第8話 ギルド・バブルマーシュ

 レオンと別れたグレンは、依頼を受けていたギルドへ報告するため、広い湿地帯を歩いていた。

 質の良いお気に入りのブーツは水分をちゃんと防いでくれているため中が湿ることはないが、時折現れる泥の一帯が足に負担を掛けていた。


「……やっと着いた」


 面倒な場所にありやがって、と毒づきながらも歩き続けたグレンの前に大きな泥沼が現れた。

 目指すギルド・バブルマーシュはあの泥沼の底にある。


「疲れたなあ。クソ、普通のショコラケーキが食いてえ」


 目の前まで辿りつくと、いつものように沼はボコボコと沸騰しているような泡を吐き出していた。

 この泡の原因は沼の底にあるギルド・バブルマーシュが原因だ。

 バブルマーシュの建物はドーム型の空気の膜に被われているのだが、そこから漏れた空気が泡となり、頂上へと上がって来ているのだ。


 沼底にある建物内に入るには『ワープ』が必要だ。

 ゲームでは誰でも簡単に多用していたワープだが、現実となったアスティアナでは一部の者しか使えない。

 その『一部の者』とは、ゲームのストーリーの中でワープを使うシーンがあったNPCだ。

 このバブルマーシュのギルド長であるカゼキリもその一人である。

 ギルドへ入るには、カゼキリのワープで中に呼んで貰わなければならない。


「おーい、カゼキリ。来たぞ」


 グレンが沼に向かって叫ぶと、沼からぬおっと大きな黒いものが浮かび上がって来た。


「よう、マーブル。元気か?」


 黒いものはグレンに声を掛けられると水面から顔を出した。

 それはグレンの三倍程の体長を誇る鯉。

 カゼキリの連絡係だ。


 鯉はグレンの前までぬうっと移動すると、嬉しそうにブンブンと大きなヒゲを動かした。

 鯉はグレンのことを気に入っている。

 それはグレンが鯉を『マーブル』と呼ぶからだ。


 今見えている身体は黒いが、胴には白が混ざっている。

 それがグレンにはチョコレートとミルクが混ざっているように見えたので、マーブルと呼ぶようになったのだが、当人……いや、当鯉はそれをいたく気に入ったらしい。


 ギルド・バブルマーシュに行きたい者はまずこのマーブルのチェックを受け、合格した者だけがカゼキリに招待して貰える仕組みになっているのだが、グレンが来た場合は非常に速やかに事が終わる。


「中に入りたい。カゼキリに知らせてくれ」


 グレンがそう言うと、マーブルは気合を入れたのかヒゲをピンと張り、黒い頭を沼に沈めて底へと向かった。

 余程張り切ったのか潜ったと同時に尾が水面から上がり、泥をまき散らして行った。

 その泥はグレンを直撃したがマーブルに悪意は無く、むしろ早く知らせてあげようという善意だったことが分かっているので怒ることは出来なかった。

 グレンの高性能で値段の張るブーツの中に泥が溜まったが気にしない。気にしないのだ。


 グレンが震えながら拳を強く握りしめていると、ドーンと大きな地響きがした。

 マーブルが底にある空気のドームにぶつかった震動だ。

 これがカゼキリに「客が来ているわよ」と伝えるマーブルの連絡方法なのだ。

 グレンはいつかギルドが壊れるんじゃないかと危惧している。


 グレンが顔にかかった泥を拭っていると、足下から蒼白い光が伸びてきた。

 カゼキリがワープさせてくれるようだ。

 光が強くなったため一瞬目を閉じたが、瞼を開くとそこはもうギルド・バブルマーシュの中だった。


「グレン。お疲れ様。クエストが終わったか」


 沼底にあるギルドだが建物は木造。

 クエストの受注受付をしているカウンターも、情報交換などが行われるロビーにあるベンチも全て木製だ。


 声を掛けてきたのは、その木製ベンチの上で寝転がっている男。

 バブルマーシュのギルドマスターであるカゼキリだ。

 ギルドマスターとは職員を纏める長で責任者。

 それがロビーでダラダラしているなど他のギルドでは考えられないが、バブルマーシュにはそれを気にする者がいない。

 何故ならカゼキリ以外には誰もいないからだ。


「相変わらず閑古鳥が泣き叫んでいるな」

「そうかな? オレの耳にそんな声は聞こえないが」

「鳴き過ぎて喉が引きちぎれてしまったのかもしれないぞ」

「なるほど。だから静かで眠るには最適なのだな。可哀想だが都合が良い」


 軽口を交わすと、カゼキリは怠そうに小さな身体を起こした。

 カゼキリはグレンよりもずっと年上なのだが、今は十代半ばの少年のような姿だ。

 本人は『省エネモード』と言っている。

 この世界には獣の特徴を持った亜人と呼ばれている人達がいるが、カゼキリには鷺という鳥の特徴がある。

 黒髪が少し混ざった白髪、腕には腕輪のように風切羽が生えているのだ。


「お前も相変わらずだな。『ギルドマスター』?」


 グレンは寝癖のついた髪を見て、皮肉を込めてカゼキリを役職で呼んだ。

 カゼキリはそれにニヤリと笑って応えた。


 ワープでしか出入りの出来ないバブルマーシュはいつも開店休業状態だ。

 だがクエストは存在しているので、競争相手がいない分選び放題。

 レアなクエストも発生したりするので、上級者デリーター達には『知る人ぞ知る』なギルドだったりする。

 そしてカゼキリもダラダラしている少年にしか見えないが、世界中のギルドマスターから一目置かれている人物だ。


 ギルドは『魔物と対抗するための組織』という認識がされていて、基本どのクエストも何かの魔物を退治するという内容になっている。

 これはこの世界の元となったアスティアナ・オンラインのゲーム仕様のままだからなのだが、『現実』となると支障が出てきた。

 例えば魔物でなくても危険な生き物はいるし、様々な事情からデリーターになるしかないが魔物を消す力がない者がいたり、上ランクのデリーター達が活躍しすぎて下に仕事が回ってこなくなったり……等々。

 そういった問題を解決するため魔物を倒す以外のクエストを始めるよう提案し、その制度を整えたのがカゼキリなのだ。


「さて、依頼達成の手続きでもするか」


 本来は一般職員が行っている業務をしようと歩き始めたカゼキリをグレンは引き留めた。


「そんなことより、お前の耳に入れておきたいことがある」

「……ほう?」


 グレンの雰囲気から面白い話が聞けそうだと悟ったカゼキリは、美味い酒の置いてある私室へと歩き出した。






「ダグラスがアッパーパンチ一発でサラマンダーを昇天、ねえ? その原因はケーキだって?」


 革張りのソファに深く腰掛けたカゼキリは、滅多手に入れることの出来ない蒸留酒『邪龍殺し』を杯になみなみに注ぐと、一気にそれを喉に流し込んだ。

 アルコール度の高い酒を幼さが残る少年が平然と飲む光景は何度見て見慣れないとグレンは思った。


「嘘ではないぞ」


 カゼキリに負けずグレンも邪龍殺しを喉に流し込んだが、ホットショコラの方が美味しい。


「分かっているさ。で、当のダグラスはどうした?」

「原住民化した」

「は?」

「いや、冗談だ。火山の麓にある集落の居心地が良いようでな。しばらく滞在するそうだ」


 グロキシア火山麓の集落は魔法に頼らない自然と寄り添った生活をしていることを思い出したカゼキリは、クエスト後には派手に遊ぶダグラスらしくないとは思ったが、藪は突かないことにした。


「ストリップは御免被るが、能力のアップというのは魅力的だな」

「ああ。ストリップは死んでもしたくないが、ケーキを食べるだけであれほどの強さを手に入れることが出来たら……。魔物による犠牲者を減らすことが出来るだろう」


 Aランク、Sランクのデリーターは全体の一割程度だ。

 だが、強い魔物は場所を選ばず現れるため、Bランク以下のデリーター達で対応しなければならないことも少なくない。

 そういった場合は必ず負傷者、最悪の場合は犠牲者が出る。

 だがあのケーキがあれば、Bランク以下のデリーター達でも強い魔物に対応出来ることになる。


 グレンには上級魔物討伐の緊急クエストに駆けつけたが間に合わず、Bランク以下のデリーター達が犠牲になっていた、という体験も幾つかあった。

 犠牲になった者達の家族が悲しみに暮れる光景も目にしてきた。

 あれを少しでも減らすことが出来るのなら……。


「あの子ともう一度会いたい」


 能力が上がるのはケーキだけなのか、あの場にあった全ての洋菓子がそうなのかも分からない。

 そもそも、能力が上がった原因が本当にあのケーキなのかどうかも分からない。

 能力が上がるとしても、大きすぎる効果を悪用しない、されないような対策も必要だが、とにかくあの子と話をしなければいけない。


「そうだな」


 グレンの言葉に頷きながら、カゼキリは次の言葉を紡いだ。


「グレン。クエストを出す」

「クエスト?」

「依頼者はオレだ。その娘を連れて来てくれ。居所を突き止めるだけでもいい。とにかく、オレとその子が話す機会を作って欲しい。信用出来る者しか招かないこのバブルマーシュでの特別クエストとしよう。クエストランクは『B』で様子を見る。受注受付の人数制限は設けないが、情報は制限する。まずはお前が引き受けてくれるか?」

「分かった」

「よし。オレも出来る範囲で動いておく。何か分かったら知らせよう」

「頼む」


 久しぶりにまともに仕事をする気になったカゼキリは邪龍殺しを片付けると、薄らと埃の溜まった仕事机と向かった。

 アスティアナにはクエスト処理をする装置がある。

 クリスタルで出来たファンタジー版パソコンと言えるようなものだ。

 それを操作していたカゼキリは、ホログラムのような画面に並んだ文面の一カ所に目を止めた。


「お?」

「何かあったか?」

「キャンディタウンに緊急クエストが出ている。キラーアントが湧いたようだぞ。その中にメタルとクイーンもいるようだ」


 その言葉に思わずグレンの眉間に皺が寄った。

 キラーアントだけならCランクデリーターでも対応出来るだろう。

 だがキラーアントの亜種であるメタルキラーアントと、進化形のクイーンキラーアントはBランクデリーターが一対に三人はいないと厳しいだろう。

 出来ればAランク以上で対処したい相手だが、キャンディタウンは安全で観光がメインの街なので、高ランクのデリーターがいる可能性は少ないように思えた。

 目の前にワープの出来る便利な男がいることを思い出したグレンは、キャンディタウンに送ってくれと頼もうと口を開いた瞬間、もう一つ大事なことを思い出した。


「キャンディタウン? レオンがいるじゃないか!」


 グレンの言葉に、今度はカゼキリが眉間に皺を寄せた。


「全く、あの坊ちゃんは……。グレン、ワープさせてやるから様子を見てこい。……いや、オレも行こう。回収して城に放り込んでやる」


 カゼキリは立ち上がり、ワープを発動した。

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