愛の章

食べ物は心と体に必須な物です。

次は愛の章。

彼女は愛情を知りませんでした。

自分が愛されないのは醜いため。醜いのは太っているため。

それは世間一般的に誤認識です。

誰もが愛される権利があります。もし、本気で自分には何の価値も無いと思われるなら、自分を大切にしているであろう方々に聞いてみるといいのです。

愛も圭もバカな子でした。

柳沢愛は1日6回以上体重計に乗らないと気が済まないぐらい自分の体に納得がいきませんでした。

1キロでも減らすため、極力糖分を摂りませんでした。

年齢21。身長165センチ。体重39キロ。

この数値を見たら一目で病気なのが直ぐに分かります。

拒食症。

医師はカロリーのある物を勧め、愛はそれをことごとく拒みました。医師の悪意に驚きました。自分は太っているのに、何故より醜くさせたがるのだろう。愛の目からすると医者は何よりも恐ろしい悪魔でした。


8月5日、蝉の抜けがらが木から落ちるように彼女は命を落としました。


私は愛が何に拘っているのか気付きました。蘇らせるべき人間と判定しました。

圭と違って愛は父子家庭でした。

父親が小さな会社の社長であることが私の慈悲を請います。私の父も同じ居遇でした。私が消えた時、父は嘆き悲しみました。

私は愛に自分を重ねました。

勝手な人間らしさは狐になっても備わるようです。人間は霊長類と言いましたね。私は哺乳類より霊長類に近いのでしょうか。嬉しいかもしれません。


愛の体重が日増しに減っていったのは、単純な失恋からです。

成瀬勇気という傲慢な男に熱愛した柳沢愛は毎日彼のことしか考えていませんでした。彼と持つ幸せな家庭。彼の力強い身体の中で安眠する自分。彼との子供の可愛さ。

成瀬勇気はサッカー選手でした。彼からしたら、愛は自分に惚れた煩い女の1人でした。

だからでしょうか。BMIピッタシの愛が告白した時、成瀬はこう言いました。


「お前みたいなデブと話す時間はねえよ」


魔法の言葉でした。

愛の頭の中にガンガン響いてその身を逃しません。

愛は太っていると思い込んでいる自分への自己嫌悪を成瀬勇気への愛とすり替えました。

最初は甘い物と揚げ物を避ける程度でしたが、少しずつエスカレートしていき、最後には1日グミ3つ程度になりました。

周りの人間は悪くありません。

特に父君は何度も病院に連れて行き、愛にもっと食べるよう懇願しました。

愛の心が死んでいなければ、聞き入れたでしょう。もうどんな言葉も彼女の耳に入りません。成瀬勇気が食べ物を差し出せば変わったでしょうか。私には、それも違うように思えてならないのです。


彼女の骸骨姿を操り、病院の寝室で起き上がりました。

--柳沢愛。貴女は一度死にました。

チリーンと安らぐ鈴の音が鳴り響きます。

「私、今まで何を…」

再び鈴の音がし、愛は頭を抱えました。

「夢?でも、何が夢?私、太ってない?」

私は冷たく突き放すように告げました。

--聞き分けの悪い子ですね。馬鹿げた死因なのです。それより、生きたいですか?

愛はガタガタ震え出しました。

「死んだなんてそんな…私はただ愛しい人にデブと言われたのが辛かっただけなのに」

私は愛のこめかみを揉みました。少しでもリラックスして欲しかったのです。

--生きたいですか?やり直したいですか?私と来ませんか?

愛は少し考えあぐねいていました。

「貴女とならどこまでも」

他人本位の考え方を治すところから始めなくてはなりません。

--私に頼るのはいいです。ただし、私は貴女の元を去るでしょう。覚悟を決めなさい。

「…はい」

愛の声は消え入りそうでした。


私は尻尾を掃除すると理想の体作りに励みました。

ウォーキングマシンで走ると大量の汗が出ます。バストは元々できていました。叩き直すのは根性と美しい体作りです。

私はジム通いしました。

食べるべきものは勢いよく食べます。

愛の父の柳沢郁人は最初、驚きましたが、愛がどんどん健康的になっていくのを喜びました。

カラコンで瞳を隠しながら、私は言いました。

「お父さん、どうしちゃったの?最近、ヤケに機嫌が良さそうじゃん」

答えは知っていました。

「愛、お前が…いや、何でもない」

私は柳沢郁人の肩を軽く叩きました。

「お父さん、気になるー」

バカみたいに幸せそうに笑い合います。

愛の父は嬉しそうに私の頭を撫でます。

「お前が嫁に行ったら父さん、寂しいな」


私は愛が溺愛した人を壊すことにしました。




ヤケに可愛いと噂のチアガールがいる。

俺、成瀬勇気は一目見ようと後藤田萃とチアガールのいる観客席に近寄った。

真夏の太陽の出張が騒がしい。

俺は肩にかけていたタオルで全身の汗を拭った。

大勢のチアガールの中で笑顔で煌めいている女を見て、俺は激しく動揺した。

後藤田が不思議そうに聞いてくる。

「どうかしたか?ゆう」

俺は寒気を抑えた。

「あの茶髪の長髪、間違いない。去年、俺が告白されて振った柳沢愛だ」

後藤田がポカーンと口を開けた。

「あんな美人とお前が釣り合うのか?」

俺は懸命に首を振る。

「去年はあんな女じゃなかった。自信無さげでプロポーションも悪かった」

後藤田が呑気に答える。

「チャンスあるかもよ」

俺は驚きを隠さない顔のニヤケ方をした。

「俺でいいのかな?」

「だって、告ってきたんだろ?」

「あんな美女、直ぐに他の男に取られるさ」

「付き合っておけば、監督の機嫌取りになるぜ」

「ワンチャンありかもな」

俺は呆れた顔をする後藤田を置いて、柳沢愛に詰め寄った。

「おい!お前」

俺を見つけた柳沢愛の瞳が突如赤くなる。

俺は咄嗟に後ずさった。

おかしい。

周りの人間、全てが動かなくなっている。飛んでいた鳥も羽を広げたままピクリともしなくなっていた。

「貴方が私を殺しました」

柳沢が冷たくそう告げた。

俺は狼狽え、真夏の太陽の下で冷や汗をかいていた。

ヤバい。

「柳沢、何言ってるんだ?」

「愚問」

柳沢の姿をした化け物は俺の足を軽く掴んで、木の枝を折るように俺の足をへし折った。

「グガ…ッ!!!!!」

痛みのあまり大学の陸上のコートの上で俺はのたうち回る。

「貴方の存在が邪魔でした。悪く思わないで下さい」

赤目は俺を見下すと長い髪をサラリとたなびかせながら、去って行った。

時がまた動く。

俺の有り得ない方向を向いた足を見た周囲の人間達が焦った様子で口走る。

「救急車!!」

「ありがとう」と場違いな声が聞こえた方を見ると柳沢愛がいた。

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