123「届く言葉」ナナシュ


 二学期が始まってから――自由課題発表会から、一週間が過ぎた。

 あれから色んなことがあった。ヘステル先生のことや、ヒミナ先輩、フリル先輩。

 夏休みの宿題チェックの試験もあったっけ。アイリンちゃんとチルトちゃんは危なかったみたいだけど、みんな試験に合格できてよかった。


 本当に色んなことがあって、バタバタしていたのがようやく落ち着いて。

 なにも変わらない日常が始まる。

 登校して、授業を受けて、放課後になって、クラフト部で集まって。夜は通話魔法でおしゃべりをする。そして、


 猫アレルギーの薬も評価保留のまま、変わらない。


 きっと、忘れ去られるまで……。

 こうなることはわかってた。ヘステル先生から聞いていたから。

 だからへこたれない。マナ欠乏症の治療薬を創るまで、私は止まらない。


「……うん。大丈夫、大丈夫」


 今日はお店の手伝いがあるから、クラフト部に寄らないで帰らないと。

 鞄を持って立ち上がったところで、


「ナナシュ・ネリンフェーネ君。ちょっといいかね?」

「あ……ボストン先生。なんでしょう?」


 医療魔法や回復魔法を教えてくれているボストン先生が、教室の入口のところで私を呼んでいる。

 ちょっと恰幅のいい、黒髪のおじさん先生。物腰が柔らかくて優しい先生だけど、怒ると恐ろしいという噂もある。でも、そもそも怒ることがあるのか疑問なくらい優しい先生だ。


「ちょっと君に相談があってね」

「相談、ですか……?」

「う、うむ……。例の、猫アレルギーの薬なんだがね」

「……!!」


 まさかその名前が出て来るとは思わなくて、私は飛び上がりそうなくらい驚いた。

 ボストン先生は小声で続ける。


「実はあの発表会の時、私もいたのだよ。いやぁあれは素晴らしい薬だ」

「あ……ありがとう、ございます」

「それでだね。あの薬……少し、分けてもらえないかと思ってね」

「猫アレルギーの薬をですか!?」

「うちの娘がね……。猫を飼いたいと言うんだが、どうも猫アレルギーのようでね。猫を見に行くと、くしゃみと鼻水が止まらなくなるんだよ」

「あっ……」


 そういえば発表会の時『娘に飲ませたい、猫アレルギーなんだ』と言っていた人がいた。あれ、ボストン先生だったんだ。


「もちろん薬代は払うよ。だからどうか、お願いできないかね」

「それは……」


 もちろん、薬を分けてあげたい。鞄には前に作ったのが入っている。でも……。

 私は先生から目を逸らして、俯く。


「ごめんなさい、先生。知っての通り、あの薬は……評価保留にされているんです」

「むっ……あぁそうだったね。いや、そうか。保留では……。すまない、私としたことが」

「いえ……」


 学校側で評価を保留にされてしまうと、その薬を販売することができない。

 検査が終わるまで許可が下りないから。

 もちろん、作った薬を個人的に譲るのは問題ない。

 ただこのターヤで、商売として広く売り出そうとするならば、必ず許可が要る。

 検査が不十分な、危険な薬が出回るのを防ぐため。必要な仕組みだった。


(そう、保留のままでは猫アレルギーの薬を広めることができない)


 やっぱり、このままじゃ……。


「本当にすまないね。無理を言ってしまった」

「いえ……」


 私としては、この場で薬を譲ってしまいたいんだけど……。

 この学校に勤めているボストン先生の立場上、あまりよくないはず。


「いかんなぁ。娘のことになるとどうしても」

「ボストン先生、娘さん想いなんですね」

「はっはっは。恥ずかしい話だ。私は学校にいる限り、まずは君たちの教師だというのに。順序を間違えてしまったよ」

「順序……ですか?」


 顔を上げると、ボストン先生は申し訳なさそうな、優しげな表情をしていた。


「ナナシュ君。私たち、医療薬学科の……主に回復魔法の先生たちは、君たちの薬と魔法を概ね認めているんだよ」

「えっ……!?」

「呼吸で取り込むマナに魔法を乗せる。医学には画期的な魔法じゃないか。あれから一週間、私たちの間でその話をしなかった日は無いよ」

「そうなんですかっ?」

「ただね、この学校では私たち回復魔法の先生たちは、どうにも立場が弱い。医療薬学科は2クラスしかないから、先生も少ないんだよ」

「…………」


 認めてくれている回復魔法の先生の人数が、純粋に足りない。

 この学校は基本的に属性魔法を教える場所だから。

 落差があるのは、未分類魔法のことだけじゃないんだ。


「だけどね、本当はそんなの関係無かった」

「……え?」

「私たちは教師だ。生徒たちを守る義務がある。……ナナシュ君。私たちの方でも動いてみよう。きちんと評価をしてもらえるようにね」

「ボストン先生……!」


 先生は優しく、微笑んでくれている。

 そうだ、こうやって味方になってくれる人だっているんだ。

 否定派、容認派、どちらでもいい派。一番多いのはどちらでもいい派なんだから、みんな味方にしてしまえば、薬の評価だって……!


「安心しなさい、ナナシュ君。医学を学んだ者があの薬を認めないはずがない。医療薬学科の先生、研究者はみんな薬を評価しようとするだろう。なにより我々の中に、『アレルギーで苦しんでいる人のもとへ届けたい、その一心で創った』という君の言葉を聞いて、なにも思わない人はいないのだから」

「あっ……」


 私の言葉……届いて……。


「我々が検査をすれば、さすがに学校も文句は言えないはずだ。薬の専門家が認めるのだからね」

「そうですよね……! 先生、ありがとうございます!」

「お礼はいらないよ。さっきも言ったが、これは教師として義務だからね。あぁ、でも正式に評価された時は――」

「はい、もちろん、真っ先に薬をお譲りします!」

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