時と共に変わりゆくもの
サクサクと芝を踏みしだく軽快な音を響かせながら目の前の黒を見失わない様にしっかりと前を見る。
小学生の時の集団登校を思い出す。
通行中という小さな旗を持った上級生に続いていた頃が懐かしい。小学生の時は当たり前だった"横断歩道を渡る時は手を挙げる"を大人になっても守っている人は果たしてどれほどの者だろう。
きっと1割にも満たない程のほんの少数だ。
かく言う私も手など挙げていたのは小学生中学年辺りまでだったか。今では車通りが無ければ赤信号であろうと渡ってしまっている。
時の流れとは残酷なもので、人ひとりをあっという間に変貌させてしまう。子供の頃はいい子だったのに、子供の頃は可愛かったのに、子供の頃は真面目だったのに。自らの庇護が不要になった我が子にそう告げる親は少なくはない。私は残念ながら言われたことはないが、まあ、親の常套句であるのは周知のことだ。
『雪凪は私の味方よね?見捨てたり_しないわよね?』
そう弱々しく笑ったあの人のなんと哀れな事か。
今思い出してもそれは惨めで、滑稽で、憐れで、人は変わってしまうのだと思わずにはいられなかった。
まあ、最早顔すらも明瞭に思い出せはしないのだが。
忘れてしまうということはきっとその程度の者だと言うことだ。
_一度目の死は肉体的な死であり、2度目の死は記憶の中の死であるとの言ったのは一体誰だったか。
忘れ去られる事が二度目の死だと言うのなら、二度目の死を経験しない人間は居ないのでは無かろうか。
どれ程の著名人であろうと時間が経てば必ず、忘れ去られる。教科書に載っているような有名人でも例えば二億年先まで語り継がれている、なんて保証はどこにもありはしないのだ。_まるで子供のような事を考えている。しょうもないイフの話、考えても仕方の無いずっとずっと先の話。妄想であり、空想だ。
「_見えてきたな。あれがルーカス氏の屋敷だ」
ぼんやりとしていてもしっかりとシャルルさんの後に着いていけていたのはきっと彼が歩幅を合わせてくれていたからだ。
彼は案外、気配り上手だ。というよりは気配りが染み付いている、という方が正しいかのかもしれない。
視線を上げれば見事に聳え立つお屋敷。屋敷と言うからには武家屋敷のような外観を想像していたのだが、その想像は見事に裏切られることとなった。
ヴィクトリアン・ハウスというのだったか、何かの講義で教授が話していたことを思い出した。余り詳しくは覚えていないがこの手のお屋敷は古ければ古いほど伝統あり、価値高き物であるとされていたはずだ。眼前に広がる屋敷は大きく、その歴史まで推し量ることは出来ずとも持ち主がどれほどの財力を持っているのかを、しっかりと体現しているようだった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
刈り取られ、整えられた道を長々と歩くと途端に拓けた場所に出た。そこはぽっかりとスペースが空いていて、真ん中には清らかな水が流れる噴水があり、周囲には均等な高さに整えられた丸く刈り取られた木々が立ち並び、目を楽しませてくれた。
そうして私たちを迎えたのは、噴水の側に控えるようにして背を伸ばし、両手を膝の上で組んだ女性だ。
この屋敷のメイドだろう彼女は黒と白を基調としたメイド服を着ている。無表情で一礼して見せたメイドさんは屋敷の入口の方をそっと見遣り、「ルーカス様が中でお待ちです」と一言だけ告げて、直ぐにまた直立に立って、私たちが今来た方を一心に見つめる。
きっとまた人が尋ねてきたときに屋敷へ誘導する為だ。この人はどうやら暫くはここに待機しているようだ。
こんな炎天下でメイド業も楽じゃないなと、他人事で歩いていけば大きなアーチ型の入口が見えた。
そしてそこには燕尾服を着ている白髪混じりの男性と、屈強な男が何やら言い争っているようで、怒鳴り声がこちらにも聞こえてくる。
「だから依頼書はあるって言ってんだろうが!アンタにはこれが見えねえのか!?」
屈強な男は、執事であろう男性に何やら紙を見せつけながら怒鳴りつけている。その勢いといったらそのまま執事に掴みかからん勢いだ。
突き付けるように掲げているそれは青色の依頼書だ。私と同じく依頼書を見てここにやって来たクチだろうか?それにしては雲行きが怪しい。執事は動じず、恭しく頭を下げた。
「申し訳ありませんが、そちらはルーカス様のものでは御座いません。それに貴方は、元々こちらにお住みの方とお見受けしますが、お連れ様はいらっしゃいますか?」
冷静に対応された男は、少し慌てたように視線を逸らしたかと思ったが、その視線はしっかりと固定された。
_こちらに。
面倒事が起こる前触れをセンサーが的確に察知した。
「_あ、ああ。そう、そうだよ!俺はコイツらと待ち合わせてたんだ。全く遅いじゃねえか!もうすぐ競売が始まっちまう。さっさと行こうぜ」
早口で捲し立てながら近寄ってきた男は乱雑に私の右腕を掴むと、それを力強く引いた。
少し伸びた男の爪が長袖のTシャツをたくし上げ、直に私の手首に触れた。少しかさつき、汗ばんで湿っている人肌の感触と共に時間差で訪れたのは、名前も知らない男の仄かに温い体温。不愉快以外の何物でもない。
「そうで御座いましたか。それは大変失礼致しました。お連れ様は依頼書はお持ちでしょうか?確認いたしますのでこちらに_」
「貴様の目は節穴なのか執事。このような下劣な男の同伴など片腹痛い。つまみ出せ」
納得しかけた執事を冷徹にいなし、流れるような動きで男の腕を捻りあげたシャルルさんはちらりと私を見た後に、男の片腕を捻りあげたまま男を執事の方に向かって投げるように放った。
男は「ひいっ」と情けない悲鳴を上げながら、地面に倒れ込む。それなりの力を込めて放られたようでそのまま尻餅をついた男は、座り込んだままシャルルさんに食って掛かった。それに一切耳を貸さないシャルルさんは、そのままこちらに向き直る。
「ありがとうございます。流石、荒事専門ですね」
「ふ。減らず口を」
そう言いつつも口元を少し緩めた彼の顔には少し安堵が乗せられていたが、直ぐにそれを引っ込め、そのまま男を睨め付けた。
「な、なんだ!やる気か?いいんだぜ別にアンタみたいな色男なんて人思いに_ッ」
男は卑下したようにニタニタと下品な笑みを浮かべながら立ち上がり、恐らくはシャルルさんに飛びかかろうとしたのだろう。男としては細身に入るであろう彼は、お世辞にも屈強そうにはみえないし、己が力で劣る事などとは思っていないのだろう。
私から見てもその体格差は明らかだ。だがその行動は全く予想していなかった第三者に阻まれる事になる。言わずもがなそれはこの場にいたもう1人_執事である初老の男性だ。
「お静かにお願い致します。どうやら勘違いでだったようで、申し訳ありません」
執事さんは無表情のまま、何処からか出したのであろう黒く頑丈そうな杖で男を殴打した。
それはもう一切の情け容赦など感じられない程に思いっきり。杖先は鋭利に尖っており、殴打するために特注されたものなのかもしれない。ゴンだかガスっだか、柔らかく質量の大きなものを叩く独特な音。
際限なくその行為を繰り返しながら、執事さんは改めてこちらに恭しく一礼してみせる。それは余りにも異常な光景だ。
男は鳩尾を抑えながら悶絶していたが、繰り返される暴力に身体を丸め、身を守るように縮こまっている。
「これはお気になさらずに。依頼書はお持ちでしょうか?」
穏やかに無表情で問いかける執事さんは、しかし手は止めない。手は止めず、器用にもこちらの行動に気を配っているようだ。
「えっと…依頼書は…」
鶴になって消えちゃいました、だなんて言っていいものなのかと、少し言葉に詰まってしまったが、どうやらそれは杞憂であったようだ。バサリと羽ばたく音がしたかと思えば、左肩にかかる少しの重み。
それに誘われるようにそちらに目を向ければ、青い、小さな鶴がちょこんとそこに乗っていた。そのまま鶴は肩から飛び立ち、今度は執事さんの肩に止まって、首を傾げた_ようにみえた。
「セツナ様とお連れ様はシャルル様ですね。確かにルーカス様の依頼書を確認いたしましたので、どうぞ中へお入りください」
鶴はまた私の肩上に戻り、用件は済んだとばかり霧のように掻き消えてしまった。
執事さんは鶴と何かやり取りをしていたようだが、それがどのようなものであったのかは窺い知ることは叶わなかった。入口前に蹲っている男を乱雑に蹴りあげ、転がした執事さんは、道を無理矢理に空けさせ、手の動きを持って私達に入るように促す。
何はともあれ屋敷内に通された私達はそのまま中に進む。途中ちらりと背後を振り返れば、何処からか現れた老若様々な燕尾服の集団が、男を俵のように担ぎ、何処かに運ぶ姿が見えた。
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