第8話

 情報を求めてくる奴を、ないがしろにしちゃいけない。

 はこっちの事情など知らない訳だから、いつだって必要があれば呼ぶ。そういう時は仕事が止められていても、できる限りの対処をする。それは当然認められていて、言うまでも無くルールで、それが基本だ。

 でも。今は無理だ。どう考えても、できない。

 その視線には覚えがあった。


 三百六十度全体を隅から隅まで飲み干すように見下され、今にも手が伸ばされて首筋を摑まれそうなこの視線。いくら集中しても端からかき乱されていくような、幾ら積み上げても端から壊されていくような。寒気がするような冷えた視線。

「――――

 止まない頭痛が、いっそう強く頭を締め付けた。

 白い長衣をまとった姿。それは少年に見えた。杜若かきつばたよりも高い身長。一つか二つ年上で、それなのに浮かべる笑みは妙に幼い。つたないとでも言えばいいのか、まるで笑うことに慣れていないかのような。白い衣白い髪白い肌。一切の色を持たない姿には照らされた陰影だけが残り、瞳だけが唯一鋼のような光を放った。銀色がかった、妙に透き通った瞳。

 この状況ではとても冷静でいられなかった。

 答えろよ。反応は無かった。ただ微笑みを絶やさず、静かに首を傾げた。

「答えろ!」

「この、あいだ?」

 開かれた唇から発されたのは、外見に不釣合いな酷く掠れた声だった。

 わ、からな。いこのあい、だ、とは、なに? 古い金具がきしみ、隙間風が喉を抜けるように鳴る。少年は目を細める。かみ合わない油の抜けた歯車を無理矢理回すみたいな喋り方。一人で考えるようにして、ああと声を発した。

「あ、いに行っ、たこと? きみ、に」

 ちいさいおんなの子といっしょにいたね しにがみもいっしょだった

 不自然に言葉を切り、一言一言をいかにも骨が折れるといった様子で口にする。杜若は歯噛みした。

「………あれも、お前か」

 俺が動けなくなったのは。あの子が危険な目に合ったのは。褪衣が怪我を負ったのは。

 それも全部お前のせいか。

「何の理由があって、そんな事を―――」

 問い詰めようとした杜若を片手で制する。手のひらが晒される。

「よんだのには、理ゆうがある。じかん、をむだには、したくない」

「何、言って」

「じょうほうが、ほしい」

 ――――情報が欲しい。


 それは杜若を呼ぶ理由としては正しい。明確で、それ以上の追求も必要がない。だが。

 ぼそりと杜若は呟いた。「冗談こいてんじゃねえよ」きっとあげた瞳には強烈な光が宿っていた。

「お前にやる情報なんか、ひとっかけらも無いんだよ」

 ポケットからはみ出たストラップを掴んだ。もう片方の指先でカバーに触れ、ペンの位置を確かめた。

 代わりにこいつをくれてやる。

 こっそり忍ばせていた携帯電話と手帳を取り出し、相手に向けた。閃光が飛び散った。構えたペンが真っ直ぐそいつを指し示して、糸が飛び掛かって絡みついた。最適なデータを呼び出し―――し始める。

、決まってるんだ。とっ捕まえて……」

 杜若の右腕に青白い光が巻きつく。携帯から発せられる、火花を散らす青い光。細い、イナズマ。

「事情丸ごと吐いてもらう!」

 稲妻でできた、それは巨大な網だった。白い姿を中心に巻き込んで展開され巨大なドームを形成する。

 捕獲用データ。〝電檻イナヅマノオリ

 特別に登録された実戦用の情報コード。調べるだけが能じゃない。相手の情報を読み取り、それに合わせた戦い方で挑む。戦えないと思ったら、大間違いだ。

 ぼんやりと、そいつは何をするでもなく網に閉ざされていく空を見上げていた。表情から笑みが消え、つまらなそうに銀の目が伏せられた。それから、ゆっくりと顔が持ち上げられて、視線が光の糸と糸との隙間から杜若を射抜いた。

「おそいんだ」

 空気が揺れた。目の前に二つの銀の瞳があった。瞬きの前に網を抜け出し、伸ばされた指が胸に到達する。

「!」

 手を離さないで距離を詰め、極軽く―――突き押されて背後の扉に背をぶつけた。

 細い腕で、圧力などほとんど置かれているだけみたいに感じない。押さえつけられているわけでもないのに、何故か身動きが取れない。

 半袖シャツの胸に染み出すように、と黒い円が浮いた。

 心臓が一つ大きく脈打って、杜若は乱暴にどつかれたみたいに体制を崩した。

「っ、何っ――――」

 見下ろして、白い手を中心に自分の胸に真っ黒に描かれた円が胸に染み込むのを見た。押さえた手から辿って、目が合ってもそいつは無表情に手を離しただけだった。

 足が立たず、ずるりと背中が扉に擦れた。座り込んだ杜若と同じ位置にしゃがみ込み、両手首を軽くつかむ。そして、その手から黒が染み出すように腕を駆け上がり、両腕に巻きつく。そいつは笑んでいた。

 握るのを強めると、めらりと指先で炎が踊った。杜若は叫びかけた。しかし痛みはない。火はすぐに消え、くすぶる輪だけが残される。手帳と携帯電話が順番に手を離れ、床に落ちた。拘束が解かれてもしびれたように力が入らず、杜若の手はだらりと垂れ下がった。

「……っ!」

 動かない。手の、指の感覚が無かった。腕が根こそぎ消えてしまったかのように、伸ばそうとしているのに、携帯にも手帳にも触れない。触れない、使えない。

「あせらないで、いい」

 目の前に立ってみると、かなり痩せているとわかる。余裕の多い服に着られてしまっている。ぴたりと指先が向いた先は、杜若の喉だった。杜若は知らない、最初の会合の際につけた輪。指し示した先から皮膚の内側から染み出すように、呼び出されるように浮かび上がる。

 杜若からは輪が見えない。指を向ける行動に対して口を動かして、体が硬直した。

 声が出ない。

 口を動かしても舌を動かしても、息を吐いても。呼吸はできる。でも音一つ出せない。ひゅうひゅうという呼吸音でさえ。


 音が、消えてしまった?


 ぞっとした。腕が使えない、声が出ない。それの意味する所は。

 ほうら、とそいつは言って小さく嗤った。

「のど、とった」

 目に映るのは〝流下ながしたつばき〟を名乗る、杜若の追い続けた者。はっきりとした憎しみの対象。ただ一人の、敵の姿。

「もう、つかえない」

 白い指が床に落ちた携帯電話と手帳の上をさ迷う。

 手帳も携帯電話も、使えない。それはつまり、情報屋の術が使えないと言う事。

 もう、なにもできない。恐ろしく寒い。こんなに日が照りつけるのに、冷や汗が止まらない。道具を奪われる。それを使う腕と声を、奪われる。

 蝉の声が煩い。


 喉元を押さえて、そいつは咳き込んだ。何度か声を試してからゆっくりと喋り出す。妙な発音がまだ所々に混ざり、頻繁に息継ぎを挟みながらだったが、長い文も話せるくらいまでにはなったようだった。

「ようやく、慣、れてき、た……。言葉、も声も、使わなければ、錆(さ)びる……」

 目線を合わされて、急激にその顔が幼くなっているのに驚いた。目を合わせても、背丈が同じ位。頬が丸みを帯び、年齢が落ちている。十三、十四くらいの年頃まで。無邪気に唇を引きつらせた。

「おまえとは、関わりたかった」

 ぱくぱくと口を動かした。苦しげに顔を歪めるのを見て、指を向けて振る。輪が太く緩んだ。はまっているのにも気付かない細い紐が解かれたみたいに、ふいに声が出る。

「だから……、何だよ。それで、俺の所に?」

「それも、ある」

「―――何で」

 杜若は聞いた。

「何で、ここまでするんだ」

 何が目的なんだ。その問いに対して彼は答える。同じような年頃の少年の姿で。嵐のような蝉時雨せみしぐれ。空の青がやけに濃い。木々の緑が目に痛い。輝くような照り返し。その中で、一人浮かび上がった白い姿。

「ぼくはげたいんだ」

 その為に―――情報が要る。

 手にはまだ感覚が無く、このまま立ち向かっても、できて精々体当たりだ。相手を倒すことはできない。

「じょう、報が欲しい。調べて、おまえは、持ってくるんだ」

「……嫌だ」

 目を見開く。驚いたような顔で、しみじみと杜若の顔を眺める姿は、再び年を取っている。肩幅と背丈が成長し、体も骨ばって、少年というよりも青年といった方が正しい。目まぐるしく、姿が変わる。

「わかって、いない………か? わからないのか」

 わからないのかと不思議そうに繰り返して、手のひらを向けて、押し付けた。杜若の胸の中心に。夏物のシャツにはっきりと浮ぶ、印刷のような真っ黒い円。

心臓しんのぞう―――った、んだ」

 呼び出された黒円が、何事も無く吸い込まれ消える。染み込む。押し付けられた手に、息がつまった。心臓? くすりとそいつは今までで一番楽しそうに笑った。

「しらないか。習わ、なかったか?」

 

「お前のふこうは、わたしにであったこと」

 命を握られた。その事実に現実味がわかなくて呆然としていると、死神が言った。その望むものを、述べた。

「ぼくには、今、追っての死神達が、かかっている。だから―――。逃げるために、欲しい」

 持って。こい。

 場所は、また、後でしらせる。

 死神は杜若の目の前で軽く片手を振った。腕と首から黒円が溶けるように消える。歩き出す後ろ姿を目で追った。丁度屋上の中央までいっただろうか。

「――――」

 死神が振り返った。杜若の発した声が、届いたようだ。

「報酬―――は?」

 放った台詞は、悔し紛れで捨て鉢に聞こえた。その姿を、睨み付けて。まさかそんな言葉が聞けるとは思わなかったのだろう。白の死神はおかしそうに笑った。

「自分の命ひとつじゃ、足りないのかい」

 面白そうに指を伸ばして。

「じょうだん、だ、よ」

 さっきのことばは、冗談だ。

「ながした、つばきは、べつ、にいる」

 ―――別に居る。

「………それはどういう冗談だよ」

「だから―――報酬」 

 僕ははく

「会わせてアゲル、よ。 流下つばきに」


 跳躍するようにして、ふっと浮き上がった細い少年の体が掻き消えた。

 同い年か、もっと年下の姿が、網膜に焼きついたように白く残っている。

 意味を理解するだけの力が残っていなかった。

 意識が遠のいた。体から熱が引かない。全ての感覚を手放して、杜若は熱い床に倒れ込んだ。


 ※


 はためく、布―――。日差しをすかした、クリーム色。

 大きな窓枠の端に寄せられている。僅かに揺れるカーテン。瞬きを繰り返して、辺りを見回した。ロッカーとハンガー。足元にスリッパ。サイドテーブルの上には、ビニール袋と洗面器。頭の上のほうが壁、それ以外の三方が窓のと同じもので遮られていた。

 肌に触れるのは、清潔なシーツとタオルケット。

 基本的に杜若には縁の無い場所なので、そこがどこだか認識するまで、少々時間がかかった。

「ここは………」

 枕の上で首を巡らして、光の差し込む窓を見た。


 そこに、一人腰掛けていた。


 よっ、とばかりに軽く手を上げて、たずねる。

「どしたあ? つばたっちよー。やけに調子悪そうじゃんか」

「何で、ここに」

 窓枠にしがみつくようにして、そこに居た。見ているこっちが暑くなりそうな長衣姿。灰色の髪に、玉飾りが揺れる。

褪衣さえ

 息が止まるかと思った。タオルケットの下で、胸を掴んだ。

「脅かすなよ、っていうか、どうやって? ここ………」

「あん? 俺らは見えないんだぜ。どこへだって入れるっつの。それに、まあ、こういうとこはなぁ」

 きょろきょろと辺りを見回し、その辺を指し示す。

「怪我とか病気とか、まぁ。職業上縁が深いっつうのか、入りやすいんだよな」

「……………そんな不吉な」

 縁起でもないと嫌そうにすると、しょうがねえだろー。と褪衣は言う。

「わざわざ無理する必要もないじゃんよ。こっちだって理由も無く来たりしないんだぜ」

「それにしたって、随分唐突じゃ。あ! それより、怪我は?」

「あ? ああ」

 ほれ、と適当に長衣をはだけて、シャツを引っ張って肩口を見せる。もうほとんど痕も残っていない。

「すっげーよく効いた。ありがと」

「そんなんじゃ……いいよ、お礼なんて。こっちのミスだし」

「ミスミスってよ、気にすんなよ。ミスって女だろ」

「それはさておき」

 杜若はずっと気になっていたことを褪衣に告げた。「その頭、すっごい気になるんだけど」褪衣はふてくされて、ああこれなと引っ張った。

「すげぇだろ。機嫌が悪いとこでちょっかい出したら、ねーちゃんにやられた」

 完璧なドレッドだった。後ろで集めて玉飾りでくくっているために、花火のように広がっていた。

「これ見た鳩羽はとばが何て言ったと思う? 『褪衣、お前は南米へ旅立った方がいい。この辺りで祭りがあるという話は聞いたことが無い』あのすっごい冷静な顔でさあ。もう落ち込むったら」

「………褪衣のねーちゃんって、一体」

「いやー、床屋志望なんだよ。床屋って言うか、美容師って言うか」

 唇を尖らせて、愚痴をこぼす口調になる。そんな褪衣を見ることになるとは思ってもみなかったので、物凄い新鮮だ。

「死神も床屋ってあるのか」

「あるよ。当たり前だろ、伸びるんだから。俺らみたいに出てくるやつ以外にも、生活職につくやつだって当然いるんだよ。でなきゃ成り立たないだろー」

 へえと感心した。妙な話だが、言われてみればその通りなのかもしれない。

「普通の店もいっぱいあるぜ。そんなことも知らないとは、まだまだ甘いな」

「で、機嫌が悪いところにからかったから」

「そうだ。あのなぁ、信じらんねーだろ。普通腹立ったからってここまでするかよ。な、いっつもこう、はさみを持ち歩いてさ、うちの家族の頭みんな姉ちゃんがやってくれんだけど、怒った時のセリフがこうだ。『あたしのはさみが火を吹くわよ』。な!? ふっつう笑い話だろ!?」

 女言葉で、おそらくその姉を真似したのだろう口調でセリフを聞かされた途端噴き出した杜若に、褪衣が身を乗り出して同意を求めてくる。

「だろ? でもマジなんだよ。こっええのなんの。わーざわーざ術符まで使ってさ、本当にはさみ燃やして追っかけてくるんだよ。それで髪切られた日にゃあ、弟なんか泣いて謝ってる」

 そんで俺はこれだ、と頭を揺らした。

「ちょうど試してみたかったんだーとかって言ってさ。すげえ締め上げられて、無理矢理これだよ。別に、術で固めてあるだけだからすぐ戻るんだけどさ」

 まったく、氷褪姉ちゃんには恐れ入る。敵わないっつーの。降参と杜若ぐらいしか見ていないのに両手をあげた。

 そういえば、と杜若は聞く。

「来た理由があるんだろ。どうしたんだよ」

「あっ、あー。そうそう」

 すっかり忘れていた様子で、額を叩く。杜若の方を見て彼は言った。


?」


 再び、息が止まりそうになった。「え?」反射的に口をついた疑問の声に救われた。褪衣は何も不自然に思わなかったようで、面倒くさそうに座りなおした。

「実は、結構やべぇことになっててよ―――若っちは死神と組んだのは俺らが初めてなんだろう?」

「そう、だけど」

 確認に頷く。じゃあ、死神の世界についてはよく知らないわけだ。それを踏まえて褪衣は説明をし始めた。

「ええと―――まず、いいか? 俺も苦手なんだけどな……。

 あの、アルファベットのUの字を思い浮かべてみ? そんでその両端が黒と白。それ以外のカーブしてる所は灰色で、一番下を中間に、両端の色に向かってグラデーションになって近づいてく。そんで、上に近いほど力が強い。タイプとしては、黒が直接攻撃型、防御や補助、治癒能力があるのが白。一文字を位にできるのはたった一人で、直接戦闘最強が

 白の死神は、間接戦闘の最強だ」

 そいつは、めちゃめちゃに危険で、だから封印されてたんだ。でも―――。

 褪衣は口にするのも嫌そうに、苦い口ぶりで言った。

「そいつが、逃げ出しちまったんだよ。見張りっていうか守番か。その目を盗んで、僅かな隙から。だから………」

 正常に機能しない頭の片隅で、褪衣の声が響いている。

「だから、

 白の死神を捕まえなきゃならない、捜索部隊に。

 その言葉は、杜若の心臓を大きく揺さぶった。

「どうやら俺らの担当の地区……つまり、この辺に、いるらしいんだよなあ」

 くおーと頭をかきむしる。あんな頭で痛くは無いんだろうか。

「鳩羽は妙にノリノリ~で、こないだも鎌磨いたりしてて……。どうやら確かな情報っぽいんだよな。信頼できる人が知らせてくれて、そういう感じで見るとやっぱり、みんな何となく空気がぴりぴりしてるし」

 夏なのに、静電気がおきそうな感じと褪衣は表現した。

「それで、それがどうかした?」

 杜若はたずねる。声に不自然な感じが滲まないよう、細心の注意をしながら。

 俺に―――情報を求めるんだろうか。白い死神の、その位置を。いや、と褪衣はいう。

「やー、実は、あんま俺の柄じゃないけど言いたかったんだ」

 気をつけろって。褪衣は両腕で頭を挟み、俯いた。

「鳩羽が、何か様子おかしいんだよ。ずっと、誰よりもぴりぴりして、緊張してるみたいな必死な感じで。で、捕まえるのに杜若を頼るようなことをちょっと言ってたから。頼るのはいい、でも……何考えてんだか、わからないからよ」

 だから、今日も俺だけで来たんだ。連絡するだけだし、万が一思いつめて、ヤバイことになったら困る。

「基本的にチームは同じだし、いつものペアでってことだったから、大体いつも通り行動できると思うんだけどな。それに、もしも何かあったら困るだろー。教えときたかったんだよ、白の死神は危険だぞって」

 褪衣は心配そうな横顔を見せた。

「あ………大丈夫」

 大丈夫、とタオルケットを握り締める。

「どうせ……今ちょっと、仕事できないから」

「あ? そうなのか」

 うん、事務とかに回ってる。すらすらと喋ったが、嘘八百だ。そのミスのせいで、仕事止められてるなんて言えない。

「じゃ、もしも見かけたりしたら連絡くれな。その辺うろうろしてたら、杜若も俺らといたせいで敏感になってるだろうし、何となくでも見つけたら教えてくれ」

「ああ、わかった」

「やれやれ、しかし運よかったな。こんなすぐ杜若見つけられるとは思ってなかった」

「確かに、学校まで来るってのは」

「うん。でも早いほうがいいしよ、校舎裏かどっか適当なところで捕まえられねーかなと思ってた。〝成人ナルヒト〟して、学校乗り込むって手もあったけど」

「………それはマズい」

 ただでさえ陽気な性格の上にグレーなんていうありえない色の頭髪、さらにプラス派手な髪型。指定の制服を来て、よッ☆ なんて手をあげる褪衣の姿を、目を閉じて想像した。ありえない。

「それだったら鳩羽も連れてきたんだけどな。だって、一人だと目立つだろ」

 さらに、あの長髪の鳩羽。しかも女子の制服を着ている所なんか想像できないし、動きやすいとか言って男の格好だったらどうしよう。鋭い眼差しに輝く金髪。むしろ鳩羽が増えた方が困る。注目度二倍。男子も女子も、どう考えたって気付く。噂の的だ。先生、学級崩壊します!

 ここで会えてよかったと、心底杜若は思った。

「んじゃま、これで用件は伝えたし。俺はそろそろ戻るかな」

 褪衣はしゃがむような形になって窓枠に足を乗せた。

「一応、気になってる。あぶねーっつっても、わくわくするな。見てろよ、捕まえてみせるからな」

 強がりなのかどうなのか、よくわからないセリフを吐いて、褪衣はじゃーなっと言って窓枠を蹴り、植木を飛び越して消えた。空のプランターが衝撃で倒れて転がった。

 あの、白の死神の正体にも驚いたが、杜若は酷い事実に気付いていた。

 褪衣と鳩羽が、捜索隊に参加する。

 白の死神の追っ手になる。


 自分はもしもそうするなら、褪衣と鳩羽の情報までも、白の死神に売らなければならない――――。


 頭を抱えて寝返りを打った。その時、駿ながれ君、と名前を呼ばれた。カーテンが引かれて、女性が顔を出す。養護の先生だった。

「調子はどう? 大丈夫?」

「ああ、はい」

 痛いとかどうとか、そういうのがあるわけじゃないんでと杜若は答える。

「でも、顔色がちょっと悪いわね。本当に平気? 倒れたんだもの。無理しないで、帰って休んだ方がいいんじゃないかしら」

「……それじゃあ」

 今日のところは帰ろうと思った。痛みは無いと言っても、体を起こすとくらくらするし、頭がまだ混乱していた。

陽田ようた君が、渉部わたりべ君から聞いたとかで保健室を覗きに来てね、そしたら保健室に行ったっていうのに駿君は居ないでしょう。探して、氷山こおりやま君がぶつくさ言いながら背負って連れてきてくれたのよ」

 後でお礼を言っておいてあげてね、と微笑みを交えて彼女は言った。家に連絡を取ってくると言い置いて、一度保健室を出る。段々、廊下がざわついてきた。少しして杜若が上履きをはこうと、ベッドに腰掛けた時「失礼します」と声がかかった。

「大丈夫か。杜若」

 鞄を肩に引っ掛けたミチの姿だった。

「もうそろそろ、昼休みだ。お前、帰るんだろう。長能先生が連絡に来たぞ」

 すたすたと近づいて来て、ほらと鞄をベッドの横の床に置いた。

「あー、ありがとう。ごめん」

「いや。で、屋上で何してた? あれだけ調子悪そうだった人間が」

「…………」

 何と言ったらいいか。まさか正直に答えるわけにもいかないし……。

「ん、えっと。何だか、気持ち悪くて外の空気吸いたくなってさ。屋上だと誰もいないし、すぐ戻るつもりだったんだけど」

 結局無難な答えにミチは「どっちにしても、これだけ暑いのに屋上なんか行ったら自殺行為だ」と切り捨てた。

「杜若はどうも、ぼーっとしているようでいけない。普段突っ込みの癖に、ボケかましてどうする」

「はいはい、気をつけます」

「新境地開発は調子のいい時にやれよ。芸を磨く志は尊敬するけどな」

「いや、そうじゃないし!」

 そんなやり取りをしている間に、長能先生が戻ってきた。

「お家の方は、すぐ行きますって言ってくれたわ。随分若い声だったけれど、お兄さんかしらね」

「はぁ、それじゃ……」

「お家の方が見えるまで、ちょっと待っててくれる?」

 そうします、と答えかけたところで、ミチが眼鏡をかちりとかけなおした。

「杜若、あの人、確かお前のところの下宿人じゃなかったか?」 

 ん? とミチの目線の先を確認する。件の人物は、校門の前に立っていた。

 ジャージにサンダルを突っ掛けて、上は白い半袖のTシャツ。適当に結った金髪。腕組みをして仁王立ち。

 うわぁと思わず声が出た。

 傍らに買い物用のいわゆるママチャリがとめてある。どうやら、連絡があってすぐそれにまたがって学校まで来たらしい。

 無駄に不敵な笑顔が、ちらりと顔に浮んでいる。そこに居たのはつばめだった。

 

 彼が迎えにきた理由を考えて、杜若は少々気が重くなった。


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