第五十七話「奉行所の牢」
驚いたのは東山邸から離れたところで待機していた松五郎たちだった。
「な、なに!? ステファンが東山の手下を十五人倒し、その上、日吉孝之助に捕らえられたって!?」
「ええ。もう何がどうなってんのか」
猿飛たちが東山邸に着いたのはステファンが男たちを倒したところで、日吉が入ってくるとますます手をだせなくなった。
「くそ、後手後手にまわったな。引きつづき情報収集をたのむ」
松五郎は考えこんだ。
(なぜ、日吉が東山邸に来るんだ? 今夜はバルアチアの高官たちを出迎える日。こんなところにわざわざ出向く必要はないはずだ)
疑問は尽きないが、事実は受けとめるしかない。
猿飛たちのあらかたの情報収集がおわると、いったん宿にもどった。
今度はマックスが驚く番だった。
「ええっ、本当かよ!」
「ああ、俺たちも混乱している」
松五郎は腕をくんだ。
「まあ幸か不幸か、奉行所に連行されたのなら、今晩は安全だ。情報をいったん整理しようじゃないか」
迅と雷太郎は、東山邸に忍びこみ、家臣や下女たちの話を天井からきいていた。
二人が得た情報は、ほぼ事実のままだった。
「なるほど。その今城という家臣が、苦し紛れにステファンを誘拐したってわけだな。しかし、なぜ日吉孝之助が動いたのかが腑に落ちない」
「バルアチア歓迎の打ち合わせでもしたかったんじゃないか」
「いや、そんな準備のいるようなことを東山に任せないし、ましてや自ら相談になど来るわけがない。日吉は保身や打算には恐ろしく頭のまわる男だ。動くだけの意味があったのだ」
「意味ねぇ」
マックスは天井を見上げながら、どこの世界も大人の考えることは面倒なことが多い、とおもっていた。
松五郎は腕組みをしながら眉間にしわをよせた。
「恐らくこの流れだと明日裁判が行われ、ステファンは死罪になるだろう」
「死罪!?」
全員が思わず声をだした。
「明日って早すぎるぞ!」
マックスが身を乗りだした。
「ああ。日吉が絡むややこしい案件は常にそうされてきた」
「今度こそ、忍び込んで助けましょうぜ」
猿飛が、どうだ、という顔で松五郎をみた。
「それは最終手段でいい。もしいま助け出したら、ステファンへの嫌疑をみとめることになり、あいつは永久に追われることになる」
「じゃあ、どうするよ」
松五郎はかんがえた。
やがて、やっぱり仕方ねぇか、とつぶやいてから、皆にいった。
「大丈夫だ、俺には必殺技がある」
「必殺技!?」
何人かの声がかぶった。
「ああ。今から俺はいそいで必殺技の準備してくる。もしもだ、明日の裁判までに俺が戻ってこれなかったら、どんな手を使ってでもいい、ステファンを助け出してくれ」
松五郎は忍者たちを見まわし、頼むな、と言って急いで宿を出ていった。
「なんだぁ? 必殺技って?」
マックスが「?」がついた顔で猿飛にきいた。
「わからん。でもいまは指示通りに動くしかないな。とりあえず今から交代で奉行所の見張りをする」
「まずは、俺と迅がいきます」
雷太郎が言うと、迅もうなずいた。
「わかった、俺は明日に備えて先に睡眠をとる」
猿飛は少年たちを見まわし松五郎と同じように、頼むな、と言って、一瞬で眠りの世界に入っていった。
そのころ、奉行所の狭く暗い独房にステファンは閉じ込められていた。
しかし、どこからか月の光が漏れていて、それが唯一ステファンの心を慰めてくれた。
(エミーラ、ごめんよ)
妹を助けに行くはずが、こうやって捕らわれてしまった自分が悔しくて仕方がなかった。
そこへ暗闇の中から声がきこえてきた。
「デューク、いるのか?」
どこからか、今城の声がきこえてくる。
「いますよ」
「そうか」
今城はステファンの声を確認すると、ほっとしたような、申し訳なさそうな、声をもらした。
「本当に悪かった」
「いや、今城さんのせいではありません。私も逃げられる機会はいくらでもありました。本当に悪いのは東山です」
「そうだ。そうだけれども、巻き込んだのは俺だ。お前にも家族や仲間がいるだろう」
猿飛たちのことを思いだした。きっと今頃心配しているだろう。
「デューク、お前はなぜ都にきたんだ?」
「都で働いている知り合いに会いに」
ステファンは、この会話がだれに聞かれているのかわからないので、本当のことはいわなかった。
「そうか、本当に申し訳ない。お前だけでもなんとかなればとおもうのだが」
今城の口調には意味が込められていた。忍者のお前なら一人ででも逃げられるのじゃないか、ということだろう。今城も周りの耳を警戒してくれているようだ。しかし、ステファンははっきりといった。
「いえ、私たちは何も悪いことはしておりません。東山が宴で罪もない私たちや下女を遊び半分で殺そうとしたので、私たちはやむなく抗いました。正当な裁判ならこれは正当防衛になります」
ステファンは、むしろ見張りをしている役人に聞こえるようにいった。
しばらく押し黙った今城だったが、やがて自信なさげにこたえた。
「本来ならお前の言うとおりだ。しかし、この国ではまだ権力がものをいう。白いものでも、上の者が黒といえば、黒になるのさ」
「バカげていますね」
ステファンも自嘲気味にこたえた。
今城の言うことはもちろんわかっていた。わかっていたが、正しいことを言わずにはいられなかった。
そのとき、ステファンの独房の天井からなにかが落ちてきた。
(ん?)
見ると、ナスの輪切りと細い鉄線でできた輪っかだった。
ステファンは、くくっとわらった。
(「ちゃんと見ている」っていう雷太郎からのメッセージだな。カラクリ屋敷で使ったナスで伝えるなんて。雷太郎も本当に変わったよ)
こんなアイデアは、以前のような人を見下してばかりの彼では出なかっただろう。
(それにこの輪っかはマックスか)
ステファンはそっと足にその輪っかをはめた。
「どうしたんだ、眠ったのか?」
会話が途切れたのを気にした今城がきいてきた。
「いえ、でも今日は眠ろうとおもいます」
「そうだな、ゆっくり眠ってくれ」
ステファンは横になり、わずかに漏れる月明りをながめた。
一方、都の中心にそびえたつ桜城では、東山邸とは比較にならないほどの大きな宴が催されていた。
この宴の最上の席でひときわ荘厳な衣装を身にまとい堂々と会場を見おろす初老の男がいた。
この者こそ、この国の将軍であり、最高権力者の
そして、バルアチアの高官たちを主に接待しているのは、神宗の長男・
彼は次期将軍として、神宗から期待をかけられている。貿易の交渉も宗一郎がひきうけていた。しかし、交渉は簡単には進んでいなかった。
宴がたけなわになったころ、宗一郎が立ちあがった。
「さあ、皆さん、今日は我々の国と皆さんの国の友好を記念し、その懸け橋となる素晴らしきものをご覧いただきたいとおもっています。庭の舞台にご注目いただきたい」
すると、庭に設置された大きな舞台の周りに火がともされた。
「この世のものとは思えぬほど美しい『天女の舞』でございます」
この声を合図に、楽器がかなでられた。
バルアチアの高官は、耳にしたことのない和ノ国の楽器に興味津々だったが、その音楽にあわせて舞台あらわれた者をみておどろいた。
美しい和ノ国の衣装をまとった女性は、金色の髪を月明りに照らされながら、舞台の中央に一礼した。
「おお、あの女性は我が国の者では?」
宗一郎は大きくうなずいた。
「はい、バルアチアの踊りを習い、我が国の文化を融合させて舞う者です」
エミーラは音楽にあわせて踊りはじめた。
金色に輝くその華麗な舞は、見るものすべてを魅了した。
はじめは和ノ国の曲に合わせて踊り、その次には和ノ国の歌い手と楽器で奏でられたバルアチアの名曲をあわせておどった。
FLY TO THE MOON
AND LET ME PLAY AMONG THE STARS
LET ME SEE WHAT SPRING IS LIKE ON JUPITER AND MARS
(私を月に連れていって。星たちにかこまれてあそびたいの。木星や火星の春ってどんなのかしら、みてみたい)
バルアチアの高官たちは、自国のラブソングの歌と踊りに酔いしれていた。
IN OTHER WORDS, HOLD MY HAND
IN OTHER WORDS, DARING KISS ME
(つまり、手をつないでほしいの。キスしてほしいってことなの)
演奏が終わると、割れんばかりの拍手がおこり、しばらくは鳴りやまなかった。中には感動のあまりに涙する者もいた。
「まさに懸け橋ですな」
バルアチアの高官はなんどもうなずき、拍手を惜しまなかった。
エミーラは深くお辞儀をし、舞台から去っていった。
その後、エミーラは桜城のあてがわれた部屋でぼんやりと月をみていた。
そこへ、侍女がやってきた。
「エミーラ様」
「どうしたの?」
「
「豊姫様が?」
しばらくして、豪華な着物の女性が笑顔で部屋にはいってきた。腕には愛猫を連れている。
「エミーラ、今日の舞もとてもよかったわよ」
二十代半ばの豊姫はエミーラと出会ってからは彼女を妹のように親しくしている。
「ありがとうございます、豊姫様」
「あの舞のあとね、バルアチアの高官の人たちも気をよくしちゃって、難航していた交渉も無事にできたって兄さんも大喜びだったわ」
「そうですか、それはよかったです」
あまり気乗りのない答えに豊姫は苦笑した。
「ふふふ、そうね、貿易なんて、私たちには関係ないわね」
「あっ、ごめんなさい、そんなつもりでは……ただ」
「ただ、どうしたの?」
エミーラは少しためらってこたえた。
「今日の舞はとても気持ちよかったんです。中には涙を流してくれる人もいて。私、早く帰らなきゃならないのに」
「お兄さんのことね」
豊姫は、にこっと笑い、小さな声でいった。
「じつはね、あなたを取り戻そうと、忍者たちが都に来ているらしいわ」
エミーラはおどろいて顔をあげた。
「えっ? 本当ですか」
「ええ。確かな筋からの情報よ。青い目をした少年と数人の男性が都に来ているの」
「お兄ちゃん……」
エミーラの目からすぅーっと涙がながれた。
「私はあなたにずっといてほしいけど、あなたの話をきくと同じ妹として、そうは言ってられないわ。いまはバルアチア高官の接待があるからすぐには無理かもしれないけど、かならずあなたをお兄さんのもとへ返してあげる」
「ありがとうございます、豊姫様」
エミーラは豊姫に抱きついた。
ニャーオ
愛猫がエミーラに嫉妬するかのようにないた。
「あっ、ごめんね、
エミーラは涙をふきながらほほえんだ。
「こら、梅竹。エミーラはお前同じくらい大事な人なのよ」
豊姫がなでると黒い雄猫は気持ちよさそうに喉をならした。
「あのね、このまえ鶴山城に行ったときね。斬鉄が私を迎えてくれたの。彼は城のある部屋に私を連れていったんだけど、そこになにがあったと思う?」
エミーラが首をひねると、
「部屋中に猫がいたの!!」
「えっ、部屋中に?」
「そうなの。斬鉄は私が猫好きだって聞いて用意してくれたんだけど、猫たちは部屋中にぎゅうぎゅうに詰めに込まれていて苦しそうだったの。私も胸が苦しくなって、斬鉄に言ってやったわ、『すぐにこの子たちを解放しなさい。でないとあなたも同じように狭い檻に詰め込んでやるわ』って」
エミーラが感心した眼差しで聞いていた。
「そのときの斬鉄の顔ったらなかったわ。あの強面の顔がポカーンとなって、なんで怒られているかわかってないの」
豊姫が斬鉄の顔の真似をすると、エミーラは吹きだした。
「あの人は、そういうところがあるのよね。だから、兄さんに都から追放されるのよ」
そのとき部屋の外から侍女の声がきこえてきた。
「おやめください! いま豊姫様がおられますゆえ」
二人は声のするほうをふりむいた。
「どうしたのかしら?」
豊姫がつぶやくと、侍女が申し訳なさそうにはいってきた。
「豊姫様、申し訳ございません。バルアチアの高官の方がどうしてもエミーラ様に会いたいと来られています」
豊姫は、ふふっとわらい、エミーラの耳元でささやいた。
「あなたにファンができたようだわ」
それを悟った侍女は、さらに申し訳なさそうにいった。
「いえ、この方は別の用事で舞をみられなかったようで」
「それなのにエミーラに会いにきたの? 変わった方ね、まあいいわ。エミーラ、お通ししてもいい?」
エミーラは気乗りしなかったが豊姫の言うことなのでうなずいた。
侍女が下がると、別の人間が廊下を歩いてくる音がきこえた。その音で大柄な男性だとすぐにわかった。
男は部屋の入り口からゆっくり入り、にやっと笑って会釈をした。
豊姫も笑顔でその男をでむかえた。
「どうぞお入りください。あっ、言葉が通じなかったわね」
通訳を頼もうとしたとき、豊姫は自分の袖が強く引っ張られているのにきづいた。
振りむいた豊姫はおどろいた。
エミーラが青ざめた顔でふるえていたからだ。
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