第六幕『旧支配者《グレート・オールド・ワン》』

第1話

「あんの、馬鹿女……!!」


 瑞乃は悪態を吐きながら、真っ赤な太平洋に浮かぶ巨影を睨んだ。

 終末に染まる太平洋。アナスタシアが呼んだであろうこの事態を前に、彼女は大いに憤る。


 一途な女ではあると思っていた。一度大切だと思ったものはとことん大事にする。そんな女だと思った。彼女が悠雅を慮る様を見て、瑞乃は確かにそう思った。


 しかし、それが裏目に出た。強すぎる一途な想いがこの事態を招き寄せた。今すぐにでも滅さなければならない敵に、三笠の主砲を向けなければ。そう思えど、彼等がそれを許さない。


威安いあ威安いあ九頭流宇くとぅるう


 魚人たちが、海の向こうにそびえる巨影を礼賛する言葉を吐き散らして、文字通り鉛弾のごとく飛び掛ってくる。

 瑞乃はそれを四.七センチ単装砲で迎撃することで払い除ける。しかし、堕権ダゴンと呼ばれる怪物だけは、単装砲の弾丸などではどうにもならない。そもそもの物量が違うのもあるが、身を覆う鱗の強度が桁違いだった。


「最早、あなた方の相手をしている暇などないんですがね」

「おおっ!! 神よ!! 我らは御身の復活を心待ちにしておりました!! さあ、その御業にて、この星を簒奪者さんだつしゃ共から取り戻しましょうぞ!!」


 堕権ダゴンは喜びの雄叫びを上げながら、瑞乃の元へと突っ込んでくる。


 苛立ちに奥歯を噛む彼女は家屋を蹴り、空に舞い上がることで突撃してくる怪物の巨体を回避しつつ手印しゅいんを結ぶ。忌まわしき十字架を塗りつぶす巨大な黒が、空間を歪めて現出した。開け放たれた地獄の釜の如き三〇.五センチ口径連装砲――戦艦三笠の主砲である。それは彼女の背後からずるりと砲身を伸ばし、独りでに狙いを定めた。


 主砲を放とうとしたその矢先、噴き上がる灼熱の神威と空を衝くように伸びる赤黒い刃の翼が見えた。

 一枚百メートル近い大きさのものが四対。都合八枚の翼。

 瑞乃は翼が放つおぞましい霊力の中に、隻眼の青年を見る。


 禍津神まがつかみに裏返ってなお、アナスタシアを連れ戻そうという覚悟を感じる神威に胸が締め付けられる。

 甘粕という強大な敵に挑まねば、決着をつけねば、前に進めぬと言ってはばからない彼の愚直さに胸が痛んでしょうがない。


 辰宮瑞乃たつみやみずの反芻はんすうする。記憶の中に沈殿する、どこまでも赫い赫い地獄を想起して、悠雅の無事を祈る。どうか彼を助けて欲しい――そう、あの日散っていった朋友達に願いながら、瑞乃は静かに声を張り上げる。


「よぉい」


 三笠の主砲へと弾が込められる。


「撃てええぇぇッ!!」


 静から動。咆哮して、三笠刀を振り下ろす。

 それは銃の引き金を引く行為に重なる。


 同時に、鈍く低い破裂音が轟くと、眼下で這いずる堕権ダゴンの背中に三〇.五糎センチ口径の砲弾が着弾する。爆炎が噴き上げ、衝撃により辺りの民家が薙ぎ倒された。

 もうもうと上がる黒煙の中で蠢く影にも瑞乃は目を凝らす。すると、その中から堕権が飛び出した。それも、全くの無傷で。


「嘘でしょう?」


 呻く瑞乃の声には動揺の色が滲む。三笠の主砲をもってしても、堕権ダゴンのその鱗に覆われた体を貫くことができなかったのだ。


 対する堕権ダゴンの顔は勝ち誇ったように、頬まで裂けた口の端を釣り上げていた。


「次はこちらの番だ」


 低くくぐもった声で、攻勢主張する怪物は電柱よりもなお太い尾っぽを振り回して、瑞乃を側面から叩き落とそうとする。


 それに対し、瑞乃は着地と同時に三笠の装甲を部分召喚して、それを盾とすることで難を逃れる。三笠の装甲の厚さは二二九ミリ。容易く破れるものではない。さらに、その装甲には瑞乃の祈りが込められている。


 瑞乃の祈祷いのり不沈ふちん。“絶対に沈まない”という、使いどころが限定される力だ。しかし、一度それが展開されれば、決して崩れることのない不壊ふえの城が誕生する。沈まぬ戦艦とは、つまりそういうもの。そんな不壊のふね城壁そうこうを盾とするのだ、怪物と言えど、ただの力技では貫けない。


 轟音が響く。尾が三笠の装甲と激突した瞬間、衝撃の余り、さらにいくつかの民家が木っ端微塵に吹き飛んだ。されど、三笠の装甲はびくともせず、召喚された位置から少しも移動していなかった。当然、瑞乃も健在。


「硬いな」

「防性面において、この国で私の右に出る者はいません」


 そう言いながらも、彼女の顔色は渋い。現状、劣勢なのは瑞乃のほう。

 攻撃力は拮抗。防御力もまた拮抗。しかし、瑞乃の方には致命的な弱点が存在する。それは他ならぬ瑞乃自身。防性が高いのは瑞乃ではなく瑞乃の祈祷いのりによって支えられた三笠本体。対して堕権ダゴンの方は常に固い鎧を着ているようなもの。いや、そんな表現すら生ぬるい。言うならば自立機動する要塞といった所か。


 三笠に乗り込むことができれば彼女自身も守られる。が、そうするには沖まで移動しなければならない。しかし、そんな時間はかけていられない。雌雄を決するのは陸地でだ。そうしなければ彼女はあの隻眼の青年に追いつけない。


 歯噛みする瑞乃に、手にした三笠刀が語り掛けてくる。


『瑞乃様、対要塞武装の使用を進言します。私の主武装ではあれを貫けません』

「わかっています。だけど、」


 言いよどむ瑞乃の脳裏には否応なしに、揺らめく炎の中に輝く黄金の瞳がよぎる。さらには太平洋上にそびえる怪物の姿も。


「私の霊力では、あれを撃つのは日に二回が限度。ここで撃ってしまえば後一度しか……」

『懸念は承知しております。ですが、甘粕正彦も、あの洋上の巨影も、ここで生き残らねば相対することもままなりません。それに、彼女の頬を引っ叩きに行くのでしょう?』


 茶目っ気交じりに、語調を躍らせる三笠の一言に瑞乃の頬が自然と緩む。

 三笠の言うとおりだ、瑞乃はそう思って改めて辺りに視線を飛ばす。


(あれを使えば一帯が吹き飛びかねない。被害は抑えるに越したことはないのですが……)


 ここの住民は既に全て魚人と化して海に還ってしまっているのだが、瑞乃はそのことを知らない。よって、至って真面目に戦闘後の処理を考え、さらにちらりと翠緑の瞳を動かし、潮騒を耳にする。陰州口東部に広がる寂れた海水浴場だ。


 瑞乃は三笠の兵器群を召喚しつつ、弾幕を張って浜辺へと移動を開始する。


「逃げるか。懸命だが人の足で逃げ切れるとでも?」

「逃げている訳ではありませんよ」


 堕権ダゴンと魚人もそんな彼女の後を追う。

 やがて瑞乃は立ち止まる。そして、赤く染まる海を背にして手印を結び始める。


手印コード承認。封印ロック解除。弾倉チャンバー開放』


 三笠の無機質な声が馬鹿に大きく響き渡る。


弾丸バレット装填。導線ライン接続。霊力エネルギー充填』


 瑞乃は三笠へと霊力を送る。そこに影が差す。瑞乃目掛け、堕権ダゴンの太い腕が振るわれたのだ。

 瑞乃は咄嗟に堕権の股下へと飛び込むも、堕権の拳が生む衝撃によって砂浜を転がった。


「真なる世界の地平に人間も、貴様ら大いなるものも不要なのだ。だからせめて、この星の糧となれ」


 堕権の冷笑を帯びた声が響く。対する瑞乃もまた冷ややかに笑った。


「糧になるのはどちらでしょうか?」


 瞬間、瑞乃の背後に新たな空間の歪みが生じる。やがて、白く巨大な砲身が顔を覗かせる。


砲門ゲート開門。砲身ロッド固定。磁界ライフリング回転――』


 砲身は正面の堕権ダゴンを真っ直ぐ見つめている。怪訝な目つきで堕権ダゴンは返すが、その顔色は傍から見ても悪いものになっていく。


「何だ、あれは?」

「奥の手です」


 口の中に溜まった血液を吐き捨てながら、彼女は脱力する。


「天才・西村が作った対要塞兵装。動かすだけでも、私の霊力を半分近く持っていってくれる代物でして。だから、心ゆくまでお楽しみを」


 瑞乃の言葉を聞くよりも先に彼は、彼女を放り出して海へと逃げ出す。だが、最早遅い。全てが後の祭り。その弾丸は、生物の動体視力では見切れない。


鳴火神・電磁加速投射砲E・M・L――発射ファイア

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る