第2話

 甘粕は禍津神まがつかみの力を振るう悠雅の様子を“薄氷を渡る危うさ”、と例えた。鼻につく言い回しに悠雅の苛立ちは加速する。しかし、少し気を抜くだけでも落ちるところまで落ちてしまう。一人では絶対に帰って来れない。そういう場所に。


 そんな剣呑さを帯びていて、まともな神経をしていれば祈祷いのりを使うことすら躊躇われる。


 しかし、彼は引かない。むしろ、全霊で前進する。ここで臆すればこの手はアナスタシアへと届かない。


『今度は勝つぞ!!』

「言われるまでもない!!」


 第二階梯・国津神の力を行使し、肉体を炎化させた甘粕に一太刀入れんと天之尾羽張を振るう。だがそれは空を切り、炎を揺らめかせるだけ。むしろ、接近したおかげで全身が燃え尽きてしまいそうな熱量が悠雅を襲う。袖は弾け飛び、腕や頬の薄皮が剥けていった。


「“英雄になりたい”。お前は確かに言ったよな? あれを見ろ。あんなものが暴れれば、滅びるぞ、この国は」


 顎で指した先には洋上の巨影。


「そうだな、俺達が生み出した地獄よりもなお酷いものになるだろう」

「だったら――」

「――だが、この地獄を乗り越えた先には楽園が広がる。必要な犠牲だ」


 大真面目に、傲慢に。同時に余裕など一切ない信念の吐露。甘粕は言う。


「この国は病気だ。権力闘争。権謀術数。上層部のパワーゲームに、この国はずっと踊らされている。欧州列強は今にこの国を呑まんと、牙を研いでいるというのに」


 甘粕は唱える。まるで自己に言い聞かせるように。


「この国は浄化が必要だ。帝都を徹底的に破壊して、この日本という国をもう一度新生させる。もう誰にも脅かされない国へと。もう誰も、大切な何かを失うことのない国へと」


 改めて己の夢と似ていると悠雅は思った。しかし、そこまでだった。似ているだけで違うのだ。その違いが何より致命的で、だからこそ、彼は甘粕に向かって吼える。


「お前のそれは英雄じゃない」


 悠雅の脳裏に過るのは八咫烏の研究施設から救い出されたあの日、陽の光を背負った浅葱色のだんだら羽織。


「英雄ってのは全部丸ごと救ってこそだ。誰かに犠牲を強いるものじゃあない」

「相変わらず現実というものがまるで見えていない。綺麗事だけでは国は救えないし、民も守れない。犠牲を払って国が良くなるなら払うべきだ。生まれ来る子を守る。それが父祖の本懐であろうよ」

「だからといって、それを赤の他人の手前が決めていい理由にはならないだろうが!!」


 一歩、さらに踏み込み、天之尾羽張を振う。肉が焼ける臭いが立ち込めるが、それでも彼は前に進む。その黄金の瞳に今にも食らいつかんとする程に近づいて。


「気に入らないんだよ、何でも犠牲ありきで考えて。どうして今も守ろうとしない? どうして未来さきのことしか考えない? どうして最初から諦めている?」

「現実を見ろと言っている。犠牲無くして得られるものは無い」


 甘粕の体が一際強く光を放った瞬間、強烈な熱波が超音波と衝撃を伴って大地を舐めた。咄嗟に後退しながら、背中の肉を食い破って生える緋火色金の剣翼で身を包み、防ぐ。が、光と音で感覚器官が麻痺し、悠雅は甘粕の姿を見失う。

 こうなってしまっては手の出しようがない。守りに入るしかないと、悠雅は剣翼から赫く瞬く緋火色金の刃を無数に生やす。いつどこから出てくるかわからないなら、どこから攻撃されてもいいように全方位に刃を向けて。


「良い判断だ。だが、」


 瞬間、甘粕の声が馬鹿に大きく聞こえた悠雅の視界がぐにゃりと歪む。

 熱が急激に跳ね上がるのを感じて、咄嗟に彼は刃を前方へと飛ばす。が、遅い。揺らめく視界を食い破る様に強烈な閃光が迸り、刃ごと空間を呑む。


 迫りくる必滅の光。その速度は悠雅に回避行動を許さない。ならば、と彼は天之尾羽張を構える。


「斬るぞ、アマ公――!!」

『応ッ』


 天之尾羽張と同調して、さらに霊力を、切断の祈祷いのりを叩き込む。空間がきしむほどの高密度の神威を曝け出して、振り下ろす。莫大な熱量を帯びた閃光を真正面から迎え撃つ。

 甘粕の強大な神威に悠雅は総毛立つ。直撃すればこの肉体は消し飛ぶ。余波だけでも絶命しかねない。にも拘らず、彼がこうして閃光を斬り開き続けることができているのはひとえに――。


「アアァァッッ!!」


 咆声。甘粕が放った熱閃を見事両断せしめた彼は、弾丸のように飛び出す。狙うは不自然に揺らぐ視界の中心点。一見、虚空に向かって振るっている様にしか見えない一撃。しかし、天之尾羽張の肉厚な刃は確かに何かを捉える。同時に、揺らぐ視界の中から肩を抑える甘粕が現れた。

 血液の蒸気を吹き上げながら、甘粕は一切表情を崩すことなく悠雅を見据える。


「一太刀入れられてしまった。この強度なら東條さんも認めてくれるだろう。お前は英雄に足る傑物だ」

「くだらねえ!! 俺はお前を英雄だとは絶対に認めない!! あんな怪物を復活させるような連中を断じて、英雄などと呼ばせない!! 俺は全部助ける。全部守る。国も、民も、アナスタシアあいつのことも!!」


 炎化した甘粕を斬ることができた今、悠雅は今度こそ甘粕の首を取らんと天之尾羽張を振う。だが、今度は対抗するように甘粕は赤熱する神器コルヴァズを合わせた。第二階梯の祈祷いのりを行使する甘粕が初めて取った、明確な防御行動に悠雅は確信する。今なら勝てる、と。


「だから、大人しく斬られろ甘粕。あの化け物がいると、きっとあいつ、詰まらないことを言い出すからな」

「どうしてお前はあの巫女を、皇女アナスタシアを救おうとする? お前にとって、あれは仇の一人だろう? 八咫烏が現人神の研究に躍起になったのもかの国との戦争が原因だった。もっと言えば、かの国が亜細亜アジアに手を出そうとしなければ起こるはずのない戦争だった。だったら、あの忌むべき地獄から生還したお前は、あの女にこそ刃を向けるべきなのではないのか?」


 八咫烏は日露戦争を切っ掛けに、国内に溢れかえる戦争遺児を攫い、口減らしに出された子供を買い、政敵の子息子女を誘拐した。悠雅はそうした二次被災者の一人だ。

 それに彼は父を日露戦争で亡くしている。家族を失う一因にもなっている。だが、途端彼は口元を緩めながら。


「命を救われた」


 紅蓮の独眼を細めて。


「仲間だから、友だから。俺はもう何も失いたくない。失う訳にはいかないんだ」

「これ以上失わないための犠牲だ」

「帝都を破壊して本当にこの国は良くなるのか? 俺は政治家が何考えてるのか何ぞ知らんし、知るつもりもない。だが、誰かを犠牲にして我を通そうとしているお前らのやり方は気に食わない。反吐が出る。だから、守る。だから、助ける。国も、民も、アナスタシアも。それが、俺が目指す英雄の在り方だ」


 悠雅と甘粕。紅蓮と黄金。二つの色が交差して。


「なるほど――矜持きょうじか」

「いや――執念しゅうねんだよ」

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