真夏日に想いを馳せて
「シャルルさーん。これは?…って聞いてます?」
連れてこられたのはなんということは無い、大通りに沿う様に並んでいるお店だ。この風景だけを見ていると、田舎の商店街で行われる小規模の夏祭りを思い出す。
真夏日に仄かな光が店々で灯り、型抜きや金魚すくいのような娯楽店は勿論、綿菓子にたこ焼き、焼きそばといった物を売る屋台もあったっけと少し懐かしく感じた。
といっても大学生にもなってそんな所に行く機会は皆無であり、あくまでも思い出の中の私は小さな子供だ。母さんと父さんに手を引かれて夜のひと時を堪能したのはきっと"いい思い出"の一つなのだろう。
思い出に浸りながらも人混みを縫うようにしてさっさと歩いて行くシャルルさんを必死に追いかける。
今は繁盛時なのかなんなのか最初に見た時とは比べ物にならない程の人の波に押され揉まれながらシャルルさんを見失うことがないのはその後ろ姿が余りにも目立っているからだ。
道行く人々は皆涼し気だ。残念ながら服の種類には詳しくない為名前はさっぱりだが、皆半袖の服を来ていたり、通気性の良い服を纏っている。中には控えめなドレスで歩いているご婦人を見かけたが、きっと彼女のような人は稀だろう。
実際ドレスのようなものを着ている人は本当に少数だ。そんな夏衣装の人混みの中を悠然と闊歩する漆黒の詰襟軍服姿の美男子と地味な格好の私。…浮かないはずがなかった。双方別の意味で浮いている。
まあ見失わないで済むことはいい事なのだが、それを抜きにしても如何せん目立ち過ぎているように思う。
しかもこの男、先程からふと店前で立ち止まったかと思えばよく分からないものをぽんぽんと躊躇いなく買い、それを無言でこちらに投げ渡して来る。目的の物を販売している店を把握しているようで、足取りに迷いはない。
「シャルルさん?シャルルさんってば聞いてますか?さっきから用途不明なものばかり投げ渡されるんですけど、嫌がらせですか?しかもそれ、私がデオ姐さんから貰ったお金なんですけど、やっぱり嫌がらせですよね?」
そう。「それを貸してみろ」と言われた時に素直に封筒を渡してしまったこちらの落ち度ではあるのだ。それはわかっているのだが、到底納得できることではない。
他人が貰ったお金で買い物とか、相当(悪い方に)肝が座っていないとできない芸当だ。
「騒々しい。後で纏めて説明をしてやるから、少し黙っていてくれないか。人混みは好きではないからさっさと終わらせてしまいたい。…それにこれは貴様の買い物だ」
抗議の為に裾を少し強めに引けば、心底面倒そうに返答が返ってきた。相当うっとおしかったのだろう。一瞬だけ振り返ったシャルルさんの眉間には皺がよって相当迫力のあるご尊顔になっている。
人混みが苦手だと言うのはどうやら嘘ではなさそうだ。それにこれは私の為の買い物であったようで、ひとまず黙って後に続く。そこからはただ無言でシャルルさんの買い物を見守ることにした。
それから3つ程のお店を周り、私たちは漸く一息をついた。今現在居るのは所謂宿屋というものらしい。
大きくはないが宿屋と言うだけあって中は小洒落ており、かつしっかりと清掃がなされているようで、床は塵一つない。
外から見た時はかなり年季が入っており、掲げられている看板も錆びて字が掠れており一文字たりとも読む事は叶わなった。
かく言う私もシャルルさんから宿屋だと聞くまではわからなかった程だ。そんな有様だったからきっと中も散々だと思っていたのに、これは立派な外装詐欺だ(勿論いい意味で)
そんな宿屋のエントランスホールに設置されている黒革のソファーに向かい合って座っている私たちの前には先程買った用途不明な代物達が置いてある。
逆十字のシルバーペンダントに如何にも怪しげな錠剤が何種類か入っている薬品ケース、そうして最後にこの中で唯一まともであろう腕時計だ。
「あの…さっきまで買っていた量と、今ここに並んでいる物では明らかに量が違うんですけど、他のものは…?」
「ああ。ここに並んでいるもの以外は私の買い物だ」
シャルルさんはしれっとそう答えた。抗議しようとしたが彼はそういえば「貴様の買い物だ」とは答えていたが「私の買い物はない」とは答えていなかった事に気がついた。屁理屈にしか思えないが、食い下がらなかったのは私だし、深く追求したところでどうにもならない事だし、正直無駄だと思ったためそれ以上は気にしないことにした。
そう、ちゃっかりと荷物持ちに利用されていたとしてもだ。水に流しますとも、ええ。
「安心しろ。自分のものは自分で払っている」
「いやそういう問題じゃないんですけど…まあ、いいです。そんなことよりも今はこのよくわからない物たちの説明をお願いします。明らかに危なそうなものもあるんですけど、大丈夫ですよね?」
明らかに危なそうな物というのは言わずもがな、透明なよくあるデザインの薬品ケースに入った数種類の薬のことだ。錠剤が三種類。赤、青、黒と如何にも危なそうだ。
色が違うということは用途も違うのだろうが、本当にこれ何の薬だ…?
「赤が痛覚、青が空腹、黒が対抗薬だ」
「…はい?」
明らかに説明不足な言葉に首を傾げれば、溜息を吐きながらも丁寧に説明をくれた。
曰く赤は痛覚に作用する錠剤で一錠飲めばどんな痛みも感じることはなくなり、所謂"無痛覚"といわれるものになるようだ。そして青色は空腹に作用する錠剤で、こちらは一錠飲んだだけで1日に必要なエネルギーを得ることが出来る一種の栄養剤の様なものだとか。
で、最後の黒い錠剤は赤と青の錠剤の効果を無効化するものであり、好きなタイミングで使えばいい、とそう言われた。何でもないことのように機械的に説明を受けたが、とてつもなく怪しいし、危険な香りがするのだが、彼の言葉を借りるのであれば副作用などは一切ないらしい。
…本当か?
とても疑わしい内容ではあるが、既に魔法の一部を実際に目にしてしまった私はそれをすぐさま否定することはできない。
「食事が面倒な際は飲むといい。痛覚剤は飲まないに越したことはないが、まあ使用の有無は好きにすればいい_貴様なら使いこなせるだろう」
少しだけ声色が変わったシャルルさんを見るが彼の表情は少しも動いてはいない。声色だけを器用に変えた彼はしかしすぐさま興味を失ったように今度は腕時計を指さした。がこれは流石にわかる、と視線で訴えてみれば、それを正しく受け取った彼は一つ頷き、腕時計を横に避けた。
腕時計は説明を受けるまでもないが、ちらりと見たそれには時刻意外をも知る機能があるようだった。時計の役割を果たす大きな円の中に、更に小さな円が二つ付いている。丁度12の数字の下あたりのスペースだ。
右側は春夏秋冬と書かれていて、針は現在は夏を指している。そして左側は℃と書いてあることから見ても気温で間違いないだろう。
因みに現在は20℃であり、室内の為気温が一定に保たれているようで適温だ。…にしてもこっちは今夏なのか…。どうりで暑いと思ったわけだ。
来た時から謎だった茹だるような暑さについてもこれで納得がいくというわけだ、真夏日のようだとは思ったが、ここは事実真夏日であったということだ。
「最後はこれについてだが…まあ、恐らく見た方が早いだろう」
と、言うが早いかシャルルさんは黒手袋を嵌めた手でシルバーペンダントを掴むと、それ_ちょうど逆十字の箇所を薬品ケースに無造作に触れさせた。と、
「…消えた?」
ペンダントに触れられた薬品ケースはあっという間にその姿を消してしまった。思わず目を凝らすが、やはり薬品ケースなどは跡形もない。私は相当間抜けな顔をしていたのか、シャルルさんは小さく笑みを浮かべた。
「貴様もこれには驚くか。…そう睨むな、種を明かしてやろう」
じとりと睨んでいる私に気がついたのか、シャルルさんはおもむろにペンダントを軽く撫でた。するとカタンという軽い小さな音と共に、机の上に薬品ケースが現れた。
「便利だろう?私も有効に利用している」
逆十字のペンダントを薬品ケースの隣に並べたシャルルさんは軍服の襟元をしっかり止めていたボタンをひとつ外し、同じような作りのペンダントを胸元から引っ張り出した。
違うことといえば付いているのが逆十字ではなく、双頭の鷲であることだろうか。ペンダントをしまい、襟元を正した彼は言葉を続ける。
「ずっと手が塞がっているというのも不便だ。持ち物はこの中に入れておくといい」
そう言われ改めて思い返してみると今まですれ違った人々は皆手ぶらだった。こんな便利なものがあるのだから当たり前だ。この調子では、現代で猛威を振るっていた物々がこちらでは不用品となっている事も視野に入れるべきだろう。
「では明日の9時半にここで落ち会おう。くれぐれも遅れないようにな」
もう自分の仕事は終わったとばかりに立ち上がったかと思えば、私の前に真鍮で出来た鍵を置き、引き止める間も与えずあっという間に2階へと消えていった。目の前に置かれた鍵には203号室と彫られている。…いつの間に。
宿屋に入ってすぐに受付に向かっていたのはこういう事か。シャルルさんの手回しの良さに驚きながらも、折角部を取ってもらったことだし、感謝すべきなのだろう。
右も左もわからない私にとってこれは渡りに船だ。流石に一日目から野宿は御免だと思っていたし、素直に好意に甘えておくことにした。
まあ、文句を言いに行こうにも、シャルルさんがどの部屋に居るのか知らないので不可能なことではあるのだが。
気を取り直して、机の上に乱雑に広げられた便利アイテムの数々を回収し、自分に宛てがわれた部屋に向かう事にした。
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