奇しくもそれははじめての
「まずはこれについて説明しておくわね」
そう言いながら、デオ姐さんが指さしたのは三原色の大樹に張られた紙たちだ。赤いネイルがムラなく塗られている傷一つない長い指が躊躇いなくそのうちの1枚を掴みあげたかと思えば、それをこちらに見せるように自身の胸元でひらひらと振って見せた。
「…それは?」
「まあ見た方が早いと思うわよぉ?読んでご覧なさいな」
手渡されたそれは淡い青色の紙で、触れてみてわかったが少し厚さがあって、ザラザラとしていて指に引っかかるような素材だ。羊皮紙、というのだろうか。
青いものは見たことが無かったが、この世界では普通の事のように思えるから不思議だ。既に私も毒されだしているのかもしれない。しかし馴れが毒だというのならば、私はきっと迷わずにその毒を煽るだろう。そんな物騒な事を考えつつも羊皮紙に書いてある文字を目で追う。
『依頼内容:ミレアニアの中でも数々の商品を扱っているルーカス・フェルミー氏の主催する裏競売に赴き、その出品物を記録し、それらを報告する。
依頼者:匿名希望
条件:あり
ルーカス・フェルミー氏は自他ともに認める裏国マニアであり、裏国出身者が同伴している事が競売に参加できる最低条件である。裏国出身者を同伴されたし。
依頼難易度:ブルー
達成報酬:¥30000〜70000(報告状況により変動)』
「これは…依頼書ですか?」
目を通し終え、結局無難な答えを返してしまったのは仕方ないことだろう。何せ聞きなれない言葉が飛び交っており、クレアメイテルについての知識が薄い自覚のある私はその内容の半分も理解出来てはいないのだから。
「そうよぉ。セッちゃんもなんとなく察しているかもしれないけれど、依頼書の色とそれが貼ってある大樹の色は統一されてるの。青色、黄色、赤色の順に危険度が高くなっているのよ?そしてここ…ギルドの役割は各地から寄せられた依頼書の管理と、依頼の遂行。ここで然るべき手続きを踏めば誰でも、どんな依頼でも受けることができるってワケ。
_そう、例えそれがどんな依頼でも、ね」
最後の一言が酷く意味深に響いたのはきっと気のせいではない。赤色の依頼書には誰かの暗殺であったり、盗みであったり、そんな不条理な依頼も、きっと少なからず寄せられているのだろう。
そんな事は言われずとも予想ができた。紛れもなく非現実的な事を言われている、そう思うのに、私が真っ先に考えたのは全く別のことだ。
セッちゃんとはもしかしなくとも私のことだろうか。と未だかつて無いフレンドリーな渾名に戸惑いを覚えずにはいられなかった。向こうでは到底呼ばれることなど無かったし、こちらも誰かをそんな風に呼ぶ事も無かった。
決して一定区間より先には立ち入らせなかったし、こちらから踏み出すこともなかった。そんな薄っぺらい関係をこの19年間積み重ねてきたのだ。
別にイジメにあったことがあるとか、とても大切な友人に裏切られて傷付いただとかそんな思春期に良くありがちな陳腐な過去がある訳でもなく、ごく普通に学校に通い、ごく普通に勉学に励み、年月を流されるようにして過ごしてきた。ただ…そう。面倒であっただけだ。
当たり障りのない会話をして、愚痴を言い合って、時には喧嘩をしたり、かと思えばあっと言う間に仲直りをして、放課後には小洒落た喫茶店で甘い物に舌鼓をうつ。特に仲の良い友人とは休日にショッピングモールに行って買い物をしたり、映画を見たり。
そんな関わりという行為がとても生温く、無駄なものに感じられ、その全てが面倒であっただけのことだ。
そんな私に母さんは「青春が出来るのは学生までの間よ?社会人になれば、友人と会って優雅にお茶会、だなんて早々出来ることじゃあないんだから」と少し困ったように笑っていたように思う。
それは暗に学生時代を楽しみなさい、そんな意味合いを含んでいたのかもしれないけれど、私には母さんの言葉の意味がわからなかった。言っていることは理解出来ていても、そんな生温いものが青春なら、いっそ一生経験なんてしなくてもいいとすら思った。
そんな事を日々考え、人との付き合いを極力避けていた私は"普通"ではないのだろうか。その答えは19年の間未だに出せずにいる。
「フフ。セッちゃんはどうやら沢山聞きたいことがあるみたいねえ?いいわよぉ、お姉さんがぜぇんぶ答えちゃう!なんでも質問してくれていいのよ?」
どうやら長く続いた沈黙は、私が酷く考え込んでいたように見えていたようで、都合の良い解釈をしてくれたデオ姐さんは、任せろという様に胸を張ってみせた。全てが間違いという訳ではないので、素直に言葉に甘え、疑問点を挙げていく。
「ではまず一つ。このミレアニアというのは?」
「ああ。それは今いるココのことよぉ。ちょっとそれ貸してくれるかしら?」
小さく頷き、それと指さされた『はじめて歩くクレアメイテル』を手渡せば、セクシーにウィンクを一つ戴いた。この人本当にウィンク上手いな。
そこには気取っていたり、不自然さなどはなく、さながらテレビドラマのワンシーンのように様になってしまっているのだからこちらも不快な感情など抱きようがなかった。
デオ姐さんは慣れた手つきで暫くページを捲っていたかと思えば、「あったわァこれ、見て頂戴」と見開きを丸々使い描かれている地図をトンとリズミカルに叩いてみせた。
「まずはこれが全体図ね。全ての国々を纏めてクレアメイテルって呼んでるの。それでアタシ達が今いるここがミレアニア。つまりはここね?」
広げられた全体地図は凹の形の大きな大陸になっており、周りを海で囲まれている。そしてここ、ミレアニアは歪な三日月型の丁度中心に位置しているようだ。
そして右隣にはヘトルケイテス、そして左隣はヴィルターヴと記されている。この三国はぴったりと隣接しているようだったが、さらにその上の方に位置している2国との間には地図内に赤いバツ印が書かれており、赤字で『国境審査あり』と書いてある。
ヘトルケイテスの真上にあるのがクリフォート跡地、ヴィルターヴの真上はオースフィリアとここだけ何故か太字で記されている。
「それから水の都のヘトルケイテスに深緑の街であるヴィルターヴ。それからここ、オースフィリアは5国の中の唯一の王国で、実質全ての国を治めている王がいるのよ」
「このクリフォート跡地と言うのは?」
敢えて避けれたのであろうそこについて尋ねれば、デオ姐さんは口を噤む。先程までは旅行会社のガイドであるかのように慣れた調子で続けられていた説明が途絶え、暫くの間沈黙が流れた。ちらりと見上げたその横顔はやはりとても整っていて、美術館の彫刻のように完成されている。
"完璧"とは本来こんな人の為にこそ相応しい言葉なのだろう。大きくぱっちりとした二重の瞳が陰って、それがとても物憂げに見えた。美人は何をしていても美しいというが、今現在まさに身をもってそれを実感していた。
そんな私の視線に気付いたのか、彼は迷ったように口を開きかけ……しかしその口は閉じられた。それ程までに言いたくないような面倒な出来事がクリフォートという地で過去にあったのかもしれない。
_まあこの国で生活していくのであればきっと、遠くない未来で知ることになるのであろうと、そう結論付け、敢えて話を逸らした。
「まあいいです。はじめから全てを聞いてしまってはつまらないので。最後に一つ、このルーカス・フェルミー氏とはどのような?」
我ながら図太い事ではあるのだが、少しだけ、興味と好奇心それから少しの下心でそう尋ねれば、デオ姐さんは私の助け舟に明らかにほっとした表情を見せていたから、そんなに話したくない事だったのかもしれない。少なくともここに来たばかりの者に知られたくないと思っている事は火を見るよりも明らかで、ここまでわかり易い人も珍しい。
「ああ。彼は…」
「_ルーカス・フェルミー氏。ここミレアニアにおいて3本の指に入る貴族、フェルミー家の嫡男であり、重度の裏国熱狂者だ。その熱の入れようは、自身が自由に動かすことが出来る資金のおおよそ7割を裏国の品々を収集することに利用していると専らの噂になっている程に凄まじいもののようだな」
デオ姐さんの言葉に被せるようにして響いた涼やかな声に慌てて後ろを振り返った。
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