第15話 幹部の苦悩と救世主
シトラリアの都市部から離れた場所に一軒家があった。そこに住んでいるのは居酒屋を経営している家族である。しかし、実際にはそこの一軒家の地下には大きな地下室があった。中には数十人が入っても十分な空間となっている。隣近所には空き地があるのみであり、外からではこのような構造になっているというのは分からない。
入り口は一軒家の中だけではなく、外の水路から入れるようになっていた。水路の入り口は人通りは少なく、他の通りからは死角になっているために水路に入る所を見るのは容易ではない。
すべて計算づくで作られたものだった。まさか築三十年の家の地下を掘って集会場を作るなんて事を考えるやつはいないだろう。だが、この家の地下の集会場は都市部からの距離も含めると非常に役に立っていた。尾行さえされなければ水路の入り口がバレることもない。尾行者が必ず通らねばならない場所に、見張りとして一日中煙草をふかしている老人がいることを知る者も少ない。
「今日も多くが集まった」
幹部の人間が言った。彼はこの集会場に集まった人間のほとんどから敬意を抱かれているような人物である。彼が一言発しただけで全ての人間が会話を止めた。
「我々、……いや、彼の思想を語ろうというのは間違っていない。だが、本日の昼間に街頭でその主張を間違った形で演説したものが衛兵に捕まった」
幹部の言うことを重く受け止めているのだろう。幹部の左手には一冊の本が握られていた。
「シトラリア領主に対しての要求というのは正当な道筋で行わなければ意味がない。ましてや暴力をもって覆そうという者が出てくるのを彼が望んだのだろうか」
幹部が言う度に集まった人たちは悔しそうに事実を噛み締めた。仲間の暴走を止められなかった悔しさという事と、その思想が都合の良い部分だけを引き抜かれ曲解されるという悔しさである。
「今までのシトラリアと現在のシトラリアは何も変わっていない。だが、我々の心の中には折れない芯ができたはずだ! それを体現させるために、力を用いてしまったら何の意味もない!」
集会場の中は無音と言っても良かった。たまに、誰かがすすり泣くような音が聞こえるだけである。遠くから、水路を流れる水の音すら聞こえるのではないかと思われた。
「もういいじゃないか。ここにいる同志たちはそんな事を考えるような人たちじゃない」
幹部に声をかけたのは、一人の男性だった。
「フレイ……」
フレイと呼ばれた男は大柄な体つきに似合わず、優しく語りかけた。
「お前が必死なのも、皆知っている。それにお前の考えに同調してくれるから皆ここにいるんだ。お前の悔しさも、皆の悔しさも一緒だ。なあ」
集まった人々はフレイの言ったことにそれぞれ頷いた。中には涙を流してまで幹部をじっと見つけている者もいる。
「……ありがとう」
何かが堪えられなくなり、幹部はうつむいた。その背中にそっとフレイが手を添える。
「やっぱり俺じゃ無理です。彼じゃないと」
「大丈夫だ。お前が彼を想うように、みんなお前を想ってくれている。もちろん、それは彼がいたからだということをお前が忘れないからだ」
支えられている。そして、頑張らねばと思う。常にあるのは、一つの教えだった。それを教えてくれた彼は、この集会場には足を運ぼうとしない。
「辛抱強く、訴えていきましょう」
「貴方がいてくれたから、私たちは戦える」
「ありがとう」
集まった人々から幹部は言葉をかけられる。それは自分があなた方に言いたかったことだと、幹部はまた目頭に熱いものが溢れるのを感じた。
シトラリアの現状は悪く、自分たちは革命軍とは名乗っていない。
過激派の一部が呼び出したのは数か月前だった。軍と呼ばれるものは、暴力に直結すると感じた。やめさせようとしたが、その名は洪水のようにシトラリア中に広まってしまった。
「今日集まったのは、他でもない。まずは街頭演説で暴力を訴える奴らをどうにかしようというのを話し合いたい。そして、迷惑をかけてしまったレギオスさん夫婦はまだ無事だということを報告したかった」
レギオス夫婦が無事だという報せに集会場のあちこちで安堵の声が上がった。
彼らにとってレギオス夫婦というのは特別な存在だった。写本を手伝ってもらったのも、彼らに近い存在だったということも関係していたが、そのために捕まってしまった。
駐留軍の将軍とレギオスが知り合いだったというのは幸運で、幽閉はされても害されることはないようである。だが、明日はどうなるかが分からない。
知恵を振り絞りながら、レギオス夫婦の無罪を主張したかった。だが、彼らにはその手段がなく、ズルズルと月日ばかりが過ぎてしまっている。
「各自、割り与えられた項目ごとに分かれてくれ。情報を共有したい」
正直な話、彼らが街頭に立ち、領民に呼びかければ領主を打ち倒す事は可能なほどに彼らはシトラリアに浸透している。駐屯軍の中にも領主の私兵の中にも賛同者は多数した。全て、彼らの思想に賛同してくれ、協力を惜しまない。シトラリアはすでに終わっていたはずだった。
しかし、一人の人間がそれに異を唱えた。正確にはその人物の言葉を幹部が届けたのだ。領民は彼の言葉を無視するわけにはいかない理由があった。
「ヘンリー=ウェスタさん」
幹部が名前で呼ばれた。代表が何人かヘンリーの所にやってきた。
「ウェスタはやめてくれ。俺の家が没落したのはもうずいぶん前の代の事だし、俺はただの大工見習いだ」
幹部と呼ばれていてもまだ若い。しかし、思想を広めるにあたってもっとも尽力を尽くしたのがヘンリーだった。大工の親方だったフレイはヘンリーの事を支える道を選んだ。
一人一人が、自分の生き方を後悔しないように、そして生きる意味を見出せるように。命すら惜しくないと言える何かがあれば、逆にその命に意味が見いだせると言われた時に、ヘンリーは衝撃を受けた。その日は夜遅くまで語り合うしかなかった。
すぐさま、仲間にも同じことを伝えた。意味を理解してくれた人間は今でも近くで力を貸してくれている。人を助けることで、自分も助けられるのだ。
「よし、できることをやろう。そして目の前の事から目をそむけてはならない。毎日の自分の仕事の手を抜いては、意味がない」
苦難を皆で乗り切るのだ。そのためには生きる意味を見出し、自分のために、そして皆のために進む。自然と、いつの間にか同じ道を歩いているはずだ。彼はそう言った。
理想論だと思う。だが、その理想を皆で追うことが必要なのだ。
しかし、このままでは自分たちはいつの日かシトラリア領主と戦わなければならなくなってしまう。こちらから仕掛けなくても、向こうからやってくる日も遠くないのではないか。その時に自分は皆を抑えることができるのだろうか。
力が欲しい。だが、それが暴力であってはならない。カリスマ性というものをもった強い指導者が必要だった。だが、彼は絶対に首を縦に振ることはないだろう。じゃあ、誰が……。
苦悩するヘンリーのところに、吉報が届いたのはその直後である。仲間の一人が耳打ちをした。
「ヘンリー、会わせたい人がいる」
「誰だ?」
「……レギオスさんの息子、アークだ」
***
「とりあえず革命軍に加わろう」
「はぁっ!?」
「そして、最終的に革命軍はネミングを止めたいのであって、王国は、むしろ守りたいという方向にもっていくと言うのが計画だ」
「…………めちゃくちゃだ」
だが、成功してしまえば王国の駐屯軍と革命軍の衝突を避けることができるだけではなく、その罪を全てネミングにかぶせることができる。
あらためてアークを敵に回してはならないとザハラが思うのは、あまりに突拍子のない発案にも関わらずそれを言ったのがアークである限り実現してしまいそうだからだった。
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