小さく些細な第一歩

「それで2人でこの依頼を受けるのよね?それじゃ、すぐに手続きに移りましょ?セッちゃんははじめてでしょうし、よーく覚えておくといいわ」

 

ま、そんなに難しくはないから気楽にしてくれて大丈夫よ?と言葉を繋いだデオ姐さんの言葉には少しも脅かすような感情は込められてはいない。

 

寧ろ何処と無く嬉しそうだ。喩えるならば…そう、幼稚園児にぐちゃぐちゃの似顔絵を渡されて思わず微笑んでしまうようなそんな慈愛。


だがそれだけでなく、眩しいものを見るように目を細め、しかし黄金色には危惧するような哀憐のような曖昧な色がある。

 

「手続きというと何をすれば…?」

 

きっとそれは気付いてはいけないものだと、本能的に理解し、変哲も無い間の手をうつ。例え今それを問いただしたとしても、巧妙にはぐらかされ、その後は特に注意してその色を出さないよう努めるのだ。

 

この人はそういう人だ。出会って数分。たった数分、されど数分。数分もあればこのタイプの人の考えそうなことはある程度想像が付いてしまう。

 

それはデオ姐さんが初対面である私に対して油断をしているのもあるのだろう。しかし身近に、あの人がいた事が大きい。デオ姐さんによく似た…あの人。

  

「ここに代表者の名前を書いて、指印を捺せば手続き完了よ。どうかしら、わかりやすくて簡単でしょ?」

 

代表者という言葉に、ちらりとシャルルさんと顔を見合わせれば、彼はくいっと顎を上げる仕草を持って私を促す。まあ妥当だなと思い、こちらも異論は特に認められなかったので近くに置いてあった机に向かう。

 

そしてデオ姐さんから受け取った万年筆で自分の名前を書いた。漢字で書くのが面倒でカタカナで記入したが、きっと世界観的にも間違ってはいないはずだ。

 

なにせ今まであった人たちは洋名であり、日本名であろう者は認められなかった。まあ、知り合った人の母数が少ないので比較対象としては薄いだろうが。

 

どこからか持ってきた朱印を差し出したデオ姐さんにお礼を言って最後に名前の隣に指印を捺す。

 

すると_

 

「…え?」

 

机の上に置いていた依頼書はみるみると折りたたまれていく。最初に半分にそしてもう半分。一度開かれたかと思えば斜めにぴったりと。大きな三角が出来て、それを更に小さな三角に。

 

そういった具合にスムーズに折られていく。傍にいる2人を見れば平然とそれを見ているし、きっとこれはたいしておかしな事でもないのだろう。

 

依頼が受注された合図のようなものなのだろうか。1人その光景に目を奪われていれば折り上がったのは青い鶴だ。鶴はそのまま紙の羽根を羽ばたかせたと思えば、そのまま私の肩に止まり、霧のように消えてしまった。後には依頼書は残っておらず、机の上に置かれた万年筆と朱印が残されただけだった。

 

「フフ。驚いたかしらァ。この依頼紙にはねえ、魔法が掛かってるのよ。名前と捺印を貰えばこの子は小さな鶴になって代表者に取り憑くのよ。まあ一種の監視ね」

 

「監視?随分と不穏な言葉ですね…」

 

「いいや。適切な表現だ。あそこを見ているといい」

 

そういって指さされたのは入口の扉だ。何の変哲もない木製の扉である。相変わらず人の出入りは激しいがそれだけだ、特に変わった所があるようには見受けられない。

 

と思っていれば扉をすり抜けるようにして1羽の赤い鶴が羽ばたきながらこちらに向かってきた。そしてそのまま赤い木に止ったかと思えば、みるみるうちに折り目が引き伸ばされ、一枚の紙になり、何事も無かったかのように赤い木に張り付いた。

 

慌てて赤い木に走りより、依頼書を手に取って隅々まで眺めてみるが折り目などもぴしりと伸ばされており、先程まで鶴であった痕跡などは残っていない。代表者の項目は白紙になっており、誰の名も書かれてはおらず、またその形跡も全くない。

 

穴があくほどに依頼書を眺めている私を楽しそうに見ながらこちらに近付いてきたデオ姐さんは、私の手元の依頼書を隣から覗き込みながら「失敗しちゃったのねえ」と独りごちた。

 

そこにはなんの感情も込められてはいないから悲しんでいるわけではないようだ。温度がない声色だ。最後にゆっくりとした足取りで私の背後に立ったシャルルさんもその依頼書を眺めているのであろう気配を感じた。

 

「鶴の役割は監視だ。代表者の側で依頼の状況を監視し、受注者が依頼を破棄した際、または依頼を受けられる状態ではなくなった際には自動的に破棄手続きをしてくれる」

 

"依頼を受けられる状態ではなくなった"とは即ちそういうことなのだろう。シャルルさんは詳細に語らなかった。それは決して配慮などではなく、言わずとも伝わると考えたためと考えた方がいいのだろう。

 

そしてその思惑通りきっとはっきりと言われずとも具体例を上げることは簡単だ。だというのに心配や悲観といった負の感情はこの場には一切ありはせず、デオ姐さんは呆れ、シャルルさんは無関心。そういった淡白な感情のみがこの場を支配している。

 

きっとここでは人の命は軽く、そしてこのような事は日常的に起こり得ることであるに違いない。きっと悲観し不安がるのが普通の反応なのだろうが、私の胸の中に渦巻いているのは好奇心と興味、それと冒険心だ。これからこの世界で過ごしていけるのだと思えば、胸が高鳴った。それは向こうでは到底感じなかった感情だ。

 

「ま、受けたからにはしっかりやって頂戴ね。ルーカス氏の競売は明日の朝10時から彼の所有している屋敷の一つで行われるそうよ?依頼書を見せれば通してくれるらしいからそれを見せるといいわ。もっと話したいことがあったんだけど、アタシはこれから用事があるから行かなきゃなのよねぇ。だから詳しい事はシャルちゃんから聞いてね」

 

何事も無かったかのようにそう告げたデオ姐さん。

そしてそのまま彼は私が持っていた赤の依頼書を自然な様子で攫っていく。すれ違いざまに私に長封筒を渡し「これはアタシからのサービスよ」とにっこり笑って去っていく。

 

しかしシャルルさんと擦れ違う際に彼に意味深な流し目を送っていた。シャルルさんもそれに対して舌打ちを返していたから、きっと2人のうちで何らかのやり取りが行われたのだろうが、そのままデオ姐さんはギルド内の一番奥にある、関係者以外立ち入り禁止と書かれた部屋へと入っていってしまったから、真意はわからなかった。

 

後には彼が纏っていた香水だろうか、くど過ぎずかといって弱すぎない花の香りが充満していた。生憎花にあまり詳しくない私はその花の名前はわからなかったが、不愉快ではない香りだった。流石、デオ姐さんは見かけ通りセンスがいいのかもしれない。

 

そんな事を考えながらも手渡された封筒の中身が気になって、首を傾げながらも封を切ると、そこには翼の生えた美しい馬が描かれている薄い紙が3枚入っていた。花には詳しくない私だが、さすがにここに描かれているものが何かは知っている。

 

ペガサスだ。大きく翼を広げたペガサスが真ん中に描かれていて、右上の方に小さく1000と数字が印刷されている。

 

「貴様は見るのは始めてのようだな。これがこの大陸共通の通過だ。単位はペリで統一されているが、まあこの国で過してゆけば直ぐに馴れる」

 

君から貴様へと移り変わった二人称に戸惑うことがなかったのはきっとそちらの方が数倍しっくりくるからだ。無理に丁重に扱われても気味が悪いし、まあこれくらいの距離間が丁度いい。

 

封筒に入っていた3000ペリを取り出し、考える。果たしてこれは日本円に換算して考えてしまっていいのか、こちらの物価はどのようになっているのかさっぱりわからない。頼みの綱であるシャルルさんに無言で助けを求めてみる。


が、素知らぬ顔で黒手袋を着けたシャルルさんは「それを見て覚えるといい」と手短に言うと、貼ってある依頼書を片っ端から興味深げに眺め始めた。

 

本当に容赦がなくなったなこの人!説明する気がてんでないシャルルさんを軽く睨んだがやはり全く気にした様子はなかった。仕方なしに近くに置いてあった椅子に腰掛け、机の上に冊子を広げた。

 

ええと…これか。小見出しは「クレアメイテルの言語と通貨について」

 

_ここクレアメイテルには様々な人種や種族が存在していることは先の項目でも説明したが、そこで問題となったのが基盤とする言語と通貨についてであった。


そこで当時の大魔導師であった◼◼◼◼◼はここ、クレアメイテル一帯を包み込む大きな魔導を展開し、言語と通貨の統一を図った。大陸内に入って来た新たな住民、並びに元いた者達の共通意識に侵入し、介入する大魔導である。その為言語はすべて統一されており、どのような人種、種族間であろうとも意思の疎通が可能となった。また通貨についても同様である。


通貨の種類は紙幣が三種類、硬貨が六種類となっている。紙幣にはそれぞれに幻獣や精霊などといった異種族の姿が使われており、硬貨においてはクレアメイテルに生息している魔法植物などが使われている。

 

そうして説明書きの隣のページには通貨の一覧絵がカラーで載せられていた。有難いことに通貨の種類は日本でのそれと全く同じだ。2000円札はないようだったが、あちらでも余り出回っていなかったし、使うこともなかったので大して気になることではない。

 

残念なことに物価については書かれていなかったから、これについては生活していくうちに慣れていくしか無いだろう。

 

説明書きの◼◼◼◼◼が気になりはしたが、まあ書きづらいこともあるのだろうと自己完結して冊子を閉じればそれを見計らったように「行くぞ」と無愛想に声をかけられた。そのままこちらに一瞥も寄越すことはなく、ギルドを出ていこうとするシャルルさんに慌てて駆け寄り、その背中を追いかける。

 

「ちょっと待ってください。…どちらに?」

 

そう問えば煩わしげに目を細めた彼は「着いてくればわかる」と投げやりに答え、歩みを早めた。説明する気はないようで、仕方なしにその後に続いた。

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