刃衣の君に※旧題『不審者ですが、美少女にナイフを向けたら気に入られた件について』 

日日直直

第1話 遭遇

 罪を犯すなら、晴れの日にしようと決めていた。暗澹とした空の日に、気の沈む事柄は、他に持ち込みたくなかったから。それがただの詭弁で、何の言い訳にもならないことは、もう直十九に衰える脳髄が理解していた。掌に収まる真新しいアーミーナイフの軽々しさにも、何処か他人事のような嘘臭さを感じられて、一向に馴染まないそれを、俺はポケットに仕舞い込み、玄関の扉を開いた。

 

 一日中の晴天を約束した今朝のニュースキャスターの文言通り、夏に押し寄せられた昼下がりは、眩い陽射しで俺を迎えた。鍵を掛け、フードを目深に被る。陽射し避けも兼ねて、なるべく怪しげに見られることを祈った。


 期待に反して、人間とすれ違うことはなかった。極普通の平屋とアパートが並ぶ住宅街、不審者然とした俺に反応をくれるのは、塀の上を歩く猫や、庭先を守る犬くらい。新参者に発される警戒色の鳴き声は、俺の目的に適ってはいる。問題として、法律は犬や猫に人を断罪する権利を与えていない。気を落とさず、黙々と歩を進めた。


 近場で人気のある場所を目指せば、足は自然と公園に辿り着く。


 児童の遊戯がゲームに取って代わられたと嘆かれて久しい昨今、世情とは裏腹其処には駆け回る少年達の姿があった。砂の広場の隅っこに、滑り台とブランコ、木製のベンチを据えただけの設備だけれど、彼等にとってはオープンワールドのRPGにも勝るだろう。俺は入り口に立って、忙しない球体を自然と目で追いかけた。


 ボールは友達と嘯かれて蹴り回されるのに耐えかねたのか、激しい攻防から飛び出て俺の足下に転がり勢いを失った。五名程のつぶらな瞳が怪訝な色で一点に集まる。取りこぼしの主犯らしき少年の唇が、謝罪の意を象った。


 一躍注目を浴びた俺は軽くパスを流し、会釈する小さな頭に、掌を掲げて応じる。仕切り直し、大地が再び踏み鳴らされる。俺はその行く末を見守りながら、奥のベンチまでお邪魔した。この時点で防犯ブザーをお見舞いされない程度には、今日日の教育も徹底されていないらしい。ナイフ持ってんすよ俺、と切れる十代らしく内心イキる。マインドが軋みを上げた。


 木陰の下腰を落ち着けると、少年らのサッカーが、間隔を開けた空き缶二つの合間をゴールに見立てた、即興のルールだと知る。持て余した時間を鑑賞に費やし、それも飽きて瞼を閉じる。目的を果たすにはこの場所は、些か平和に過ぎた。社会の爪痕にもならない軽犯罪を起こす度胸は、今この瞬間湧いてこない。沈黙を隣人にして、ただ時を待った。


 乱雑なリズムで織り成された少年達の舞踏が、突如として止んだ。


 目を開き状況を把握すれば、ボールは今一度公園から出ようとしていた。先程と同じく失速して、先程と同じく、違う誰かの目の前に止まった。


 腕から足までを黒で覆った、季節外れの出で立ちの少女が、其処に忽然と立っていた。


 末広がりのワンピースに裾丈が腰の高さのカーディガンを羽織り、肩にかかる栗毛色の髪に冷淡な眼差しを隠した容貌は、見立て十代半ばといったところか。ボールに目を留め、俯くと彼女は、後ろ手の姿勢で遊びの園に踏み込んだ。


 靴の爪先は容易くボールを捉えるも、その威力はベストとは言い難い。というか、彼女の振る舞いはどう考えても、キープを意味するそれだった。唖然と置いてけぼりになる俺含めた数名を嘲笑うかのように、彼女はお手製のゴールにボールを転がした。


 ふふん、と首を返す少女。


 リーダーらしき少年がそれを挑戦と受け、スポーツ漫画宜しく鼻の頭を親指で勢い良く掻く。将来大物とされる類の順応性の高さだった。


 突然の闖入者により事態は混迷を極めた。といっても、ボールを保持出来たのは最初だけで、以降の彼女は推定160程度の背丈を大人気なく発揮して、ディフェンス側に回っていた。最も少年達は素早く地を駆け回るので、縦のアドバンテージ虚しく横に掻い潜られ続けていた。それはそれとして、追い回すことを楽しんでいるようだった。


 大人と呼ぶにはまだ遠く、けれど子供からは十分にはみ出した少女は、不思議とその景色に溶け込んでいた。幼さを置き忘れず、大事に抱えて成長した、そんな所感を受けた。


 やがて空が流れ、一際厚い雲が過ぎた頃、何かを思い出したかのように子供達の一人が公園を離れた。帰り道が同じらしいもう一人も共に連れ添う。散り散りになると、先刻の熱気は見るからに萎み、ボールの持ち主らしき少年の一言か二言で、彼等は次の冒険を求めて去って行った。

 少女は手を振り、彼等との別れを笑顔で見送っていた。


 彼女でいいか、と思った。


 一部始終を見届けて、俺は腰を上げる。


 よく、無差別殺人犯が犯行を振り返るにあたって、『誰でも良かった』と口にする。それを耳にする度、女子供を狙う狡猾さと齟齬を感じたものだ。正しい理性で弱さを認めて、他者に手をかける愚昧の輩は、侮蔑されてしかるべしなのだろう。


 俺は、【それ】になろうと決めていた。


 罪を犯すなら、晴れの日にしようと決めていた。暗澹とした空の日に、気の沈む事柄は、他に持ち込みたくなかったから。大嘘だ。少しでも晴れやかな日に、社会の染みになりたかった。誰かの失望を買って、俺を取り巻く世界にさざ波を立てたかった。


 親に顔向け出来ないように。

 

 息を吐く。パーカの緩いポケットに手を差し込む。少女は背中を向けていて、俺という存在に気付いていない。音を立てないよう、彼女の後ろに忍び寄る。


 腕を伸ばせば届く距離で立ち止まり、これからの行為に逡巡して眉間に力がこもる。思考が決意を鈍らせることを肌で感しながら、緊張を振り切ろうと筋肉に司令を下し、握り締めた感触を外界に晒す。

 真っ直ぐと、薄ら寒いくらいの速度で、右腕を前に翳す。

 その刃が、柔肌に触れぬように。

 それでも、心に跡を刻むように。


 俺は、少女の首元にナイフを突き付けた。


 彼女の横顔を素通りした掌よりも小さな銀の閃きは、生き物としての正常な反応を引き出さなかった。

 黒ずくめの少女は、悲鳴も上げず、その横顔を緩慢に振り返して、


 「……………………おとうさん……?」


 およそ、向けられる危機に相応しくない言葉を口にした。

 

 琥珀の瞳が、涙を湛えるように揺らいで、呆然とした俺を映していた。

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