4話 慰藉ということ


「はー、思ったより骨が折れるなこれは」


 朝からアリアナを連れて引き取り先を探していたユーリだが、現時点での経過は芳しくない。どこを訪ねても「ウチにそんな余裕はない」の一点張り。やはり突然子供が増えれば食い扶持を案じるのは道理だろう。


 太陽は中天に座し、容赦ない陽射しが二人に降り注ぐ。


 さて次はどこを回ろうかと考えながら人混みの中を歩いていると、ふと傍らに白い少女の姿がないことに気付く。

 後ろを向くと、彼女は簡単に見つかった。出店の前で立ち止まっていたのだ。


 村育ちの少女からすれば、この街は新奇なものばかりだ。平屋でない建物も、煉瓦で舗装された道路も、耳をろうせんばかりの雑踏と活気も、少女の興味を惹きつけてやまない。


 そんな少女の足を止めさせたのは、焼いたソーセージを柔らかなパンで挟んだもの、ホットドッグを売る店だった。

 そういえば起きてから何も食べずに歩き詰めだったと思い出す。

「アリアナ」

 近寄って声をかける。

 すると少女はびくんと肩を大きく震わせた。

「ご、ごめんなさい」

 アリアナは謝ってその場から離れようとする。ユーリはそれを引き留めた。

「いや、そろそろ昼飯にするぞ。これが食いたいのか?」

「……その、はい」

 恥ずかしそうにアリアナが俯く。


 ユーリは店主にホットドッグ二つ分の金を渡し、出来上がったうちの片方をアリアナに差し出した。彼女は恐る恐るといったように手を伸ばし受け取る。

 柔らかなコッペパンとその背中を切って敷き詰められたキャベツ、焼き色がつけられ今にも皮が破れてしまいそうなソーセージ、波状にかけられたケチャップとマスタード。何も珍しいことはないが、だからこそ純粋に食欲を唆る。

 ユーリも空腹を感じていたので、周りなど気にせずその場でかぶりついた。

 ぱきっ、と音がして、破れたソーセージから肉汁が溢れ出す。肉汁はキャベツとパンに染み込み、口の中で広がる芳醇な香りを引き立てた。ケチャップの酸味とマスタードの辛味もまた非常によく合っている。

 そしてパンが柔らかいからこそ、ソーセージの食感や香りが妨げられることなく味わうことができた。

 あっという間に食べ尽くしてしまい唇の周りについた脂を舐め取っていると、まだアリアナが一口も食べていないことに気付く。


「どうした? 食わんのか?」

「貴方が召し上がるのを待っていました」

「構うこたぁねぇよ。冷めちまうぞ」

 戸惑い故か、アリアナは少し目を丸くした。

「……いいのですか?」

「いいに決まってんだろ。なんでわざわざそんなこと訊くんだ」

「……それが、当たり前だったので」


 彼女を見つけた時の光景を思い出す。檻に閉じ込められ、傷だらけの少女を思い出す。


 見ていられなかったので、今朝出立前にできる限りの処置は施してやったが、今もそれらの傷は痛々しく残っている。そんな傷を負わされ放っておかれるような生活で、真っ当な人の知識などあるはずもなかった。

 ただ、外見が他と違うというそれだけで被虐の憂き目を見なければならないというのは、憤るより先に、少し哀しかった。


「……では、戴きます」

 暫くアリアナは伏し目がちにこちらの様子を窺っていたが、やがて食欲に負けてホットドッグを口にする。

「……! んむ、はむ……」

 どうやらお気に召したらしく、アリアナは小さな口で咀嚼して嚥下して、次々とホットドッグを食していく。

 最後の一口を名残惜しそうに眺めた後、今生の別れであるかのように残りを口に詰め込む。そしてもぐもぐと口を動かして飲み込んだ。

「……ご馳走様でした」


 その後二人は一旦自宅に戻ることにした。空腹は満たされたが、アリアナの疲労を案じての判断だ。


 家に帰り着き、ソファに身を沈める。アリアナはまた扉の傍に腰を下ろした。

「ベッドに座ればいいだろ」

「……固い床には慣れているので」

 立てた膝に口元を埋め、目線だけをこちらに遣る。

「俺の貸してやった服が汚れるだろうが」

「ではお返しします」

「いやそうじゃない、脱ぐのをやめろ」

 シャツのボタンに手をかけるアリアナを制止し、溜め息をつく。アリアナも再び膝を抱えて少し先の床を眺め始めた。


 手持ち無沙汰になったユーリは、壁に掛けていたコートから拳銃を取り出して整備をすることにした。

 慎重に分解して詰まった埃や砂を取り払ったり、部品に破損がないか確認したり、そうこうしているうちに、集中力が切れて途中で卓に放り出す。部品の幾つかが皿に当たって高い音を立てる。

 そうしてまた静寂が訪れた時、ふとアリアナの赤い目がこちらを見ていることに気付いた。どうやら興味を引いたらしく、整備を眺めていたようだ。


「……やってみるか?」

「……いえ、結構です。必要な労働と仰るなら謹んでお受けしますが」

「…………」


 本気なのか冗談なのか分からず、ユーリは口を閉ざす。

 彼女は微動だにせずこちらを横目で捉えるのみで、特に何かを補足することはなかった。やはり冗談だったのだろうか。


 整備を再開する。一挺目を元通りに組み立て直し、二挺目に取り掛かろうとした時、


「……私の家族は、どちらで撃ち殺されたのですか」

 拳銃のことだろうか。ユーリは手に持ったものと卓に置いたものを交互に見比べ、正直に答えた。

「憶えちゃいねぇよそんなこと。そもそもアンタの家族の顔を知らねぇし、知っていても、家族の顔どころかそれ以外の連中の顔も憶えちゃいねぇ」

 これから慰藉いしゃする者の顔を憶えたからといって、何かあるというわけでもあるまい。


「……そうですか。では、何故殺されなければならなかったのですか」

「昨日も言った通り、俺は黒憺病こくたんびょう罹患りかん者を慰藉する仕事をやってる。アンタらの村が、それにかかったから、慰藉ころした。それだけだ」

「……他に治す方法はないのですか」

「ない。今のところは。それを見つける為、罹患者の血肉が変質してできた黒い泥を採取して研究所に渡してる。あの黒い泥が何なのかは、まだ分かってないそうだ」

「……殺さなくても、隔離するなどの措置を採ることはできるでしょう」

「過去はそうしてた。だが罹患者は際限なく増える。しかも感染する。街の外れに病棟を建ててなきゃ、今頃この国はなくなってた」


 ある日一夜にして病が蔓延した。慰師が何人も投入され、収容されていた罹患者や勤めていた研究者などの関係者全員が慰藉された。病棟兼研究所は巨大な墓標となったのだ。


 アリアナは暫く黙っていたが、やがて絞り出すようにして問いかける。

「……私はどうして生きているのですか」

「アンタはどういうわけか健常者だった。慰藉する必要がない」

「……殺さない理由ではなく、こうして、私独りだけ生かされている理由を教えてください」

「どういうことだ」

「私も家族と一緒に、殺してくれればよかったのにと言っているのです!」

 彼女は立ち上がり、叫んだ。

 ユーリは突然のことに動揺と驚愕を隠せず、打たれたように少女を見ることしかできなかった。

 彼女の瞳は元より、顔や耳まで赤くなっているように見えた。


 自身の声ではっとしたように、アリアナは再び座り込む。

「……すみませんでした」

 ユーリはやはり言葉を返せずに、二挺目の解体に手をつけることしかできなかった。

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