第10話 巨狼ユルグ
「ぬぅ、少々手荒が過ぎたか。砕け散っておらねばいいが………」
元々強引な手を使って得たヒトの器であり、都合など無視した勝手は百も承知。今更何を気遣うところがあるというのか。それに、友好を結んだわけでもないヒトに事態の理解を求めて説明し納得させる程に悠長で温和な性格はしていない。とはいえ、長々と口上を述べる様にかっとなって思わず体が動いてしまったことを少々反省する。
自ら述べたように、大切な器であるのだ。壊してしまっては、それこそ大事である。
しかし、盛大に吹き飛ばしてしまったために、おそらくまともには歩けまい。そうなれば運ばざるを得ないが、噛み千切りそうになるので、あまり気が進まぬな、と独り言ちながら前肢を踏み出しかけたところで、すんと鼻突く覚えのある気配をかぎ取った。
「………よもやと思ったが、既に入り込まれた後だったか」
眇め見れば、遠方に吹き飛び頽れていたヒトが、杖を携えゆらりと起き上がるの見える。手足は捥げても折れてもおらず、杖先をこちらに向けて構え、抗う意思を見せていた。
「厄介な、それと知っておれば加減などせず砕いておればよかったわ」
臍を噛むも、今更だ。僅かに前傾し、垂れた頭髪で視線は切られ表情は伺えないが、覚えのある気配を放っていた。
嗅ぎなれた気配をして、邪なるモノ、と判ずる。
「退け。邪霊には過ぎた器だ。
退かぬなら、貴様をのさばらせるわけにはいかぬ。致し方ないが、龍眠る森の守護者たる我が名、ユルグの元、器ごと噛み砕いてくれよう!」
天高く宣戦の咆哮を上げ、シルファラと名乗ったヒトを見据え地を蹴った。
―――危険を孕んだ存在と認めたからには、必滅であろう。
周囲一帯に比肩するものなしと自負する巨躯をもって、全力で間合いを駆った。自慢の毛皮が暗灰色の暴風を纏い、霊木達が生え伸ばす枝葉を難なく爆ぜ飛ばす。
あまりの体格差に思いのほかに弾き飛ばしたものの、広大な森を駆り治める巨獣が誇る四肢をもってはわずかな距離に過ぎず、一瞬で詰める。
深緑を穿ち、草木を散らし、進路を妨げるもの全てを勢いのままに貪り迫る怒涛の暴力。しかし、シルファラを巻き込む直前、横殴りの狂風を生む。例え正面に待ち構える何かしらがあろうと、届かせずに躱すための慎重な転進だった。
反転、晒した脇を認め、しかしさらに守りが薄い背面を狙い、横に逃れられぬよう体を捩じりながら、咬合する。必中を確信した一噛みが、捩じれた気流を生んで掬い上げるように喰らった。
ヒトなど幾十人束になろうと容易く蹴散らし屠れる脆弱な存在に過ぎなかったし、そもそも子で雌に過ぎない。纏うものなく毛皮すらない柔肉など、例え邪霊が宿ろうとも屠るのは容易のはずだった。
確かに色々と手間をかけていたことを知る素体であるが故、一瞬で噛みつぶすには惜しかろうという思いは片隅にあった。触れれば木っ端のごとく吹き飛ばせる華奢なヒトの身、一度歯牙にかけてしまえば、後は、如何様でも調理のしようは易い。身動きがとれないように咥え込んでしまえるし、手足を砕いて踏み抑えてしまえば済むだろうと。
初撃は、必中の一撃であり、ヒトの雌如きに躱せるはずがなかった。しかも、長くを眠り続け、目覚めて間もなく動きもままならなかったろう。
結果をいえば、鎧ごと容易く噛み砕くことが可能な一噛みは、目覚め間もない年端もいかないヒトの雌で子にすぎないシルファラの身体を捉えることはなかった。
侮ったわけではない、余計な真似事をさせないために先手必勝で必中の一噛みを放ったのだから。
が、呑んだのは森に満ち木々の枝葉を渡る清澄な空虚でしかなく、加えて喰らわさせていたのは、横っ面に走る淡いが確かな一条の痛みだった。
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