私を知らないこれからの居場所

目の前に聳えるのは大きな建物。「ギルド」と大きく自己主張されている看板が立ち、他の建物と比べると人の出入りが激しい。


入れ代わり立ち代わり様々な人たちが扉を開けて入っていくが、それと入れ替わるようにして出てくる人も少なくない。


そんな入れ替わりの激しい扉の前にぼーっと立ち尽くしている私を、明らかに邪魔そうに避けていく人の山。


中には堂々と舌打ちを置いていく人もいるが、そんなことは私にとって些細な問題に過ぎない。ギルドを見上げてみる。


…何せ私にとってはこのギルドという場所は未知の場所に等しいのだし、正直何をする場所なのかもわかっていない。安易に中に入る事は少しはばかられた。というのも「はじめて歩くクレアメイテル」のせいでもあるのだが。


索引から探せばギルドという項目はあっさりと見つかった、見つかりはしたのだが…。


ギルドについて説明がなされているページのみどうしてだが一面ピンクの紙になっており、手書きの丸みを帯びた癖字で『来てからの お・た・の・し・み♡』と書いてあるだけで、詳しい事は一切書かれていなかったのだ。


_まあ警戒していても何も始まらないか。なるようになるでしょ


ひとつ深呼吸をした後、ゆっくりと扉に手を…掛けようとしたが、反対側から扉は開き、これから帰るであろう人と目が合う。黙礼だけを返すと、相手も黙礼。そのまま扉を開けていてくれたのでもう一度軽く礼をし、扉をくぐった。


*****

扉を潜り、まず最初に見えたのは大きな3本の木。私自身も正直何を言っているのかわからないが、間違いなく木だ。それもかなりの年月を生きているのであろうことが間近で見なくても窺える様な大樹だ。それが3本、部屋の床板を突き破って生えており、天井にギリギリ達しない辺りでその成長を止めていた。


更にその木々たちは3色に発光しており、ぼんやりと光を放っていた。一番左が青色、真ん中が黄色、そして右側が赤色となっていて、それぞれの木々にはその色に伴った色の紙が大量に貼り付けられていた。


赤色に光っている木なら赤色の紙が、と言った具合だ。恐らくなんらかの要因で色分けがなされているのだろうという事は察せても、一体それがなんの色分けなのかはとんと見当が付かなかった。


大きな木々に視線が持っていかれてしまったが、ギルドの中には何個もの椅子と机が置いてあり、そこに腰掛けお酒を煽っている者や、仲間、だろうか?複数人で顔を突き合わせ何やら相談事をしている者達も見られた。


それだけを見ていると喫茶店や居酒屋のように気さくで、取っ付きやすい空間に見えた。しかしまあ中には明らかに堅気ではないのであろうオーラを醸し出している人もいて、私は極力視線を合わせないようにして、壁の花になることにした。


おじさんにはここに行くべきだとは言われたものの正直何をすればいいのか見当も付かず、ぼんやりと人々の様子を観察する。


「あらぁ。もしかしてアナタ裏から来たのかしらァ?」


暫く壁に張り付いてその光景を眺めていれば、野太い声に声を掛けられた。しかもちょんちょんと肩を叩かれるというおまけ付きだ。声をかけられてしまった以上無視を決め込むわけにもいかず、横に目をやれば、そこに居たのは何とも派手な外見の女性だ、と一瞬錯覚を起こしてしまうほどに着飾った男性だ。


その野太い声を聞かなければ、きっとそのまま暫くの間は性別を間違えたままでいたことだろう。男性は右耳にだけピンク色に輝くピアスを付けており、髪はプラチナブロンド。手入れの行き届いているとひと目でわかる長髪を複雑に編み込みバレッタを付けている。


化粧をバッチリと施し、情熱的な深紅のドレスに身を包んだ彼は身体付きが華奢な事もあり、何処からどう見ても着飾ったお金持ちのお嬢様のような出で立ちだ。


元々顔が整っていることも相まってか、派手な化粧が更に彼の魅力を引き立てている。だがしかし、何度も繰り返すが、その野太く、低い声を聞いてしまえば、彼女ではなく彼である事は明白な事実だ。


きっと喋らなければ女性に見間違える人も決して少なくはないだろう。そして声を聞いて絶望するという一連の流れまで容易に想像がついてしまった。


「えーっと…まあ、はい。そうですね。裏からの者は皆最初はここに足を運ぶと聞いたので。…少し入るのに勇気がいりましたけど」


そう言いながら「はじめて歩くクレアメイテル」を軽く掲げると、彼はクスリと悪戯っぽく笑い、そのまま流れるようにウィンクをした。


「ああ!それねえ。書いたのはアタシなのよぉ。どうかしら?なかなかいいセンスだと思わない?」


「…ノーコメントでお願いします」


苦笑い気味でそう返せば、髪色とお揃いのプラチナの瞳をきょとんと丸め、暫くぽかんという顔をしていたかと思えば、すぐさまその相好を崩した。そうしていると目元が緩められ、顔付きが幼く見えた。無防備、と言い換えられるかもしれない。


「フフ。はじめてこっちに来た子達は皆はじめは戸惑うものだけど、アナタは違うのねえ。うん、アタシはいい兆候だと思うわよぉ?そういう子、嫌いじゃないわ。アタシはデオ。気軽にデオ姐さんって呼んで頂戴」


「私は…」


『藤間』雪凪。そう名乗ろうとして躊躇した。今まで得てきた情報を信じるとするならばここは…元いた世界とは違う。クレアメイテル。様々な異種族が存在している非現実的な世界だ。


『藤間』、不特定多数の人の記憶に刻まれているであろう己の苗字。日本人の中では比較的珍しいものでもなく、探そうと思えば同じものを持つ人も居るだろうが、自分のそれは特に多くの人たちの記憶に深く知れ渡っているに違いない。


それは私のせいではないのだが、少なからず私"達"に関係がある事だった。誰が悪かったのか、なんてことはわざわざ考えるまでも無く分かっている。しかし、そんな事は私にはどうでもいい些細な事だった。


_だとするならば、果たしてこの世界において『藤間』などという言葉にはなんの意味もありはしないのだ。


「セツナです」


それならばそんなものは切り捨ててしまえばいいのだ。意味の無いものであり、此処では必要ではないものだ。


あちらではできなかった選択肢がこちらには存在している。


_捨てることが出来るのだ。


だから躊躇うことなくさして重要でもないそれを捨てた。無きものにした。


「あら。いい名前ねェ…。まあこれからご贔屓にって事で一つよろしくねえ。…それじゃ、はじめての子にはアタシがここ、ギルドについての説明をすることになってるの。付いていらっしゃい、案内するわ」


生憎デオ姐さんは不自然に空いた間に気づくことはなかったようだ。もしかしたら気づいているのかもしれなかったが、表情は花のような笑顔から変わることは無かったから、きっと気に留めてはいないのだろう。


華やかな彼は女優も顔負けの完璧な笑みを浮かべ、深紅のドレスを翻した。

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