2話 鏖殺未遂


 翌日の昼になって目が覚めたユーリは、市場で軽い買い物を済ませ、その足で門を出た。向かうは北東の村アデインである。


 ライオネルに言われた通り、到着には三日を要した。前回訪れた村と基本的には大差ないが、どちらかと言えば女子供が少ないように見受けられた。どうあれ仕事は仕事だと割り切らねばなるまい。ユーリは村の者に聞き込み、酋長しゅうちょうを訪ねた。

「あんたがこの村の長か」

「如何にもそうだが、どんな用向きかね」

 ユーリは身分証を翳した。国庁の正式な認可を受けた慰師いし免許だ。

「単刀直入にいこう。ここは罹患りかん地域と認定された。王命に基づいて、速やかに慰藉いしゃを執行する」

 途端に酋長は狼狽した。額には汗が滲み、目は大きく見開かれる。

「ま、待ってくれ! 一体、何を根拠にそんなことを! うちの村が罹患しているだなんて、世迷言も甚だしい!」

 ユーリは溜め息をつく。このような相手の反応も普段から見慣れたものである。


 先日のスライヴの村でもそうだった。自分達が罹患者だと信じられず逆上して、ユーリに指を突き立てた。その事実だけで項目に一つチェックがつく。


 ぞろぞろと、村民が様子を窺いに集まってくる。唾を飛ばしてユーリを責め立てる酋長を見、冷めた目でそれを受け止めるユーリを見、大体は事情を察したようだった。


「まさか……うちが……」「信じられるか……今年の租税だってちゃんと納めたし、逆らうようなことは何も……」「お母さん、どうしたの?」「濡れ衣だ、無実だ」「罹患なんてしていない」「あの男の言うことは出鱈目だ」「あの男さえ来なければ、我々は平穏に暮らせたのに」「そうだ、あの男は――」


「「「ここには来なかった」」」


 ……どうやら厳然たる事実を突きつける必要もなかったらしい。ユーリは懐に手を伸ばす。

 斧、鋤、鍬などを手に村民達がじりじりと距離を詰める。

 囲まれていることなど窮地のうちにも入らない。この程度を窮地として数えていれば、指が何本あっても足りない。


「あー、先んじて慰藉を望む者は、名乗り出るように」

 一応の形式として告げてみるが、案の定それらしい答えはない。代わりの返事は、堰を切ったように殺到する罹患者達の怒号だった。

 ユーリはそのうちの一人の眉間に照準を定め発砲する。

 断末魔さえあげる暇もなかった出来たての死体を乗り越え、ユーリは村の一角に移動する。罹患者達もそれに追随する。


「生憎と、『纏めてかかってこい』なんて宣うほど豪胆じゃないんでね」

 行き先は、二軒の家に挟まれ、後ろに塀が立つ袋小路。ユーリはにやりと笑ってもう一挺の拳銃を取り出す。


 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!

 狭い路地に飛び込んでくる罹患者を次々に撃ち続ける。通路には屍が山積し、それを掻き分け乗り越え新たな的がやってくる。

 前方に集中しながら、ユーリの聴覚は銃声の中に異音を聞く。

 銃口を上に向けて発砲。空に向けての威嚇射撃と思われたそれは、狙い誤たず屋根の上の罹患者の額を撃ち抜いた。

 全身に黒い泥を浴びながら、しかしユーリは平静を保ったまま慰藉を続ける。彼らは不治の病に冒された。ならばなおす以外に手はない。自分の仕事は、そんな彼らを慰め救うことだ。

 その行為には憐情も歓喜も憤怒もない。撃っているのは肉人形に過ぎないのだから。


 肉薄する農夫の喉目がけて引き鉄を引く――詰まるジャム

「チ、これだから旧式はよぉ!」

 脳天をかち割らんとする鉈を、ユーリは拳銃を交叉させることにより防いでいなし、無防備な土手っ腹に蹴りを叩き込んだ。纏めて数人がドミノ倒しになった合間に、弾丸の再装填を行う。

 リロードが終わった瞬間に背後の塀から罹患者が飛び出す。迷わず一発。続けざまに目の前の標的へ弾丸を叩き込んだ。


 骸を重ね、その数だけ足元に空薬莢が転がる。

 長時間に及ぶ殺戮、否、慰藉は、罹患者の根絶に伴ってつつがなく終焉を見た。気付けば日は西に傾いていた。


 ユーリは常の如く泥を採取し、生き残った罹患者がいないか村内を確認し始める。

「……ん?」

 そんな中、静寂に満ち満ちた村のどこからか、ユーリの耳が異常を聞き分けた。

 泥の中から罹患者が飛び出さないか気を払いつつ、音のする方へ向かう。


 村の中心部から少し離れて、一軒の家屋に辿り着く。ノックして応じる人もいないはずなので、無言で上がり込む。

 中は他と何ら変わるところのない平凡な造りだった。暖炉も厨房も、テーブルも椅子も、つい先程まで普通の人が息づいていたのを感じさせる。ただ、奥に設置された木組みの檻を除いては。


 捉えた音の発信源はそこだった。檻の中では、身体のそこここに青痣や擦り傷を作った白い少女がうずくまって唸っていた。


 まだ罹患者が残っていたかとユーリは銃口を向ける。

 すると少女は突然咳き込み、血を吐き出した。生を許された者の証左である、真っ赤な血だ。


「……アンタ」

 ユーリは照準を檻の錠に変更し、発砲した。元々脆弱な作りをしていたのか、それはあえなく破壊される。

 格子戸を開け、髪を掴んで少女の顔を上げさせる。傷だらけの肌と伸び放題の髪は透き通るように白く、対照に瞳は鬼灯ほおずきのように赤い。頬はけ、腕や脚は枝のように細い。口の端からは先程吐いた赤い血が一筋垂れており、彼女が罹患者でないことを雄弁に語っていた。

「やっぱり健常者か」


 ユーリはこの少女をどうするべきか考え込んだ。

 この村の罹患者は全て慰藉を終えたので、少女を無視して帰ろうと何ら咎めを受けるいわれはないだろう。寧ろ保護などしてしまえば、それは彼の職掌を逸脱することになる。自分の仕事はあくまで罹患地域内の全罹患者を慰藉することだ。そこに非罹患者の保護は含まれていない。

 しかしここは罹患地域だ。彼女を放置すれば、遅かれ早かれ罹患する。すると自分は仕事を完遂しなかったということになる。そうなってはキャリアに傷がついてしまう。今まで積み上げた評判は決して低いものではなく、罹患者を慰藉し損ねたとなれば、半端な仕事をしたとして地に堕すことになるだろう。

 だが、可能的罹患者を連れ帰ったとして、彼女を引き取る酔狂な者がどこにいるというのか。少なくともユーリの知る中にはいない。罹患するかもしれない人間を好き好んで世話を焼く者などいるわけがない。そもそもそれ以前に、これ程までに衰弱していれば、連れて帰る途中で死ぬかもしれない。


 やはり今この場で殺すしかないのだろうか。お前は不運だったのだと説いて、生命を奪うしかないのだろうか。罹患者を慰藉することに関しては躊躇はないが、人を殺すなど真っ当な所業ではない。それを自分はできるのだろうか。


 少女の赤く虚ろな瞳がユーリの姿を映す。

 女や子供は苦手だった。弱いからだ。すぐに死ぬからだ。その例にも漏れず、きっと、この少女もすぐに死ぬ。


 だから――。


「……クソッ」

 ユーリは少女を檻から出し、自らの外套を羽織らせた。

 少女は目を白黒させている。そしてどうすればいいか分からないというように、ただユーリを真っ直ぐに見上げた。

「ついてこい」

 ユーリは踵を返し、主人のいない家を出た。背後からぺたぺたと歩く音がするので、どうやら少女は言われた通りについてきているらしい。


 黄昏に沈む無人の村で、ユーリは胸の内のおりを振り払うように歩き始めた。

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