれて即死していたに違いない。


 沸き立つ恐怖を振り払い、明は右足で前蹴りを放ち、相手と再び距離を取ろうと試みる。しかし深く突き刺さった鎌が抜ける様子は一切無い。このまま鎌が真下に振り下ろされれば心臓が真っ二つにされる恐怖に襲われる。


「武器……武器が必要だ」


 左肩の傷口から大量の血液が湧き出す。腕を持って行かれなかっただけマシと考えるべきか。せめてこっちにも有効な攻撃手段があれば――と明は歯噛みする。鉄筋コンクリートすら易々と切断してしまう斬れ味を持ちうるあの両鎌。レイブンの甲殻すらも貫通する鋭さを持ちうる鎌を掻い潜って間合いに入ったとしても、一撃で仕留められる強烈な攻撃を与えられなければ、再び格好の獲物となってしまう。


 

「そうだ、剣だ……剣が欲しい」


 鎌を受け止められる鋼の如き強靱さ、そしてあの鎌のように敵の硬い甲殻を切り裂くことが出来る武器。リーチの長い得物、即ち剣のような刃物が欲しい――頭の中で一瞬、明確なイメージが閃いた直後。


 右腕の内側から、灼けるような熱さを感じた。

 鼓動が再び際立って聞こえた。何かが来る――


 振り抜いた右腕の先には、長大な刃が艶めいていた。右腕から甲殻が延長し、刃渡り一メートル超えの鋭い刃として顕現した黒き刀身が、ガラス窓越しの月明かりを反射する。明の胴体を真っ二つにせんと迫り来る右手の鎌を漆黒の刃で易々と受け止めると、腹部を狙った前蹴りと同時に弾き返した。


 これで、立場は同等だ。


 この瞬間に生まれた空隙を、明は見逃さなかった。攻撃を弾かれた反動でカマキリ型レイブンの両手が空に浮いている。がら空きの胴体を即座に照準、守りが手薄と化した箇所を見据え、新たに生成された得物を腰深く構えた。


「――っ、こいつで!」


 刹那、純黒の刃が煌めきを放つ。逆袈裟に振り上げられた剣が狂い無き一直線の軌跡を描くと、カマキリ型レイブンは即座に動きを止めた。直後、切断された甲殻の内側から大量の鮮血が吹き出した途端、断末魔の悲鳴が闇夜に甲高く響き渡る。


 僅かな痙攣を最後に、カマキリ型レイブンは完全に絶命した。戦いは終わった。その場に崩れ落ちた怪物の死体が、アスファルト上の血溜まりに沈み、二度と動くことは無かった。緊張が解けた瞬間、明の体から黒い甲殻が細やかに剥がれ落ち、元の人間、玄崎明そのものの姿に戻っていた。


「戻れ、た……」


  正直な話、あのままレイブンになってしまう可能性の方が高いと思っていた。理性を無くした人喰いの怪物と化して街を彷徨う定めになるか、あるいはレイブンの力を支配し、自らの物として行使するか。


  どちらでも構わないと思っていた。元より空虚だった人生だ。仮に前者だとしたら、ヒトとしての意思を失う前に自分で決着を付けようと思っていた。もっとも、単純な自殺で死ねる体じゃない事は分かっていたので極端な話、町工場の溶鉱炉にでも身投げすれば良いと考えていた。


 明は賭けに勝った。


 レイブンとして戦い、ヒトの命を救った。

 無価値だった自分が、初めて誰かの命を守る事が出来た。

 明にはそれが、何よりも嬉しかった。


 傷を負った左肩をかばいながら、明はレイブンの死体に近づく。鋭利な刃で切り裂かれた傷跡が、灰褐色の内臓を晒していた。


「オレが……殺した、のか」


  身長五メートル超えの巨大な死体を見下ろす。人間というよりかは宇宙人、エイリアンと言ったほうが納得が行くほどにそのシルエットはヒトとは大きくかけ離れている。自分がこの怪物と一対一で殺し合い、生き残ったなんて正直なところ実感が湧かなかった。しかし明は勝った。自らがレイブンと化すという代償を払い、掴み取った勝利の結果。胸に湧き上がるのは底知れぬ満足感だった。


 自分には出来ることがある。

 人々に害を成すレイブンを斃す。その為にレイブンとしての力を遣う。

 成すべき使命を見つけたのだと、そう思った。


                   *


 ――それから、数週間後。


 インターネットの掲示板やSNS上で、新たな噂話が話題を集めていた。

 鴉ヶ丘連続猟奇殺人事件。犯行現場の周囲で頻繁に目撃される未確認生命体、その存在が人々の間で明確に示唆され始めた怪物、その名も『レイブン』。

 人喰いの怪物が世間で恐れられる中、もう一つの噂が生まれていた。


 未確認生命体と戦う、もう一体の未確認生命体。

 漆黒の鎧を纏いし闇の騎士。

 怪物レイブンを狩る怪物レイブン

 都市伝説の狩人。

 


 新たなる都市伝説の存在が、まことしやかに囁かれるようになった。


EPISODE:4 End.

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