3話 不器用な男


「おうユーリ、どうしたその小娘は? 俺への土産かァ? ふゥむ、顔はいいが痩せすぎだな。入る金も入らねェ。一部のマニアには受けるだろうが、大金が舞い込む程のモンでもねェ。もっと肉をつけさせろ。話はそれからだ」

「そうじゃねぇよ色情魔」


 帰るのには五日を要した。筋肉も衰えており、少女の体力は全くと言っていいほどなかったのだ。最後の日など、ユーリが少女を終日おぶって移動していたくらいだ。

 更に、往路で三日、復路で三日を予定していたので、持参した食料が底を尽き、自給自足する破目にも陥った。自分だけならまだしも二人分となると、食料調達もいささか骨が折れた。

 道中で交わすコミュニケーションはほとんどなかった。あったとしても、最低限のものだった。それ以外は、基本的に互いに無言で歩き、たまにユーリが立ち止まって少女が追いつくのを待ったくらいだ。

 予定外の長旅で疲労困憊だったが、少女をどうにかしなければならないため、こうしてライオネルの所まで連れてきたのだ。


 彼はきょとんとしてユーリと少女を交互に見た。

「じゃあ何だよ。迷子か? 隠し子か?」

「いや、拾った」

「拾っただァ?」

罹患りかん地域で非罹患者を見つけた。それがコイツだ。放っとけないからそのまま連れてきた」

 ライオネルは葉巻に火を点けて煙を吐き出した。独特の臭いが鼻をつく。

「おいおい、勘弁してくれよ。ウチは孤児院じゃないんだぜ」

「分かってる。だからコイツを引き取ってくれそうな場所を紹介してくれ」

「ふゥむ、悪りィが、知らねェなァ。そういう店なら幾らでも紹介できるんだが」

「そうか、ならいい」

 ユーリは黒い泥で満たされた小瓶を渡すと、ライオネルの元を後にする。


 自宅に戻り、ソファにどっかりと腰掛ける。少女は扉の傍に立ったままだ。

「散らかってて汚いが、まぁ適当な所にでも座っててくれ」

 埃の積もったベッドの上やユーリの隣など、座る場所は幾らでもあったが、少女はその場に座り込んだ。


 アデインの村で出会った時の状態や、歳にしては異様に少ない口数、そして何よりその真っ白な容姿から、彼女がどのような待遇を受けていたのかは想像に余りある。

 だが少女の過去がどうであれ、引き取り手を探さねばならないのに変わりはない。それまでの間、自分の所で世話を見なければならないであろうことも変わりはない。


「あー、アンタ、名前は?」

 まずは相手を知らねばなるまいと判断し、少女に尋ねる。

「……アリアナ」

「そうか、俺はユーリだ」

「…………」

 白い少女、アリアナは立てた膝に顔を埋めた。俯いて、赤い瞳で少し先の床を見つめている。


「……慰師いしを、やってる。罹患者、罹患者って分かるか? 黒憺病こくたんびょうって病気に罹った連中のことだ。そいつらを慰藉いしゃ、簡単に言えば安楽死させる、そういう仕事だ」

「…………」


 気まずい空気が流れる。しかしそれも無理からぬことであろう。アリアナからすれば、突然自分の村に押しかけてきた男が、村民を皆殺しにして自分をかどわかしたも同然なのだから。

 しかし彼女からどう思われていようと、ユーリがやる事は一つだ。それは、アリアナの安住の地を探してやることだ。押しつけがましいかもしれないが、他に彼女を幸福にする方法をユーリは知らない。


「アリアナ。俺はこれから、アンタを引き取ってくれる場所を見つける。それまでは、ここを自分の家だと思ってくれ」

 アリアナの返事はない。ただ少しだけ、ユーリを一瞥いちべつしたのみだ。


 話題に困窮し、ユーリはシャワーを浴びて寝ようと腰を上げる。

 すると、

「……私は、売られるのですか」

 消え入るようなか細い声で、アリアナが訊いてきた。


 その問いにはっとする。どうやら自分は人さらいだと誤解されていたらしかった。

「いや、違う。俺はただ……」

 慌てて否定したが、ただ、なんだというのだろう。義侠心にそそのかされたとでもうそぶくか? それとも、気まぐれで助けたと? 或いは、己の中の己がそうせよと命じたから? 笑止だ。繕いで重ねる言葉など、何の意味も持たない。良心など、今の自分から最も遠いものなのだ。


 アリアナは黙して返答を待っている。もしかしたら、答えなど期待していないかもしれない。

「……いや、そうかもしれんな」

 彼女と一瞬目が合う。

「やってることは奴隷商と何ら変わらんだろうさ。自分の為にアンタを連れ帰り、自分の為にアンタを他所に引き渡すんだから。違うのは、金が目当てではないってことくらいか」


「では、貴方の為というのは」

 静かに、彼女が再び問いかける。覇気が一切なく、注意していなければ家鳴りと勘違いしてしまいそうだ。しかしそれでいて聞き取りやすい、不思議な声色をしていた。


「あー、アンタにとっちゃ迷惑な話だよ。あの時、俺にも家族がいたのを思い出しちまった、それだけだ」

 がしがしと頭を掻く。

「『いた』?」

「ああ、いたんだよ。もういない。そんなことより、もう遅いし疲れただろ。シャワー浴びて寝ろ。そこのベッド使っていいから」

 余計な古傷を穿ほじくり返される予感がして、ユーリはそこて無理矢理話を打ち切った。


「『しゃわー』……?」

 鸚鵡おうむ返しにするアリアナ。どうやら彼女の村ではシャワーを浴びるという文化はなかったらしい。或いは、彼女だけが知らなかったのか。

「湯浴みだよ。こっちへ来い」

 言われるがままにアリアナは従い、ユーリが案内するままシャワールームに向かう。

 彼女の衣服(というよりボロ切れ)を脱がせようと裾を掴むと、

「や……っ」

 と小さな抵抗の声が聞こえたが、面倒なので無視することにする。


 彼女はボロ切れ以外には何も身に着けていなかった。胸や股間を腕で隠しはするものの、異様に白い肌と、至る箇所に刻まれた傷痕は否応なしに目に入った。

 おそらくは、白い髪と肌、赤い瞳が原因で、虐待を受けていたのだろう。そして、虐待され、隔離されていたからこそ、罹患しなかったのかもしれない。人の禍福というのは分からないものだ。


 一糸纏わぬアリアナをシャワールームに押し込み、シャワーを頭から浴びせる。少女は一瞬びくっと肩を震わせたが、すぐに湯の温度に慣れ、髪を背中に流すなどした。ただ湯が傷に障るのか、時折痛々しげに眉をしかめている。

 その反応に気付きはするものの意には介さないユーリは、袖を捲って石鹸をスポンジで泡立てた。できた泡を手で掬って、ごしごしと頭を洗ってやる。

「目ぇ瞑ってろ」

 ぎゅっと少女が強く目を閉じる。


 こうして見てみると、綺麗な髪をしていると思う。流星の軌跡のように透き通った白い髪は神秘的な美しさを内包している反面、他を寄せつけぬ人間離れした印象を与えていた。

 顔立ちも、表情に乏しいことや傷痕を除けば、頭一つ抜けて整っていると思われた。白い睫毛や眉毛は細く長く、綿帽子のように吹けば飛んでしまいそうだ。澄んだ紅を湛えた瞳(今は瞼を閉じてはいるが)はまるで、火蛋白石ファイアオパールをそのまま嵌め込んだかのように輝いていた。


 頭を洗い終えて一旦シャワーで泡を流し、今度は身体をスポンジで洗い始める。

 徒に刺激しないよう、傷の辺りは特に慎重にスポンジで身体を擦る。と言っても、どこもかしこも傷だらけで、配慮なしに洗える箇所の方が少なかった。


 身体の方も洗い終え、再びシャワーをかける。泡を全て流すとシャワールームから出て生乾きのタオルで拭いてやる。その次は、着ていたボロ切れのような服を渡すのも忍びないので、サイズは大きいが自分の皺くちゃのシャツを貸してやった。


「ほら、先にベッドで寝てろ。別に寝込みを襲いやしねぇからよ」

「ですが、貴方は」

 彼女はおそらくユーリが寝る場所を気にしているのだろう。

「俺はいいんだよ。いつもソファで寝てるから、そっちじゃないと落ち着かなくなってな。お蔭で毎朝首や肩が痛てぇが」

 あと俺を呼ぶ時はユーリでいい、と付け加える。

 アリアナはきょろきょろと視線を彷徨わせた後、やがてこくりと頷いた。


 彼女がベッドに向かったのを見届け、さて自分もシャワーを浴びて寝よう、と自らの服に手をかけた時、

「あ、あの」

 いつの間にか戻ってきていたアリアナが遠慮がちに顔を覗かせていた。

「なんだ」

「……おやすみなさい」

「……おう」


 こうして、男と少女の、仮初めの奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。

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