愛はポリエチレン製で包んで

葵ねむる

愛はポリエチレン製で包んで

 自動ドアが開いて客が来てもいらっしゃいませの一言すら聞こえないような、覇気のない深夜のコンビニにその人はいる。


 ゴシック体のひらがなで【みしま】と書かれた名札をつけているので、名前は、ほぼ確実に「みしま」さんというらしい。三島なのか三嶋なのかはわからない。つい最近出来たばかりのコンビニにもかかわらず若葉マークがついていないあたり、おそらく別店舗から引き抜かれたのだろう。気怠そうに働いているけれど、商品を入れる手つきだけはいつもやさしくて丁寧な、そんな人だ。

 外見の特徴はさほどなく、どこにでもいる20代男性というのが相応しい。黒縁メガネ、焦げ茶のくしゃりとした髪の毛、170後半くらいの細身。わたしが彼に対して述べられるのはこの程度のことである。

 落ち着いたその容貌は、大学4年のわたしより年上に見える。華はあるが知的というか、なんというか。フリーターなのかな、とか院生なのかな、とか、そんな想像ばかりだ。


 ロクにお店がない田舎に、かつては駅前にしか無かったコンビニが家の近所に出来た。そのおかげで、わたしのライフラインが専らこのコンビニになったのが2ヶ月ほど前の話である。

 空きコマは女友達とお洒落なカフェ。週末の夜はサークルのイケメンな先輩たちと呑んで、平日はスーパーで食材を買ってお洒落な夜ごはんを作る。なんて。高校を卒業した春に思い描いていたようなキラキラとした華のキャンパスライフなるものは、ツチノコかネッシー以上に幻の存在だと気付いてからもう何度目かの春が来た。季節ばかり巡るなかで状況に変化はない。


 理系電子科の闇とさえ称されるほどに周りは男だらけ、空きコマは皆無に等しく、あっても研究室に篭りっきりである。おかげで帰るのはいつも日付を跨ぐか跨がないかくらいの時間で、ライフラインはこのコンビニというわけだ。


 そしてわたしは、いつも24時15分前にボロボロの体を引きずるようにして立ち寄るのだ。…あ、みしまさん、今日もいる。





 彼の下の名前や年齢はおろか、苗字の漢字表記すらわたしは知らない。それでも容姿だけはそこそこ良い彼が、大学の友人達とは違う部類の生き物に見えてささやかなわたしの日々の癒しだった。



 すみません、と呼び止めてそれ以上の言葉を吐く気力もなく、いつも通りおねがいします、とだけ吐き捨てるようにして力ない声で彼に差し出した。こういう時に可愛らしく微笑めないあたりに自分の疲労度を感じる。


「スプーンはご利用ですか」

「いえ、結構です」


 はい、とも 失礼しました、とも言わず、必要最低限の言葉だけで会話は終了。日を跨ぐくらいの時間に疲れ切った顔で立ち寄ってプリンだけ買って行くような女にあちらも興味なんてないだろう。研究に目処がついたり、結果が出たりした時はハーゲンダッツのクッキーアンドクリーム。無い日はプリンかゼリー。そんな栄養分にすらならないものを買うだけの客なのだ。覚えられたいとかあわよくば、みたいなことも一切ないままわたしは一方的に、いやあ目の保養だわ今日も、なんて思いつつ彼が商品をレジ袋に詰めてくれるのを眺めていた。


 ありがとうございます、と消えそうにちいさい声で掛けられたそれに弾かれるようにして、ずいと差し出されたレジ袋を受け取る。彼が商品を扱っている、ほんの数十秒の間にパラレルワールドに旅立ちかけていたらしい。自身の疲労度がうかがえる。首だけ曲げてありがとうございます、と呟くようにして店を後にした。



 ___シャワー浴びなきゃな、めんどくさいな、でも化粧は落とさなきゃだしな。ああ、それより先にプリン冷蔵庫に入れなきゃ。もう帰ってすべきことはなかったっけ。そういえば明日って何か予定があったような、ええと。




「ちょっと、オネーサン」




 そんな思考の渦は、やや乱暴に肩を叩かれて一瞬にして立ち消えた。

 は、と返事にすらならなかったみっともない声で跳ねた肩ごと振り返る。…あ。



「みしまさん」


「え、なんでおれのなまえ」


「あ、」



 思わず口を隠す。名札を見慣れて一方的に知ったそのなまえで彼のことを呼んでいたのはあくまでわたしの脳内だけだ。まさか本人を目の前にして口にしてしまうとは。


「あ、いや、その、…名札、」


「ああ、」



 私服なので、どうやらシフト上がりのようだ。それはそうと、どうしてわざわざ?



「あの、これ。レジにポイントカード忘れてましたよ。これ一応、結構がっつり個人情報出てるんで。あとオネーサン、ヘビーユーザーだからこれ5000円分くらいのポイントは貯まってますんで再発行もったいないです」


「え。…あ、すみませんわざわざ…」



 ヘビーユーザーだから、という言葉にギクリとする。覚えられていたのかわたし。それもそうか、毎晩コンビニに来る枯れた女なんてそういない。


「すみません、わざわざ持ってきていただいて」


「いえ、…おれがそうしたかったんです」



 え?



 顔を上げると、ずいとビニール袋を差し出された。さっきも同じように受け取った、コンビニの袋。



「溶けてるかもしれないです、すみません」



 そう言われて中を見ると、ハーゲンダッツがコロンと入っていた。それも、クッキーアンドクリーム。


「ポイントカードの会員情報に、日付跨いで今日が誕生日って書いてあったから。…おれ、ずっと話しかけたくて。でも年上のオネーサンにどうやって話しかければいいか、わかんなくて。そしたら、ポイントカード忘れてくれたから」


「え、ちょ、ちょっと待って」



 そこまで一気に話して恥ずかしそうに目を伏せた彼を見る。情報が渋滞している。


「え、待って、ずっと話しかけたかったとは…?」


「…オネーサン綺麗だから、あと毎回丁寧にお願いしますもお礼も言ってくれるから、ああ、いい人だなこの人何してる人なのかなって思ってて、その。…好きかもって」


「え、好きって、その、え?…そして、えっと…年下?」


「はい、おれ大2なんで。先月20になったばっかりなんですけど。」




 年下の男は恋愛対象外ですか?




 なんて、まっすぐな目をして彼が、いや、みしまさんが言うから。



「…みしまくんって、呼んでもいい、ですか」


「なんでもいいです、三嶋でも和也でも。あ、おれ三嶋和也っていいます」


「かずや、くん。…あの、」


「はい」


「明日は朝早いですか?早くなかったら、今からここで、いっしょにアイス食べませんか。」


 日中ですら人1人通らない道なのだ、どうせこんな深夜に誰も通らないだろう。わたしが近くのガードレールにもたれ掛かると彼は「いいんですか」と言って顔をほころばせながら同じように隣に並んだ。




 夢、みたいだ。もしくは少女漫画。

 彼に対して、期待しないようにしていた。わたしなんかが好意として気にするなんておこがましいと思っていたから。

 目の保養、だなんて言っていたけど、ずっとその手に触れられたらと思っていた、なんて。彼にいつか言うんだろうか、今はわからないけど。



 すこしだけ溶けたハーゲンダッツのクッキーアンドクリームは、まるで手作りのバースデーケーキみたいだ。

 ひとくち掬って口に運ぶ。やっぱりいつだってそれは美味しくて、でも今は、思わずスプーンを差し出してしまってびっくりしている彼のことのほうが気になってしまう。



 日付が変わった。もう22歳だ。学生最後、そして平成最後の夏は、いつもとすこしだけ違う夏になるのかもしれない。


 そんなことを思いながら、さっき溢れるようにして出た 好きと言う言葉について、なんて尋ねようかとその横顔を眺めていた。

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