非主人公に憧れている(仮)
残火
全てはここから始まった
キキイイイイィィィという金属どうしが擦れ合う、耳馴染みのない不愉快な音と共にこちらに向かって倒れてきたのは、大きな塊だった。車体に積もっていた真っ白な雪を巻き込んで、大きな何かがこちらへと倒れてくる。
それが何かを理解するよりも早く、私の意識はゆるりゆるりと途切れ行く。
最期に視界の端に映ったのは、好奇に満ちた学生達の視線に、驚いた様にこちらを見ているご婦人、ケラケラと笑いながらスマートフォンを向けている大学生らしき人の群れ。有象無象の人たちの表情だった。そうして訪れたのは静寂。…そして。
****
生温い風に頬を撫でられ、目を開く。その後に目の前に飛び込んできた光景に目を見張る。どこだ此処は。
空にはさんさんと太陽が煌めいており、じりじりと肌を焦がしていく。冬用にと着込んできたジャンパーが暑苦しくて仕方が無い。今は冬のはずであるのに、まるで真夏日であるかのような気温と、憎たらしい程に眩しい太陽がこちらを見下ろしている。
記憶違いでなければ今の季節は冬であったはずだが、明らかに今居るここは冬の気温のそれではない。そしてこのような場所には見覚えがない。
_気がつけば見知らぬ土地の見知らぬ大通りのド真ん中に立っていた。
「お嬢ちゃん!おじょーちゃーん?聞いてるかあ?」
ふと突然に真後ろから聞こえたおじさんの声にゆるゆると振り向けば、きょとんとした顔でこちらを見ているおじさんの瞳と鉢合わせた。状況などから考えると、間違いなく声を掛けてきたのはこの人に他ならないだろう。
おじさんは五十代後半といった所だろうか、白髪の混じり初めている髪を後ろに撫でつけ、その上からバンダナを巻き付けている。紅いバンダナが、おじさんの汗で少しだけ変色し、じんわりと紅色が滲んでいる。
返事を返さない私に気分を害した様子もなく、おじさんは片手をあげて、ちょいちょいと手招きをした。どうやらこちらに来い、というジェスチャーの様だ。
まるで犬や猫を呼ぶかの様なそれに少し戸惑いはしたものの、躊躇したのは一瞬だ。どちらにしろこんな往来のド真ん中に陣取ってしまっていては、通行人の迷惑に他ならないだろう。
私は大人しくおじさんの側に近寄った。おじさんは私の格好を上から下までじっと眺めていたかと思うと、納得したかのようにうんうんと1人で頷いた。そんなに珍しい格好をしているつもりは無いのだが…。
お洒落に微塵も興味を持っていない私は無地のGパンに黒のTシャツの上からジャンパーというなんとも色気の無い格好だ。
大学の同じゼミ生達は皆おしゃれで、講義中でもところ構わずお化粧に夢中な人が大半だった。きっと大して服に気を遣っていない私は他の人たちにとってみれば異色そのものに映っていたことだろう。そう自覚はしているものの、服や化粧品などにお金をかける人の気がしれないという想いの方が強く、結局毎度毎度ラフな格好に落ち着いてしまうのだが。
「お前さんもしかして裏から来たのかえ?」
近寄ってみて始めて分かったが、どうやらおじさんは物売りのようだ。その証拠におじさんの目の前には如何にも年季が入った古い板を継ぎ接ぎして作ったであろう簡易的な机が置いてあり、その上には人の形を象ったであろう白や紫などのカラフルな紙切れがちょんと置かれている。
紙の上に置いてあるその辺りで拾ってきたかのような石はきっと、風で飛んでいってしまわないようにという重しの役割を果たしているのだろうということは見て取れた。そうでもしていなければ、こんな紙なんてものは風に攫われて、あっと言う間に飛んでいってしまうだろう。
そんな風に意識を紙きれに持っていかれていたからだろうか、おじさんの問い掛けの答えを返すのに酷く間が空いてしまった。
「裏…?すいません仰っている意味がわからなくて…」
答えを返したものの、じっくり落ち着いて考えてみてもやはり質問の意味がわからない。裏というと裏道とかそういう事だろうか?「お前さんもしかして裏道から来たのかえ?」そういうことだろうか。
…いや、それにしてもやはりおかしい、ちらりと後ろ…先程まで私が突っ立っていただろう場所に目を移すが、そこはどう見ても大通りのど真ん中だ。軽く見渡してみるが、無論裏道などは見つからない…少なくとも目に付く限りは。
…待て。今問題はそこじゃないんじゃないのか?
ふと我に返る。私は今何を思った?大通りの?ど真ん中?大通り?私はさっきまで家に帰るための電車をホームで待っていたはずなのに、今私がいるのは大通りの脇にスペースを構えた何を売っているのかもわからないこじんまりした店の前だ。目を閉じれば浮かぶのはとある光景。スリップする電車、崩れ落ちた積荷…そして…。
真っ先にもしかして私はお酒の飲み過ぎで酔っ払っているのかと考えもしたが、冷静に考えれば私はまだ未成年だし、お酒を買った覚えはないし。何よりもこのような場所にはてんで覚えがない。
大通らしき所をざっと眺めてみると様々な建物があるのが見て取れる。和洋折衷という言葉だけでは片付けられないほどにそれはもう混沌としている。ツッコミどころが多すぎて正直どこから触れていいのかわからない。
どこか市役所を彷彿とさせる淡いブラウンの建物の看板にはデカデカと「ギルド」と書かれているし、その隣の建物は教会などによく見られるステンドガラスをふんだんに使用したガラス張りの建物で、中が透けて見える。余り距離が遠くない事も相まって、室内に並んでいる沢山の本の山が見て取れた。洋書も、そして今時珍しい和綴じ本などもあるようだ。図書館…だろうか。何にしろとても珍しい構造だ。
そして何より気になるのが大通りを歩く者達だ。見慣れた洋服を纏っている人もいるが、豪奢なドレスに身を包み、黒い日傘を指したご婦人、それにターバンのような布(確かジルバブとか言ったような気がする)を巻き、顔を隠した黒人の女性などなど、実に様々な人が行き来している。なんというか現実味があまりない。
暫くぼんやりと行き交う人たちを見ていたのがいけなかったのだろうか。そのうちの1人、黒い詰襟の軍服を纏った男と目が合う。
男は長く綺麗な銀髪を無造作に一つにくくり、肩に流しているえらく美しい容姿をしていた。恐らく日本人ではないのだろう、おおよそ日本に住んでいれば見かけなかったであろうその色に少しばかり見蕩れていれば、紫紺の瞳が煩わしげに細められた。怜悧な一対の紫がまるで鋭いナイフのように私を射抜き、居た堪れなくなって慌てて視線を逸らす。
誤魔化すようにおじさんの方に向き直れば、ちょうど私に背を向け、店の中に引っ込む所だった。
「ああ…そうだったなあ。裏国出身の方は皆こっちのことは知らんのでしたな。私とした事がついうっかり…ちょいと待っていてください。観光ガイドを持ってきますんで」
おじさんはそう言うだけ言い残して、あっと言う間に店の奥に消えて行く。呼び止める暇などなかった。どうやらここはお店のみではなくおじさんの家でもあるようで、ちらりと見えた奥部屋は4畳程の畳張りの部屋になっているようで生活用品や日用雑貨などが大雑把に置かれているようでとても生活感がある。あまり覗いていても仕方ながないので、何の気なしに商品を一つ手に取ってみる。
ふと先程見蕩れてしまった彼のことがきになって、そのまま恐る恐る後ろを振り返ってみたが、先程煩わしげに細められた紫の瞳の持ち主は見当たらず、小さく安堵の吐息を洩らした。思わず振り向いてしまったが、またあの鋭い眼光を戴くのは遠慮したかった。
改めて手に取ったものを観察する。
薄紫色の紙で出来た人形を象ったであろうそれには、商品棚に「あなたを危険から守る"形代"」と謎のキャッチコピーが入れられている。なんというか明らかに胡散臭く、かつ怪しいそれに思わず目をしばたかせた。
…形代というとあれだろうか?
頭の中に浮かぶのは、小説などでよく題材にされているあやかしものに結構な確率で出てくる陰陽師、確かその陰陽師が使う術の中に形代と呼ばれるものがあったように思う。確か持ち主の身代わりになってくれるものだったはずだが。生憎浅い知識しか持ち得ていないので、詳しい事はわからないけれど…。まさか恐らく個人経営であろう店でこのようなものに出会うとは欠片も思ってはいなかった。本当にここは一体なんの店なのやら…。
「すいませんねえお待たせして。これをどうぞ。」
形代とやらを何の気なしにぼんやりと見ながら内心首を傾げていれば、目的の物が見つかったのだろうおじさんが何やら冊子のようなものを片手にこちらに近寄ってきた。
「…いえ。これは?」
差し出された冊子を受け取って表紙を見てみれば「はじめて歩くクレアメイテル」とゴシック体で書かれている。冊子自体は良くあるA 4程のものでずっしりと重いという訳でもなく、かと言ってペラペラと軽い訳でもない程よい重さを持っている。
「この国に始めて来てくれた裏の方にはこれを渡すしきたりなんでさあ。まあ、それを見てもらえれば大体の事はわかると思いますんで」
「…はあ」
優しげに細められた視線に半ば押されるようにしてページを捲ってみればなるほど。観光名所などでよく見るパンフレットのような作りをしており、1ページ目に索引のようなものが書いてある。
日本語なのはとても有難い。てっきりクレアメイテルだなんて、西洋丸出しな言葉が示す通りに中身もガッツリ外国語なのではないか、だなんて想いもあったのだが、思い過ごしだったようだ。
索引をざっと読み飛ばし、ページを捲っていれば「クレアメイテルについて」という見出しが見つかったので、ひとまずそれに目を通してみる。
…クレアメイテルについて。ここ、クレアメイテルは2999年以降の地球が滅び、後に古来より言い伝えられていた旧き奇跡の術を確立し、新たに創られた国である。ここクレアメイテルでは魔術や魔法、果てには魔導に至るものまでが日常生活として溶け込み、我々の生活を手助けする物として広く反映されている。獣人や魔女、果てには悪魔や神などと言った所謂"異種族"も少なからず存在しており、異種族と人間が縁を結び、子を産み落とす場合も少なからず存在している。そして近年、2999年以前の歴史、まだクレアメイテルが創られるより遙か昔に存在していた地球なる惑星から、何らかの要因によりこの国に訪れる住人も増えつつある。我々クレアメイテルの民はその者達を裏国からの者と名付けた。我々はその者達を歓迎する。その者達はまず、様々な者達が集うギルドに足を運ぶことをおすすめする。
「…クレアメイテル?」
その他にも気になることはいくつもあった。魔術に魔法、魔導とは一体全体何が違うのか、だったり、異種族なんてものが本当に存在するのかだとか、何より一番気になるのは地球は2999年に滅びたのかだとか、疑問は後を尽きなかったが、絞り出した声は少し掠れており、自分で考えているよりも、私の動揺が激しいを事を暗に示しているようだった。多分それは表情にはちっとも出ていないのだろうけど。
「そうです。あっしらはお嬢ちゃんを歓迎しますよ。まあ、地球とやらとは違う所も多くあるとは思いますが、慣れればどうってことはありゃしませんよ。」
おじさんはけらけらと笑って、すっと指を指した。指の先にあるのは先程市役所みたいだなあだなんて感想を抱いた淡いブラウンの建物だ。
「あそこがギルドですな。ひとまず裏から来た方たちは全員最初にあそこに向かってるみたいで…お嬢ちゃんもまずはあそこに行くといいでしょう」
「はあ。わかりました。ご丁寧にどうも?」
お礼が疑問形になってしまったのは仕方の無いことだと思う。突然にクレアメイテルだなんて言われても正直意味がわからないし、そう易々と理解が及ぶ訳でもない。
でもまあ、来てしまったのならば仕方の無いことだ。深く考えても仕方が無い。それに好奇心も少しある。
私は持っていた形代を元の場所に戻そうとしたが、それはやんわりとおじさんに止められることとなった。手の動きを持って私の行動を制したおじさんは、腰を落とすようにして顔を軽く近づけて少し声を潜めた。
「ああ。それは訪問祝いにあっしから。大したもんじゃあないですが、1度だけ身代わりになってくれますよ」
そう言い、私にそれを握らせると「どっこいしょ」という掛け声とともに肩をほぐすようにぐるぐると軽く回すと、あっと言う間に奥に引っ込んでしまった。
どうやらもう話すことは話し終えたらしい。なんともフリーダムな事だが、見ず知らずの人間にこんなに丁寧に説明をしてくれただけでも、かなり世話好きな人だと言えるのかもしれない。
そうして私の手に残ったのは「はじめて歩くクレアメイテル」と使い方もわからない薄紫色の形代。一つ溜息を吐き出し、ゆるりと店を後にした。結局何の店なのかは最後までわからなかったなあ。まあそれ以外にも正直分からないことだらけだったけれど、踏み出した一歩は自分が思うよりも軽やかで、何かが始まる…そんな予感がした。
(少しの不安と、大きな期待を胸に)
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