第18話 涙色の染色

「ふふふ、私のおもちゃたち、ちゃんとうまく殺っているかしら?」

 花に包まれた庭の中、私はいつものように真っ白の机に座り、優雅に紅茶をたしなんでいた。

 今日はとても晴れ晴れしい日だ。それはもちろん、天気がいいからということもあるが、私の望みへと一歩近づけた、記念すべき一日目だからだ。今頃、白の兵士たちは黒の国、スウァルテルムへと到着し、暴虐の限りを尽くしていることだろう。

 そして、スウァルテルムを滅ぼしたならば、次は、青緑の国、セイレンブルクだ。あの国を私の物とし、美しい国土を思うがままに楽しむとしよう。それにも飽きてしまったならば、また新たに欲しい物を見つけてしまえばいい。私の知恵とこの国の兵力があれば、きっとすべてを思うがままにできる。

「ふふふ、本当に楽しみだわ」

 口に微笑みを浮かべながら、喉へと伝わってくる紅茶の味を楽しむ。今日の紅茶はとても甘く、とろけそうな味わいで、本当に今の私の気持ちとぴったり重なっている。これからはいいことばかり起こるに違いない。

 そうやって有頂天な気分になりながら、しばらく紅茶と美しい花の景色を楽しんでいると、周りの雰囲気が何か不自然なことに気づく。

 ……あれ? 何だか、やたらと静かね?

 私が今いる花の園は、王宮の中心部からは離れた場所にあり、物音がしない方なのだが、それでもこの静けさは少し変なのだ。

 耳を澄ませてみると、何人かの人々が歩いている音は聞こえる。しかし、その人々が話すことによって生じる音は一向に聞こえない。そのことが、私の神経をやり敏感なものにさていた。

 そうやって私が周囲の音に耳を尖らせていると、一つの足音がこちらへと近づいてくる音が聞こえてくる。私の意識はいよいよたかぶり、純白のドレスの中に隠してあるナイフを出そうと手を動かすが、そこであることに気づく。 

 ずっしりと重く、まるで引きずるように進む、この足音はひょっとして――

「……アーミュ様」

 花の園の入り口に立っていたのは、幼い時からずっと見てきた、気だるそうな、人生のすべてを諦めているような、そんな変わった表情をした男の姿だった。

「……もう! もう! 驚かせないでよ、テルく~ん!!」

「……すみません、アーミュ様」

 彼はいつもと変わらないような、気の抜けた返事をする。どういうわけか、全身に黒色の衣服を纏い、腰の左側には二本の長剣を差しているが、それは私を驚かせるための扮装ふんそうかなにかなのだろう。

「もう~! これは何のサプライズよ~!!」

 テルくんは質問には答えず、ゆっくりとこちらへと歩みより、抜いた長剣を私の首もとに向けた。

「……え? これは、何の冗談?」

「……アーミュ様、宮中はもうすべて、私と、私に賛同するものたちによって制圧されました。……あとは、あなただけです」

「……え? ……え?」

 私はテルくんの言っていることが理解できず、ただひたすらに言葉にならない疑問を繰り返していた。

 

 制圧? 何を? 私たちは仲間でしょ? どうして、制圧する必要があるの?

 

 伝えたい言葉は、何故なぜか口元の部分で止まってしまい、外へと発することもできない。

「アーミュ様、あなたは罪を犯してしまいました。もうこれ以上、あなたに間違った道を進ませるわけにはいきません。……私は今、ここで、あなたの命を奪います」

 テルミールが発したその言葉は、とうとう私の心に止めを刺し、賢い私の頭に、どうしようもないほど残酷な現実を理解させてしまった。

「……そっか、そうなのね……。そう、、あなたは、私を殺しに来たのね…………」

 項垂うなだれている私に、彼は腰に差していたもう一つの長剣を差し出した。

「これを使って、私と戦ってください。あなたが勝てば、この国の王は、このままあなたとなり、私が勝てば……」

「あなたが勝てば?」

「私が勝てば、あなたは死に、私もその後を追います」

 テルミールが見せる表情とその口調は、彼が嘘を言っていないということをはっきりと伝えていた。

「…………うふふ、あははははは!!! 正気なの!? あなたが勝てば、この国はあなたのものとなるというのに、私と心中をするだなんて、本気でそんなことを言っているの!!?? ……ふふふ、だとしたら本当におかしな話ね! 何を考えているのか理解できないと、昔からずっと思ってきたけれども、やっぱりあなたは、最後まで本当におかしな人だったわね!!」

 テルミールの理解不明な言葉に、私は心の中に浮かんだ思いをそのままぶつけてみせた。

「……私もまた、罪を犯しました。あなたの一番近くにいたというのに、取り返しのつかないことになるまで、あなたを止められなかった……。それが、私の罪です」

「ふーん」

 いかにも興味を持っていないような、動揺していないかのように声を出した後、私は彼が差し出した長剣を受け取った。

「……いいわよ、その勝負、乗ってあげる。だけどね、あなたが男だから、力で優っているからって、私に勝てるだなんて思わないことよ!」

 刀身を引き抜き、剣を上段に構える。彼もまた剣を抜き、その刃を私の身体と半ば平行になるような形で向けてきた。

「ねえ、知ってる? 白の民の大半は、自分で考えることもできない愚かなものばかり。だけどね、ごく稀に、圧倒的な力を持ち、人々を支配できる者が現れるの。そして、それが私! だから、あなたのように、私の後をついてくることしかできないおもちゃごときに、私が負けるはずがない!!」

 言い終えると同時に、長剣を振り上げテルミールの顔へと狙いを向ける。

 当然、一つめの剣舞は防がれてしまうが、二つ目、三つめ、四つめ、五つめと、様々な角度から踊るように斬擊を重ねてゆく。

 しかし、そのどれもが彼の体を捉えることはできず、振るわれる長剣によって弾かれてしまう。

「く、なぜ!! なぜなのよ!!!」

 ひどく動揺しているように振る舞ってみるが、どうして攻撃が当たらないのか、その理由は、はっきりと自分自身が理解していた。

 ……そう、平静を装ったり、怒っているように剣を振り上げてみせても、結局のところ、私の心の中には悲しみ以外に何もありはしなかったのだ。

 なぜ? どうして? ……さっきから心の中を巡り続けているのはそんな言葉ばかりで、裏切られたことへの動揺から抜け出すこともできない。ましてや、彼に対して殺意を向けることなどできるはずもなく、描かれているつるぎの舞は、無意識的にテルミールが防げるような軌道を描いてしまう。

「……アーミュ様、次は私の番です」

「く……!」

 私の動きに疲れが出てきたところを見計らい、いよいよ彼が私に向けて剣を放つ。

 ギィィン!!

 重く鋭い音が私の庭に響く。

 彼の剣術はとても真っ直ぐで、私のような、立ち回りの柔らかさはない。しかし、一見愚かしいほどに型にはまったその動きは、とてつもない威力と突進力を秘めており、ただひたすらに斬擊を防ぐしかない状態へと追い込まれてしまう。

「くう……!! この、このぉ!!」

 彼の刃が私へと向けられたびに、私の心を引き裂くような痛みが襲う。

 どうして? どうしてなのよ!! わたし、わたしは……!!

 

 彼が私を殺そうとしているなんて、未だに信じられなくて、私はただ、心の中で悲しみの涙を流し続けていた。

 ――――あれ?

 そんな風に互いの剣術をぶつけ合うなかで、ある違和感に私は気づいた。

 テルミールの繰り出す斬擊は、確かにとても強力なものだ。それにもかかわらず、私はその全てを

 今のテルミールならば、動揺し、精神的にも技量的にも弱ってしまっている私の隙を見つけ、斬りつけることなどたやすいはずなのに、まるで私が彼に向かって剣を放った時のように、テルミールの剣擊は、私が防ぎやすいような軌道を描いていた。

 はっとして、彼の目をみる。その目は普段、地獄を見た後のように虚ろで、どのような感情を抱いているのか、うかがうことはできない。しかし、今この瞬間には、彼のその虚ろなだけのはずの瞳に、わずかな哀しみと、剣を振るうことに対するためらいがにじみ出ていた。

 

 ――――そっか、そうなのね…………。あなたも、私を殺すのは嫌なのね…………。なら、私たちの命が尽きる時まで、めいいっぱい、楽しみましょう? 私たちの、最後の戯れを――――


 口元に微笑みを浮かべ、彼との楽しい一時を楽しむ。肌が切り裂かれる感触すらも、今の私にとっては暖かい触れ合いだ。

 ――――そろそろ、限界ね…………。

 お互い、決定的な一撃は与えられていないとはいえ、ぶつかり合う剣の舞は、徐々に私たちの体力を奪っている。そして、このままだと私の方が先に限界を迎えるだろう。

 

 ならばせめて、最後は、自分の意志で――――――

 

 彼が私から少し距離を取り、突きの構えをとる。このまま私に向かって放たれたところで、大した傷は負えないだろう。だから私は、テルミールが突きを放つのと同時に、剣を捨て、刃の先端に向かって走っていった。

 

――――――ザジュ


 愛しいつるぎが皮膚を超え私の身体の奥深くまで穿ち、私の心は安らぎと恍惚感に満たされてゆく。

「――――な!? あ、アーミュ様!?!?」

 彼は今までに見たことがないような、驚きと哀しみと、安堵が混じったような表情を見せ、私から剣を引き抜こうとした。

「――――だめ、待って、まだ、だめなの…………」

 引き抜かれそうになる刀身を、もっと奥へと押し込もうとする私を見たテルミールは、剣を放し、私の身体を優しく抱きしめてくれた。

「…………アーミュ様…………。なぜ、このようなことを………………」

 彼の問いには答えず、囁くように言葉を発する。

「…………ねえ、テルミール。私、ようやく気づけたの。私にとって、何が一番大切だったのかを…………」

「………………アーミュ様……………………」

「………………ふふ、私にとって一番大切だったのはね、自分が欲しいものを、他人から奪ってでも手に入れることじゃなかったの。本当に大切なのは、愛しい人と、あなたと、共に愛を分かち合えることだった。…………あなたのことを愛してる、テルミール」

「アーミュ様……!! アーミュ様……!! …………そんな、そんなことって……!!」

 彼は私を強く抱きしめ、顔をくしゃくしゃにしながら大粒の涙を流した。

「……もう、そんなに泣かないの。かっこいい顔が台無しよ?」

「うう……! アーミュ様……! アーミュ様~~!!」

 涙で濡れた目元を、中指と人差し指で優しく拭ってあげる。そうすると、彼もまた、私の瞳から流れ出ている涙を拭ってくれた。

 気づかない間に、私は泣いてしまっていたようだ。…………涙なんて、虚しさや絶望を感じた時にしか流したことはなかった。だけど、今の涙はきっと――

「…………ねえ、テル君。私を、お花たちの近くまで連れていって?」

「…………アーミュ様の仰せのままに」

 突き刺さったままにしておいた剣を抜き、お姫様抱っこで美しい花たちの賑わう花壇のところへと連れていってもらう。

「ふふふ、なんだか私、本物のお姫様みたい」

「何をおっしゃっているのですか。アーミュ様は、もともとお姫様だったでしょうに」

「あら、ふふ、そうだったわね」

 彼はいつものように冷静な突っ込みを入れるが、その声はとても優しく暖かいものだった。

 花壇に着くと、花たちの前にある石でできたベンチの上に降ろしてもらい、隣に座った彼の身体にそっともたれかかる。それに呼応するように、テルくんは私の背中に腕を回し、私の肩を抱きしめてくれた。

「ふふ、幸せ…………。これが、愛する人と触れ合うってことなのね…………」

 傷口からは今も血が流れ出し、徐々に私の意識を奪ってしまっている。だけどそんなことにはもう構わない。私の生きる意味は、たった今ここで、果たされたのだから…………。

「テルくん、最後にお願いひとつ、聞いてくれる?」

「…………なんなりと…………」

「私はもう死んでしまう。だけど、あなたならきっと、たくさんの愛をこの世界に分け与えられると思うの。……だから生きて。これからは、私のためではなく、あなた自身のために」

「アーミュ様……! そんな、私は――――」

 彼の言葉を遮り、唇と唇を触れ合わせる。

「んむ……! あ、アーミュ様!?」

「ふふ、変なこと言っちゃだめよ。ちゃんと生きるって言うまで、何回でもキスするからね?」

 彼は驚いているような、喜んでいるような表情を見せる。

 これが私の初めてのキス。好きな人とのキスは、やはりとても暖かくて嬉しくて、心がいっぱいの幸せに包まれてゆく。

「……アーミュ様。その前に、私はあなたに言っておかなければならないことがあります」

 彼はさっきまで動揺していたままだったが、突然に真剣な顔つきで言葉を伝えてきた。

「ふふ、なあに」

「アーミュ様……。私は、俺は――――」

 言葉の続きを言う前に、彼は私の顔を引き寄せ、熱烈な口づけを浴びせてきた。

「俺は、あなたのことを愛してる……アーミュ」

「…………嬉しい。ありがとう、テルくん」

 私の顔には、今までにないくらい優しい笑みが浮かんでいた。

「アーミュ。俺は、本当はあなたと共に死にたい。あなたのことを、この世のだれよりも愛しているから。だけど、そのあなたが、俺に生きて欲しいって願うなら…………俺は、生きるよ」

「………………ありがとう。ようやくこれで、心残りがなくなったわ……」

「アーミュ、ありがとう。あなたが奴隷だった俺を救ってくれてなかったら、きっとあのまま野垂れ死んでたと思う。本当に、本当にありがとう…………」

 彼もまた口元に優しい微笑みを浮かべており、その瞳はダイヤモンドのようににきらきらと輝いていた。

「テルくん、もうそろそろ、お別れなみたい…………」

「アーミュ様…………」

 お互いに身体を抱きしめ合いながら、最後に深い口づけを交わす。

「愛してるわ、テルくん。…………おやすみなさい」

「…………おやすみ、アーミュ。……愛してるよ」

 愛しい人の優しい言葉を聞きながら、安らかな眠りへと落ちていった。

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