輝く紫紺ははじまりを連れて

そこにあったのは見覚えのある銀色。そして一対の紫紺の瞳がこちらを捉えていた。外は凄まじい熱気だろうに、烏の様に真っ黒な詰襟の軍服を着崩すこと無くかっちりと着込んでいる。

 

しかし汗一つかいておらず、寧ろ涼し気に見えるのはどうしてか。幸いな事に、ついさっき目が合った時は煩わしげに細められた瞳は今は澄んでいた。

 

残念ながら感情の起伏を見つけることは叶わなかったが、不機嫌ではないであろう事だけは伝わってきて、ほっと胸をなで下ろした。「失礼」と彼が軽く頭を下げたことにより、一つに結われた銀髪が重力に従い、細く白い首元にサラリと落ちていく。頭を上げた彼は僅かに瞳を細め、乱雑にそれを払った。

 

「あらぁ!いい男じゃない!」

 

デオ姐さんがきゃあきゃあと声高(恐らく彼が出せる最高音)に騒いでいるのをちらりとも視界に入れない彼はそのまま私に向かい合って、そのまま少し腰を低く折り、優雅に一礼をしてみせた。洗練された動作だ。

 

あくまでそれが当たり前であるかのような洗練されつくしたその行為を受け思考が停止した。それは間違ってもシャルルさんに見蕩れていたからでは無い。一瞬、そう。それは注意して見ていないとわからないほどのほんの一瞬の間に彼が見せたその表情に、だ。

 

瞬く間に隠されたそれは嘲笑と侮蔑。

そして憐憫だった。それらを全て淡い微笑に隠した彼は笑う。それは完璧な笑顔で、とても胡散臭い笑顔。口元だけで作られた器用な笑みを見て思い浮かぶのは童話に出てきたチェシャ猫だ。


何時でもにやにやと笑みを浮かべていた人語を話す不気味な猫。シャルルさんが浮かべた笑顔はそれによく似ている。

 

_チェシャ猫はどうして笑っていたのかしら。答えは簡単よ。彼は悲しかったから笑うのよ?いいえ、楽しいから笑うの。ふふふ、やっぱりチェシャ猫は殺されてしまったのよ

 

思い出される言葉はいつのものだっただろう。誰の声であるかはわかっているのに、それが何時の事だったかは酷く曖昧で、その時のあの人はどんな顔をしていたのだったか。

 

興味を失ってしまっていた私はきっと永遠にその時のあの人の表情を思い出す事などないのだろう。きっとその程度の思い出などとは呼べないだろうただの残滓だ。


「突然声を掛けてしまってすまない。申し遅れてしまったが、私はシャルル。訳あって各国を旅して回っている。君の名を訪ねても?」

 

シャルルさんは相変わらず物腰柔らかに尋ねてきた。ちらりとそんな彼を横目に見ながら、私も意識してにっこりと口角を上げてみせた。また一瞬シャルルさんの瞳に冷たさが宿る。内心でくすりと笑みを零した。この人はきっと私と同じタイプの人だ。

 

「セツナです。わかりやすい説明をありがとうございます」

 

続いた言葉はこちらに来て発した言葉の中でも一番弾んでいた。名誉のために言っておくがこれは『きゃーこの人カッコイイ』的な俗っぽい感情からではない。

 

「いいや。私こそ突然に割り込む形で不躾に声を掛けてしまった」

 

「別に気にしてませんよ。少しだけ驚きましたけど」

 

当たり障りのない返答を返していると、隣から形容しがたい圧力を感じる。ちらりと目をやった先にはやはりデオ姐さん。彼はぷっくりとした形の良い唇をツンと尖らせて拗ねたように身体をくねくねと捩らせている。

 

それが明らかに見えているであろうシャルルさんは華麗に無視を決め込んでおり、その視線がデオ姐さんを捉えることはない。

シャルルさん徹底してるなぁ…。

 

あんなにも自己主張をしているデオ姐さんを前に完璧に無視を決め込むとは。やはりこの人は只者ではない。この人はしっかりと見極めている人だ。何が必要で、何が不必要なのか。それをしっかりと定めている。


「んもぅ!アタシを無視して2人だけの世界を作らないで頂戴!」

 

シャルルさんには何をしても無駄だと悟ったのか、はたまた諦めたのかは判断出来なかったが、必死のアピールを止めたデオ姐さんはふと真顔に戻ったかと思えば、「それで?」と促す様に首を傾げた。

 

そこには先程までのおちゃらけた態度は霧散しており、何かを見極めるように目を細めている。鋭く光る黄金はどんな小さなことでも見逃しはしないとでもいうような挑戦的な色を称え、シャルルさんを射抜く。警戒心と、猜疑心。

 

先程まで見せていた好意的な態度から急変したそれはまるで二つの顔を併せ持つジョーカーのようだ。その変質は沢山の顔を自在に使い分ける自由奔放さが彼本来の本質であるのだと知ら占めるのには充分な威力を持つ。

 

だが対峙する暗い紫陽花色は動揺など微塵も滲ませることが無く、向日葵色を見つめ返した。暫くの睨み合いの後、最初に目を逸らしたのはどちらだったか。ほぼ同時だったかのようにも見えたが、本当の所は分からない。それほどまでに僅差であった。

 

「そう睨まないで欲しい。私は折角見つけた裏国出身者を逃す手はないと思っただけのことだ」

 

そうして彼はやはり作り物めいた笑みを一つ浮かべた。




「_という事なのだが、協力しては貰えないだろうか」

 

手短に話を締め括ったシャルルさんは疑問形でありながら、語尾に疑問符の付いていないであろう問い掛けを投げ掛けてきた。

こちらの否定を聞く気がないのであればいっその事命令された方が清々しいのだが…。


結果が最初から定められている問い掛けほど無意味かつ、下らないものもない。それほどまでにシャルルさんはその裏競売とやらに参加したくて仕方が無いらしい。

シャルルさんが語った内容は単純明快であった。

 

彼は以前からルーカス・フェルミー氏の裏競売に興味を持っていたらしく、ルーカス氏に個人的に直談判をしに行く程だったそうだ。


しかしルーカス氏は頑なに首を縦に振ることはなく、「裏国の者を連れてこい」とそればかりでまともに取り合ってもらえなかった。そこで今日たまたま見つけたのが私であったらしい。

 

このような好機を逃す訳にはいかないとそう思った様だ。御友人が少ないんですねと返そうとしたが、どう足掻いても鋭く睨み返される予感しかしなかったためそれは止めておいた。触らぬ神になんとやらだ。


「なぁるほどねえ。つまりアンタは少し前にこっちに来たばかりのセッちゃんを自分の為に利用しようって算段なわけね?」

 

じとりとねめつけられた彼は反論する事は無く、ほんの少しだけ口角を上げて肯定を示した。彼は自身の魅せ方をしっかりと理解している。己のその容姿をどのように動かせば物事を上手く運べるのか、言いくるめることができるのか。勿論デオ姐さんに向けてのものではなく、異性であり恐らく今回の標的であろう私への魅せ方だ。


口角をあげる際の計算され尽くした角度、冷たくもなく情熱的な色もなく、緩りと上がった口角は蠱惑的で、それでいて神秘的だ。そして少しだけこちらに流した紫の瞳は少しだけ細められており優しげに見えた。きっと今までも異性の目を惹き付ける仕草を巧みにやってのけてきたのだろう。

 

それは一種の処世術のようなものであり、日々の生活の中で活かされてきた貴重な武器。それを彼は今現在最大限に引き出し、活用している。持てる全ての武器を存分に発揮し、私に頷かせる為だけに、だ。

 

そう考えればとても愉快で楽しくて、そして心地よくて仕方がない。利用し利用される。そんなウィンウィンの関係が私は大好きだ。しっかりと塗装し、固められ、そして無理やり自身を覆っていた仮面にヒビが入る音がした。

 

「いいですよ?その代わり、そちらにメリットがあるだけでは理不尽でしょうし、報酬額の7割をこちらにということであれば喜んで協力しますよ」

 

ひび割れた仮面を被ったまま口元だけで笑ってみせると、シャルルさんは優しげに緩めていた瞳を少しばかり見張り、一瞬ではあるが驚愕の色を浮かべた。デオ姐さんはと言えば驚きを通り越して呆けているように間抜けにもポカンと口を開けている。やはり誰かに一泡吹かせてみせるのはとても楽しく、面白いものだ。

 

まあ実際問題お金が必要だということもある。これからこの国で過ごしていくに当たって何をするにも当面お金の悩みは尽きない。

 

どこかに泊めてもらうにしても、食事をとるにしてもお金は必要になってくるものだし、これは私としてもチャンスだ。シャルルさんは報酬に食いついたという訳ではなく、どうやらルーカス氏とやらの競売に赴くことが本命なようだし、そう文句は言われない筈だ。

 

…まあ、文句を戴いたとしても食い下がるわけだが。

 

「あ、それと私荒事はてんで駄目なので、何かあったときはボディーガードもしっかりお願いしますね?命あっての物種なので」

 

挑戦的にそう告げれば、丸の形に見開かれた紫紺は更に大きく見開かれる。かと思えば私に対抗するかのようにシャルルさんも口元に強気な笑みを携えた。それは先程までみた計算させ尽くした笑顔などではなく、彼本来の笑みに近いような気がしてその笑顔を少し好ましく思った。

なんだ、計算的な笑顔よりも、きっとそっちの方がずっと良い。密かにそう思っていると。

 

「_ッ!あはははっ。ちょ…っと、セッちゃんホントいいキャラしてるわ…ッ。本当にこの国に相応しい人が来たものよねぇ!」

 

突如として響いた大きな笑いにびくりと肩を揺らす。涙を流しながらゲラゲラと大笑いしているのはデオ姐さんで、その大声に途端、ギルド内にいたであろう全員からの視線が一気に集まった。

 

注目の的だ。好奇、驚愕、疑惑、驚嘆、様々な感情を感じる視線を一心に受け取っても尚その笑いは治まることをしらないのか、はたまた周囲からの視線など一切気にしていないのか、ヒイヒイと言いながらお腹を抑えてしゃがみこんでしまったデオ姐さん。


流石に心配になって背中を摩る。暫くそれを繰り返していれば、漸く落ち着いたようで、しゃがみ込んだまま彼は大きく溜息を一つ。突き刺さっていた視線もひとつ、またひとつと興味を失ったかのように逸らされていく。


人の一時の興味はすぐ様冷めてしまうものだ、それは何にだって言えてしまうことで、珍しいものに刹那的に強く引かれたかと思えば、波が引くようにすぐに引いてしまう。一時の興味は一瞬間を盛り上げるだけのちょっとした刺激である。

 

だから私は人間は刹那的な生き方をしている典型的な例であり、だからこそ時に醜く美しい、そう思わずにはいられないのだ。自家自讃などという生温いものではない。これは言わば賛美であり批判だ。

 

「ふむ。どうやら馬鹿では無いらしい。その条件で此方は何ら問題ない」

 

シャルルさんから表情が消えた。感心したようにそう零す彼がきっと"本来"のシャルルさんであるのだろう。丁寧な口調も、醸し出される蠱惑的な魅力も全ては彼の計算のうちであり、本来の彼ではなかった、そういうことだ。そうして新しく現れたのは鋭さを宿した切れ長の瞳と、きゅっと引き結ばれた唇。

 

先程までの彼とは程遠いであろう鉄面皮。しかし完全な無表情というわけではない、注意して観察しないとわからないほどに僅かで、そして薄い反応であるというだけで、全く機微が読み取れない訳では無い。注視していれば案外彼の感情を読み取ることは容易い。

 

今は、興味と感心。その二つが特に強く認められた。その証拠に瞳はこちらをしっかりと捉えており、こちらの些細な動きを見過ごさないように注意が払われているし、何より今の今まで一歩足りとも縮められることの無かった距離が半歩ではあるが縮まったのだ。それはきっと些細だが大きな変化。

 

「お褒めに預かりありがとうございます。貴方も、そっちの方が"らしい"ですよ」

 

そういって笑えば、興味深げにこちらを視るシャルルさんと、そしてまた大声を上げて笑うデオ姐さん。ちぐはぐな反応をいただくこととなった。

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