第四十九話「あの日のこと」
秋然は窓から遠くをながめた。その先の空に「あの日のこと」が鮮明にうつっているのだろう。
「あの日、もう四十年ほど前だ。紫電様が亡くなって二十年くらいした後だったとおもう。紅蓮は四人衆で今後の里の方針を決める会議をした。そこで、紅蓮は思いもかけぬ提案をした。それは『平和のための忍術』であり『不殺生の掟』だった。たしかにそのときは羅生院家が和ノ国を統一し、世の中に戦は減っていた。しかし、黒彗も蒼矢も大反対をした。戦は終わったわけではなく、いつ襲われるかわからない。自分を殺そうとする相手を殺さずに倒す難しさは自分たちがなによりわかっていたからだ。そんな理想のために里の人間を危険にさらせるか、と言って反論したが、紅蓮は一切耳を貸そうとはしなかった。今考えれば黒彗も蒼矢も半分本音ではあったろうが、半分は龍鈴の魔力に取りつかれていたのだろう。そこで三人は大げんかになり、ついに蒼矢が紅蓮に手をだした」
秋然の話は熱を帯びていた。
「蒼矢は紅蓮に龍脈の力をつかってしまった。感情が暴走し鬼神となったのだ。そこで今まで黙っていた勒角が蒼矢を止めにはいった。紅蓮・勒角と黒彗・蒼矢という四人衆同士の戦いになり、それは同時に龍脈の力のぶつかりあいでもあった」
秋然は一度息をのんでまた話しはじめた。
「野山が削られるほどの激しい戦いになった。ついに勒角は蒼矢を破り、その腕から龍鈴を奪いとった。力を失った蒼矢はにげまとい、ついに崖から落ちて死んでしまった。黒彗は二対一では分が悪いと悟り、そのまま姿をくらました」
「勒角さんはどうされたのですか? 私はまだお会いしたことがないのですが」
迅がきいた。
「勒角は自ら『不殺生の掟』を破ったことを紅蓮に詫び、そのままどこかへ行ってしまったのだ」
ステファンは腕を組んでうつむいた。苦楽を共にした仲間を一夜にして失った長老の悲しみはいかほどであっただろうか。
ステファンの考えを察したかのように秋然はつづけた。
「四人衆の分裂は起こるべくして起こったのだ。分裂の前から黒彗と蒼矢は紅蓮の不平不満を漏らしていた。もしそれが里の人間に広まれば、里の人間同士の争いになる。紅蓮はそうなる前に以前から温めていた『不殺生の掟』を打ちだした。里の存続のためにはこの考えのもとに一致団結する必要があり、黒彗と蒼矢が反対すれば決別するしかないと心に決めていた。黒彗と蒼矢はもう、紫電様が亡くなったころの純粋な二人ではなかったのだ」
寂し気なまなざしをした秋然であったが、ふたたび語気が強まった。
「そして十年前のあの事件がおきた。黒彗率いる闇の一派が里に突然襲いかかったのだ。なんとか闇の一派を撃退したが、里の忍者も多くが犠牲になった」
迅は下をむいた。今いる忍者たちの両親はほとんどこの戦いで亡くなったのだ。
「あの事件のときは『不殺生の掟』を気に掛けることができなかった。生きるか死ぬか、殺し合いの惨状だった。『不殺生の掟』の難しさと尊さを同時にかんじたよ。戦いをどう乗り切るかよりも、戦いがどうやったら起きないかに力を入れるほうがよっぽどいい」
「なぜ、黒彗は里を襲ったのですか?」
ステファンは迅の手前、聞くべきかどうか迷ったが、聞くべきだとおもった。
「里の火と水の龍鈴を狙ってきたのだ。より力をえるためにな」
「でも、何十年もあいていたのに、なぜその時だったのでしょうか」
「やつらはその時期だと思ったんだろう」
理屈をこねるステファンに秋然はむっとしたようにこたえた。ステファンはそれには気を留めずなにかを考えていた。
「後ろ盾があった可能性がある」
突如、女性の声が入ってきた。驚いて振り向くとそこには若き女性の長老がいた。
「はっはっは、やっと猿飛が目を覚ましたんで、暴走しない修行の仕方をたたきこんでやってきた。それにしても、よくしゃべったねぇ、秋ちゃん。その感じなら私の美容の秘密もしゃべっただろう?」
秋然は少しバツが悪そうに
「お、お前が歴史を教えてやれ、って言ったんじゃないか」
「はっはっは、いいんだよ。でも、お前たち、乙女の秘密は口外しちゃだめだぞ」
ウインクする長老に、二人はたじろぎながらうなずいた。
「ステファンの指摘は鋭い。十年前のあの事件のとき、私たちは大群に襲われたが、その数は闇の一派の忍者の数を超えていた。つまり、他の部隊も混ざっていたんだよ」
秋然は目をまるくしておどろいた。
「な、なんだと!? 私は知らなかったぞ」
「だって、だれにもおしえてなかったもんね。それにあのときは里を立て直すのが必死で他に力をかける余裕はだれにもなかった」
長老は当時を思い出すと悲しげな顔をした。
「それで、どういうことなんだ、紅蓮」
「ああ、あのあと、闇の一派の死者を埋葬したとき、忍者の恰好をした侍たちがたくさんいたんだ」
「じゃ、じゃあ、だれかが裏で手をひいていた」
「ああ。そんなことができるのは、そう多くはないけどね」
秋然ははっと顔をあげた。
「しょ、将軍家か!?」
「まあ龍鈴は、実情を知らなければだれもがほしがる力だからな。将軍家が欲しがる可能性はありえるな。私たちが調べた情報だと表だって将軍が動いた気配はない。ただ……」
「ただ、何なんだ?」
「最近の調査では、今の宰相の幻斎が裏で手を引いた可能性がある。当時はまだ無名だったがな」
「得体のしれないという噂は聞いているが、まさか宰相が……」
うーん、と秋然は腕をくんだ。
「長老」
「何だね、ステファン」
「龍鈴の力の『実情』ってなんですか?」
「やっぱりそれを聞いてくるとおもったよ。お前も見ただろう、猿飛や流、それに刃の苦しみを。龍鈴には三つの苦しみをともなう。一の苦しみは力を得るとき。さっきの猿飛が一の苦しみだ。失敗すると刃のような廃人になる。二の苦しみは心が乱れたとき。これはまさに五十年前のあのときの蒼矢だ。怒りや欲望が抑えきれなくなり狂人になる。それに三の苦しみは力を使い果たしたときだ。いくら龍脈の力を借りているとはいえ、生身の人間には大きな負担になる。鶴山城での流のように、すべての力を使い果たすとしばらくは動けないほど消耗する。下手をすれば命を失うほどだ」
迅はギクッと肩をふるわした。
「流兄ちゃんは危なかったのですか?」
「ああ。流は怒りで二の苦しみも抱いていた。それで感情が暴走し、使うべき以上の力を使ってしまった。正直生きているのが不思議なぐらいじゃ。しばらくは動けないだろう」
「とはいえ、権力者はその力を欲しがるでしょうね」
「ああ、だから最近は『死を呼ぶ呪いの鈴』といって各地で言いふらしている。昔は『神霊に守られている』とかなんとかいえばよかったが、最近は逆に『呪われる』とか『死を招く』とか言ったほうが効果がある。これも里を守るための情報戦だ。まれに興味本位で来るやつもいるが、そいつらにはとっておきの恐怖体験をしてもらっている。それでたいがいの権力者はよりつかなくなる」
長老は、くっくっく、といたずらっぽくわらった。
そんな長老にステファンはまた問いを投げかけた。
「なぜ、苦しみを伴う力を破棄せずに持ちつづけるのですか?」
その問いに長老は一瞬表情をかえた。それはいままで見たこともない怒りとも恐れともとれる顔だった。
すぐに表情を戻した長老は壁の紫電の似顔絵を見てつぶやくようにいった。
「さあ、なんでだろうね。私もわからなくなってきたよ」
迅と一緒に旅の準備をし、里の門へむかった。
その間もステファンはずっと考えていた。
ある大胆な仮説が頭の中を離れなかったからだ。
それは論理的でもなく、科学的でもない。人に話すと笑われるのはまちがいない。
しかし、ステファンの直感がどうしてもそこから離れさせてくれなかった。
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