第16話 森で・1

「言ってはみたものの………どうしたらいいのかしら」

 未だ残る痛みに疼く熱の火照りに顔をしかめつつ、シルファラは何度目かしれないため息をついた。思い返すも理解の及ばない事態に巻き込まれてしまった。いっそ、流れゆくままに身を任せてしまおうかと、諦念さえ浮かぶ。

 今すぐ実行するならばと、目の前の穏やかな流れに身を投じる様を思い描き、笑みを浮かべる。体が浮くほどの深さはきっとない。せせらぎを耳に、服の裾をぬらさないように摘まみながら森を流れる冷たい流水に足先を浸す。

「はふぅ、気持ちいい………」

 体の芯に燻ぶる痛みの熱が、足先から溶け出し流れていくかの様な心地さに、シルファラは声を漏らす。少し苦労はしたものの、足を延ばしてよかった、とつま先で水を弾く。

 一度気を取り戻してからは眠ることもままならず、いい加減痛みに耐えて寝転ぶことにもうんざりしていたので、起き上がれるようになってからは積極的に可動範囲を広げ、いまやユルグと遭遇した水場まで到達している。

 流石に裸で歩き回るのは憚れ、求めた結果、今身に帯びているのは、今や樹皮がこそげ落ちて持ち味滑らかなになった杖と、簡素な貫頭衣。加えて、足裏と露出から枝葉から守るために巻きつけた蜘蛛糸。

 何故当初素っ転がされていたのか気になったのでを尋ねてみると、

「御霊を封じ器は深き眠りにあれど、糧を与えねば生かしておけぬ」

 一瞬問答かと思って思い悩んだが、しばらく考えて答えに思い至った瞬間、血の気が引き、羞恥に悶え、絶望を覚えた。はたから見ていたならば、瞬く間に顔色と表情を変えて身をよじらせる様は滑稽に映ったろう。傍目を気にしている余裕など微塵もなかったけれど。

 今やしっくりと体になじむ貫頭衣。蜘蛛糸で編まれているらしいが、今まで身に帯びたものの中で群を抜いて肌触りがよく、それがまたとてもではないが言葉で表すことが出来ない複雑な心境を覚えさせる。深くは………考えたくはなかった。

 再び停止した思考の片隅で、与えられた杖を除いて総じて白い私は、緑一色の森中で相当に浮いているなぁ、とだけ客観的に自分のことを考える。

 さておき、恐らく想像以上に親しんだ寝床から離れ、穏やかな森の散策に出られてようやく人心地といったところだろうか。

 シルファラが目を覚ましてから、三日が経過した。霊狼ユルグにのめされてからは、既に七日が立っているという。

 驚くべきことに、たった七日の間に、散々痛めつけられ全身くまなく刻み込まれていた傷は嘘のように塞がり、元通りの滑らかな肌に覆われている。

 意識が混濁するほどの重傷を負い、痛みのあまりに這いずることすらままならなかった身体は、既に立ち上がり、歩き回れるほどに回復していた。

 怪我の直りが早いのは喜ばしいけれど、素直に受け入れてしまっていいものだろうかと、不安を感じるところではもある。ユルグの言うところの器として手をかけた成果となるのだろうけれど、あずかり知らないところで変質させられ、ヒトの域を逸してしまっている部分があることにうすら寒さを覚える。

 詳細に他にどこが変わってしまっているのか知りたくはあるけれど、知ることが恐ろしくもある。決定的なまでにヒトとしてはあってはならない、ヒトならざるモノになってしまっていたらどうだろう。例え自我を宿していたとしても、それはもうシルファラという人ではない、別のナニカではないのだろうか。

 とっくに手遅れなのではないのだろうかと、早々に心が折れそうなことを考えてしまうが、何とか奮起を試みる。

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