第9話

 目覚めて最初に感じたのは、口中に広がる土の味だった。

 呼吸と一緒に取り込んでしまったそれに咳込み、重たい体を持ち上げる。

 重く、そして寒い。

 俺自身の肉体だった。

 既に立ち上がる力は残っておらず、近くの木まで這って行きそこに身を寄せる。


 先ほどまで視界を包んでいた白いモヤのようなものは消え、代わりにイルミアの姿があった場所に光るナニカがあった。

 それはよく目を凝らすと人のような形に見える。

 

 あれはイルミアなのか?

 その疑問を察したかのようなタイミングで、俺の頭の中に突如として声が響いた。


《コウ、聞こえる?》

「あ、ああ!イルミア、君なのか?」

《そうだよ、今から君をあちらへ送る準備を始める。そこから動かないで!》

「ああ、わかった……」


 言われなくても一歩も動く気力なんてないのだが。

 俺は全身の力を抜き、なんとか意識を失わないように念じる。

 光が少し揺らいだ。俺にはそれがイルミアの微笑みに思えたが、確かめるすべはない。


《それじゃあ、いくね》

 そんな言葉と共に、イルミアの深呼吸が聞こえた。

 それを通してイルミアの緊張がこちらにも伝わってくる。

 

 再び、光が揺らいだ。人型の光は左手を水平に上げ、何かを持っている。

 短剣のような形のそれを、光は自らの首へと持っていく。

「イルミア、何を!」



《夢と現に揺蕩いし、我ら全ての祖なる者。

 ボクは貴方の欠片をその身に宿し、全ての命を寿ぐ者。

 今こそ!貴方の祝福を世界に還す。

 この身は土に、意思は法に。

 世界を進め、新たなる秩序を与えよう!       》


 

 そんなどこか詠うようなイルミアの言葉が、その場に響き渡った。

 そして次の瞬間、光の首に充てられた短剣が掻き切られた。


「イルミア!!」

 伸ばした手は空を切り、もつれた足が俺を再び泥まみれにする。

 なんだ、動けるじゃないか。

 頭の中の俺が笑った。

 だがそんなことはどうだっていい。

 イルミアは…!


「大丈夫かい!?」

 頭の上で、慌てたような声がした。

 俺は、その声の主を知っている。

「イルミア……?」

 

 頭を上げた先には、イルミアがいた。

 先ほどまで俺に語りかけていた光ではなく、あの白い世界で話した彼女だ。

 その声も確かに俺の耳に届くものへと変わっている。

 そう、間違いなく彼女はここにいた。

「どうして、君は首を……!」

「首?ああ、そう見えていたんだね。でも、ボクが切ったのは首じゃあない」


 これを見て。

 イルミアは顎を少し突き出すと、首を左右に振る。

 そんなイルミアの行動をマジマジと見つめていると、あるものがなくなっていることに気づいた。

「髪……!」


 イルミアの持っていたあの長く美しい金髪が、首元まで消失している。

 切り取られた髪の先では無数の光が瞬き、神秘的な光景を描いている。 

 その変化は彼女の印象を多少ボーイッシュなものへと変えていた。

 だがそれは決して彼女の美しさを損なうものではなく、むしろその新たな一面を開花させた結果であるといえた。


「見ててね」

「え……?うわっ!」

 そう言って突き出されたイルミアの細い両腕には、豊穣の神が手ずから収穫した黄金の麦束のような、金糸の束が乗せられていた。

 たった今切り落とされた、イルミアの御髪である。

 イルミアはそれをゆっくりと天に掲げると突然、風が吹き荒れた。

 

 またたく間に髪は巻き上げられ、不可視の風脈をあらわにする塗料のように暗闇の中で輝きを放つ。

 風はだんだんと彼女を中心に渦を巻き、金糸のヴェールが彼女を包みこむ。

 そして次の瞬間、金糸の渦は爆発的にその規模を広げる。

 俺も瞬時にその嵐に飲まれ、目をくらませる。


 再び視界が戻ると、俺たちは巨大な円環の中にいた。

 俺たちを中心に繋がれたその円環の内部には、緻密な模様が一面に刻み込まれてた。

 魔法陣。頭に浮かんだそんな言葉がピッタリだ。


「そーれっ!」

 イルミアは大きく右手を振り上げた。

 その手にはいつのまにか大きく節くれだった杖が握られ、それを勢いよく地面へと突き刺す。 


 すると杖はまるで水面に沈むかのように抵抗なく地面に飲み込まれ、その全身を捧げる。

 それを受け魔法陣が更に輝きを増す。そしてイルミアの髪から洩れていた光の瞬きが、彼女の全身を包んでいく。


 神々しい光が目を覆う。しかし、閉じることができない。

 陽光のような光は俺を暖かく包み、今にもはち切れそうなソレはまるで光に愛された愛子の揺籃と錯覚する。

 乏しい俺の人生経験の中であっても、この世でこれ以上に美しい光景を見ることは二度とないだろうと確信できた。




 現実時間にしておよそ数秒、しかし俺には永遠に続いていたように思えたその次の瞬間、ソレは弾けた。


 更に強さを増す閃光に、今度こそ俺の目は眩み、平衡感覚が喪われる。

 咄嗟に伸ばした手に地面の感覚を受け取ると、俺は静止しグッと目を閉じ、視界の回復を待った。

 眼球が流水で洗われるような違和感が薄れ、ようやく薄眼を開けた俺はそのあまりの光景にまたしても目を奪われる。




 俺が手をついていたはずの地面、そこに満天の星空が広がっていた。




 天地崩壊を察したまらずバランスを崩し転げまわる。

 だが、地面の感触がある。

 そのまま何処までも落ちていけそうな星空に向かい手を伸ばしてみても、やはり濡れた落葉と土の感触が返ってきた。




「どうだい、綺麗だろう。そんな簡単に見れるものじゃないんだよ?」

 星々が咲き乱れる花畑の中心で、彼女は自慢げにそう言った。

 そしてその中心を指差し、そのさきに広がる白い渦を示した。 

「これがゲートだよ。じゃあ思い切って飛び込んで!」


「……」


 この後に及んで俺はまだ動くことができない。イルミアが苦笑いで此方を睨んでいる。


 かっこ悪いな、ここまで来てまだ動けねえのか。

 俺ってやつはいつもそうだ。事を決めた後になってもウジウジウジウジ。何度笑われたことか。そうあの時だって


「さっさと行けっ!」


 俺の様子に焦れたイルミアは癇癪を起こしたように地面を蹴っ飛ばす。すると、永久に星空の中心に鎮座しているものと思われた白円が、まるでエアホッケーのパックのようにこちらに飛んでくるではないか。


「可動式!?」


 驚く間に、白円は俺の真下までたどり着いていた。


「キャアアア!」


 沈む!沈んでしまう!


 ワープ式、○の扉式、どのように異世界へと旅立つのか色々シュミレートしていたのだが、現実は想像より奇なり、まさかの沼式。

 ゆっくりと、時間をかけ、白円は俺を飲み込んでいく。



「出してぇ!?怖い、これは怖い!!」

 沈んだ先から無くなる感覚、上がってくる泥のような感触。どこにこんな力が残っていたのか叫ぶ俺に、イルミアが近づいてくる。


「はいチャッチャッと沈む!」


 彼女は半分ほど飲まれた俺に向かってジャンプ。無慈悲なドロップキックによりイルミア諸共俺は一気にゲートへ飲み込まれた。




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