第9話 一瞬の交差

 ミチが昨日ぶりに訪れたキャンディタウンは相変わらずポップでキュートだ。

 一日で劇的に変化があった方がおかしいので、当たり前のことなのだが……。


「いやあ、見事なアッパーでしたなあ」

「ああ。惚れ惚れしたよ」


 街の空気が少し違うとミチは感じた。

 気づけば『アッパー』『黒髪の女の子』『芸術』という単語がよく聞こえてくる。

 皆妙に興奮している様子だが、何か祭りでもあったのだろうかとミチは首を傾げた。


「大変だ!」


 ジャラジャラと音を立てているジェリービーンズの噴水に差しかかかったところで、何処からか余裕の無い声が上がった。

 何事かと足を止めれば、周囲にいた人達もミチと同様に声の方を探る様子を見せていた。

 何かあったようだが、祭りではないだろう。

 不穏な空気を感じ始めたところで、方々からデリーターと思われる風貌の者達が駆けて来るのが見えた。

 彼らは噴水まで辿りつくと、同じ方向――街のゲートの方へと駆けて行く。


 どうやら街の近くに魔物ガ出たようだ。

 これだけの人数が慌てて向かっているとなれば難易度の高い緊急クエスト、即ちミチの出番となるかもしれない。

 だが今はパフェを食べることが最優先だ。

 開店の扉は無視しようと決め、再び歩きだそうとした、その時――。


「あっ」


 ミチが目指す喫茶店シュガーの方から、颯爽と駆けていく一人の青年にミチの目は釘付けになった。

 藍色のコートに映えるプラチナブロンドが光を放ちながら風に揺れている。

 ミチは驚きのあまり、声が出なかったが心の中で絶叫した。


『レッ……レオンハルト様だああああああああ!!!!!!』


 夢見ていた『推しとの邂逅』にミチは震えた。

 ゲームで見ていたよりもレオンは美しかった。

 

「……」


 息を呑みながら風のように駆けて行くレオンを目で追う。

 レオンの動きはまばたきをしている間に消えてしまいそうな程俊敏なのだが、ミチはその様子をスローモーションで見ているかのように感じていた。

 感覚の全てがレオンに向かい、世界にはレオンだけ――。


 そんな錯覚に陥ったが、あっという間にレオンの姿は見えなくなった。


 だが、一瞬……ミチはレオンと目が合ったような気がした。

 心臓がドクンと脈打ち、どうしてか涙が込み上げてくる。

 すぐに「そうか、これは歓喜に溢れているのか」と分かり、思わず頬が緩んだが……。


「……気のせいよね」


 ミチにはレオンしか見えていなかったが、実際には周囲にたくさんの人がいたし、二人の間にも人垣があった。

 ミチは「これがライブやコンサートでアイドルと目が合ったと言い出すファン心理か」と恥ずかしくなった。

 穴があったら入りたい衝動に駆られつつ、落ち着きを無くしてバクバクと騒ぐ胸を沈めるために深呼吸をした。

 じわじわと目に溜まってしまった涙を手で拭い、泣くほど喜んでしまった自分が可笑しかった。


「はあ……でも仕方ないよね……泣くよね……あれはやばい……破壊力が凄い……えげつない……好き……全部好き……」


 あんなに凜々しくて麗しく、どう見ても王子様なのに恰好はデリーター。

 ギャップ萌え信者であるミチには刺激が強すぎる姿だった。

 いや、本人と恰好の差が激しすぎて「最早『ギャップ』なんて言葉では許容出来ない。無理がある。もう何がギャップなのか分からない!」とミチは思った。

 ギャップというものに対しゲシュタルト崩壊を起こし始めたミチだったが、近くにいた恰幅の良いソフトクリームのような頭をしたおばさんに「大丈夫?」と声を掛けられて我に返った。


「大丈夫じゃ無いけど大丈夫です」


 ミチの言葉を聞いたおばさんは「どっちなんだ」と思ったが、ミチが笑顔なので大丈夫だと判断した。


「デリーターさん達があんなに大勢おっかない顔して走って行ったら心配になるわよねえ。でもきっと大丈夫よ。避難命令は出ていないわ。街を楽しんでいらっしゃい」


 ソフトクリームおばさんはそう言うと、ミチに黒飴を握らせてくれた。

 リラックス出来るように舐めながら行きなさい、と言うことらしい。


「飴ちゃん……」


 ミチは実母の故郷である大阪の魂を感じたような気がして少し哀愁の念に駆られたが、すぐに走り去ったレオンのことを思い出した。


「レオン様は大丈夫だと思うけれど……心配!」


 命を落とすことはないかもしれないが怪我をしてしまうかもしれない。

 そう思うと居ても立っても居られず……。


 ミチはレオンの後を追った。






 ミチがキャンディタウンに到着し、喫茶店シュガーを目指していたその頃――。


「すみません! こちらにAランクデリーターのレオンさんはいらっしゃいますか!」


 シュガーの入り口に立てかけていた板を激しく叩く音と、胸焼けどころか全身焼け尽き、全焼状態のレオンを呼ぶ声がした。


「……。……ハッ!」


 パフェにより意識レベルが低下していたレオンだったが、己をデリーターとして呼んでいる声を聞き、我を取り戻した。

 慌てて返事をするとバタンと板が倒され、店の中に人が入ってきた。


「緊急クエストが出ました! 協力を要請します!」


 レオンを尋ねてきたのはこの街に馴染むチェリーピンクの髪の少年。

 娘達が黄色い声を上げそうな整った容姿をしているが、キャンディタウンのギルド職員でBランクデリーターでもある。

 レオンはキャンディタウンに着いた際ギルドを訪れていたので、滞在していることは知られていたのだろう。

 数少ないAランク以上のデリーターは貴重な戦力となるので、キャンディタウンのギルドマスターより指名の依頼が来たようだ。


「分かりました。クエスト内容は?」

「すみませんが時間がありません。向かいながら説明させて頂きます!」


 説明時間を省くほど緊迫しているということを理解したレオンは頷き、成り行きを見守っていたパトリシアへと謝罪した。

 まだパフェは三分の一ほど残っているが、完食は出来なくなってしまった。

 決して「助かった!」とは思っていない。思っていないのだ。


「申し訳ありません。まだ食べている途中ですが……急を要するので。ご馳走様でした」

「は、はい!」


 レオンはパフェにしては多いお代を置き、グラスに残った水を流し込む。

 パトリシアのお代はいいという声が聞こえたが、「取って置いてくれ」という意味を込めた微笑を向けると、そのまま現場へと駆け出した。

 残されたパトリシアはレオンの微笑を受け、顔が林檎のように真っ赤になっていた。


「はう……」


 パトリシアは身体を溺れさせてしまいそうな程溢れてくるトキメキを抑えるため、息を吐き出しながら「美形は動作も美しい」と心底思った。

 そして熱くなった頬を両手で挟み、叫んだ。


「やっぱり好き!」






 一人の少女を罪なほど完落ちさせてしまったレオンは、迎えに来た『ルト』と名乗った少年から緊急クエストの詳細を聞いていた。


「キラーアントが発生しました。数は現在確認されている数が二十。キラーアントにしては少ないのですが、変異種のメタルキラーアントがいるのが確認されました。更にクイーンもいるようです」

「それは厄介ですね……」


 キラーアントは人と同じくらいの大きな蟻で肉食。

 凶暴な上群れで動くことが特徴だ。

 今回確認された二十という数はキラーアント討伐クエストとしては少ないがこれから増える可能性もある。

 そしてキラーアントのみの討伐ならそれ程難しいことではないが、『メタルキラーアント』と『クイーンキラーアント』がいると難易度が跳ね上がる。

 キラーアントの身体は固く物理耐性があり、物理攻撃を30%防いでしまう。

 それがメタルキラーアントとクイーンの場合は倍の60%物理攻撃を防ぐ上、厄介な精神異常の攻撃を使うのだ。

 メタルキラーアントは混乱、クイーンは魅了。

 これらの対策が必須となるのだが……。


「回復アイテムはかき集めましたが、足りるかどうか……」


 レオンの考えていることを先読みしたのか、ルトが重々しく呟いた。

 レオンの魔法で毒も精神攻撃も回復させることは出来るが、それを周りに施しながら戦うのは魔力消費が激しすぎて無理がある。

 集まったデリーター達の実力が分からない今はなんとも言えないが、レオンの魔法が重要な鍵となる戦いになることが予想出来た。


 また黒髪のあの娘が現れてくれないだろうか、とレオンは思った。

 それはもちろん『力を与えて貰うことで魔物を倒すことが出来る』という考えなのだが、頭のどこかにはそれ以外の理由も浮かんだ気がした。


『あの子に会えたら……あの子の前でなら頑張れる』


 何故そんな想いが浮かんだのかレオンは分からなかったが、緊急クエストの出た危険なところに少女が現れて欲しいなどと考えるのは外道だと己を恥じた。

 今はただ、これからの戦いに集中しようと意識を前に向けた、その時――。


「……え」


 レオンの視界の端に『あの子』がいた。

 以前見たエプロン姿ではない。

 シンプルで真っ白なワンピースがよく似合っている。

 火山でははっきりと分からなかった顔がよく見えた。

 幼さを感じる見慣れない顔つきをしているが、そっと心を満たしてくれる野に咲く花のような愛らしさを感じた。

 何よりも惹かれたのはオニキスのような黒い瞳。

 それはレオンに向けられていて……。


 目が合った瞬間――あの子がふわりと笑った。


「……っ」


 レオンの足は思わず止まりそうになり、身体が少し傾いた。


「レオンさん? 大丈夫ですか?」

「あ、ああ……」


 併走していたルトはレオンが躓いたのだと思いスピードを落とそうとしたが、レオンがそれは必要ないと足を速めた。

 あの子がいた……あれは幻か? と内心大焦りだが、今は緊急事態なのだと自分を律した。


 だが……騒ぎ出した胸が中々静まらない。

 あの黒い瞳が――笑顔が頭から離れない。

 どうしてあんな風に笑ったのだろう。

 レオンには喜びに満ちた笑顔に見えた。

 まるで、出会ったことを待ちわびてくれていたような……。


 今すぐに確かめに行きたいという衝動が沸き上がってきたが、それを必死に抑えた。

 隣にルトが居なければ引き返していただろう。


「急ごう」


 レオンが自らに言い聞かせるように呟いた。

 早く倒して戻って来よう。

 頼むからこの街に留まっていてくれ、とレオンは願った。

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