第2話
だよな、そういう意味だよな。
語彙力検定三級の俺にはじつはわかっていた。
奴の部屋に入ってくる勢い、声のトーン、そして右手に握られた金属バット。
その全てがいつもの嫌味ではないと警鐘を鳴らしていた。
一昨日辺りから露骨に機嫌悪くなってたからなー、理由わかんないけど。多すぎて。
この
世間体、説教する気力すら残らない日々の生活。砂の城を支えるそんなか細い柱が突然折れてしまう瞬間が。
こういう時は年貢の納め時だ。まずは真摯な顔を見せる。そして仕事を見つけると誓おう。心を入れ替えると誓い、そして土下座。今までの不孝を心から悔やむ……フリをするんだ。
「そしてこう言うのか?今からネットで求人を探すから、もう少しだけ時間をくれ、と」
「ずま”な”が”っだ”ぁあ”!!お”れ”、は”た”ら”く……え?」
冷ややかな目をした四日が、俺の思考を先読みしたかのような発言をする。なんだ、様子がおかしい。
「いや、本気なんだ!ほらこのサイトで」
耳元で何かが風を切る音がした、何だろう。
ガッッッッベキャガキィィッッッ!!!
それが何かはすぐに理解した。四日が握っていた金属バットだ。
振り下ろされた金属バットが正確に俺のマイコンピュータを狙い破滅の音を奏で…
「な に や っ て ん だ テ メ エ ! !」
俺の頭は瞬間的に沸騰した。
真っ白な頭の中で、目の前の奴を殺せとたった一つのシンプルな命令だけが俺を動かす。俺の男女平等拳が、目の前のクソ女の顔面を破壊するため空を裂く。
「ブチ殺してアギィィィ!‼?」
視界が急激に傾く。なんだ?急にバランスがって痛い痛い痛い痛い痛い。
倒れ行く視界の先、金属バットの鈍い輝きと目が合った。
ああ、俺これで足を殴られたんだ。
そんなどこか冷静な思考も右脛から発せられる激痛にすぐにかき消される。
「ッッッッッ!!ッッッッッ!!!」
「大げさな、折れる程殴ってはいない。それより、三度目を言わないとわからないか?」
閻魔が突く槌のように、倒れ伏す俺の鼻先に金属バットが突き刺さる。
生温かな命の危険に脳は痺れ、振動が床を伝わり鼻骨を疼かせる。
「すいませんすいませんすいませんすいません‼」
無事、無条件降伏。
精神でも負け、力でも負けた。
生物としての本能的恐怖を刷り込まれた俺には、その言葉に逆らうという考えすら起きない。
声にならぬうめき声をあげながら、俺は必死に部屋からの避難を敢行する。
幸い、四日は追ってはこなかった。
●●●
改めて説明しよう。我が家は三人家族である。父である
俺が物心つくかつかないかの頃、母は生まれたばかりの四日を残して他界した。
以来三人仲良く十余年、この家で暮らしてきた。
勝手しったるはずの我が家を、俺は塹壕を目指す負傷兵のような気持ちで這いずっていた。
ダメだ……奴は話が通じる状態じゃない。父さんを味方につけなければ……!
ハッキリ言って父は俺に甘い。
口数は少ないが、高校を中退した時も何も言わずにやりたいことを見つけるといいなんて言ってくれた。
俺が今まで無職生活を続けてこれたのも父の存在があったからだ。今までもここまでではないにしろ四日との衝突の際、なんだかんだで仲裁してくれたのも父だ。
あの怒れる怪物を止めうるのはもはや父だけだ。
俺は最後の希望へ向かって進んだ。
所々ささくれた床板の感触を全身で感じ、廊下の角を曲がる。
その先には居間への扉があり、真っ暗な廊下を照らす光とわずかなテレビの音が漏れている。
しめた。父はもう帰ってきている!
普段であれば、まだ夕方のこの時間父は帰ってきていない可能性があった。
天は俺に味方している、俺はそう確信した。
そんな時、居間のドアが開かれ誰かがでてくる。
身長は180を越えているだろう。シルエットだけみても四十後半とはとても思えないその精悍な男こそ、我が家の主東雲達樹その人である。
渡りに船。一二もなく俺は父へと縋りつく。
「父さん!ごめん、ちょっと四日を怒らせちゃったみたいで…。頭に血が上ってるみたいだからちょっと話してみてくれないかな!?」
コツは自らの非を最初に認めることだ。
父さんも四日が怒る理由には検討がついているだろう、自分に非が無いとは言うにはいささか難しい。
こちらの非を認めた上でなら、きっとあのモンスターを止めてくれる…!
そんな考えを巡らせている俺に、父はこう答えた。
「そうか。じゃあ、もう聞いてるんだな?」
「え?」
そうか…って何だ。もうって…何を?
何、何、何、何。同じ単語がいくども頭をまわる。
わかっているはずなのに、理解ができない。理解したくない。届かない。
一人呆ける俺を前に、父は言葉を続ける。
「今日はお前の味方はしてやれない。四日には、お前を呼びに行ってもらったんだ」
そう告げる父の顔を、俺は見ることができなかった。
あーあ。
全ては終わりなのだと誰かが笑う。
そんなことはないと否定の言葉を、必死に探す。
だが、状況は何一つ変わることなく無情に時を刻み続ける。
いつの間にか、四日が後ろに立っていた。
四日は不機嫌そうに鼻を鳴らす。やめろ、何も言うな。
「聞いた通りだ。今まで散々お前を庇ってきた父さんも、もうお前の面倒はみれないそうだ。最後にもう一度言う、この家から…」
「待ちなさい四日。それは、私の役目だ」
四日の言葉を遮ると、親父は俺の両肩を掴んだ。
暖かく力強い感触に、俺は現実へと引き戻る。
だが顔を上げることができない。怖い、心の奥底が冷え切って凍えそうだ。
ここから逃げ出したい。だがそれはできない。
事はもう起こり、俺はここに立ってしまっている。
全身全霊でここから逃げ出したいと思っても、俺の足は一歩も動かない。俺はゆっくりと父の方へ顔を向けた。
怒り、悲しみ、口惜しさ、そういった感情をはらんだ何かを、俺はまだどこかで期待していた。
「お前の面倒を、もううちではみられない。この家から、出ていけ」
そう告げる父の表情は、何もかもを凍てつかせたような、無表情だった。
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