第3話 グロキシア火山②

 ショーケースを開け、グレンの大好きなショコラのケーキを取り出した。

 甘さの違うスポンジとクリームで出来た美しい五層の断面を見せているショコラケーキを見て、グレンの頬も思わず緩む。


「なに和んでんだ!!!!」


 ハートフルストーリーを展開していた二人の間に、焦げた匂いを纏った男が怒鳴りながら入って来た。

 迷惑そうに顰められた二人の顔がそれを出迎える。


「うるさいな……ダグラス。 うん? お前、その頭はどうした?」

「どうしたじゃねえよ!!!!」


 正しいツッコミを入れながら入って来たにも関わらず、邪魔者扱いを受けた男の名はダグラス。

 Aランクのデリーターでグレンよりも大柄だ。

 グレンとは旧知の仲で、このクエストではグレンをフォローするサブリーダーを務めているのだが、さっきまではこんなにチリチリ髪ではなかった。

 無造作だが艶のあった黒髪が、ミチ風に例えると燃えかかったスチールウールのようになっていた。

 ミチは「酸化鉄の実験でもした?」と聞きたくてうずうずしたが、空気をよんで黙っていた。


「サラマンダーの攻撃が掠って燃えたんだよ!! 他の奴らも苦戦してる!! リーダーのお前は何のんびりしてんだ!!」

「あっ」


 グレンは漸く今クエスト中だということを思い出した。


「ほら、行くぞ!!!!」

「あ、ああ……だが、しかし……」


 ショコラケーキを受け取らなければ、とグレンは焦った。

 そんなグレンを見て、娘はショコラケーキを皿に乗せて差し出した。


「召し上がってからでよいのでは?」


 それはグレンがあまりにも食べたそうな顔をしていたからなのだが、仲間が必死に戦っている状況で神経を尖らせていたダグラスにはとても腹立たしいものだった。

 だから思わず叫んだのである。


「そんなもの食っていられるか!!!!」


 ――――シーン……。


 地球の漫画風効果音を入れるなら、そんな字が当てられているような空間が広がった。

 サラマンダーが暴れる音と吹っ飛んで叫ぶ人の声が聞こえるが、とてもとても静かだった。


「……そんなもの?」


 次の瞬間、娘から放たれている冷たい空気を感じ、グレンとダグラスは固まった。


「そんなものって言った!? 私の力作のケーキを……そんなものって言った!!!?」


 叫ぶ娘から放たれた殺気に二人は息を呑んだ。

 SランクとAランクのデリーターが十代半ばに見える少女に威圧され、萎縮していた。

 そして上級だからこそはっきりと分かってしまったのだ。

 娘が自分達よりも『強者』であると。


 チュトラリー洋菓子店の商品を食べ続けて強者になったものはいないが、それは『客に限る』話である。

 毎日強化効果のある洋菓子を作り、試食を繰り返すとどうなるか――。


 ダグラスは見た目は可憐な娘に敵わないという動揺と、少女が作ったらしきものを貶すような発言をしてしまった申し訳なさで顔を逸らした。

 だから気がつかなかった。

 いつの間にか娘がダグラスの前に立ち、ショコラケーキを口にぶち込もうとしていたことに。


「口を開けて!」

「は?」


 短い言葉を発するために開けられた口に容赦なくぶち込まれるショコラケーキ。


「私のケーキは美味しいんだから! 食べたら『そんなもの』なんて言わせないわ!」

「!!!?」


 一気に口いっぱいにケーキを放り込まれ、呼吸困難になったダグラスだったが、ケーキの甘みを感じた瞬間、目を見開いた。


 うっ…………美味い!!!!


「ふふっ……」


 ダグラスの心の声が聞こえたのか、娘は満足げに頷いた。


 ダグラスはグレンとは違い、甘い物は苦手だった。

 ケーキなど匂いを嗅ぐだけで胸焼けがすると思っていた。

 だが、今口の中を満たしているものは甘くはあるがすっきりとした味わいで、もっと食べたいという欲求が生まれていた。


「なっ……!! ダグラス!! 俺のショコラケーキを食いやがって! 吐け! 綺麗なまま吐き出せ!!」

「無理言うな! つーかこんな美味いもんはお前みたいなおっさんには勿体ねえ!」

「なんだと! お前の方がイカツイおっさんじゃないか!」


 ――リーダーァァァァ!! サブリーダーァァァァ!!


 ガタイのよいおっさん達がケーキで喧嘩をしている間も仲間はピンチなのだが、それはもうただの背景でしかなかった。


「お気に召して頂けて良かったです! 私のケーキは美味しいだけじゃないんですよ!」


 揉める筋肉ダルマの間に入り、娘は笑った。


「美味しいだけじゃない? ……というと?」


 グレンが首を傾げ、娘に話を聞こうとした時――それは起こった。


「ううっ……」

「ダグラス? お、おい、ダグラス! どうした!」

「お! 効いて来たようですね!」


 俯き、低い唸り声を上げ始めたダグラスを娘はニコニコしながら見守っている。


「まさか……ケーキに何か仕込まれていたのか!?」


 ダグラスの尋常じゃ無い様子を見て、グレンはある恐ろしい物の存在を思い出していた。

 それは人を魔物に変えるという禁薬。

 魔物に変わってしまった者は理性を取り戻すことも、元の姿に戻ることも無い。

 最悪の場合、ダグラスに手を掛けなければいけない可能性が頭に浮かび、一気に緊張感が走った。


「仕込むと言えば仕込んではいますけど、良いものですよ? 悪い効果のものは店に出していないのでご安心ください」

「良い効果? どういうことだ!? ダグラスは一体どうなってしま……」

「うおおおおおおおおおおっ!!!!」


 グレンの言葉を遮り、獣の様に叫び出したダグラス。

 その異様な様子にグレンだけではなく、背景となっていた仲間達もダグラスを見た。


 視線を浴びる中、ダグラスは握りしめた両手の拳を天に向かって突き上げた。

 その瞬間――。

 ダグラスが身に纏っていた服の全てが四方八へ「パンッ!!!!」とはじけ飛んだ。


 そしてミチの眼前に現れる、完全ナチュラリストなダグラスの姿――。

 見開いた目にソレを映して固まるミチ――。


「ぎっ…………ぎゃああああああ!!!! なんでそうなるの!!!? 強制わいせつ!!!! バケモノ!!!!」


 全てを知っているはずの娘もダグラスの派手な瞬間脱衣は予想外だったのか、罪状を叫ぶと店と共に逃げるように消えた。


「なっ!? ……あの娘は……店は何処へ!?」

「ふっ……力が湧いてくる!! サラマンダー!! 覚悟!! うおりゃああああっ!!!!」

「ダグラス!? ……ああ、クソッ!! これはどういうことだ!!!?」


 娘と店は一瞬で消えたし、ダグラスは全裸でサラマンダーに突っ込んで行く。

 グレンの頭は次々と起こる出来事について行けない。

 肌色一色の筋肉ダルマが恐ろしいスピードで駆けていく後ろ姿を……チリチリに焼けた髪に広い背中、引き締まった固そうな尻を見守ることしか出来ない。


「昇天しろおおおおっ!!!!」


 サラマンダーと対峙したダグラスは、素早い動きで距離を詰めると、サラマンダーの大きな顎に向かって拳を下から突き上げた。

 次の瞬間――。


「ギャアアアアアアアアッ!!!!」


 耳を劈くサラマンダーの断末魔が洞窟内を支配した。

 あまりにも大きな声に誰もが顔を顰め、身を竦めた。

 だがサラマンダーの悲鳴は一瞬で、続けて何かが激突した衝撃音が洞窟内に響いた。


「……?」


 何が起きたのか。

 服を着ているデリーター達は音の出所へと視線を向けた。


「こ、これは……!」


 デリーター達が目にしたのは――。

 ダグラスの頭上、洞窟の天井に突き刺さり、力なくぶら下がっているサラマンダー。

 何が起こったかは分かったが、信じられないような光景だった。


「サラマンダーをアッパーパンチで一撃必殺とか……」

「す、すげえ」

「すげえけど……すげえけどさ……」


 デリーター達は肌色一色の男を見る。


「羨ましくはないよなあ」と、気持ちを一つにしている仲間達の視線を浴びながら立ち尽くしていたダグラスだったがハッと我に返り、呟いた。


「どうして俺はマッパ真っ裸なんだ……?」


 ダグラスの元へ駆けつけたグレンがマントを脱ぎ、そっとダグラスのダグラス、娘がバケモノと呼んだそれを隠すように差し出した。


 娘に「ガチムチ」と言われたグレンよりもダグラスは大柄。

 グレンのマントは腰蓑程度の役割しか果たさなかったが、バケモノさえ顔を出さなければいいのだ。

 グレンの心遣いにダグラスは泣いた。

 グレンは自分が購入する意思を見せていたショコラケーキをダグラスが食べたため起こったこの現状を、何となく申し訳く思っていた。

 だがそれ以上に安堵していた。

 大好きなショコラだが食わずに済んで良かった、と。

 山を下りたら、ダグラスに髪のチリチリを軽減するトリートメントと服を買ってやろうと決めた。


 これからはダグラスに優しくしようと決意したグレンと、気づかわれることで余計に傷が広がっていくダグラスの元へと仲間達が集まる。


「何はともあれ……誰も怪我せずに討伐が済んで良かったですね」


 あえてダグラスの状態に触れず、和やかムードで場を纏めようとするレオンの優しさが染みてダグラスは更に泣いた。


「ダグラス、火山の麓にあった部族の住民になりそうだな」

「このまま自然と同化出来るんじゃ無いか」

「ははっ、ギルドに戻らず自然に帰るか?」


「……お前らも天井からぶら下がりたいようだな?」


 からかった者はアッパーにより、サラマンダーと並ぶ結果になった。


 そしでダグラスはこの出来事により、マッパアッパーと呼ばれるようになったのだった。






 歯を食いしばり山を駆け下りていったダグラスの後を追って、デリーター達も戦場を去った。

 だが、熱気と戦いの後が残った空洞に、グレンとレオンは残っていた。

 レオンは不思議なケーキ屋が現れていた位置に立ち、地面を撫でた。


「グレン。あれは何だったのでしょう。彼女は?」

「さっぱり分からない。だが、ダグラスのあの驚異的な力の原因はあのケーキだろう。それしか考えられない」

「ケーキ、ですか……」


 二人は思わず黙り込む。

 ケーキを食べて能力アップなどありえるのだろうか。

 いや、ケーキという形をとっているだけで貴重な能力アップのアイテムだと考えられるが、あんな効果があるものは見たことも聞いたことも無い。

 それをあの娘はどうやって手に入れたのか。

 もしかすると、あの店に並んでいた洋菓子全てに効果があるとしたら……。


「とにかく……帰るか」

「そうですね」


 いくら考えてもこれ以上分かることはない。

 二人は熱気の溢れる洞窟を出ることにした。


「レオン、怪我は……あー……いや、レオンハルト様、お怪我は?」


 ダグラスは隣を歩くデリーターにしては育ちの良すぎる空気を纏った美青年魔法使いに遠慮しながら声を掛けた。

 普段サラサラと風に靡いているレオンのプラチナブロンドが熱気と湿気でしっとりとしているが、美しさは全く損なわれていない。

 グレンは自分にもこれほどの美貌があれば周りを気にせずスイーツを食べ歩けただろうなと羨ましくなった。


「急に丁寧になられたら気持ち悪いですよ。今はあなたの後輩デリーターのレオンです。気を使わないでください。おかげさまで怪我はありません」


 グレンの羨望など知らないレオンが微笑む。

 嫉妬するのが馬鹿らしくなるほど出来た男だ、とグレンはこっそり乾いた笑みを浮かべつつ頷いた。


「……分かった。怪我がなくて良かった。レオンになんかあったら俺は国に殺される。サラマンダーがお前をロックオンした時には焦ったよ」

「ご心配をお掛けしてすみません。僕も防御で弾いた攻撃があの娘に向かっていると気づいた時には焦りました。しかも状況が把握出来なくて動けませんでした。グレンは流石ですね」

「いや、俺も結局は間に合わなかったんだ。助かって良かったが……まさかあの子が自分で叩き落としちまうとはな」


 二人の脳裏には先ほどの信じられない光景が蘇った。

 幻だったと言われた方が信じられそうだが、これだけの人数が目にしたのだから現実なのだろう。


「僕はさっきの店や黒髪の娘のことを調べてみます」


 レオンの言葉にグレンも頷く。


「俺の方も探ってみる。何か分かったら教えてくれ」

「了解。先輩、そういえば……此処から少し離れてはいますが、ケーキなど甘い物を特産にしている街がありましたね?」

「ああ。キャンディタウンだな」

「僕はそちらに寄ってみます。何かヒントになることがあるかもしれません」

「分かった。俺は戻ってあいつに報告だ」


 空洞を抜けると現れた分岐点で、二人はそれぞれの目的地へと歩き出した。






 ★ミチの特製ショコラケーキ★

 ・物理攻撃力基礎値プラス10

 ・一定時間物理攻撃力10倍、無効・耐性消去、クリティカル率100%(※クリティカル効果:攻撃力アップ・敵防御力ダウン)


 ※ダグラスの瞬間脱衣

 元々物理に特化した実力者のダグラスに過剰な物理上昇効果がかかり、一時的に能力が限界値を超えたため起こった悲劇

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