第15話 誓い

 痛みのあまりに目を覚まし、痛みのあまりに意識を失うことを何度繰り返したのか。

 生きていることが痛烈に、喜びをかなぐり捨てて感じられるものなのかと、嫌というほど知らしめられた。

 声を上げることすら叶わない激痛と、臓腑を焦がす熱に浮かされ朦朧とする中、幾度か冷たく柔らかなもので優しく撫でられ、しっとりと甘い何かを口に含まされたことを、呻き喘ぎながらも感じた。

 他はすべて吐き気を催す痛みと思考を蝕む熱に呑まれ、加えて絶望的な疲労感と脱力感でもがくことも許されず、私の意識は浮かぶ間こそあれ沈み続けた。

 やがて、意識を手放すことが出来ない程度の激痛に目覚めたとき、歪み滲む視界と意識の中、覚えのある落ち葉が厚く敷き詰められた空間と、その上に浮かぶ白糸の寝床に横たわる自身を認めた。同時に、目の前に灰の巨狼が鎮座してこちらを眺めていることに気付く。

 倒れ伏し、痛みに喘ぎ呻きながら見上げると、巨狼は舌打ちをしてから尊大に語り掛けてくる。

「ヒトの子、シルファラよ。今一度自らの意識で目覚められたことを、まずは素直に喜ぶがいい………」

 相手にとっては喜ばしさの欠片もないのだろう。気遣いなど微塵も感じられない言葉を詰まらなさそうに投げかけられ、諦観と共に冷静さを呼び込む。

「私は………一体………?」

 今一度目覚めたことに困惑し、しかし、今度は尋ねる相手を得て、痛みをこらえて問いかけを紡ぐ。

「………故あって我らは其の身を求め、器と成した。

 が、器が形成せど、求めるところとは遠く、不覚にも奥底に封じたはずのお主が目覚め、加えて、異物が紛れ込む始末よ。

 いや、紛れたが故に、お主を封じ得ずに目覚めたか。所以はわからぬ。

 煩わしいことに器を繰り抗ってくれたわ。大人しく一噛みされておればよいものを見苦しく足掻き続け、結果がそのざまよ」

 どこか白んだ嘆息に、積もった枯葉が滑り流れる。

 思い出す。森の中で灰狼に弾き飛ばされ強い衝撃に意識が沈むと、入れ替わりに私の身体を動かす別の意識が現れ、灰狼と対峙した。眼前で繰り広げられる攻防は自身の身でありながらまるで他人を内から見るようで、しかし、絶え間なく積み重なる激痛がわが身に起きていることだと知らしめ、やがて耐えきれなくなり意識を手放した。

「………あれは、一体………?」

「委細はわからぬ。形を成さず、しかして時に憑きて邪を働く故、我は邪霊と呼ぶところよ。忌々しいことに、此度はいたくその身が気に入ったと見えて、祓うことが出来ぬ。

 本来ならば、器ごと噛み砕き飲み下したいところだが………」

 苛立たし気に、鼻筋を寄せ喉を鳴らす。灰の瞳がひたとこちらを捉えたまま、体の上を滑る。一瞥の最中、頭部、頸部、腹部、加えて四肢の関節に強い意識が向けられたことをはっきりと感じる。いや、感じさせられたのか。ともすれば私の身ごと砕きたいと考えているのは間違いなく本心である、と知らしめるためなのだろう。

 数瞬を跨いで、灰狼は続ける。

「………我らが求めるところを成すに、其の身を砕くには惜しいと判じた。

 しかして、今や主が御霊を封ずれば邪霊が勝手をふるまおうとする有様よ。むろん、邪霊をのさばらせるわけにはいかぬが、およそ我らの理とそぐわぬ異質な在り様、封ずるは我らにとっても難い。

 今は御霊の方が器を制する故大人しくしておるようだが、それも杳と知れぬ。何れ蝕まれ、器を奪われるやもしれん。

 我らとしては、いずれかが滅し片霊だけとなれば御しやすしとみるが、お主にとっては望むところではあるまい」

 滔々と語られるも、理解が追い付かない。

 ひとまず、今もその前も意識を取り戻せたのは、どうやら巨狼の語るところの邪霊なる想定外の存在によるところのようだ、とだけ理解する。痛切に存在を知らしめた私のうちに潜むモノについては、ヒトよりはるかに長く生き深い知識を蓄えるとされる霊獣たる存在ですら、御しきれないということだろうか。

 だが、語り口から何かしらの意向を感じる。痛みをこらえて何とか上体を起こし、汲み取るための問を投げかける。

「私は、どうしたら………?」

 問いに、灰狼が、口角を吊り上げ壮絶に笑んだ。

「その身に係る禍なれば、自ら祓って見せよ」

 告げる声音には、少なからぬ嘲りと嗜虐心が見え透いていた。

「お主、気を失う前にその身をもって成すべきことがある、と言っていたか。ならばやすやすと我らにも、当然、邪霊にも身体を受け渡すつもりはなかろう。

 少なくとも、器を求めても今はわれらに手を下す術はない。

 踏みとどまることを望むなら、内に潜む邪霊を飼いならして見せよ。

 此度は、われらにとっても未知なる邪霊を知る良き機会とみる。見事成し遂げたならば、ふむ、その暁には、我らが大命をお主に託すも面白いやもしれぬ」

 歯牙を噛みしめ、グッグッと押し込めた笑いを漏らす灰狼の姿に、一瞬あっけにとられるも、ふつふつと心の奥が沸き立つのを感じた。

 明らかに、自分が侮られているのがわかったからだった。

 どうあがいても、私はこの話を受けざるを得ない。けれど、この霊獣様は到底出来っこないと高をくくっているのだ。

「………出来なかったら?」

「むろん、器ごと砕き潰すのみよ。」

 ふん、と鼻息一つ。当然とばかりに返答が返る。

「わかりました」

 私は自分の身体を搔き抱き、正面から霊狼ユルグの瞳を見据えて宣言する。

「私の身体は、私のモノです。私は、私の為に抗って見せます」

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