第5話 キャンディタウン②
「…………誰?」
パトリシアとマスターの姿はあったが、パトリシアが鋭い視線を向けているのは見たことの無い男だった。
パッと見た印象ではミチやパトリシアと同年代の若い駆け出しデリーターだ。
これといって特徴はなく、友達の彼氏だと紹介されると「真面目そう~」「良い人そう~」という無難な感想を言われる系の容姿だ。
青年は街を発つつもりなのか大きなリュックを背負っていた。
パトリシアは青年にしがみついて問い質しているし、マスターは店の扉の前でその様子をハラハラしながら見守っていた。
「ああ……私の不幸が……とうとうパトリシアにまで!」
マスターの不幸は伝染するかのような台詞が聞こえたので、ミチは自分にも感染しないうちに退散しようかと迷ったが――。
「結婚なんてしたくなくなったんだから仕方ないだろ!」
「そんな……! どうして!?」
「うるさい! みっともないだろ! オレはもうこの街を発つ。こんな醜態を晒して困るのはお前の方じゃないのか? 離せ!」
「きゃっ!」
パトリシアが青年に突き飛ばされたため、慌てて駆け寄った。
よろめくパトリシアの身体を支え、キッと青年を睨む。
「ん? なんだお前…………ひっ」
睨んでいるのはミチ――同年代の少女であるのに、その眼差しに身の危険を察知した青年は脱兎のごとく去って行った。
「ひどい……ひどいわ……」
地面に膝をつき、涙が溢れ出す顔を手で覆って隠すパトリシア。
逃げた男を追いかけて、とりあえず噴水のジェリービーンズの中に沈めようかと迷ったミチだったが、それよりも友人に寄り添うことにした。
「パトリシア……」
詳しい事情は分からないが、さっきの青年にパトリシアが裏切られたということは確かだ。
ミチは掛ける言葉を見つけられず、口を閉ざした。
悲しいときに励ますのは正しいのか。
パトリシアの悲しみを計り知ることが出来ないのに同調しても良いのか。
同情することで、更にパトリシアを傷つけないか。
何が正解か分からないミチは、ただパトリシアを抱きしめた。
パトリシアの悲しみが少しでも早く癒やされますように、と願いながら。
「可哀想なパトリシア……不幸なのは私だけで十分だよ……」
世界の不幸を一身に引き受けるような台詞を吐くマスターの幸せも、ミチは願わずにはいられなかった。
暫くして落ち着いたパトリシアを連れて、ミチは店の中に入った。
マスターはドアにCLOSEの札をつけると、二人にホットのミルクティーを出した。
カウンター席に倒れるように塞ぎ込んだパトリシアの隣に腰を下ろしたミチは、マスターにミルクティーの礼を言いながら『恋するトリプルベリーパフェ~甘酸っぱい三角関係~』への未練を必死に断ち切りつつ、パトリシアの様子を伺った。
今は落ち着いた分、怒りよりも悲しみが重くのしかかっているように見える。
「彼ね、三ヶ月くらい前にこの街にやって来たデリーターなの。ギルドで引き受けた依頼を達成するために滞在していたんだけど、あたしに一目惚れしたって告白してくれて……。あたし、そんなこと言われたの初めてだから嬉しくって。優しそうだったし、いいかなって思って付き合い始めて。結婚も視野に入れるからって、あたしの部屋で一緒に暮らすようになったの。でも……それはあたしのことが好きなんじゃなくて、宿代を浮かせたかっただけみたい」
カウンターに突っ伏したままのパトリシアがくぐもった声で話す。
時折鼻を啜る音がしていることから涙が止まっていないことが分かる。
「三日前に彼が突然何も言わずいなくなって。荷物も無くなっていて。薄々どういうことか分かっていたけど、信じたくなくて探さずにいたの。そしたら……さっき店の前を大きな荷物を背負って歩いているのを見つけちゃって、問い質しちゃった。馬鹿よね……分かってたのに。あいつも馬鹿よ。なんで店の前を通るのよ。あたし、此処で働いてるって話してあったのに。あたしの話なんて気にも留めてなかったのかな……」
語るのを止めたパトリシアは嗚咽を漏らし鳴き始めた。
「暫く放っておいて欲しい」と呟いたパトリシアの心中を察し、ミチは後のことをマスターに任せ、立ち去ることにした。
去り際にバスケットから金平糖の入った小袋を取り出し、カウンターに置く。
「これ、私が作ったとっても元気が出る魔法の金平糖なの。よかったら食べてみて」
疲れた時、悲しい時は甘い物が癒やしてくれる。
ミチも甘い物が持つ『癒やし』に何度も救われてきた。
この金平糖には効果は何も無いので元気が出る魔法など込められてはいないが、『甘味』が持つ本来の癒やしがパトリシアの悲しみを和らげてくれるように願った。
店を出るミチの耳にはパトリシアの「ありがとう」という小さな声が聞こえていた。
消え入りそうなか弱い声だったが、こんな時でもお礼を口に出来る彼女はきっと幸せになれる、そう思ったミチだった。
ミチが出て行って暫くすると、パトリシアは顔を上げていた。
それを見たマスターは熱々のおしぼりをパトリシアに渡した。
笑顔で受け取ったパトリシアは涙でぐちゃぐちゃになった顔をおしぼりで拭くと、泣いてしまったことが恥ずかしかったのか、照れ隠しのような笑顔を見せながらミチの置いていった金平糖を摘まみ、口に放り込んだ。
心を暖かくする甘みが口に広がる。
「甘くて、優しい味」
素朴で暖かい味わいにまた涙が込み上げて来たパトリシアは、それを悟られぬようマスターへ「どうぞ」と金平糖を渡した。
「頂きます。……うん。本当に優しい味ですね」
金平糖の優しさはミチの優しさだ。
そう感じたパトリシアは堪えていた涙を一滴零してしまった。
悲しい涙を沢山流したが、締め括りとなるこの涙が暖かいもので良かったと、自分によく似た友人に感謝をしたのだった。
明日からまた笑顔で頑張れる、パトリシアが微笑んだ、その時――。
「……え」
パトリシアは、自分の中に違和感を感じた。
直前までの穏やかな気持ちが、段々と沸き上がってくる強い衝動に押しつぶされて行く――。
とにかく、ジッとしてはいられない。
衝動と共に何故か力が…………力が湧いてくる!!
めそめそ泣き続け、俯いていた己をフルボッコし、昇天させてやりたいという激情がパトリシアを襲った。
「うおおおおおおぉ!!!!」
獣の様な雄叫びを上げ、パトリシアは立ち上がった。
様子が急変したパトリシアに怯えるマスター。
力で満たされたパトリシアの元に、心の奥に沈めようと思っていた感情が蘇る。
それは『怒り』だ。
本当にそれでいいのか!
理不尽を許して良いのか!
自分ばかり悲しい思いをして、罪人に罰を与えられないことを許していいのか!
「否ッ!!!! 許してはならない!!
パトリシアの怒りの鉄拳が、マスターの夢が詰まった店のカウンターを襲った。
バリッという木材が割れる音、マスターの声にならない悲鳴が響く。
マスターが拘ったヤクスギの一枚板で作ったカウンターが木片となり、宙を舞う。
「絶対に許してはならない! 泣き寝入りなんてごめんよ!!」
パトリシアは入り口の扉を店の外へと吹っ飛ばし、駆け出していた。
普段はカランコロンと心地よい音を出すレトロなドアベルの悲鳴の様な音は、マスターに最後の別れを告げているようだった。
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