第4話

 ――神田区(現在の千代田区)のとある一角に、時代に取り残されたかのような武家屋敷が建っている。

 庭に大きな蔵、離れには道場。それらを背の高い塀が取り囲んでいる。唯一外界と繋がっている門には大きく“新撰組”と書かれた看板が下がっており、入ろうとする者全てに対してある種の圧を放っていた。


「ここが俺らが席を置いている民間警備会社“新撰組しんせんぐみ”の社屋兼社員寮だ」

「新撰組。倒幕派を取り締まるために徳川幕府が作った戦闘集団……よね?」


 アンナの問いかけに悠雅は「よく知ってるな」と目を丸くする。


「だが、今や御上は関係ない。さっきも言った通り、民間警備会社――民警みんけいだ。御上から仕事の依頼を受けることもあるが、役人じゃあない。受け継いでるのは名前とその心だけだ」


 悠雅はどこか誇らしげに胸を張る。しかし、対するアンナは複雑そうに渋い顔を見せていた。

 その顔を見て、悠雅はハッとする。

 自身の師であり、親代わりとなってくれたあの偉大な男は、露西亜ロシアにとっては忘れがたい宿敵であったことを。


「やっぱり会わせない方が良いような気がしてきました」


 アンナの背後で瑞乃が俄に殺気立つ。悠雅にとってももちろんそうだが、瑞乃にとっても永倉新八という男は敬愛すべき師である。そんな師の手を煩わせるくらいならば自分が切って捨てようと思ってしまうのだ。

 しかし、アンナはそんな瑞乃の殺意を振り返ることもせず背中で受け止めたまま、


「大丈夫よ。私だってその辺はちゃんと弁えてる。というか、私なんかが挑んで勝てるような相手なら……私の国は負けてない」


 彼女はそう言い放つと肩で風を切ってその仰々しい門を潜る。拍子抜けさせられた瑞乃はアンナの背中を睨んで足元の小石を蹴った。


 アンナを追って悠雅と瑞乃は門を潜った。こつこつと革長靴ブーツが石畳を叩き、古めかしい引き戸と対面する。

 アンナが僅かに震えているのが見えて、悠雅は少しばかり開くのに躊躇するも、瑞乃が情け無用容赦なくその引き戸を開け放った。


「社長、ただいま帰りました」

「爺さん帰ったぞ」


 引き戸を開けると薪煖炉ストーブの上に置かれたやかんがしゅわしゅわと湯気を上げ、三人を出迎えた。暖かい空気に包まれ、なんとも言えぬ安心感に浸されつつ、アンナは民間警備会社“新撰組”の事務所内を見回す。

 視認できたのは大仰な本棚と数えきれない感謝状。そして輸入ものの長椅子ソファと樫の木の机。そして、部屋の最奥には執務机。


「……何よ、これ?」


 呻くようにアンナが零す。その疑問は事務所内を飾り立てる家具に対してではなく、家具と一体化したように机に突っ伏した禿頭と二つの長椅子ソファを陣取るだらしない男女に対する物。

 アンナは呆気に取られたようにだらしない三人を見つめていると、何か低い唸り声か地響きのような音が聞こえてきてギョッとする。すると、長椅子ソファに身を横たえた男が一言こう宣う。


「……は、はら、へった……」


 自己の状況を押し付ける男を見据えて、アンナは間を置いてもう一度、叫ぶ。


「何よこれ!?」


 アンナは頭が痛かった。覚悟を決めて来たというのに出迎えたのが空腹を訴える亡者たちだったのだから無理もない。

 しかし、ほかの二人――悠雅と瑞乃は慣れた様に窓を開けて室内の空気を入れ替えると、


「案の定だったな。俺、昼飯作りますんでお嬢は爺さん達のこと頼みます」

「私達が日を跨ぐとなんで毎度こうなるんでしょう? 出資者スポンサーがいるのに……」


 裏の厨へと引っ込んだ悠雅の背を見送った瑞乃はじっとり、なんて擬音がつきそうな目でもうひとつの長椅子で干物になっている赤毛の女に視線を注いだ。

 薄紫色の袴の裾から白く細い足をはしたなく伸ばす彼女はその視線に気づいた様子で、


「……あ、瑞乃? みずのん? 瑞乃様!? ああん、お願いご飯作ってぇ〜」


 べたりと瑞乃に縋る様に泣きつくのだった。


「はぁぁぁ……今、悠雅さんが作りに行きましたよ」

「あれ、悠雅帰って来れたの? 退院早くない?」

「色々あったんですよ。それよりなんでまたお腹空かして皆さん倒れてるんですか?」

「ご飯担当いないからに決まってるでしょうが!!」

「開き直らないでください。大体なんで外に食べに行こうってならないんですか?」

「お・か・ね・が・な・い・のッ!!」

「出資者がそれ言ったらダメでしょう……しっかりしてください。“倉場くらば家”の名が廃りますよ?」

「何よう、それなら瑞乃も“辰宮たつみや”からお金引っ張ってきてよ」

「私は現人神あらひとがみとして。貴女は出資者スポンサーとしてここにいるんです。いる意味が違います」

「ドケチ」


 再び長椅子ソファに沈みこんだ彼女を睨みながら、瑞乃は再度大きく溜め息を吐いた。その光景を見ていたアンナは怪訝そうな顔を見せると、赤毛の女と視線が合う。


「そういやその美人さんはだれ? 見慣れないけど。依頼者?」


 改めて長椅子ソファから飛び起きた赤毛の彼女はやたら長身でアンナよりも頭一個分は背が高かった。


「アンナ・アンダーソンよ。依頼というより、そこで干物になってる御老公に用があって来たのだけど」

「私は【倉場璃菜くらばりな】。この会社の出資者スポンサー兼経理をやってるわ。それにしても欧米人がお爺ちゃまに用なんて珍しいわね」


 璃菜は朗らかに笑みながらアンナに握手を求めてきた。髪の毛の色や顔つきもそうだが、どこか日本人らしくない反応でアンナは少し戸惑う。


「貴女ハーフ?」

「お父様とお母様が日本人と英国人のハーフでねー。そうなると私もハーフってことになるのかもしれないわね」


 アンナは、だからか、と得心する。混血ハーフというものは欧米諸国では全く珍しくないのだが白人と黄色人種の混血ハーフを見るのは初めてだった。

 白人同士の混血ハーフでもある程度顔つきが変わるものだが、有色人種との間から生まれるとこうも異国情緒エキゾチックになるものなのかと彼女は珍しげに璃菜を見つめているとその璃菜が対面で寝そべっている白衣の男に声をかける。


「おーいせんせー。お客様いるから起きなー。人でなしの【西村真琴にしむらまこと】教授ー」

「……人でなし、とは酷くないか? 確かに家族を放ったらかして仕事に没頭してるあたりクソ野郎の自覚はあるが」

「いや、どっちかって言うと経費を馬鹿食いする研究してるあたりを指して人でなしって言ってるだけだよ?」

辛辣しんらつゥ……」


 彼は無精髭をそのままにした顔で唇を尖らせる。「よっこいせ」と年相応におっさん臭い言葉を吐きながら立ち上がるとアンナに向かって右手を差し出した。


「紹介に与った西村だ。よろしく、アンナ・アンダーソン」

「ええ、よろしく」


 返しつつ、アンナがその手を取った瞬間。ぼとり。音立てて、真琴の右腕が木目のある床に落下した。


「ひああああっ!?」


 突然の出来事に尻餅をついて悲鳴を上げるアンナは、目を白黒とさせながらも真琴と落下した右腕を交互に見ては更に重ねて悲鳴をあげる。

 人体の一部がいきなり落下するという異様な光景なのだが、騒いでいるのはアンナ一人で瑞乃は呆れ顔、璃菜は顔を真っ赤にさせて笑いを堪えている。そして、何より当の西村真琴は何やらしたり顔だ。


 奇妙な空気感に気づいたアンナは徐々に声を細めて、ぽかんと間の抜けた顔晒すと、


「ふははは、ひっかかったな!!」


 真琴は高笑いを上げながら、落ちた腕を蹴り上げるとその切断面をアンナに見せつける。そこには無数の管と凹凸のある金属が明かりを乱反射していた。


「なに、これ……?」

「天才西村謹製!! 機械義手メタルアーム!!」


 圧倒的なドヤ顔で機械義手を掲げる彼は更に機嫌良さげに笑みを深めて、


「すごいだろう? 滑らかな動きだっただろう? 流石俺!! かの発明王トーマス・エジソン、雷電王ニコラ・テスラに匹敵するこの頭脳が生み出したる科学の英知を目の当たりにした感想は!?」

「知らない人に会う度にそれやるのやめてください、西村教授」

「ええ~」

「子供じゃないんだから「ええ~」とか言わないでください」

「うぷぷ、お嬢似てねえ」

「倒しますよ?」

「引っ叩くとか殴るとかじゃなくて、倒すな辺り本当に容赦ないねお嬢」


 真琴は梅干しでも口の中に放り込んだような酸っぱい顔をして項垂れる。家族を省みないあんまりな生活をしている上にこの性格の為、悪し様にされているもののこの西村真琴という男、業界では偉人域の生物博士であり機械工学の権威だったりするのだが、社内では誰一人として敬ってくれないという少々可哀想な人物であった。


「帝大の教授なんですから、売り込みたいなら軍にいけばいいじゃないですか。きっと、売れるだろうし、沢山研究させてもらえると思いますよ?」

「研究はどこでだってできる。だが、ここだと特典があるからな」


 真琴が実に嬉しそうな笑顔を見せて視線を動かすと、そこには苦い顔をした悠雅が盆を持って事務所に入ってくる姿があった。


「どんな話していたのかわからないけど、そのニヤついた顔を俺に向けんで下さいよ教授」

「そう言うなよ。お前の料理の腕は本当に気に入ってるんだ。辰宮家の料理長仕込の味なんてそう味わえるもんじゃないしな。顔面殺人鬼だけど」

「喧嘩売ってんですか」


 殺気を帯びた紅蓮の視線を叩きつけられるも真琴は何処吹く風といった様子で盆の上の品々を目を輝かせて覗く。


「おほー、焼きおにぎりに厚焼き玉子、胡瓜の浅漬けかあ。俺の胃袋が無条件降伏してしまうよ」

「それなら皿並べるの手伝って下さい」

「心得たぜ」


 敬礼してサッと皿を並べ始める真琴を横目に悠雅は未だ寝息を立てている、民間警備会社“新撰組”の主の肩を揺らす。


「ほら、爺さん。飯だ。起きろ」

「ん、んお? おおう、帰ったか“夜叉丸やしゃまる”」

「幼名で呼ぶなって言ったろ、クソジジイ」

「もっと老人を労わらんか馬鹿者。あいててて……腰が痛い」

「机で寝るからだよ。若くねえんだからきちんと布団で寝てくれ」

「うるさい、私はまだ現役だわ!!」


 くわっと目を見開いて一喝する老爺の言葉を面倒くさそうに受け取りつつ「そういう意味じゃねえよ」と返す悠雅は彼の肩を担いで長椅子ソファに座らせるとようやく彼はアンナを視界に入れる。


「――おう、そこな露西亜ロシア人。極東くんだりまで一体何用か?」

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