第7話 私は……

 森へ踏み出して幾ばくもいかず、私は疲労の極致にあった。そもそも、裸で森へ踏み込むことなど、無謀で無茶だったのだ。

 開け、下生え茂るところならまだしも、いたるところに生え伸び落ちた枝葉が、意地悪に肌と足裏をつつき、足元に注意を割きながら杖で枝葉を押しのけ進むことは、困難を極め集中力を摩耗する。加えて、いつ茂みを分けて獣が現れるともしれない緊張感に、精神も削れていく。

 だから、空気が湿り気を帯び、潺が耳に届いた時、躍り上がりたくなった。

「よかった、水だわ………」

 先行きが見えない中、取り合えず、乾いて死ぬことは逃れたというだけで喜びを禁じ得ない。それに、流れがあるということは、沿って進んでいけば導ない森中をあてどなく彷徨うという無謀を強いられずに済むということでもあるのだ。

 たどり着いてみれば、小さな流れが穏やかに木々の間を抜けて森を潤していた。傍寄り、喉を潤すために水を掬い上げようとして気付く。水面に、自身の白い面影が投じられ、揺らぎに映えていることを。

 思わず仰け反った。

―――怖い。

 水面に揺らぎ映る自分と目が合いそうになった瞬間に、胸を満たした感情は、純然たる恐怖。

 手足ならまだ違和感がある程度で気持ちの誤魔化しがきいても、もし、向き合う姿写しから全く覚えのない顔がこちらを睨みつけていたら、正気を保っていられるだろうか?

 やはり、本当は私という存在は蜘蛛に食べられ、魂だけが彷徨い全くの別物に変質してしまっているのではないかという、荒唐無稽な想像さえ浮かぶ。手も、足も今になって自らの所有者が異なることを示すかのようにがくがくと震え制御が利かず、背筋から絶え間なく寒気が這い上がって止まず、徐々に内臓が収縮して締め付けられていくような気がする。

 喉が、カラカラに干上がっていく。

 今更ながら、もっと熱心に神に祈っておけばよかったと、涙を零して震えながらに懺悔する。

―――あぁ、神様。遥か天上に座す我らが、第一月神霊ケート・シャヌミナ様。御心を損なう愚行を行ったのならば、心改めます。奉納が足りなかったのならば、私の持てるだけを捧げます。どうかわたしをお許しになってくださいませ。そして、どうか、真実に直面する心の強さを、私にお与えくださいませ。

 どれほど祈ったか。短くない時間で白くなるほどに握りしめた両手は、感覚を失って固まっている。震えも寒気も完全には収まっていないが、どうにか決心をつけて、にじるように川へ近づく。

「お願いします。お願いします。」

―――どうか、どうか、私が私でありますように

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