第4話 温もり

 そしてそれから3時間後。

 焚火を前に、元々このキャンプ場にあった丸太の椅子に座って体を暖める僕ら3人。日も完全に落ちて、外はすっかり暗くなっていた。



「すっかり暗くなっちゃいましたね」


「そーだな。少し寒いし、焚火があって助かるな」



 そう言いながら、赤い人は手を焚火に近づけて体を暖めている。赤い人は木を切ったり、クレアの指示に従って、用意してあった野菜を切ったりと、大活躍だった。


 僕は足のこともあるし、無理はしない方がいいということで、料理の盛り付け係だった。でも、焚火の加減の調整をしたり、とにかくできることはやった。


 結局、林間学校には参加できないで終わりそうだけど、ここで今もこうして焚火を前に体を暖めながら、ご飯を食べる。

 二人の気遣いのお陰で、わりと林間学校っぽい雰囲気は味わえてるから、はっきり言って満足だ。



「美味いな、コレ」


「はい。すごく美味しいですよね!」



 ご飯を頬張りながらも、感想を言い合う僕と赤い人。



 ちなみに、作った料理はカレー。

 主にクレアが味付けしたんだけど、かなり美味しい。クレアはいつもお母さんと料理を一緒に作っているらしく、そのおかげで料理もある程度はできるみたいだ。


 こうして、美味しいカレーまで食べられるなんてね。3人で準備したりするのも楽しかったし、はっきり言ってこうしてここにいられるのは結構ラッキーだったのかもしれない。


 そう思い始めている僕。

 ただ……



「…………」



 隣に座っているクレアの顔をちらっと見てみる。

 3時間前までのクレアはさっきの明るい雰囲気とは変わって、今は表情が沈んでいた。



「クレアの母ちゃん、遅えな」


「そうですね……」



 そう。すっかり日も落ちて、外も真っ暗だというのに、クレアのお母さんは一向に戻ってこない。暗くなってもまだ戻ってこないのは結構心配だ。



「お母さん……」



 小さい声でぼそりと呟くクレア。カレーの方もそんなに進んでいなく、殆ど残っている。



「こんなに遅いと、心配だよね」


「いつもはね、ホントは暗くなる前には帰ってくるの。夜は視界も悪くなるし、魔獣に出くわしたら危ないからって」


「そっか。それなら、尚更心配だよね……」



 もうとっくに日も落ちているし、それでも戻ってこないのは本当に心配。ギルド警察の人だとは言え、今は一人で行動しているらしいし。それに、いなくなってしまった理由がそもそも僕の友達を探しに行ったことにもあるから、僕も責任を感じてしまう。



「あの、クレア。ごめんね」


「え? 何が?」


「僕が倒れたりしなかったら、そもそもクレアのお母さんは僕の友達を探しに行ったりしなかっただろうし……。迷惑かけちゃったなーって思って」


「い、いや、ネルス君が謝る事なんてないよ。怪我している人を助けるのは当然だし」


 クレアはそう言うと、心配させまいと考えたのか、僕らに無理やり微笑みかけた。でも、目だけは笑っていなかった。



「大丈夫。大丈夫だから……」


「クレア……」



 さっきまで僕らを元気づけるくらいに、あんなに元気だったのに、今は本当に不安そうだ。そんなクレアを見かねたのか、赤い人はこう口を開いた。



「あーアレだ。きっと他のギルド警察の仲間も呼びにでも行ったんだろ。それで遅くなってんだって。そのうち帰って来るさ」



 うーん。確かに、それもあるかもしれない。一人で山道を歩くのは危険だと思って、ギルド警察の仲間を呼ぶために途中で山を下りて町まで戻って……。


 いや、そんなことする暇があるなら、その前にここに戻ってくるよね……。

 一応ここ山中のど真ん中だし。

 クレアを置いて一人で山から下りたりするとは思えない。



「あの、赤い人。たぶんそれは違うと思い」


「おい」


「え? あ……」



 赤い人が頭を下から上へと動かし、合図を送る。その先には顔を俯かせ、黙り込んでいるクレアの姿が。


 そっか、赤い人はクレアを元気づけるためにあえてそう言ったのか。それなのに、僕は真面目に答えてしまった。なんてことをしてしまったんだろう……。



「…………」



 クレアは黙ったまま、手元にあるお皿持ち上げ、カレーを一口、また一口と口へ運ぶ。でも、半分くらい残った状態で手を止めた。



「ごめん。私、ちょっと食欲ないかも……」



 クレアはそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。



「片付けとかは明日やるね……」


「え、ちょっ、大丈夫!?」


「大丈夫……。でも、ちょっぴり、ほんのちょっぴり不安だから……」



 クレアはそのまま顔を下におろす。長い髪が、クレアの目元を隠すかのように垂れ下がった。でも、身体はどことなく震えていて……。



「私はもう休むね。二人も無理しないで、食べたら休んで……」



 そして、見えなくなった目元から、一滴だけ水が地面に落ちた。



「クレア……」


「…………」



 クレアは身体を震わせながらも、トボトボと歩き始める。

 そして、僕や赤い人が眠っていたテントとは別の、少し大きめの緑色のテントへと入っていった。


 取り残された、僕と赤い人の二人。



「さて……と」



 赤い人は、大きくため息をつく。そして……



「カレー、まだ残ってんな。食うか」



 赤い人はそのまま手元にあるカレーを食べ終え、釜戸に手を付ける。釜戸の中にあるご飯をさらに盛り付け、隣の鍋からルーを盛りつけた。



「ちょ、赤い人!? クレアが心配じゃないんですか!?」


「心配じゃねえわけじゃないが、それ以上に腹減ってんだ」



 赤い人はそう言いながらカレーをどんどん口に運ぶ。


 この人、ここのテントの持ち主を差し置いて、普通にカレー沢山食べてるけど、クレアのこと心配じゃないのかな?



「僕を助けてくれたのは感謝してます。でも、僕らを治療してくれたクレアを放っておくのは、ちょっと……ひどくないですか?」


「本人が食べたくねえって言ってんだから、いいだろ。余しても仕方がねえって」


「いや、そういう事じゃなくて……」


「安心しろ。クレアの母ちゃんの分は残しておくって」


「いや、そういう事でもなくて」


「お前も食いたいんなら食っても……」



「だから、そういう事じゃなくて!」



 僕は思わず大声を上げる。赤い人は皿を持ちながら僕のことをまっすぐ見上げた。



「クレアやクレアのお母さんを放っておいて、ここで黙ってご飯を食べるのは、何か違くないですか」


 クレアやクレアのお母さんには、僕らがここに来たことでかなり迷惑をかけている。クレアのお母さんが今いないのも、そもそも僕の仲間を探しに行ったから。


 だから、黙ってこうしてここにいるのは、なんというか、許せない。



「黙ってここにいるのは、こうして楽をしているのは、何か、違くないですか」



 そう思って熱くなっている僕とは裏腹に、赤い人はきっぱりとこう返した。



「違くねえよ」


「え……?」


「違くねえよ。だから」



 赤い人は、そう言って、カレーを頬張るのをいったん止める。



「熱くなる気持ちもわからなくもねえけど、でも今のオレらに何ができるんだよ。お前は怪我して本調子じゃねえし、クレアにも安静にしろと言われている。オレに至ってはここら辺の陸地どころか、この世界のことすらわからねえ。更には自分のことすらわからねえ」



 赤い人はこう続ける。



「そんな俺らを看病してくれたのはクレアだ。だったら、黙ってクレアの言うことを聞くのが一番だろ。勝手なことしてクレアにまた迷惑かけるわけにもいかねえ」


「でも、だからってじっとしているのは」


「勝手に探しにここから出ていって、そしてこの暗い中、山中でまたぶっ倒れたりしたら元も子もねえだろ。余計にクレアを心配させることになる」


「それならどちらかが探しに行って、どちらかがここに残れば……」


「ネルス」



 赤い人は僕の名前を呼び、僕は思わず口を制止させる。赤い人は僕の目をまっすぐ見ながらこう言った。



「今オレらにできることは、探しに行くことでも、助けに行くことでもなく、待つことだ」


「……っ!?」



 探しに行くんじゃなくて、待つ?



「クレアの母さんは、クレアにとって自慢の母さんで、オレやお前を診てくれた人で、お前が憧れるギルド警察の人。要は、すげえ人なんだろ?」


「それは……」


「だったら、信じようや。クレアの母さんを。今オレらにできるのは、クレアの母さんの代わりにここの場所を。そしてクレアを。とにかくここにいて守る事。違うか?」


「…………」



 赤い人の言うことに、僕は、どう返せばいいのか分からなかった。いや、不思議と納得してしまった。


 確かに、クレアのお母さんはクレアが一番誇っていた。そして何より僕が憧れるギルド警察っていう団体の人。


 魔獣が出るかもしれないこの山道を、一人で散策しに行くようなすごい人。

 そんな人が、未だに帰ってこない。

 だから、クレアは不安がっていた。僕も心配になっていた。


 でも、この人は違ったんだ。

 僕とは逆で、そんなすごい人ならきっと大丈夫。だから、ここにいて、ここの場所とクレアを今度は僕らで見守ろう。


 そう考えたんだ。



「んでもって、もしも明るくなっても帰ってこなかったら、その時は3人で一緒に探しに行けばいい。まあ、だから今出歩くのは危険だ。だろ?」


「確かに……そうかもしれませんね」


 確かに今は暗いし、クレアはもう眠っている。

 一人で探しに行っても、返って迷惑をかけることになるかもしれない。それに、明るくなるまでにはクレアのお母さんが戻ってくるかもしれない。

 もしそうじゃなかったら、今度は3人で固まって探しに行けばいい。


 確かにそれが一番。この人の言う通りだ。


 赤い人はカレーをむしゃむしゃと食べていて、何も考えてなさそうに見えなかったけど、でもちゃんと考えていたんだ。



「はぁ……。何も考えていないようで、しっかりと考えているんですね」


「考えるつーか、ただただそう思っただけだ」


「記憶、戻ったわけじゃないんですよね?」


「全然」


「そうですか。でも、すごいや」


「何が?」


「こういう時に、そんなふうに冷静に考えたりできて、すごいなーって」


「すごくねーよ。ただ、なんとなくそう思っただけだよ」



 カレーを口に運びながらそう答える赤い人。


 でも、僕を助けてくれたり、今もこうして冷静に判断したりと、実は相当凄い人なのかもしれない。本当に、この人はいったいどんな人なんだろう?



「赤い人って、いったい何をしていたんですかね」


「知らねー。こっちが聞きてえ」


「もしかしたら、赤い人も実はギルド警察の人だったりして」


「さぁーな。でも、もしそうだったら、クレアの母さんがなんか知っているかもな。オレの事」


「そうですね。それなら赤い人も、安心して前に進んでいけますね」


「前?」


「はい。この先の……未来に向かってっていうことです」


「未来……か」



 赤い人はそう言った後、皿をひざ元に置き、ゆっくりと空を見上げた。

 空はもう真っ暗だけど、それを照らすかのように、たくさんの星が輝いていた。


 それを見ながら、赤い人はため息をつく。



「オレは、何者なんだろうな?」



「僕に聞かれてもわかりません。ただ、すごい人なんじゃないかなーって思います」


「すごい人か。なんでそう思う?」


「うーん、なんとなく?」


「なんとなくって……」


「まぁ、僕を助けてくれたりとか、色々ありますけど。でも、なんかこう、なんとなく……です」


「はは、なんだそりゃ。よくわかんねーや」


「あはは……そうですよね。僕も言っててそう思いました。すいません」


「ま、別にいいけどよ」



 赤い人は軽く笑うと、再び手元にある皿を持ち上げ、カレーをむしゃむしゃと食べ始めた。


 こうしてみると、ただの年の離れた大人の人なんだけど、時折見せる赤い人の真っ直ぐなその目を見ると、時折僕の右手が震える。

 同時に、心臓が少しバクバクと鳴るのを感じる。


 その目を見ていると、どうしてかわからないけど、少し懐かしい気持ちになる。

 昔嗅いだいい匂いを、また嗅いだようなそんな感覚。

 安心するような、そんな感覚。


 なんだろう。この感じ。



 もしかして僕、この人を知っている……?



 いや、そんなわけない。僕はこの人を見た事なんてないし。



「ネルス、どうした?」


「え……? あ、いや、何でもないです!」


「さっさとカレー食わねえと、冷めちまうぜ」


「あ、はい」



 赤い人にそういわれ、手元にある皿を持ち上げる。そして、カレーを口へと運んだ。赤い人が言ったように、カレーは少し冷めていた。


 でも、それに相反して、僕の右手は熱くなっていた。



「…………」



 僕はそのことを、赤い人にも、ましてやクレアにも話さないまま、黙って皿にあるものを口に運び続けた。



「さて、食い終わったな」


「はい」



 夕食のカレーを食べ終えると、僕と赤い人はその場から立ち上がった。



「片付けとかって、どうしたらいいでしょうか」


「まぁ、水とかで洗えばいいんだろうけど、そもそもどこで水が出るのかも、どこで洗えばいいのかもわかんねーな」


「近くにあるんでしょうけど、暗くてよくわかりませんね」



 辺りをを見渡してみると、テントが4つに、焚火が一つ。そしてそれを取り囲むかのように置いてある機の椅子が4つ。今確認できるのはそのくらい。


 少し歩いていけばきっとそういった場所もあるんだろうけど、さっきの話もあるし、迂闊にキャンプから離れて歩いていくのも気が引ける。


 水自体は、あらかじめここのキャンプで用意してあった飲み水とかがある。だから無いわけではないけど、それを勝手に使っていいとも思えないし。


「まぁ、クレアも片付けとかは明日でいいって言ってたし、いいんじゃね」


「うーん……でも、なんだかそれもちょっと申し訳ないような気もします」


「そうはいってもよー」



 赤い人は、さっきクレアが入っていった緑色のテントを指さす。



「クレアちゃんに聞くのが一番だけど、肝心の本人はもうテントの中だしな」



 うーん、確かに。僕らで勝手にやるもの逆に気が引ける。ここはやはり、クレアの言う通り、明日にした方がいいのかもしれない。



「つーわけで、オレたちも休もうや。お前、まだ本調子じゃねえんだろ?」


「まあ、ほとんどよくはなりましたけど、まだ右足が若干痛いのと、右手もまだ痛みますね」



 一応、ご飯を食べるときにクレアに右手の包帯を外しはしてもらったけど、それでも完全に治ったわけじゃないからね。

 夕食づくりも、僕が林間学校気分を味わうために、クレアが特別に計らってくれたもので、本当はまだ安静してなきゃいけなかったんだろうし。



「うん、そうですね。クレアもテントに入ったし、ここは僕らも休みましょうか」


「だな」



 赤い人はそう答えると同時に、軽くあくびをした。



「目が覚めた時に、記憶が戻っているといいですね」


「まあそうなんだが、どうなる事やら」



 赤い人は気怠そうに、肩を落とし、ため息をつく。

 記憶がないからなのかもしれないけど、でもたまに見せる気怠そうな態度から、この人は結構な面倒くさがり屋なのかなーって時々思ったり。



「それじゃあ、休む前に、せめて焚火だけでも消さないと……」


「ああ、それもそうだな」



 さすがに、火をつけっぱなしにしてテントに入るのはまずい。火を消せば真っ暗にはなるだろうけど、まあ、仕方がない。

 ただ、不安なのは、クレアのお母さんがまだ戻ってきてないという事だ。このままいけば、明日3人で探しに行くことになりそうだ。


 クレアのお母さん……要はギルド警察の人がまだ戻ってきていない。


 逆に言うと、ギルド警察の人を足止めする何かがあったってことかも。それってやっぱり、魔獣か何かなのかな?



 ん?

 だとしたら、今ここのキャンプを真っ暗にするのは逆に危険なんじゃ?



「このバケツ、消火用の水って書いてあるな。んじゃ、遠慮なく」


「え、ええ! あ、ちょっと待っ」



 バシャアッ! ←水がかかって焚火が消える音



「…………」



 僕が止める前に火が消えて、あたりが完全に真っ暗になりました。



「すっご。なんも見えねー」


「いや、あの……」


「んあ? どしたよ?」



 いや、どしたよ? じゃなくて……。



「クレアのお母さんが戻ってきてないという事は、つまり、近くに魔獣か何かがいるかもしれないなーって思って」


「だから、さっきも言ったように明るくなってから」


「そうじゃなくて」


「何?」


「魔獣の中には、暗闇でも人を感知するのもいるんです。だから寄ってくるんじゃないかなーって。もし、もしも本当に近くに魔獣が居たらですけど」


「……まじか」




 赤い人がそう答えると、僕も赤い人も無言になる。




 辺りが真っ暗になったからか、僕と赤い人の声だけじゃなく、風の音や、草や木が揺れる音もはっきりと聞こえるようになった気がする。


 焚火がなくなるだけで、こんなに変わるなんて……。


 それに、今はちょうど月が雲に隠れてしまっていて、月明りすらない。本当に真っ暗だ。



「だ、大丈夫だろ……」



 と、赤い人が言っているけど、若干、声が震えてるように聞こえるけどね。



「いや、まぁどのみち近くに魔獣が居たら危険だし、あまり変わりはないと思いますけど、でもいざって時は……」


「いざって時は……?」


「何も見えない分、こちらが圧倒的に不利です」


「……まじか」



 自体の重さを知ったのか、赤い人の声のトーンも急激に下がった。

 もしも本当に近くに魔獣がいたらの話だけどね。とは言っても、もう焚火も消しちゃったし今から点けるにはまた木を用意しないとだし、手間もかかる。



「どうしましょう? 手間かかりますけど、もう一回火をつけます?」


「あーその方がいいのかもしれないが、ここのキャンプに木ってまだあんの?」


「明るいうちに切って用意した分は全部使っちゃいました。だから、もうないです。今からまた焚火を起こすのなら、また木を切っていってそこから」


「寝るぞ」


「あ、はい」



 赤い人は即答すると、ささっと歩き始める。


 まあ、確かに面倒くさいし、仕方がないかもしれない。

 どのみち、クレアのお母さんが戻ってきてない事に変わりはないんだ。

 もし、魔獣がでたら、その時は……。


「いっ……」



 僕は右手の拳に力を入れてみると、右手の肘から少し痛みが走った。

 やっぱり、まだ治ってないよね。だったら、僕も早く休もう。



「おい、ネルス、引っ付くなって」


「え……?」



 そう考えていると、突然、赤い人がそう言ってきた。

 僕、引っ付いてなんかいないのに何を言っているんだろ。



「あの、僕は引っ付いてなんかいませんけど」


「んあ? じゃあ、誰が引っ付いて……」



 赤い人がそう言っている最中、さっきまで雲に隠れていた月がちょうど顔を出す。

 月明りが僕らを照らし出して、辺りがはっきりと見えるようになる。


 そして、赤い人に引っ付いている人の姿が目の当たりになった。



「眠れないの……。怖くて不安で……寂しくて……」



 その人は、目からポロポロと涙を流していた。

 赤い人に引っ付いていたのは、クレアだった。




 その後、僕らは3人で一つのテントの中で横になっていた。


 そのテントは、最初にクレアが入っていったやや大きめの緑色のテント。

 少し狭くはなったけど、僕ら3人が入れたくらいだし、きっとここは本来、クレアとクレアのお母さん2人のテントだったのだろう。


 そのテントの中で、クレアを挟むかのように僕と赤い人は横になって休む。



「眠れない。けど、ちょっと安心する……」



 僕の左でクレアはクスっと笑った。



「ごめんね、赤い人。突然泣きついちゃったりして」


「別に構いやしねーよ」



 クレアの更に左の方から、赤い人の声が聞こえた。



「ネルス君も、ごめんね。本当は、一人で広い空間で安静にしてなきゃいけないはずなのに……」


「いいよいいよ、気にしないで。僕は平気だから」


「ありがと……」



 クレアの方をチラリと横眼で見る。


 さっきまで縛ってあった髪が解かれて、長い髪がクレアの頭から背中にかけて下敷きになっている。でも、前髪はしっかりと左右に分かれて、顔の表情とかははっきりと見える。


 テントの入り口は開いてあって、そこから月明りが入ってくる。月明りがちょうどクレアに当たり、色白い腕や顔もしっかりと見える。


 透き通った瞳。整った顔。麗しい唇。それに長い髪。


 クレアって、僕と同じ年代のはずなのに、なんだか、こうしてみると大人っぽく感じる。



 それに、なんだか、ちょっぴり心臓もバクバク言ってきてる。

 何、この感覚?


 さっきの赤い人の時とは違って、安心できないような、そんな感覚。

 胸の奥が苦しくて、心の奥底から何かが飛び出してきそうな感じ。

 なんだろう、この気持ち。こんなの初めてだ。



「どうしたの? ネルス君。さっきからこっちの方を見て」


「へ……!? あ、い、いや、べ、べちゅに」


「ぷっ! くっ……! ふふ……っ!」


「おいネルス、めっちゃ噛んでっけど、どうした?」


「な、何でもないです! ちょっと噛んだだけで……!」


「べちゅにって……! ふふ……っ! 可愛いっ!」



 僕の左隣でクレアは体をぶるぶると震わせている。

 泣いて震わせているのなら、すごく心配だけど、これはそうじゃないから問題ない。

 でも、僕のメンタル的には少し問題があるようなないような……あるような。



「……はぁ~」



 笑いが治まったのか、クレアは大きく息を吐いた。



「ごめんね二人とも。本当にお騒がせしました」


「あー、オレはいいよ」


「だ、大じょうびゅ」


「「ぶふぅ……っ!」」


「…………」



 今度は、赤い人も笑っています。



「どんだけ噛んでんだよ。さすがに笑う」


「ふふ……っ! ふふふっ……!」


「うぅ、もう僕しゃべらない……!」



 まさか、二回も噛むことになるなんて……。



「はぁ~~!」



 クレアは再び大きく息を吐いて、身体を落ち着かせた。



「ありがとね。なんか、笑ったら少し元気出てきた!」


「よかったじゃねえか。やるなネルス」


「うぅ~」



 クレアが元気を取り戻した半面、元気をなくす僕。


 恥ずかしい。いつもなら、こういったことがあっても何ともないのに、今はどうしてかものすごく恥ずかしい。

 なんでだろう。さっきから心臓がバクバク言ってるのと関係があるのかな。



 そう色々と考えていると、クレアはこう言ってきた。



「ねぇ、二人とも。手、繋いでもいいかな……」


「んあ? まぁ、いいけど」


「え、手、手!?」



 手をつなぐって、それって、ええっとつまり!?



「わかった。ありがと」



 僕の左手に温かいクレアの右手が重なり合う。


 クレアの右手は僕の左手をゆっくりと握った。

 優しく、温かい気持ちが、直接伝わってくる感じがした。


「…………」



 孤独も、不安も、全て消えていくような安心感。クレアの右手から、温かさと共にそれが伝わってくるようだった。


 そっか。手を握るって、こんなに温かいことだったんだ……。



「私ね……実は、お父さんがいないの」



 僕らの手を握りながら、クレアはゆっくりと口を開き始める。



「私が生まれてすぐに、病気で死んじゃったんだ」


「そう、だったんだ……」



 クレアも、お父さんがいないのか。そこも似てるなぁ。



「それ以来、ずっとお母さんに育てられてきたから、私、お母さんが大好きなんだ」



 クレアははっきりと、でもちょっぴり小さな声でこう続ける。



「ギルド警察やってて、強くて、そして優しくて。私の自慢のお母さん」



 そっか。

 それじゃあ、クレアのお母さん、ギルド警察をやりながら、一人でクレアを育ててきたんだ。本当に凄いな。


「困っている人を見かけたら、決して放っておかない。どんな小さなことでも、しっかり話を聞いてあげて、助けてあげるの。そんなお母さんみたいになりたくて、私も、色々お手伝いしてるんだ」


「そっか。そうだったんだ」



 だから、クレアは親身になって、僕らのことを診てくれて……。



「そのうち、ギルド警察の人とも仲良くなったりしたの。そして、私も大きくなったらこのギルドに入らないか? って言われたりもした。でも、お母さんはギルド警察は危ないからやめろって言うんだ」


「まぁ、確かに、危ないかもしれないね」



 ギルド警察は、基本的には魔獣を人々から守るのが一番の役目。だから、それ相応に命を懸ける必要がある。

 僕はかっこいいと思って、憧れてはいるけど、そこは確かに危ないとは思う。



「でも、お母さんの仕事とかを見てて分かったんだけど、お母さんたちのお陰で、いろんな人が笑顔になっていくの。それを見てて思ったんだ。私も、お母さんみたいになりたいって。いろんな人を助けたいって」


「それじゃ、クレアもやっぱりギルド警察を目指して?」


「うん。お母さんには直接話してはいないけどね」



 クレアは話を続ける。



「たとえ、お母さんが反対しても、私はなりたい。お母さんみたいに。強くて、優しくて、いろんな人を助けられる存在に」



 そしてクレアは一息つき、こう言った。



「私にとって、お母さんはまさに勇者だから」


「勇者、かー」


「…………」



 僕には、そういった存在はいないな。

 年上のレイタやホノカは憧れというよりは、先輩っていう感じだし。そんな憧れる存在が近くにいて、うらやましいな。



「なんか、ごめんね! こんな話しちゃって。二人とも、早く休まないと体に障るのに」


「大丈夫。それより、クレアの方は大丈夫?」



 そう尋ねると、クレアは少し黙り込む。やがて、ゆっくりと首を縦に振った。



「さっきまでは、不安で、怖くて仕方がなかったけど、今は大丈夫。二人が手をつないでくれているからかな……。とにかく、寂しくなくて、安心はしてる」


「そっか。それならよかったよ」


「でも、でもね……」



 クレアは再び口を開く。でも、声はどことなく、少し震えていた。



「もし、もしものことを思うと……怖い。怖くて、仕方がないよ……」



 そう言うと、クレアは体を少し震わせる。左手から、それが直接伝わってきた。



「大丈夫。きっと大丈夫」



 僕はそう言って、クレアを励ます。

 でも、僕にはそれしか言えなかった。


 もう、外も真っ暗だし、唯一の灯りは月だけ。そんな時間帯。

 それでも、まだクレアのお母さんは戻ってこない。普通に考えたら、それは、つまり……。


 僕も、そしておそらくクレアも、そのことを考え始めた。


 その時だった。



「夜明け前だ。夜明け前が一番暗い」



 クレアのさらに左の方から、その声が聞こえてきた。



「どんなに真っ暗でも、照らす光がとても小さくて薄くても、それでも、いつかきっと新しい光は必ず顔を見せる」


「え……?」


「赤い……人?」



 僕とクレアが若干困惑する中、赤い人はそのまま話を続ける。



「今は真っ暗かもしれねえ。でも、それは必ず明ける。それが明けたら、そこには暗闇なんて一つもない、きれいで透き通った光で満ち溢れていて、そして、優しい色の、空が顔を出す」



 赤い人のそのセリフを、僕もクレアも黙って聞く。



「今は辛いかもしれねえ。怖いかもしれねえ。不安で仕方がないかもしれねえ。でも、諦めなければ、信じ続ければ、きっと、優しい希望ってやつがそこに現れる」


「赤い人……」



 僕も、そしておそらくクレアも、その最悪の事態について考えた。でも、この人はそうじゃなくて、本当に信じてるんだ。希望を。クレアのお母さんが無事だっていうことを。



「だから、諦めんじゃねえ。信じろ、お前の勇者を。勇者は絶対に死なねえ。だから、諦めんな」


「うん。うん……」



 僕の左手が震える。そして、それと連動するかのようにクレアも震えていた。



 でも、突然そんなこと言ってくるなんて。

 もしかして赤い人、記憶が戻って……?


 ……いや、今はそんなことは置いておこう。



 赤い人がそう言ってくれたおかげで、少なくとも僕には、さっきよぎった不安はなくなった。

 だから、きっとクレアも。



「明るくなったら、探しに行こう。3人で」


「ああ。だから、それに備えて休もうや」



 赤い人はそう言うと、大きく欠伸をして、僕らに背を向けるように、寝返りを打った。



「そうですね。それじゃ、おやすみなさい」



 僕も、同じように二人に背を向けるように、寝返りを打つ。

 でも、左手だけはあまり動かさず、そして、その手は離さなかった。


 月も再び雲に隠れ、灯りは全くなる。真っ暗な中で、風が吹く音、草木が揺れる音、そして静かにすすり泣く音が聞こえていた。

 でも……。



「赤い人。ネルス君。ありがと……。本当に、ありがと……」



 すすり泣く音だけ、やがて聞こえなくなり、代わりに、温かい温もりが、僕の左手を包み込んだ。

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