第四十五話「仇」

 書簡に目を通したその顔がみるみる落胆し、がっくりと肩を落とすのがわかった。


「殿、ここには私を自宅謹慎にしたあと、斬鉄殿とつるみ、誘拐や民を苦しめたことの数々が記されております」

 殿はいたずらがばれた子どものように樫田から目をそらした。

「お、お前がいると我の威厳が損なわれると、斬鉄に言われて、だ、だからお前を自宅謹慎にしたんだ……。その後のことも、全部斬鉄が……」

 樫田はため息をつき、ゆっくり首をふった。

「先代が長き時間をかけて築いてきた尊きものが、このわずかな期間で失われました」

 樫田は声を震わせている。


「書簡にはこうも書かれています『民を正当な故なく拉致し労働させることは重罪に値する』と」

 殿は顔を青ざめて、甲高い声をあげた。

「くぅぅ、だ、だれじゃ、我にそんな書簡を書いた奴は! き、きっと偽物にちがいない、みせろ!」


 殿は強引に樫田から書簡を取りあげた。その書き主をみた殿は目を見ひらいた。手と膝がふるえている。

「ら、羅生院宗松様……将軍家の御三男」

 書簡には将軍家の枝垂れ桜の紋がはっきりきざまれていた。

「将軍家の命令で、殿はこの城の君主の地位を廃し、嫡男に譲るべしとも書かれています」

「ち、ちがう、これは宰相の幻斎様の命令なのだ。幻斎様に聞いてもらえれば我が潔白なのがわかる、な、な、どうか幻斎様に……」

「幻斎様は、殿に誘拐をしろと命じられましたか?」

 殿がはっとした顔をした。

「い、いや。カラクリ職人と大工をあつめれば技術を提供しようといわれただけじゃ」

「そうだろうとおもいます。それならいくら幻斎様にすがっても幻斎様は『誘拐しろなどとは言っておらぬ』と言われるだけです」

 殿は体中をぶるぶるとふるわせている。

「な、なんとかしてくれ、樫田!」

 殿は涙を流しながら樫田にしがみついた。


 しかし、樫田はきっぱりとその手をふりほどいた。

「殿、自ら為されたことは、何事もご自身で責任をとらなければなりませぬ。それが君主ならばなおさらです」

 樫田の言葉に、殿はぐったりとその場でうずくまった。

 樫田はまるで自分の子どもを見るように目を細めて殿をしばらく見ていた。そして、優しい口調で殿の背中に声をかけた。

「ですが、もし殿がこれから鶴山城の城主として民を思い、事をなそうとするならば、私が御三男様に猶予期間をいただけるようお願いに上がりましょう」

 殿はゆっくり顔をあげた。

「ほ、本当か、樫田?」

「ええ。この樫田、殿が良き領主になると腹をくくられるなら、私も命を懸けて殿をお支えしましょう」

「あ、ありがとう、樫田!」

 殿は樫田に抱きすがり、声をあげて泣きだした。


 殿が少し落ち着くと、樫田は忍者や町民たちのほうに向きかえり、その場で正座をした。

「皆々様、この度は本当にご迷惑をお掛け申した。深くお詫び申し上げる」

 樫田は深々と頭をさげた。

 城のお目付け役に土下座で謝罪され、町民たちは困惑した。

「この責は必ずこの樫田忠兵衛が命を懸けて、鶴山城の政を通して果たす。どうか、少しの時間をくだされ」

 その声には熱意と誠実さに満ちていた。

 顔をあげようとしない樫田に徳吉が皆の気持ちを代弁するようにいった。

「樫田様、あんたの気持ちはよくわかった。だから顔をあげてくだされ」

 樫田はそっと顔をあげた。

「あんたを信じて町が良くなるのをまっているよ、な、みんな?」

 そうだ、そうだ、と町民から次々と声があがった。

「かたじけない」

 樫田はもう一度深々と頭をさげた。その頬には涙が一筋ながれていた。


 長老はその姿を見届け、ゆっくり前にでた。

「殿、それでは誘拐した者たちを釈放してもらおう」

 殿は素直にうなずいた。

「カラクリ職人たちは、谷側の塔にいる」

 それを聞いてステファンはいままで抑えていた感情が爆発した。

「エ、エミーラは、エミーラはどこなんだ!?」

 ものすごい形相で迫る少年に、殿はたじろいだ。

「あ、あ、あの異国の娘は、豊姫様に気に入られ、昨日、都に連れていかれた」

「み、都に……」

 それを聞いたステファンは力なく膝をついた。

「ステファン……」

 迅がそっと肩を抱いた。

 樫田が地面にうずくまるステファンの前にやってきた。

「そなたの妹にも本当に申し訳ないことをした。戻ってこれるよう我々も全力をつくす」

 長老もステファンの肩をたたいた。

「エミーラは、里の大事な一員だ。必ず助けだす」


 そのときだった。広場のほうで気配がし、忍者たちは皆ふりかえった。

 そこにいたのは杖をついた老人だった。

「あ、あいつは……!!!」

 猿飛のつぶやきと同時に、忍者たちは一斉に武器を身がまえた。

 ステファンはその様子を見ておどろいた。

 全員が見たこともないくらい感情を剝き出しにしているのだ。

 あの温和な迅でさえ目が血走らせ、小刀を身構えている。

(里の忍者をここまで殺意を抱かせるあの老人は、いったいだれなんだ)

 その答えを、迅が声を震わせながらいった。

「ステファン、あいつは闇の一派の頭領だ。そして、父さんの仇だ!」


 黒い服をまとったその老人は広場で倒れている不比等の前にいた。忍者たちの強烈な殺意にさらされているにもかかわらず平然としていた。

「長老、やっちまってもいいですか?」

 猿飛の問いに、長老は首を振り、ゆっくりと老人のほうへ歩みでた。

 老人は目を細めた。

「紅蓮、久いのう」

「黒彗かい」

 黒彗と呼ばれた老人は、不比等の顔をじっとみている。

「あいかわらず甘いのう。不比等の息の根を止めておかないと、また里を襲われるぞ」

「そのときはそのときだ。それにそう簡単にはうちの忍者はまけないよ」

「平和だの、不殺生の掟だの、根本的に忍者としての在り方が間違っておる」

 長老は、ふん、と鼻でわらった。

「そんな話、あんたとは昔よくしたね。結局、ずっと平行線のままだったけど」

「いまでもその考えは変わっていない。じゃが……」

 黒彗は、また真っ黒になって気絶している不比等の顔をみた。

「結果的に不比等も刃も敗れ、我々はこうやって滅びようとしている」

 黒彗は長老の後ろでいまにも戦いに挑もうとしている忍者たちに目をほそめた。

「そしておぬしらの里はいまも存続している。私としてはこの結果は受け入れ難いが、受け入れざるをえない」

 黒彗は、不比等の腕から白い鈴をはずし、それを持ち上げてじっと見つめた。

「これは返す、受けとれ」

 黒彗は鈴を長老にむかってなげた。

 ポーンと弧を描き、白い鈴が宙をまった。


 そのとき、

 シャッと音がしたかと思うと、黒い影が横から飛び出して鈴をうばった。

「だれじゃ!」

 長老の声にこたえるようにその者は不敵な笑いをうかべた。

「ふっふっふ」

 黒彗はその者の姿をみて落胆の目をした。

「刃、どういうつもりだ?」

 そこにいたのはマックスのカラクリで満身創痍になった刃だった。

「どういうつもりだって? じいちゃん、わかっているだろう。俺は不比等兄さんより才能があるんだよ。この鈴があれば闇の一派は無敵になる」

「バカなことはやめろ」

「我が一族が無敵になることが、どうしてバカなんだ!?」

 刃は血走った目で黒彗をにらんだ。

 そして白い鈴を天高くかかげ、

「我はこの風の龍鈴の力を欲す者。我に試練をあたえよ」

 ととなえ、鈴を腕にはめた。

「あ、あいつ、龍鈴の錬をうけようってのか」

 猿飛がつぶやいた。

(龍鈴の錬……?)


 ステファンは何のことかわからずなりゆきを見ていると、刃の腕の鈴が白く光りだした。刃はその光を見てニヤリとわらった。

 光はすぐに小さくなり、静寂がおとずれた。刃はまるで固まったかのように微動だにしない。

 猿飛がごくっと息をのんだ。

「これが竜鈴の錬……? 思ったよりも静かだな」

 まわりの忍者たちも刃の姿を凝視している。

 長老は首をふった。

「いや、これからじゃ」

 そのときだった。


「ぐわぁぁあぁぁぁぁぁあぁああぁぁぁぁ!」


 突如、刃は動きだし、人間とは思えない悲痛な悲鳴があげた。

 刃の体は異常なほどにふるえ、その顔は恐怖以上のものに支配されていた。

 悲鳴をあげ、暴れ、のたうちまわり、やがてばたんとたおれた。

 刃はぴくりとも動かなくなった。


 ふたたび訪れた静寂に誰もなにも口にすることはできなかった。

 黒彗はゆっくりと刃のもとへやってきた。そして、不比等にしたことと同じように腕から鈴をはずした。

 そのゆっくりとした動作にさびしさが満ちていた。

「手間をとらせたな。さらばじゃ、もう会うことはなかろう」

 そういって、黒彗は鈴をなげた。今度は長老がたしかにうけとった。

「ああ、さらばだ」

 長老はちいさくうなずいた。


 すると黒彗から黒い煙が舞い上がり、その煙がなくなるころには闇の一派の三人の姿はきえていた。

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