第4話
「……ううん」
冷たい地面、固い寝心地。
身を動かすたび、まばらな砂利の感触が刺さって少し痛い。
その刺激で、俺は目を覚ました。
俺は今半径1m程の、半球型のコンクリート建造物の中にいた。
まあ……いってしまえば、公園の遊具だった。
その中に寝袋を持ち込み、そこで一夜をあかした。
傍らにはあのスーツケースが、閉所のなか存在感を主張している。
あれからまだ数時間。心身ともに疲れ果て、とりあえず意識を手放したかった俺はすぐ近くにあったこの公園を選んだ。
雨風を凌げる……と言えるかは微妙なところだが、とりあえず身を横たえる場所というだけで十分だと、その時は思えたのだ。
その場で寝転ぶだけになると覚悟をしたが、スーツケースの中には寝袋が入っていた。
それを使うことに抵抗がなかったわけではないが、そんな意地にはもうなんの価値も力もありはしない。
そんなこんなで、朝だった。
「しかし……意外と快適だな」
目の前にはコンクリートの天蓋が広がっている。
その中央には人ひとりがギリギリ通れる大きさの穴が開いている。
そこから差し込む陽光が、内部にほどよい陽気をもたらしてくれていた。
そのおかげで現在この遊具内の環境は、良好と呼んで差し支えないものだといえた。
夜の間は多少寒くはあるが、寝袋を被ればそれも気にならない程度だ。
俺の身体を悠々と受け止めるコンクリート壁の頼もしさ。秘密基地のようなほどよい狭さ。
孤独が、俺を狂わせた。
「住むか……?」
いやいやいやいや。
俺はすぐに被りを振った。
さすがにあり得ないだろう。
これは遊具だ、家じゃない。
これは遊具だ、家じゃない。
馬鹿らしいくらい当たり前のことだ。
くだらない思考を断ち切るために、俺は荷物を手早くまとめ公園を離れた。
しかしどうしたものか。
一日が始まり、ついに一人きりでの生活が始まってしまった。
状況は現実味を帯びて俺の手足に絡みつく。
持っている荷物は一、通りの生活必需品。
所持金はあの封筒に入っていた十万円のみ。
じゅうまんえん。
降ってわいたにしてはそこそこの大金である。
しかし、一から生活基盤を築く金額としては些か以上に心もとない。
何か、目標が欲しかった。
そこで、街に向かうことにした。
俺の住むこの町はベッドタウンとして栄えた地であった。
既にその栄華を終え衰退の一途を辿りつつあるここに、このまま留まりつづけたところでなんの希望も持てないだろう。
現実的な身の置き方は、ひとまず棚上げする。
正直なところ、一刻も早く家から離れたいという気持ちもあった。
馴染み残る周囲の風景に、ポツンと佇む俺の姿は異物そのものに思えた。
その違和感から逃げるよう、俺は近場の駅へと向かう。
ひび割れたアスファルト、消えかけた白線。
これからのことを考えないようにして歩いていると、これまでの記憶が浮かんでくる。
そういえば二年前までは毎日使ってたんだな、この道。
駅へと向かう道を黙々と歩きながら、そんなことを思う。
まだ俺が高校生だったころ。
この道を歩き、電車に乗り、高校へ通う。
そんな日々を当たり前にこなしていた時期が、俺にもあった。
だが昔はよかった、なんていうつもりは毛頭ない。
昔は昔で、あまり思い出したくない記憶ばかりだ。
今も昔もろくな人生じゃねえな…
気が付かなくてもいい真実にまた一段と足が重くしていると、向かいから男の二人組が歩いてきた。
とっさに顔をそらし、視界の端で二人を観察する。
年のころは同じくらい。明らかに地毛ではないその頭髪が特徴的で典型的な大学生といった風貌だ。
俺の背筋が、警鐘を鳴らす。
それは当然のリスクだった。
学生が通うような地元の通学路を歩く。
道はなにも俺だけの物じゃない。
きっと知らない人だ、きっと知らない人だ、きっと知らない人だ……‼
片方の男に、見覚えがあった。
高校時代、同じクラスだった男。
かろうじて名字は思い出せたが、下の名前が思い出せない。
そもそも知らなかったのかもしれない。
別に親しかったわけではない。何度か話をしたくらいの、そんな関係。
大したことではない、これからもっと人の集まるところへ向かうんだ。
いくら引きこもりとはいえ、この程度で堪えていたのでは話にもならない。
しかし……呼吸が、急激に動き出した心臓につられて乱れだす。
体のあちこちが鈍らな刃物で切り付けられたような痛みに襲われ、にじむ涙に視界が歪む。
もうすぐ彼は俺を認識するだろう。
今の俺の姿を見て、彼は何を思うのだろうか。
認識されたくなかった。評価されたくなかった。
今ほど透明人間にあこがれた瞬間はない。どうしようもなく溢れる焦りに蓋をしようとやっきになるが、すべて徒労に終わる。
はやる心と裏腹に、なんとか不審な動きは避けようと努める。
そんな時、彼の顔がこちらを向いた。
ひときわ、大きく心臓が跳ねる。
知らないふりで、やりすごせばいい。
そう思っていたはずが、こちらを向いた彼の目線に体が強張りそのまま立ち尽くしてしまう。
俺と彼の視線が、真っ向からぶつかり合った。
普通にしなくては。
こちらから声をかけるべきだろうか。
浮かんでは消えるいくつもの選択肢が、俺に行動を迫った。
話しかけられたらどう答えれば、不安な思いに焦りが注がれ瞬く間に膨張していく。
しかし彼は一瞬怪訝そうな顔をしたかと思うと、すぐにとなりの友人との会話を再開して俺とすれ違っていった。
「どした?」
「んー、いや。さっきの奴どっかで見た気がしてさ。多分、気のせいだわ」
立ちすくむ俺から離れていく二人が、そう話すのが聞こえた。
彼らの話はすぐにただの雑談へと変わった。おそらく、俺を見て覚えた違和感など既に消え去っていることだろう。
全身から力が抜ける。
よくわからないが、涙が滲んだ。
友人だったわけではない。
同じクラスだったとはいえ、ほとんどロクに顔も出さずそのまま消えていった同級生の顔など覚えている方が少ないだろう。
当然の結果だ、よかったよかった。
そう理性で自分を慰める。
しかし言いようのない悲しみはしばらく続き、俺はすぐにその場を動くことができなかった。
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