第六十九話「もう一つの真実」

「悪夢のような夜だったな」


 松五郎も天守閣から見おろしながらつぶやいた。

 あたりは静寂につつまれた。

 天守閣の座敷では、皆、この夜のことを茫然とふりかえっていた。

 松五郎が振りかえった。

「いったん、みんなここに集まろう」


 藤虎と豊姫があがってきた。

「五人ともなんとか生きているけど、復帰は難しそうね。職務にも日常生活にも」

 豊姫はそういって兄をみた。

「お兄様、あのとき止めてくれてありがとう」

 あのときあの杯を飲んでいれば今頃自分もミイラのようになっていた。松五郎は優しくうなずいた。

 藤虎が荒れ果てた天守閣を見上げていた。そんな藤虎に松五郎がきいた。

「虎さんはなぜあの薬を飲まなかったんだい?」

 松五郎が聞くと藤虎はほのかにわらった。

「わしの責務は『次世代に引き継ぐ』ことだ。わしはわしの裁量で責務をはたしたい」

 藤虎の低く太い声には、とても固い意志がやどっていた。

 それにしても、と藤虎は変わり果てて五人の姿を見て深いため息をついた。

「欲というのは恐ろしい魔物じゃな」


「あ、あの」

 迅がおそるおそる口をひらいた。

「エミーラはバルアチアの船に捕らわれているんですよね。マジェスタは明朝出航と言っていましたが」

 松五郎が手をたたいた。

「なるほど、マジェスタもあの傷だからそう簡単にはうごけないだろう。今のうちに助け出しにいこう」

 松五郎がそういったとき藤虎がさえぎった。

「宗松様は行ってはなりませぬ。将軍と宗一郎様があのようになられ、次男の宗次様が病床のいま、将軍家として責務を負えるのはあなただけです」

 松五郎は言い返せなかった。その現実はわかっていたのだ。

「松さん、後は俺たちでやります。松さんはこの国を立て直してください。諸国を歩いてきた松さんだからこそできることです」

 そう言ったのは流だった。全員がその言葉にうなずいた。

 松五郎はうつむいたが、やがて腹をくくったように顔をあげた。

「わかった。だが、エミーラ奪還はなんとか手助けをしたい。俺の立場でできることは何でも言ってくれ」

 すると豊姫が手をたたいた!

「やった! お兄様が将軍になるのね」

「おいおい、一時的に政にかかわるだけだ。俺は、将軍なんてガラじゃない、そこは虎さんとしっかり相談するよ。頼んだぞ、虎さん」

 松五郎の言葉に藤虎は胸をたたいた。

「この藤虎に任せときなされ。この藤虎のすべてを宗松様に伝える所存だ。はっはっは」

 嬉しそうに声をあげる藤虎の姿は場に朗らかにしてくれた。


「さあ、いったん阿修羅城に戻って、準備と休憩をしよう」

 松五郎は皆に呼びかけた。

 しかし、場の朗らかさとは反対に、沈痛な面持ちの人間が二人いた。

 そのうちの一人が強く鋭い声でいった。

「待ってください!」

 それはステファンだった。

 その険しい表情をみて、皆はおどろいた。

「どうしたんだよ、少し休んでエミーラを助けに行こうぜ」

 マックスがいうと迅もつづいた。

「そうだよ、あいつが動けないいまが絶好の機会だよ」

 ステファンはうなずいた。

「マックス、迅、君たちのいう通りなんだ。でもその前にはっきりさせておきたいことがある。エミーラを助け出すためにも」

「どういうことだ?」松五郎がきいた。

「それを僕も聞きたいんですよ」

 そういって、ステファンはもうひとり険しい表情をしている者をみた。

「教えていただけますか、長老」


 そこにはうつむきながら小刻みに震えて長老がいた。

「長老、そんなに怯えてらっしゃる理由を教えていただけますか?」

 ステファンは冷静な声できいた。

「おい、ステファン! 長老は昔の仲間の蒼矢が目の前に現れて、忍びの里に復讐したことを知ったから……」

「松五郎さん、それは違います。たしかに蒼矢のことはショックだったでしょうが、あの長老がそんなことでここまでおびえますか?」

「そ、そりゃ、長老も人間だからなぁ」

「ステファン君、何が言いたいのかはっきりいって」

 椿も強い口調できいた。自分の祖母が批判されているように聞こえるからだ。

「長老が急に怯えだしたのは、マジェスタが姿をあらわしてからです」

「えっ」

 一同はおどろいて長老をみた。長老はうつむいたままだ。

「長老はあの男と知り合いなのですか?」

 流もおどろいている。

 かわりにステファンがこたえた。

「たぶん、初対面のつもりだったとおもいます。マジェスタがだれか気づくまでは」

「ステファン、いったいマジェスタはだれなんだ?」

 皆が松五郎の言葉を追随するかのようにステファンをみた。

 

 これまでに感じた違和感。

 それは忍びの里での長老の話や秋然の家で感じたこと、マジェスタの流たちをも超える強さ、習ったものとは思えない流暢な和ノ国の言葉、龍鈴の知識、不老の薬の研究、滅多なことでは動じない長老の怯え方、そしてなによりその風貌。すべての違和感が重なるところにステファンは一つの答えをみつけていた。

 ステファンは、長老のほうをむいた。

 長老は小刻みに震えている。その姿は宣告の刻を黙って待つようにもみえた。

 ステファンがゆっくりといった。


「長老、マジェスタは、紫電ですね」

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