第10話


「――――三日、後。かなたち、くの、崩れた建物で」

 唐突に―――単純に発された言葉。窓枠の外に、その姿は今宵こよいも白くそこにある。現れてたった一日。それだけではるかに聞き取りやすい発声を取り戻していた。

 場所を伝えにきたのだと切り出したセリフでわかる。

 振り向いてそこに居たのには驚いたが、驚くのにも慣れて普通に対応ができた。

――奏立かなたち区か?」

 確かあそこには駅の裏の少し離れた位置に廃ビルがあったはずだ。崩れた、ビル。

「灰色の、古い建物」

「廃ビルの事だろ? 駅のそばの」

 はいびる? 首を傾げて、流れた白い髪が顔を覆う。そうかこいつには、こっちの世界についての知識がそれほど無いのかもしれない。ほとんど――ひょっとしたら、全く。

 どちらにしろ、くればわかると、白の死神―――はくは曖昧に表情を崩した。

 まあそうだろうと杜若かきつばたも特に心配せず応じた。

 元からと、別の場所から。その気配の違いは、最初からそこにいると知っているのなら探し出すのに苦労はしない。

「そこで、情報をもらう」

「……わかった」

 了承したよ。杜若は確認のため、もう一度繰り返して欲しいと言った。

「三日後、かなたちくの崩れた建物で、情報をもらう。それまでに用意してほしい」

 三日後―――今週の日曜日、か。

「その時に、まじないは解く」

 両腕から首、そして胸にと順番に指が向く。それに。

「―――流下ながしたつばきにあわせる」

 ほんとうの、流下つばきに。薄の言葉に杜若は頷いた。

「わかった、それでいい」

 それならよかったと微笑んで、白の死神は窓枠にもたれた。リラックスした様子で頬杖をつきこちらを見やる。今の姿は、十歳から十二歳くらいだろうか。どこからどうみても、子供の姿にしか見えない。なのに。

 ―――危険。

 酷く不安定で―――封印されていた。

 いわく、間接戦闘最強の死神。

「なあ」

 杜若の声に薄は瞬きを返す。

「お前、どうして逃げ出したんだ」

 たずねた理由は分からない。ふと口をついた質問に、薄は今一度瞬きをしてから答えた。

「外には、しろとくろの生き物、がいるときいた。それが見たい」

「白と黒の生き物……?」

「そう。だ。だんぱとか」

「……パンダ?」

「そう、かな?」

「シマウマとか、バクとか……牛とか?」

「ん? ……わからない。でも、居ると聞いて、みてみたく思った」

 そう言って、遠くを見るように細めた目を輝かせる。

「いろいろなところを見たいと思ってた。ずっとそう思ってて、外にでて、それがもっと強くなった」

 それがずっと、確かになった。

「もっと他のところも、見たい。まちにいるひと―――他の生きものもいろいろ。そういうのが、みたい」

 一転して苦い表情で。苦く暗く、まるで照明が消えた顔つきで。こちらに向かって笑みを作る。その姿が杜若と全く同じ年頃まで成長していた。

「それだけなんだ」


 杜若は言葉を失う。たん、と軽い足取りで立ち上がり、白の死神は声をかける。

「それじゃ、みっか後、その、はいびるで」

 唇を柔らかく曲げて、少年姿の彼は言う。

「愉(たの)しみにしてる」

 かききえた姿を複雑な思いで追って、杜若はベッドの上にゆっくりと座った。彼のたったそれだけの理由を、頭の中で反復した。


 ※


「……はーとばー」

 鳩羽はとばぁー。おい早くしろよーと門の前でひかえめに呼ぶ。これじゃ聞こえないかもしれないが、聞こえても問題があるのでその辺は気分の問題というか、微妙なところである。

 ああも威勢よく言ったくせに、鳩羽はこのところ同じ班の仲間と共に命令に忠実に、大人しく行動している。手がかりは一切無しで、結果、進展も無しだ。

 ………くろがねさんを疑うわけじゃないんだけどさ。褪衣さえにとっては少々めんどくさくなってきたのも事実である。しかし常に数人で行動する以上、様子のおかしい鳩羽の心配がいらない点では安心できる。

「つーか……結構そろそろ本気でやばい感じじゃねーの?」

 いつもよりもかなり時間が過ぎたはずだ。何やってんだよ鳩羽。落ち着かなくてそわそわ足踏みをしてみる。やむにやまれず、危険を承知で名前を呼ぶ声の音量をあげる。以前見つかった時は、窓からバケツいっぱいの水をぶっかけられたのだ。

 集合の時間に遅れたら、どつかれるっつーのに。担当じゃなくて仲間にだけど。捜索を許可された選抜メンバーなだけに、皆なんと言うか、それなりの性格をしている。

 その場でしばらく呼ばわってみたが、反応は無く時間が過ぎるばかりである。腕組みをして考える。建物を見上げて、こんなことをしているのが見つかったら、鳩羽がやばくなるのが分からない訳ではないが。

「ほっとくわけにもいかないしなー」

 思案の結果、褪衣は門に手をかけた。いい加減余裕もなくなってきている。いち、に、さんで体を引き上げ、門の上に膝をつき―――、片膝立ちのかっこうで、さてどうするかと次の行動を考える。その時、扉の横の窓から細い手が出ているのが見えた。上下に揺れて、手招きしている。

 褪衣はするっと立ち上がって門に繋がる柵の上を中腰で渡って、手の出ている窓の正面まで移動する。かなり細い腕に、それに見合った小さくて薄い手のひら。懸命にこちらに向かって手招きしているが、奥が薄暗くなっていてその持ち主は確認できない。褪衣はためらわず膝を曲げて窓に向かって飛び―――。

 酷い音がした。思ったより高く飛びすぎて窓枠に額をぶつけ、落っこちて窓のさんで胸を打つ。胸から上だけが家の中に進入した形で、褪衣は窓から突っ込んだ腕を突っ張り、落ちないように体を支えた。

「いってえ!」

「しっ!」

 思わず小さく叫んだのをさらにかすかな声で制しながら、さっきまで手招きしていた小さな手が、腕をつかんで体が安定する位置にまで引き込もうとする。しかし、いかんせん力不足だ。褪衣も身をよじって協力し、腰の辺り、体の半分ぐらいまで中に入ったところで手が離れた。

「……これ以上中に入ると、術が反応してしまいます」

 苦しいでしょうが、どうか我慢なさって下さい。丁寧な物腰に口調。幼いながらも、凛とした立ち居振る舞いの少女。意志の強い瞳。硬く唇は引き結ばれ、その顔は薄く青くかげっていた。

「……あ? あ、ありがとさん。しかし、入れないってーことは、俺どうすればいいわけ?」

「申し遅れました、私、鳩羽姉様の小間使いの殊守しゅすでございます」

 への字に折れ曲がった形の褪衣に向かって、ごく自然に会釈して話を進める。

「褪衣様のお話は姉様からうかがっております。ですが、鳩羽姉様なら……もう、おられません」

「はあ?」

「私が、お部屋に窺った時にはもう、からっぽで。鞄もなくなっておりました。多分、もう出かけられたのだと」

「そりゃないぜ!」

 あっけにとられて褪衣はつい声を大きくした。こっちに向かって、静かになさってと慌てて手を振る殊守に気付いてぼそぼそ喋る。

「何で今日に限って……? 俺、何にも聞いてないのに」

「私も不思議に思ったんです。いつも、行くときは褪衣様と一緒なのに……」

 御願いです。焦った顔つき、見開いた目は怯えに震えて。殊守は小さな手を必死に握り締めていた。

「あ、あの」

 こんな時に、何を言うのかと思われるかもしれませんが――。殊守は迷うように手を組んで、顔を伏せた。

「何だよ」

「……鳩羽姉様は、初めて会った時から私をかばってきて下さいました。最初の頃は失敗も多くて、まとめ役からも叱られていて。叩かれるのを守って下さったこともあります」

 そんなことをすれば、ご自分が罰を受けることになるのに。

「心配なんです。他はいつもと、何にも変わらないのに」

 不安なんですと今にも泣きそうに声を震わせて、殊守は手を握り締めた。

「御願いです。鳩羽姉様を探して下さい」

 思い過ごしかもしれないけれど。何だか、怖いんです。

 褪衣は話を黙って聞いて、涙をこらえて俯く少女に向かって声をかけた。ただ、少しいつもと違うだけ。それは別に不思議なことじゃない。ただの気まぐれかもしれない。でも、それがということになると。

 彼女なら不必要なことはしないはずだし、それによって何が起こるかも知っている。

「わかったよ。俺に任せろ。絶対見つけてくるから」

 そう言って安心させてやって、窓からずるずる滑り降りると柵をよじ登って道に下りた。

「ったく……何だよ。心配かけやがって」

 らしくない。呟いて頭をがりがりかいて、それから勢いよく褪衣は地面を蹴った。鼠色の長衣が翻(ひるがえ)った。


 ※


「弟さんですかー?」

 そんな声に振り向くと、あくるが「そんな風に見えます?」と照れたように答える最中だった。

「姉弟で買い物なんていいですねー。弟さん偉いなー」

 語尾を延ばして笑う店員の女性に違う違う違いますと否定する。

「じゃ、ひょっとしてコイビト?」

「まままままさかぁ!」

「やだぁ、違いますよ」

 

 そんな風に否定するのもこれで五回目だった。

「杜若君も何か買いません?」

「いーやー、いいよ。浮いちゃうってこんなの着たら」

「そう? 似合うと思うよー?」

 いえ、マジで遠慮します。そうやって断り、壁にもたれている。もうどうにでもしてくれ。明と女性店員は歓談していて杜若はそっちのけだった。弟だろうが何だろうがもう好きなようにしてくれという気分だった。付き合いきれない。小さく溜息をついて杜若は足の間に紙袋やビニール袋を挟んで、手元の天下一品五巻のページを繰った。

 どうやら交渉が成立したようで、明は大振りの紙袋を一つ肩にかけて上機嫌でこっちへ向かってくる。

「お待たせしました。杜若君」

「ん、どういたしまして」

 持とうか? これぐらいなら大丈夫ですよーとやり取りして、店の外へ出る。道はそれなりに混雑していた。今日も日差しが強い。明はレースの縁取りがついたワンピースにおしゃれな麦藁帽子を被っている。爽やかなよそおいだ。だが、全身真っ黒なのはどうなのだろう。ねえ、俺、黒い麦藁帽子って始めて見たよ。出掛けに見たときはかなり心配したのだが、妙に似合っていてそれほど目立っていないのが幸いだった。

 杜若より先行して、辺りを見回していた明が声をあげた。

「あ、あそこ! 村雨むらさめさんが仕事しているはずですよ!」

 行ってみましょうと誘われて、人通りの多い道路に面したビルの一角、ガラス張りのスペースにできた人だかりに連れて行かれる。隙間を縫(ぬ)うようにして二人は前に出られた。中では機材に囲まれて、対面した二人がマイクに向かって会話をしている。新曲をPRしに来た若手歌手と、ラジオパーソナリティ。つまりは司会者のおっさんだ。

 その外で、汗を流して片付けなどしているのが村雨である。メモを片手にスタッフと会話しているようである。村雨さーんっ、と明が声をかけて手を振ると、こっちに向かって手を振り返してきた。

「明ちゃん、杜若君!」

 二人は作業中の端っこの方に招かれ、目の前で村雨は首にかけたタオルで汗を拭いた。

「買い物途中?」

「そうなんですー。あ! 村雨さんの欲しがってた物、ちゃんと買えましたよ」

 ミュールとブラウスと、と紙袋の一つを開けて中身を見せると、きゃー明ちゃん愛してるっ! なんて叫んで抱きついた。

「嬉しい。あっでもごめんね、私今仕事中だから、あんまり話もできないんだけど」

「いいですよー」

「こっちこそ忙しいときにごめん」

「それじゃ、頑張って下さいね」

 そう言って、手を振って別れる。

 村雨はあのおっさんの下で、今まさに修行中である。ラジオ。聴くことの修行の一つだ。

「残念ですね。本当は一緒に買い物できればよかったんですけど」

「しかたないよ。村雨、仕事中だし」

 そうですけど、と不満そうな表情。

「でも、そうですよね。村雨さんしっかり仕事モードでしたもん」

「ああ、に変わるやつね」

 ちなみに口調も微妙に変化している。そういう使い分けも必要になってくるわけだ。

 それよりも、杜若にとってはこっちの方が疑問だった。中学生と少なくとも大学生くらいの女性で、女性(年上)の方が敬語。一体はたから見たらどう見えるのか。

 敬語なんかいいよって言うのに、ずっと直さない。こっちの方が楽なんですよ。慣れてるんです。そんな風に出会ってすぐの中学生の時から。それにも意味はあるんだろうか?


 ※


「それじゃ、ありがとうございました」

 杜若が持っていた紙袋とビニール袋は明の肩に移っている。長い黒髪を揺らして、明は紙袋を肩にかけなおした。

「杜若君が一緒に来てくれるなんて思わなかったから、すごく助かりました。感謝です」

「どういたしまして。でも、俺もどうせこの辺用事あったしさ」

「じゃあここでお別れですね」

 駅前広場の端、ベンチの前で向かい合って。

 荷物、コインロッカーか何かに預けたらどう? そう聞くと、どうせこのまま仕事行くから大丈夫ですと返事があった。

 仕事道具は全部、それこそどこかに預けてあるのだという。

「ん、じゃ……」

 背中を向けて踏み出して、足が止まる。明はそのままで言った。

「――――間に合う、かな―――」

 振り向いて顔を見せる。視線を絡めて、頬を緩めて。声色が違う。

「  さかしき獣が走り出す  

   その足取り早く

   翼を持つものを追い詰める

   間に合えばそれは鍵だ

   少なくとも失うことは無いだろう  」

 それだけ呟いて、杜若の顔に浮ぶ疑問の色にはこたえずに、明は少しだけ不安そうにした。

「杜若君、いろいろあるだろうけど、無理しないでね。頑張って。きっと、いい方に行くよ」

 それじゃ。たっと駆け出す。肩にかけた鞄の取っ手にキーホルダーが輝いた。ピンポン球ぐらいの水晶球。黒尽くめの姿が人込みに溶ける。

 その姿を見送って―――杜若は歩き出した。やられた気分だった。さすが占い師。こんな時まで、常に備えているとは。意味はわからなくても、とりあえず背中は押された気がした。


 ※


 広場からほど近いファーストフード。よくあるチェーン店、その二階が待ち合わせ場所だ。ほどよく混んだ店内をさりげなく通り抜けて階段に向かう。上がって、フロアを見渡して。何だか様子がおかしい。二階フロアは、異様に落ち着きのない雰囲気で満たされていた。客の大多数がきょろきょろと視線をさまよわせている。そして、その視線の集中する先―――。不審に思った杜若も、その視線の先を追って気がついた。体が硬直する。

 その原因は、視線に動じていない数少ない客の内の二人であった。


 一人は冷房の効いた店内だからこそ、その格好でも平気なのだろうと思われる、つまり外に出たらどうするんだと聞きたくなるようなフリル満載のロリータファッション。しかもゴスロリと呼ばれる部類でこれまた黒尽くめなのだが、ポイントに入っている白のレースがいやおう無くその姿を引き立てる。

 もう一人は赤いミニスカートにガーターベルト。肩を露出したキャミソールに、足元には底厚のロッキンホース。腰まで届く激しく染めた派手な金髪に、びょう打ちのブレスレットが腕にはまっている。キャミソールにもスカートにも、破壊されたような加工がほどこされている。パンクロックの、バンドの人だろうか。

 

 これは。これは確かに。店内の端と端に腰掛けたその二人の姿を見て、客の気持ちを痛いほど察した杜若は、とりあえず店を出ようか迷う。

 が、店の奥でこちらに視線を送っている人物を目にすると、どうにも後に引けなくなった。目印になる野球帽は被っている。その人物はどちらかといえばゴスロリ寄りの席に腰掛け、窓から何をするでもなく外を眺めていた。杜若が空いていた隣の椅子を引いて座ると「遅ーい」とじろりとねめつけた。

「……一応、時間通りに来たつもりなんだけど」

「ヒマだから、二時間前から待ってたの」

「………」

 それってそっちの都合だろ?

 まぁいいや。しかし彼女はあっさり話を切り替え、理由をたずねた。

「ケンさんがねー、この番号からかかってきたら、絶対話聞いてやれって」

 杜若より一つか二つ年下に見える少女だった。制服姿だったが短いプリーツスカートに着崩したシャツと、その下に着た蛍光色のTシャツで真面目な印象はほとんど無い。

「お前らその力をいい方に活かせって言うんだけどー」

 髪の毛は暑苦しいのか二つにくくって―――腰から銀のチェーンをぶら下げている。そこに不釣合いなプラスチックのおもちゃの刀を絡ませ、下げていた。よく子供が遊んでいるような、日本刀をまねたような見かけで、ラメの入ったシルバーで塗装されている。

 抜き身だが――抜き身であっても何の問題も無い。どう考えても何も切れそうにないからだ。

『戦闘のプロ』

『俺らでも手を焼いていたくらいの、つわものだ』

 この少女が?

 ぎろっと瞳を半眼にして、

「今、うっさんくせーって思ったよね」

 おっしゃるとおり。

 何だよ呼び出したくせにさぁーと一気にふてくされる。

「んじゃーさ、どうすんの? 結局」

「そりゃ……依頼するつもりで来たんだけど」

「ボディーガード? 根性無しだねー。女の子に守られるって楽しい?」

 うっせー。杜若とてこんなに年下だとは思っていなかったのだ。いちいち喋り方がかんさわる。何だかムカついてきた。

 そうは思ったが、ここまで来たのだし八釼の顔を立てるつもりで、一応話の内容と計画を少女に伝える。少女は終始やる気無さそうな顔だったが、それでも適当に相槌をうって最後まで聞いていた。

「と、まあこんな感じなんだけど」

「ふーん。要するに戦闘バトル要員ってことだよねー」

「受けてくれればそりゃ、嬉しいけどさ」

「急な話だよねー。明日かぁ」

 足を組んで背もたれに寄りかかり、空のトレイを目の前にして(二時間前から、だ。とっくに食べ終えていたのだろう)天井を見上げる。

 ま、いっかぁと意外にもオーケーの返事をして、少女は椅子に座りなおした。

「女の子は甘いものが好きで可愛いものが好きで、カッコいい男の子が好き、そんで、バトルが好きなんだ」

 にんまりと口が裂けたみたいに見える意地悪そうな微笑みで、答える。

「決定! 超武闘派最強戦闘姉妹・元野もとのみなり! 参戦してアゲるよ」

 こいつ、ひょっとして物凄いワガママなんじゃ。物言いにあっけにとられて、はあどうも、ぐらいしか答えられない杜若をほっぽって、少女――元野みなりは体をよじった。

「もくっちゃんーっ。ほらぁ、決まったよー」

 後ろに向かって声を掛け、その先で、ゴスロリが椅子を引いて立ち上がった。

 え、ちょっと何マジで。杜若が混乱している間にこつこつと硬い足音でゴスロリは近づいてきて、杜若の隣に腰掛けた! 

 店内の視線のほとんどが一気に集中する。

 フリーズする杜若に向かって、にこりと笑う。装いに反して、非常にフレンドリーだ。小首を傾げる頭には、フリルのかたまりのようなヘッドドレスが乗っているのに。

「元野みなりの姉、元野もくあです。―――よろしくね」

「お、お姉さんですか………」

「そうなの。びっくりした?」

 そりゃあもう、と答えたい。しかしそれでは失礼だ……!

「意外とね、派手な変装をした方が気付かれにくかったりするのよ」

「そうそう! こんな変なカッコしたやつが、ってね」

 片手で口元を隠して囁く。杜若はどうにも、処理能力がパンクしそうだった。肌を焦がすような客の視線に耐えなければならない、ぎりぎりの精神状態を仕事で育てた根性とプライドが死ぬ気で支えている。しどろもどろでどうにか説明を終え、詳しい説明はケータイかパソコンにとアドレスを交換して、その場は終えた。

 それじゃねん、と軽く手を振って連れ立っていく元野姉妹を見送って、店内の視線は一瞬去る元野姉妹を追ったが、その後すぐ杜若に集中したので、もはやこの場を離れたい一心で、早々に退散しようと席をたった。

 深く帽子を被って視線を避け、階段に向かおうとするところで、強く手首をつかまれた。今度は何だ!? と思って振り向くと、息が止まりそうになった。掴んだ手首には、鋲打ちのブレスレット。

 あの、パンクロック!

 化け物に捕まったみたいに叫びかけた。そこで、繋がった。

 派手な変装をした方が気付かれにくい?


 長い、金髪。

 

 まさか。いつもより前髪の間から覗くのは、二つの嵐の瞳。

 杜若は悲鳴を飲み込んだ。


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