第6話

 路地に立ち、必要以上の早足で歩き出す鳩羽はとば。その後を褪衣さえが追いかける。

「え? 何だよ、どうしたんだよ」

 家に囲まれた裏通り。石畳の狭い道を足音高く歩きながら玉飾りをじゃらじゃら鳴らして近寄り、鳩羽の顔色にぎょっとする。

「真っっっ青じゃんか! おい!」

「うるさい。青くなんか無い」

「じゃ、紙みたいに真っ白だ。悪いもんでも食ったのか? あ! 外、出た時、食ったろ。きっとそれじゃんっ」

 びしっと両指で差しておきながら、しかしこの鳩羽がそんな事で腹を下すか? と腕を組んで悩み始める。額を押さえて鳩羽は溜息をついた。確かに食べたが、それが理由だとは到底思えなかった。

「もういい。悪かった、少しばかり気が動転していた」

 そうかぁ? と褪衣は首を捻った。

「だってよぉ、あからさまに変だったぜ」

「それより、急ごう」

 鳩羽は首を巡らし頂上を見上げた。「早く話がしたい」

 その様子に褪衣は口をつぐんだ。

 

 鳩羽の視線の先にあるのは、城だった。取り巻く家々の中から抜き出て天を仰ぎ、見上げるような黒い城。闇を固めた石を積み上げ、光の差さない夜を模した。それを二重三重に囲む城壁の中に、学び舎(スクール)はある。この場所は、全体で一つの山のような姿を取っている。頂上には城。白夜(びゃくや)城と黒夜(こくよ)城。西側から仰ぐか東側から仰ぐかによって名を変える、中央で二つに割ったように一つにして二つの城――――。

〝第二の翼〟家は黒の第三勢力。黒夜城を頭に見立て、

〝獣の首〟家

〝第一の翼〟家

 その二つの家の後に続くからだ。


 第一の城壁。その下にあるのが、死神の勤務地区。各国のデータベースや鍛錬トレーニング施設、部のある詰所。

 第二の城壁。

 その下にあるのが、スクールだ。


 地面を蹴った。

 俯いていた鳩羽の体が宙を舞い、音も無く豪勢な屋敷の屋根に降りる。不意をつかれた褪衣を見下ろして小さく笑った。

「―――競争だ」

 口を半開きにして不満そうな顔をしたが、ちっと舌打ちをして褪依も同じように飛び上がった。

「しっかたねぇなぁー」

 大げさに足を踏みかえて、第三の城壁を見上げた。第二と第三の間にあるのがスクール。第三の城壁に、先に飛び込んだ方が勝ち。

「いつものルールで」

「いつものスタート」

 だろうと振ると、頷きが返ってくる。

 開門を告げる鐘が鳴った。踏み出す足も揃えて、同時に屋根を蹴った。

 

 長衣をなびかせて、走る、走る。踏み込んだ褪衣の横で、風見鶏が勢いでくるくる回った。家々の間を飛び、屋根に飛び降りる。今日は特に高低のあるルートを選んだ。

「―――おわ!」煙突の脇に隠れた猫を蹴飛ばしそうになって、思わず抱き上げることになってしまった。なんてこった! 叫ぶと鳩羽が一瞬笑った。走っている間に振動に驚いたのか、派手に顔を引っかいて猫は逃げ、褪衣は顔中に傷を作った。

 ちくしょうとスピードを上げる。

 褪衣が速く駆ければ鳩羽もそれに追いつく。鳩羽が追い抜けば褪衣は食いつくように背中に迫る。

 紋章の旗に突っ込んで跳ね除ける。煙突を飛び越える。屋根を引っつかむ。飛び上がる。

 ただ、壁を目指して駆け上がる。

 

 壁の下で足をたわませ、手をついて飛び越えたのは同時。

 一直線に着地して、手と膝を付く。土の地面がざらりとした。

「……ちきしょー」

 荒い息で、褪衣がべったり尻餅をついた。鳩羽は立ち上がり、土が付いた長衣を払っていた。「鳩羽ぁ」と呼びかけ、目を上げて、褪衣は自分達を囲む学徒達の姿を認めた。

 硬い表情。当惑と冷たい視線。

 あらぁと褪衣は頭を掻いた。鳩羽はいたって冷静である。冷静である理由が、これか。

 遅ればせながら立ちあがり、鳩羽の横に並んだ。

「何つーか、なぁ。本日も不快指数百パーセント。天候は曇り。差別視線が雨あられと振ることでしょう」

「あいにく傘は忘れたな。突っ切るか」

「いいじゃないの。濡れてってやろうぜ」

 連れだって歩き出せば、視線が後を追う。

「運が悪かった」

「入る場所間違えたな」

 よりによって朝っぱらから嫌な思いはしたかねえや。褪衣が舌を突き出して、うっとおしげに肩の辺りで手を振った。

 だがしかし、

 褪衣と鳩羽は中庭から校舎に入り、階段を上がった。

 ここに自分達の所属するクラスがあるなんて、何とも笑える。


 ※


「今日は指令がある」

 第一特別戦闘クラス。

 書は既に届いていると思うがという前置きから師が語り始め、最初から人数分しか用意されていない椅子に十数名の若い死神が腰掛けている。褪衣と鳩羽も指定された位置で話を聞いていた。ほとんどが灰色の濃い衣装をまとっている中で、褪衣の長衣はいつも以上に明るい。

 内容はおおむね任命書の封筒に入っていた詳しい説明の書類と同じで、褪衣は机に突っ伏して顔だけ上げている状態である。半分以上聞き流しているんじゃないかという風体だった。

「――以上。これからの間は白の死神が捕まるまで、実戦部の指令に従って行動することになる。スクールの生徒である君達の役目は主に補助、それ以上の節度の無い行動は慎むように。それから」

 視線が鳩羽に向く。

「〝白の死神〟については、お前達なら知っていると思うが。鳩羽、答えてみろ」

 指名されて席を立った。読み上げるように滑らかに説明をする。

「白の死神は黒夜城の地下に封印されている、〝まもり〟最上の位に位置する死神です。その能力は極めて高く、本来は城にて玉座に座られるべき地位の方ですが、本人にその能力を調節するだけの力が無いため、暴走を防ぐため地下に封印されています。職務の時にのみ付き添いを伴って外に出てこられますが、その時は特別な通路を通り、姿を見る事は禁止されています」

「その通り」

 席につきなさいと促されて鳩羽は座る。褪衣が一人こっそり拍手をしていた。

「しかし、付け加えるが―――彼の力は異常である」

 そう言う時、師の瞳は酷く冷静だった。

「本来、護りに特化した筈の白の死神の中でも、逸脱した脅威の存在。私達にはその姿を見る機会も無く君達もそれを知る機会は無いはずだが、あの力は攻撃以外の何物でもない。彼の力は、与える事と奪う事の二つに過ぎる」

「回りくどい言い方はやめて下さい」

 鳩羽の横で、生徒の一人が立ち上がって声を放った。

「師、僕達はいずれ戦う立場にあるんです」

 よく言う。いつも生真面目な彼らしい言葉だった。師は手を振った。

「わかっている。分かっているから席につけ」

 そして、師は言った。


「災いを与え命を奪う。それが彼の力の真髄だ」

 

の力は、そういうものだ」

 師は硬く手を握り締め、いつものように言葉を結んだ。

「そのため再三注意を払い、もしも出会った場合は最善を尽くす。だが優先すべきは、。安い栄誉を求めるな。手柄のために向かって自滅するより、敵わない敵には一度退却し応援を呼ぶ事が、誉れ高いとわかるだろう。

 この事は他言無用である。特別戦闘クラスに所属する君達ならばわかっているだろうが、不必要な混乱を招かないようけして口にしないように。以上」

 話が終わって師は退室し、生徒達はそれぞれが補助に向かう支度を始めた。鳩羽は席を立ち、あくびをしている褪衣の肘を掴んで部屋を出た。

「なぁんだよー」

「話があると言っただろ。結局朝は話しそびれた」

 ああそうだっけ、と頭をかきながら応じる。廊下では外に出る学生を迎えに来た地区担当者達が行き交っていた。所属する先の担当者が名前を呼び、それに応える生徒達。傍目には、いつも実習に出る前の風景と変わらない。ただ、よく見れば彼らの表情が一様に硬いことがわかるだろう。


 丁度曲がろうとした角から大きな人影がぬっと現れた。正面衝突しかけて立ち止まると、褪衣が声をあげた。

「あっれぇ、くろがねさんじゃないっすか」

「おう。褪衣に、鳩羽か」

 快活に笑う顔には、鼻を横断して横一文字に大きな傷がある。鳩羽は即座に姿勢を正した。手にした巨大な鎌。戦闘用の無骨なそれに装飾は一切無く、ただ珠がはまっているだけである。余分なものは好まない。戦うのには刃と柄があれば十分という彼の性格を物語っている。

 何より、漆塗りのような深みのある色のコート。胸に勲章と鎖が下がっている。それも一つではなく、いくつも。

「ぐうぜーん」

「私達も捜索に加わることになりました」

 言って鳩羽は頭を下げる。鉄はたくましい腕を組んで顎を擦った。

「そうか、お前ら初陣か」

「戦闘経験はあります」

「そりゃそうか。はっは! 戦闘クラス……な」

 当然か。

「だがいいとこ一対二だろう」

 射抜くような目線が二人に向く。思わず体をこわばらせた。

「大したもんだとみな言うが、そういうのは実戦のうちにはな、入らないんだよ」

 鎌を肩に担ぎあげた。重量のあるそれを太い腕で軽々と扱う。

「特別戦闘クラス。お前らはいずれ、必然的に一番ヤバイ所へ回されることになる。甘っちょろいの期待してるんじゃねえぞ」

 そのためにも今回の事で精々経験積んどけ。

 言い捨てた所で鉄の背後から「おーい、やっと見つけたー」と声が聞こえてくる。親指で差して訊いてきた。

「お前らの担当か?」

「そーゆー事デス」

「ふうむ、地区は」

「日本。主にカントーです」

 へえと思わせぶりに鎌をぐるんと振り回し、鉄は言った。

「お前ら運がいいな。ここだけの話―――」


「!」

「俺もそっちへ出向くから、会うこともあるかもしれんな」

 よかったじゃねえか。ばしばしと硬直した鳩羽と褪衣の肩を叩いて、鉄は笑う。

「じゃあな、俺もそろそろ行くわ。学長と話があるんでな」

 前線で会える日を楽しみにしてるぜ。挑発するような笑みを残してコートを翻し、彼は行ってしまう。

「ひぇえー。さすが、戦闘部隊長は違うぜ」

 冷や汗を拭いながら褪衣が言う。ようやく辿り着いた担当者が「探しちゃったよ」と慌ただしく説明をした。

「今日は出る門が違うからね、僕は他の子達のところも回っていくから、先に行っておいてくれるかい」

 それじゃっとばかりに大急ぎで駆け出した人のよさそうな担当を見送り、鳩羽と褪衣は残された。

「やーれやれ。今日はいっそがしいな、みんなしてさ」

「仕方の無いことだ」

 考え込む顔つきで唇を噛んだ鳩羽は、行くぞと先に立って歩き出した。

「あのさぁせっかちなのって嫌われるよ? おい」

「うるさい」

 ったく鳩羽までいつも以上に容赦が無い。褪衣は不平不満のせいで思いっきり変な顔をしてみせたが、鳩羽はわき目も振らず歩いて行き、眼もくれなかった。

 こんちくしょーいっそ喚き出してやろうか、と褪衣がふてくされて考え始めた頃、手前に見えてきた階段の影に鳩羽の手によって乱暴に引き込まれた。

「んげぇっ、なーにすんだよ! 首絞まるだろ!」

「話がある」

 褪衣が抗議するのにも構わず、鳩羽は真剣な眼差しで話を切り出した。「……何だよ」じと目で見やって、問いかけた。

「いいか、一度しか言わないからな」

「しつこいっつーの。そういうのはな、うさん臭いって言うんだよ」

「……それはさておき」

 息を吸い込んで、鳩羽は言った。

「あ、そう。いいんじゃない? ってはぁああああ!?」

 大声で叫びかけた褪衣の口を瞬時に塞ぎ、塞いだ手がついでに鼻まで押さえ呼吸困難に陥らせた。ぜいぜいしながら、褪衣は鳩羽どうしちゃったわけ!? という顔で相棒を見た。

「何だそりゃあ!」

「無茶は承知の上だ」

「それにしても!」

 褪衣は呆れやら何やらでわけがわからなくなった様子で、とりあえず声を荒げた。

「何言っちゃってるわけ!? 無理っつーか大体どこにいるのかわっかんねーし!」

「日本だ。それも私達が担当している地区」

「範囲広すぎんだろ!」

「その辺りはどうとでもなる」

 何で、と言いかけた褪衣の言葉を遮った。

「私達には杜若情報屋がいるだろう」

「………!」

「鉄さんの言っていたのを聞いたか。捜索はもう既に行われている。そもそも私達が出されるのも、その人手が足りないからだ。大体の居場所は見当がついていると言う事だろう」

 それなら、杜若にだってできないこともない。

「んな、何でまたそんな」

 言っていることは理解できたが、だが何故言うのかその意味がわからない。無鉄砲、余りに無茶だった。常に着実に任務を遂行しようとする鳩羽が、急に態度を一変させたのに褪衣はついていけなかった。

「手柄のためだ」

 鳩羽は明確に言い放った。それ以外の何物でもないと。

「師はああ言ったが、白の死神の捕獲ができれば昇進は確実だ。灰の位からも出られるかもしれない」

 褪衣、お前も退屈じゃないか? 鳩羽は逆に問いかけた。

「私は我慢ができない」

 同じことの繰り返し、変わらない立場。いつも同じ視線に晒され、賞賛の言葉すら確かなのか実感がない。不安定な足場。天辺の見えない坂道―――落ち着かない。何を信じればいいのだろう。

 見返してやる。

「私達ならできる。私は確かに紋章つばさ無しの鳩羽だ。だが、戦いの力ならば誰にも負けない」

 褪衣。

「―――どうする」

 鳩羽は聞いた。褪衣は黙っていた。目を伏せて、床を見つめていた。聞かなかったことにしてくれてもいいと首を振って彼女は言った。

 誰が。

 呟いた。褪衣は顔を上げた。怯えの混じる顔で、しかし笑っていた。体が震えるのは、間違いない武者震いだ。いうまでもない、本来無鉄砲なのは褪衣の方である。力試しと聞いて血が騒がないわけがなかった。

「誰が、聞かなかったことにするか」

 胸の前で曲げた腕を、鳩羽の腕にぶつけた。

「―――こんちくしょう。付き合ってやるよ。退屈は嫌いだ」

 舌を突き出して、にいっと笑う。

「それに、俺だって位があがりゃ弥達にもっと土産買ってきてやれるしな」

「よし」

 頷いて鳩羽は腕をぶつけかえした。

「やるぞ」

「おう」

 互いの思いを確認し合って、二人は物陰から出た。外へ向かう門へ、出陣の支度をするために。

 その時、もう一度部屋に戻るため廊下を歩く鳩羽の横顔が思いつめたようにかげったのを、褪衣は見逃した。


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