第5話
黒外套を追って地の底から這い上がれば、
彼女の姿を見て、安堵して、しかし、彼女の傍らに立つ二つの影にどうしようもなく凍り付く。
帝国軍の軍服を纏った男二人。一人は褐色の肌に深い緋色の瞳を輝かせる初老間際の男。そして最後の一人は、青白い肌に黄金の瞳を瞬かせる男。
「甘粕、正彦……」
憎悪と憤激に満ちた声で、彼はその名を呟く。
「来ると思っていたぞ」
悠雅がやってくることをあらかじめ予測していたかのような、超然としたその態度は悠雅の苛立ちを更に燃え上がらせる。
「知り合いか、正彦?」
褐色肌の男が甘粕に問えば彼は首肯する。
「以前申しあげた実験の被験者です」
「ああ、例の。ようやっと尊き巫女を手中に納められたかと思えば、これはこれは、珍客中の珍客ではないか――して、この青年は
男はその緋色の瞳を悠雅に差し向ける。そこに込められた感情の色は喜色。さりとて、邪悪さはなく、むしろ純粋さを感じさせる。面白そうな玩具を見つけた子供のような感情に近かった。
「優秀な人材かと」
「ほう――おや?」
常に薄ら笑いを浮かべる褐色肌の男は不意に悠雅に向かって言葉を投げると、緋色の目を丸くして悠雅の元に歩み寄ってきた。
「その浅葱色のだんだらは……そうかなるほど、そういえばあの実験施設を制圧したのは我が敬愛すべき元上官殿だったな」
悠雅が羽織っている浅葱色のだんだら羽織を見て、酷く機嫌を良くした男は、さらにその歩調を早める。
悠雅の元まで後十歩といったところ、彼の目にあるものが飛び込んでくる。男の胸に煌めく、金の下地に赤の三つ巴が刻まれた
「……“
掠れた声が闇夜の帝都に溶けていく。それは悠雅にとって、最も恥ずべき記憶の扉を開く言葉だった。
「そういう、ことか……」
静かに、一人納得して瞳を閉じる。
悠雅は
――深凪悠雅という男の人生は
床一面に広がる血液の水面。肉が焼ける臭い。生気を失った、友の顔。
痛みがあった。眼球が失われた左の眼窩の中に焼けた鉄を流し込むような、そんな痛み。しかし、彼に悲鳴をあげることは許されない。苦悶の表情を作ることすら、罪深い。
その痛みこそが罪の証であり
この
『魂はどこにあるんだろうな』
その男は毎晩笑い合っていた友の体を焼きながら、今日の夕食の内容を聞くような気軽さで問うた。
悠雅はその時、その男が見せた顔を忘れることが出来なかった。
なぜそのように平気な顔をしていられるのか?
仲間を殺し、
友を殺し、
幼馴染を殺し、
親友を殺し、
自分の胸はこんなにも張り裂けそうなのに――。
悠雅は褐色肌の初老を置き去りに、走り出す。アンナの元へと。
彼女を穢させはしない。その一心で彼は駆ける。だが、彼の行動は一振りは緑青の斬撃によって遮られた。
「コルヴァズ……ッ!!」
咄嗟に天之尾羽張で防いだ悠雅は、甘粕の手の中ある剣の銘を忌々しく叫ぶ。甘粕の霊力を吸い上げ、強烈な圧を放つコルヴァズ。その奥から覗く青白い顔に憎悪を燃やし、悠雅は強引に切り込む。
「先日はろくに挨拶せずに悪かったな。今日は遊んでやろう、悠雅」
「抜かせよ、甘粕っ!!」
咆哮。同時に
悠雅の体は意図も容易く吹き飛び、後方へと転がった。
「猪突猛進過ぎる。いい加減学べ、悠雅」
「どうして、そう平気な面をして生きていられる……!!」
甘粕の指摘など耳に入らない。彼は間髪入れずに怒鳴り散らすように問う。激情に荒れ狂う悠雅の紅蓮の独眼に、甘粕は眼を見開いて即答する。
「英雄になる為だよ」
真っ直ぐ。その黄金の瞳で悠雅を捉えて。悠雅と全く同じ望みを口にした。純粋に、真摯に、未来を憂う様に。
「この国は程なく行き詰まる。誰かが救世主にならねばならない。朋友たちを切って捨ててでも、成さねばならぬ。あの地獄から生還したのならば、それを実現しなければならない。でなければ、死んでいった朋友たちに顔向けできない。だから、お前も英雄になりたいんだろう?」
「お前と一緒にするな!!」
一合では甘粕に届かない。二合、三合。されど、まだ足りぬ。ならばさらに叩き込まんと斬撃を繰り返す。思考など無い。一心不乱に赫刃を振う。
「お前が殺さなければ始まらなかった。お前が殺さなければ――」
「お前も殺しただろうに。お前が今ここで生きている意味をよく考えろ。俺達は殺さねば生き残れなかった。俺達が彼らに報いるには彼らが守りたかったものを守る必要がある。だから、俺は守る。この国を」
「化け物共や……八咫烏と手を組んででもか?」
「必要ならば。畜生の足すら舐めよう。赤子の心の臓すらもぎ取ろう」
悍ましいことを真顔で言ってのける甘粕に、悠雅の怒りはさらに加熱する。天之尾羽張の柄をへし折らんばかりに握り締める。
「甘粕ゥッ!!」
『待て、悠雅!!』
天之尾羽張の制止の声が刀身から響く。しかし、再度、悠雅は叫びながら飛び出す。怒り。憎悪。墨汁よりも遥かに深い黒。そんな感情が悠雅を支配していく。
それに呼応するように天之尾羽張の赫刃から彼の殺意をそのまま可視化したような、血液の如き赫黒い光が灯るも、悠雅はそれに気付かない。彼の眼は最早、目の前の宿敵以外映していない。
「あの地獄を作った連中が作る国だと? お前はそれが想像付かない程の
『待て、ダメだ。悠雅、止まれ!!』
悠雅は止まらない。感情が走る。走って、走って、走って、燃え上がる。
天之尾羽張は感じる。自身に流れ込む霊力が、
「お前らにあいつは渡さない。渡してなるものか!! あいつの尊い
『止まれ!! 馬鹿者、裏返るぞ!!』
恐怖、忌避感。これ以上先に進めば、何が起きるかわからない。天之尾羽張はいつになく焦っていた。しかし、悠雅は聞き入れない。天之尾羽張に更に霊力を捻じ込んでいく。そもそも、その声すら届いていない。
この声を届ける為にはどうすればいいか? そう考えた時に蜂蜜色の髪の毛が見えて、天之尾羽張は咄嗟に叫ぶ。
『おい、
「――それは詰まらないな」
不意打ちのようだった。完全に悠雅の意識外から褐色肌の男がぬるりと現れると、彼はアンナの美しい髪を撫でる。
「君にとってこの尊き巫女は余程大事な物らしいな。ああ、そうだ、それなら一つ試してみようか。君の
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