第二章 魔法クエスト-魔法少女の夢-
第8話 魔法少女の逃避
何も見えない。
何も聞こえない。
再びその空間にいることに気が付いたのは、いつくらいだったか。
ここが一体どこなのか。
どうしてここにいるのか。
全く分からなかった。
「よくやった。これで一旦、紫色の髪の少年は助かった」
前にも一度聞いたことのある音色。
その音色が、頭の中に直接響き渡る。
「やはり、我の判断は間違っていなかったようだ」
お前、一体何者だ?
「君がそれを知る必要はない」
じゃあ、ここはどこだ?
なんでオレはここにいる?
「それも知る必要はない」
ちっ、ふざけた野郎だ。
さっさとオレをここから出しやがれ。
「ふっ、随分と意識がはっきりするようになったな。これも、君を一度外に出したおかげか。いや、それともあの少年と少女のおかげか」
おい。
ごちゃごちゃ言ってねえで、早くここから出しやがれ!
「そう怒鳴るな。安心しな。君にはまだまだ動いてもらう」
あ……?
「そして、君をここから放すのは今回で最後だ。我の力にも限りがある」
今回で最後?
力に限り?
「よいか。一度しか言わんから、よく聞くのだ」
その音色は頭の中で大きくはっきりと響き渡る。
「君がこれから出会う魔法使いの少女。その子を手伝え! 後は好きにして構わない!」
ちょ、待て!
お前はいったい!?
「我は魔王。魔王カネル。我が力をもって、今一度封印を解き放たん」
魔王……カネル!?
その音色が頭の中で響き渡り、この闇の世界は真っ白な光によって包まれた。
第二章 魔法クエスト-魔法少女の夢-
「いいか、ミーナ。魔法っていうものは、ただただでたらめに使うものじゃない」
遠い遠い、記憶の中。
兄さんから誕生日にプレゼントしてもらった本に書かれている、その魔法をなかなか上手に扱えなくて、それで泣いている私に、その人は優しく言い聞かせるかのように話す。
「その魔法で一体何がしたいのか。その魔法でどうしたいのか。自分の想いってやつを、その魔法にありったけ込めるんだ」
「じぶんの……おもい?」
「ああそうだ。自分の想い」
「どうして? どうしてそうしないとダメなの?」
私は目をこすりながら、すすり泣きながら、その人に尋ねた。
「そうだな……。なんというか、生きているんだよ」
「いきている? なにがいきているの?」
「何って……魔法が」
「え? まほうっていきものなの?」
「ああ。俺が思うに、魔法はきっと生きている。なんせ、お兄ちゃんが使う時は、その魔法に、俺はこうしたいんだって祈ったら、その魔法はそれをかなえてくれるからな」
その人は胸を張って、自信ありげにそう私に言い聞かせる。
「ほんとうに? じゃあ、わたしがまほうに祈りをこめたら、まほうさんも聞いてくれる?」
「ああ! きっとな! だから、魔法さんを使う時は、しっかりとお前の想いを込めるんだ! そうすれば、きっとお前もいろんな魔法を使えるようになるさ」
「ほんとう? ほんとうに? 私もお兄ちゃんや、お父さんお母さんみたいな、りっぱなまほうつかいになれる?」
私がそう聞くと、兄さんは優しく微笑んで、私の頭を優しく撫でた。
「なれる。なれるさ! なんたって、ミーナはお兄ちゃんの妹なんだからな!」
兄さんにそう言われ、そして兄さんの優しい顔を見て安心した私は、自然と涙が止まり、顔もいつの間にか笑顔になっていた。
「ちなみにミーナは、どんな立派な魔法使いになりたいんだ?」
私がなりたい魔法使い。それは、目の前にいる人のように、沢山の魔法が使える存在。でも、私はその魔法でやりたいことは勿論決まっていた。
「守りたい。人をいっぱい守れる、そんな立派なまほうつかいになりたい!」
「そっか……」
それを聞いた兄さんは、そっと微笑むと再び私の頭を優しく撫でた。
「きっとなれるさ。ミーナなら、きっと」
「うん! ありがと! お兄ちゃん! 私、頑張るね!」
それは今から8年前。
まだ、私の心の時間がゆっくり流れていた頃。
「私、人をたくさん守ってあげられる、そんな立派なまほうつかいになるね!」
いつか、兄さんや両親のように、私も立派な魔法使いになる。
小さな私に、そんな立派な目標ができた、夢や希望でありふれていた時期。
まだ私が、未来に、夢や希望を持っていた……そんなころの出来事。
……でも、現実は、私の夢に刃を突き立てた。
場面から切り替わって、そこに映っているのは現在の……いや、約1年前の私。
「ミーナさん、まだできないの?」
「あの、もうちょっとだけ待ってください」
特定の時間内に指定された炎の魔法を出して、それを前方にある大きな輪っかの中に入れるという内容の実践授業。
他の学生は全員クリアし、私だけはまだ出来ずにいた。
そして、授業の時間が終わった後も、私は、その授業担当の先生とマンツーマンで補修を……。
いや、補修ではなく、一方的な嫌がらせを受けていた。
「わたし、すぐに明日の授業に向けて、資料をまとめなくてはならないんだけど?」
「す、すいません」
「明日の授業、資料用意できなかったらあなたのせいね~ミーナさん」
「も、申し訳ありません……!」
「たくさんの学生がいるのに、あなた一人のせいで資料の準備が出来なくなって、せっかくの魔法の授業が台無しに~~」
それなら、そっちにいけばいいじゃない。
授業はとっくに終わっていて、本来なら、私の実践訓練は次回に持ち越しとかで済ませる話。他の授業なら当然そうしている。
それに最悪、今はできなくとも、これはあくまで授業の一環だから、次の試験の時までに何とかすればいい。補修をするにしても、先生の時間の空いているときにするのが普通なのに。
「あーーあ、あなた一人のせいで、大勢の学生はまともな授業を受けられなくなって、迷惑がかかっちゃうわね~。どう責任取るつもりなのかしら~~~」
「…………」
それはどう考えても資料を用意しなかった先生の責任でしょ。用事があるのにも関わらず、今補修を入れている事や、授業の質が下がる事を、私のせいにする方がおかしい。
そう、分かってる。分かってるはず。なのに……。
「ははっ、みーんなさっさと終えて帰っていったのに、あなただけまだ終わっていないって……。あなたみたいな人のことを言うんでしょうねぇ~ 落ちこぼれが」
「す、すいません……」
この先生の本当の目的、それはただ単に私をいたぶる事。
以前から、この先生の授業では、私だけ資料が配られなかったり、連絡事項が届かなかったり、雑用をやらされてまともな魔法訓練を受けられなかったことが何度もあった。
そして今回は直接的な嫌がらせ。
分かってる。分かっているはずなのよ。なのに、なのに……。
「すいませんすいませんって、さっきから何度も言っているけどそういえば何しても許されると思っているのでしょ?」
「そ、それは……」
「そうやって甘やかされて育てられてきたんでしょう?」
「…………」
こうやって色々言われると、悲しくて仕方がない。胸の奥底で、冷たいナイフが突き刺さったような感覚が、先生から発せられる言葉一つ一つ聞くたびに襲ってくる。
あなたに……私の何が分かるのよ。進級してまだ2ヵ月。その期間のまだ数えられる程度の回数でしか、あなたに見てもらっていないのに。
「どうせ他の授業でもこうして甘ったれているんでしょう?」
「そんなことは……」
「じゃあ、なんでこんなクソ簡単な実践訓練もクリアできないのかしら? こんなの子供でもできるわよ」
そんなこと言われたって……。
誰にだって苦手なものの一つや二つあるのに。
「あーあ、自慢のお兄さんの顔に泥を塗っている気分はどう? 落ちこぼれちゃん」
兄さんは関係ないでしょ。あなたに私の何が分かるってのよ……。
「何黙ってるの!? このノロマ!」
「痛っ!」
先生は持っていた杖で、私の顔面をおもいっきり殴った。
幸いなのかどうかわからないけど、持っていた杖は非常に細くて柔らかい素材。私の口の中が少し切れる程度で済んだ。
でも、こんなのもう授業じゃない!
ただの一方的な暴力よ……!
「……っ」
「何、その目? こんの学生風情が~。教師にたてつくんじゃないわよ!」
「きゃっ! いっ……! 痛っ!」
先生の杖で、3回顔面を殴られる。頬っぺたに擦り傷ができ、血は出なかったものの、内出血が起きる。でも、口の中では2,3か所が切れてしまい、そこから血が少しずつ流れてくる。
この時、青く腫れていく私の顔を見て、先生は鼻で笑った。
「ほら、さっさと終わらせなさい!」
「……はい」
私がこのことを正直に話せば、きっと問題になる。
この人はそれをわかっているの? 分かっていてこんな事をするの!?
「…………」
いえ、今は魔法を出すことに集中。
的は前方。それに合わせて両手を前に出して、目を閉じて、炎の魔法の構造や羅列を頭で思い出す。
そしてこの時に、私は、ありったけの想いを込める。それは小さい頃からずっと続けている欠かせないこと。
魔法さん、お願い。早く私をここから救って! 助けて!
「ふんっ!」
「きゃぁっ!」
指定された炎の魔法を出そうとした瞬間、先生は再び、今度は私の左腕を杖で上から叩いた。
「遅い。遅すぎる。こんな事では1日なんてすぐに経つわ」
「そ、そんな……!」
この訓練において、魔法を出すまでに決められた時間は10秒。そして、今はまだ5秒程度しか経ってないはずなのに……!
「まだ、10秒経っていません!」
「授業終わってからどのくらいの時間が経過したと思っているの? 1時間よ? あなただけそんなにやっているのよ。それなら3秒でやってみなさいよ」
「さ、3秒!?」
そんなのおかしいわよ! 私の場合10秒でさえギリギリなのに、それを3秒なんて!
みんなは10秒というルールでやっていたはずなのに! こんなの、理不尽よ……。
「できないのなら、この授業の単位を落とすわ。そしたらあなたは留年確定! ひゅ~ひゅ~! 落ちこぼれ~~!」
「……っ!!」
こんなの、脅しじゃない……!
そもそも、前期の進級のテストなんて4か月先。今ここで判断するようなものじゃないのに!
どうして、こんな人が魔法使いなの?
どうして、こんな人が魔法学校の先生なの?
おかしい……。絶対おかしいよ……。
「そもそもあなた、魔法出すときに何をしているの? なんか強く目を閉じちゃってさ。まさかとは思うけど、お祈りでもしてるの?」
「……っ!? それは……」
「え、もしかして図星!? うっそでょ? あはははははははは! 傑作! ノロマな上に本物のアホねあなたは。これでもあの学長の娘さん!? あはははははははは!」
「…………」
ずっと教えられてきた、私にとって温かい教え。でも、目の前にいるこの人はそれを真っ向から否定し、その温かい教えをあっという間に凍てつかせた。
そこにいた私は、さっきの幼い頃の私と同じように、目からそれを流していた。
「ほらほらほらっ! 泣いている暇があんならさっさとやんな! 3秒以内、いや、2秒で! ふふふ……あはははははははは」
その人は、私が教わった、私が今まで信じてきたそれを真っ向から否定した。
まるで魔女のような、高らかで悪意がむき出しにされた笑い声が、その室内に大きく響き渡っていく。
終わって……。
夢なら、夢なら早く覚めて……!
お願い……お願い……!
私を……ここから出してっ……!!
「……っ!?」
そして気が付くと、見覚えのある天井に、見覚えのある空間が目に入る。
温かくて、柔らかい布団に包まれた私の体は、全身がびっしょり濡れていた。
額からは汗が沢山溢れてきて、それに呼応するかのように、目からもそれが流れていた。
「……また、あの夢ね」
本当に泣いていたのね、私。これじゃ、朝から目が腫れて本当にしんどい。
いや、違うか。
「もう、夕方か……」
今はもう朝なんかじゃない。日もすっかり暮れて、空がオレンジ色になっている時間。朝なわけがない。だって、朝は今の私が眠りにつく時間だから。
「うんしょ……」
ベッドから起き上がり、目をこする。
あの夢は何度も見て、そしてそのたびに何度も涙を流していた。
あの出来事は夢なんかじゃなく、現実で起こった出来事。あそこでの出来事は一つ一つが最早、今の私の心の奥底を冷たい刃で突き刺す呪いの刃。
それを意識するたびに、息が苦しくなって、目が遠くなっていく。そして……
「はぁ……っ、はぁ……っ」
徐々に呼吸が激しくなって、苦しくなる。
ベッドの真横にある紙袋を手に取り、それを口に当てて、袋の中で呼吸をする。
何回かそれをやっているうちに、呼吸の激しさは何とか治まった。
「はぁ……」
今日も、最悪の目覚めね。一体いつまで私を苦しめるの?
この胸に刺さった呪いの刃物は。
どうやったらこの刃物は取れるの?
いつになったら取れるの?
もう1年よ。1年もずっとこの状態よ……。
「ううん。もう、やめ。考えるのは止めよう」
何十、何百と考えた事よ。きっと時間がすべて解決してくれる。きっといつかはこの呪いの刃物も朽ちてなくなってくれる。いつになるかは分からないけど。
でも、今はそう信じて息をしよう。
大丈夫。きっと……いつか、きっと……。
「…………」
そのように考えている今の状況が切なくて、自然と目から涙が溢れてくる。
こんなはずじゃなかった。
尊敬する人に少しでも近づくために、憧れの魔法学校に通って、普通に友達作って、学生生活を送って、卒業して、そして夢や希望を思い描いていたあの頃みたいに笑って……。
そう、思っていたのにね。
「もういい、服着替えよ」
びしょびしょになったスウェットを脱ぎ、その下に身に着けている下着も外す。
そして、それを部屋の端において、戸棚から他の下着とスウェットを取り出して、それをさっと身に着ける。でも、スウェットの下を履こうと片足を上げて、そのまま降ろす、その瞬間だった。
「痛っ!」
部屋に放置していいたままだったソレを踏んづけてしまい、足に痛みが走る。でも、その瞬間に、部屋にあるモニターに画面が表示されて、映像や音楽が流れる。
「あ……。起動しちゃった」
私が踏みつけてしまったソレは、いわゆるコントローラーというもの。
そのコントローラーが無線で登録されている本体が起動して、モニターも連動して電源が付いたみたい。でも、まさか、コントローラーを踏んづけちゃうなんてね……。
でも、それもそっか。
「こうしてみると、ものすごい光景ね……」
部屋中に、空になったお菓子の袋や、空き缶に空のペットボトルが散らばっていて、昨日脱いだ服、そして今脱いだ服までぐしゃぐしゃに放置してある。
そして、本類もあちこちに散らばって、どこにどの本があるのかよくわからない状態。
まるでゴミ屋敷。部屋中が物で散らばっている。
……ただ1点を除いては。
「…………」
私は自分の部屋を見渡し、その有様を再確認する。
こんな部屋だから、あんな夢見ちゃうのかな。さすがに、片付けないとまずい? でも、それもちょっと面倒だし……。
「明日にしよ……」
今日はなんだか寝目覚めが悪いし、体中がとっても重い。今日は、片付けるのは無しで。ま、まあ明日片付けるから大丈夫。
うん、大丈夫……。
「はぁ……、そんなことより、さっさとアレをやろ」
即座にその場に座って、さっき踏んづけたコントローラーを両手で握る。そして、部屋の奥の中心にあるモニターに目を向ける。
モニターには映像と音楽が流れているけど、私がコントローラーのボタンを一つ押すと、画面が切り替わる。画面には、大きく【ブレイブクエスト】と表示されていた。
「ふふっ、そういえば今日は特別なレアアイテムがもらえるクエストが配信されるんだったわね。うん、ワクワクするわね!」
さっきまで体中が重かったのにもかかわらず、その画面を見ると自然と私の目は見開き、心臓がバクバクとそこそこ激しく動いていた。これは、苦しいからそうなっているんじゃなくて、興奮しているから。ワクワクしているから。
私は自分でそのことに気が付いていた。
そう、今私がやっているのはいわゆるテレビゲーム。
モニターに映っているのは、【ブレイブクエスト】という名前のゲーム画面。ここ1年間、私はこのゲームにどっぷりとハマっていた。
今の私の生きがいは、もうこれといっても過言ではない。
いや、これしかない。
「ふふっ、さぁ、今日はどんな冒険になるのかしら!」
このゲームは、私に興奮や、感動、笑いや、良い意味での涙を数えきれないくらい届けてくれた。私に夢や希望をくれた。今の私にとっては、このゲームこそが現実。初めてプレイした時から、このゲームを起動しなかった日なんて1度もない。
昨日も一昨日も、そしてその前の日も、このゲームを1日中やっていた。
やっているうちに、止め時が分からなくなって、いつの間にか本来の寝る時間も忘れてしまった。
眠くなったら寝て、起きたらプレイを再開する。いつの間にか、そんな生活になっていた。だから、昨日……いや、今日寝たのも、世間が言うようないわゆる普通の人が起きるであろう、朝。だから、今起きた時も夕方になっていた。
でも、別にそれでも構わない。このゲームができるのなら、私はそれでいい。
「今日も1日スタートね」
私がそう言ったとき、太陽は半分以上顔を地平線に隠していた。
でも、今の私にはそんなの関係ない。太陽なんて、こっちの世界で見れなくても、ここの世界で見ればいい。
私はそう思うようにしていた。
でも、そこの世界での冒険再開から2時間近く経過した時だった。
ドゴォーーーーーン!
「え? な、なに!?」
ここの世界ではなく、外の世界、つまり、現実の世界の外から、そんな音が突然聞こえてきた。何かが爆発するような音。それもすぐ近くで。
「火事か何か?」
コントローラーを一旦おいて、私は恐る恐る、真っ暗な部屋の窓から、外を覗いてみる。そこでは、ゲームの世界ではない確かな現実で、それが起こっていた。
「た、助けてくれーーー」
「嫌ぁーーーー! 誰かぁーーーー!」
「逃げろーーーーー! 殺されるぞーーー!」
「なっ……!?」
私が目にしたのは、悲鳴を上げながら、逃げまとう人々や魔物。そして、それらを追いかけまわす、一体の蛇のような大きな生き物。
「シャァアアアアア……!」
その生き物は、大きく雄たけびを上げ、逃げまとう人々を追いかけている。そして、その人たちへ向けて、口から火の玉を吐き出し、さっきと同じ爆発音が響き渡った。
幸いにも、その人たちには当たらず、地面に当たっただけで済んだ。でも、明らかにこの光景は普通じゃない。
「ま、魔獣……!?」
その生き物は目が泳いでいて、まともな言葉も発しないまま、ただただ雄たけびをあげていた。その理性を失ったような様子を見ても、その生き物は魔獣で間違いない。それならギルド警察が何とかしてくれるはず。とりあえず今は私はここでじっと隠れて……。
「シャァアアアアア……!」
でも、その魔獣は私のいる家の方向へと迫ってきていて、このままいけば、私のいるこの家も危ない。
「え……、これ、私も逃げた方がいいのかな……」
まさかこんな事になるなんて。でもこんな時に家には誰もいないし……。
あー、もう! どうしたらいいの!?
「と、とりあえずここにいるのは危険……よね」
うん、多くの人が家から飛び出しているし、私もそうした方絶対がいい。なら話は早いわ。
モニターを付けたまま、ゲームを付けたまま、そしてスウェット姿のまま、私は外へと飛び出す。人々が逃げまとう中、蛇の魔獣は少しずつ着実にこちらに迫ってきていた。
「これ、現実……よね? ゲームじゃないわよね?」
私はその魔獣を見ながら呆然とその場で立ち尽くす。
魔獣が人々を襲うのも知っているし、あの日のように、魔獣によって町が壊滅させられることも知ってはいる。でも、それが自分の住んでいる地で起こるまではまるで実感がなかった。
この町は凄腕の魔法使いが沢山いることで有名なマージルの町。
仮に魔獣が出ても、人々が協力して魔法で応戦することだってできなくはないはず。それなのに、今こうして人々が何もせずにただただ逃げまとっているのを見ると、皆が皆、突然の災厄にはまるで対処できず、何よりも実感できずにいたことを証明しているようだった。
「助けてくれぇーーーー!」
「ギルド! ギルド警察はまだなの!?」
「そんなもんいい! 今は逃げるんだ!」
そう言った悲鳴をあげながら、立ち尽くす私に目もくれず大勢の人が一目散に逃げていく。
その様子は当たり前のようにも見えて、同時に……滑稽だった。
「バカみたい。だったら、何のために私たちは魔法を学んでいたのよ」
生活の役に立てるため? そんなことわかっている。みんなが学んでいるからなんとなく? それも分かっている。私だって家族みんながそうだったから始めた。
でもこれじゃあ、違うじゃない。それなら何のために、実践訓練なんてするの?
こういう時に、自分の身を守るためじゃないの?
それすらできないんなら、やっぱり魔法の学校なんていらない。必要ない。
この有様なら、部屋でゲームしていた方が楽しいし、有意義だし、ずっとマシよ……!
「やっぱり、正しかったんだ。私は、間違ってなんかいなかった……」
魔法を使えるのにもかかわらず、ただただ魔獣から逃げることしかしない人々の後継を見て、私はそう思っていた。
「シャァアアアアア……!」
そう思っていても、魔獣は止まるわけでもなく、着々とこちらに迫っていた。それも、私がいるところから十数メートルくらいのところまで。
魔獣の大きさは大体3メートル。明らかに人よりもずっとずっと大きかった。
「まあ、今の私に何かができるわけでもなさそうだし……」
私も魔獣に背を向けて走り出そうとした、その瞬間だった。
「だ、誰かー! 助けてぇーーーー!」
私のすぐ後ろで、子供らしき人物の声が聞こえてきた。それを聞いた途端、私はとっさに振り替える。私のすぐ後ろの方で、小さな男の子が、腰を抜かして倒れこんでいた。
「う、動けないぃーーー! 腰が、腰が上がらなくて動けないよぉーーーー!」
その子供は涙を浮かべながら、そう叫ぶ。
その声を聴いているはずなのに、まだ近くで逃げている他の大人たちは振り向くことも、目もくれることもせず、どんどん逃げていき、その子を助けようとする人は誰一人としていなかった。
「助けてぇーーーー! 助けてぇーーーーー!」
「…………」
その子供はそう泣き叫ぶ。そして、それを知って知らずか、どんどん距離を詰めてくる大きな魔獣。そしてみんな逃げ切ったのか、他に助けてくれそうな人という人は、もう誰もいなくなっていた。
……私を除いて。
『ノロマな上に、本物のアホねあなたは。これでもあの学長の娘さん!?』
「…………」
今になって、再び胸の奥に突き刺さった呪いの刃物がうごめき始める。
あの時に言われたそのセリフが確かに今、頭の中で再生された。
みんな逃げているのに、私だけ逃げていない。本当に私はノロマかもしれない。それに、大人たちは助けようともせずに、さっさと逃げていったのにもかかわらず、私だけが、あの子をじっと見ている。
早く逃げればいいのに、それでもあの子から目が離せなくなっている。
やっぱり、私は本当にアホなのかもしれない。
でも、それでも私は、一度は憧れた母親の娘。
なにより……。
『ミーナは兄ちゃんの妹なんだからな』
「…………っ!」
私は走り始めた。みんなが走っている方向とは逆に。転んでいる子供がいる方向に。魔獣がいる方向に。一目散で、その子の元へと駆け寄った。
「君、大丈夫!? 立てる!?」
泣いているその子に、私は手を差し伸べる。
「う、うん!」
その子は私の手を掴み、そっと立ち上がった。
「あの、ありがとう! お姉ちゃん!」
「礼ならいいから、早く一緒に逃げ……」
「シャァアアアアア!!!」
「「なっ!?」」
いつの間にか、その魔獣は私たちのすぐ真後ろに来ていた。そして、私たちを見下ろすと、そのまま雄たけびをあげた。
このまま逃げても、さっきみたいに火の玉を吐いてきたら、どうなるかしら。
最悪、私たちに当たって……。そしたら二人とも終わりよね……。
でも、せめて、この小さな子供だけでも助けられたら……。
「…………」
何考えているんだろ、私。
そんなのとっくに諦めたつもりだったのに。
「お姉ちゃん! 逃げよう! 早く!」
その子供は、私の手を掴み、グイっと引っ張る。でも、私はそっとその手を振り払った。
「私は大丈夫。ここで時間を稼ぐから、あなたは先に行って」
「え……? で、でも」
「いいから!」
私はそのままその魔獣を見上げる。そして、魔獣もじーっとこちらを見下ろし、私を睨みつけていた。
「わ、わかったよ! お姉ちゃんも、無事でいてね!」
その子供はそう言うと、後ろの方へ走っていった。そして、ここら辺に残ったのは私だけになった。このまま、なにもしなければ、きっと私はここで……。
「やってみるしか、なさそうね」
魔法なんて使うのは本当に1年ぶり。上手くいくかなんてわからない。でも、このまま何もしないよりは、きっとマシ。
「…………」
私は両手を前方へと出し、両手を大きく広げる。そして、目を閉じて、頭の中でその魔法の構造や羅列を想像し、思い描く。
目を開けると、確かに、私の両手の中で、その魔法は出来上がっていた。
これを魔獣に放てば、きっと魔獣は怯むはず。後はこの魔法を放つだけ……!
『認めなさい。あなたに魔法の才能なんてないってことを』
「……っ!」
でも、脳裏にその言葉が再生される。
そして胸の奥底がものすごく重く感じるようになる。それと同時に、両手の中で作り上げられていた魔法もどんどんなくなっていく。
一方でその魔獣は口を大きく開き、火の玉を作り上げていた。
「なっ……」
それを見た私は、思わず腰を抜かし、座りこむ。
当然、両手にあった魔法も最初から何もなかったかのように消えてしまい、私の視界にあるのは、魔獣の殺気と口から今にも吐き出されそうな火の玉だった。
「……っ!」
とっさに目を閉じて、覚悟を決める。
でも、その時……。
「おい、てめえ」
「シャァアアアアア……!」
「さっきから、シャアシャアシャアシャアうるせええええ! 耳ん中がおかしく……なっちまうだろうがぁあああっ!」
「シャ……アアア…………!」
男の低い人の声がはっきりと聞こえる。私はそーっと目を開けてみる。
「え……!?」
そこには、さっきまでの殺気に満ちた魔獣の姿はなく、代わりにあったのは目を閉じ、倒れこんだ魔獣の姿。
そして……
「おー、そこの姉ちゃん。大丈夫か? めっちゃ座り込んじゃっているいけど」
青い光に包まれ、光となって消えていく魔獣の姿をバックに、そこには、赤い髪色の男の人が、大きめの剣をもって立っていた。
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