黒憺たる夜に

水ようかん

1話 慰師ユーリ=ザルツマン


 パァン!

 乾いた銃声が夜のとばりを引き裂き、どさりと対象が倒れ伏す。

「――はぁ、はぁ。これで、全部処理したか」

 全身を外套で覆った壮齢の男ユーリは、肩で荒く息をしながら、手にした拳銃を懐に仕舞った。


 周囲は見るも悍ましい屍山血河。かつて人だったものが、腐臭を撒き散らしながら黒い泥を噴き出して溶けてゆく。その数は五十を下らないだろう。そしてどれもが、額や首や胸に風穴を空けていた。

 今やこの村にいる人間はユーリのみとなった。他は皆、彼の手によって慰藉いしゃされたのだ。残っているのは彼自身と、住人のいなくなった家々、飼い主を失った犬や家畜だけだ。


 ユーリは屈んで泥の一部を採取し、足元に唾を吐き捨てて無人の村を後にする。これ以上ここに留まる理由もない。盗賊どもが金目の物を盗もうが、狼の群れが家畜を襲おうが、彼の関与することではなかった。


 途中で野宿をして一晩明かして数時間歩くと、白亜の城壁が現れる。

 地平線を分断するようにそびえるそれは、侵略者だけでなく他のものをも阻む。壁の果ては見るに能わず、ぼんやりと霞がかった光景の先が僅かに湾曲しているのを見ることができるのみだ。


 ユーリはその一角にある城門の詰所に近付き、哨兵に通行証をかざした。

「ユーリ=ザルツマンだ。慰師いしの仕事を終えてきた」

 通行証を確認した哨兵の合図によって門が徐に開かれ、彼は城下の人々の喧騒に包まれる。


 まず彼を迎えるのは活気溢れる市場だ。大陸きっての規模を誇るオルガヌム城下市場はあらゆる流通の拠点を担っており、各国から食料品や香辛料や鉱石が集まり、また各国へ衣料品や装飾品や武具が運ばれる。

 市場を貫く中央通りからは、遠くに王城を見ることができる。ふんぞり返って毎夜パーティの盆暗どもの居城だ。


 そんな市場の処々から聞こえる掛け声に眉をしかめながら、ユーリは足早に横道へ入り、何度も道を曲がって辿り着いたみすぼらしい安普請やすぶしんの扉を開ける。

 錆びた蝶番が軋む音以外に、彼の帰りを迎えるものはない。家の中は閑寂としており、最低限の家具しか備えられていなかった。脚の一本欠けた卓には空の酒瓶が何本も放置されており、食べかけの朝食には羽虫が集っていた。部屋の隅には埃が溜まっており、あまり光の差し込まない窓硝子にはひびが入っている。

 ユーリは脱いだ外套を乱暴に放り投げ、ソファに身を投げ出した。シャワーを浴びるのも億劫で、そのまま泥のように眠りに落ちる。


 目が覚めた頃には既に日は沈んでいた。表の活気も今は鳴りを潜めている。

 ユーリは顔に被せた帽子を取ってのそりと身を起こし、欠伸をしながら放り出された外套を羽織り、炭酸の抜けた酒と固いパンを口に詰め込んで家を出る。

 向かいの建物の窓から、蠟燭の灯りが漏れている。ユーリはノックもせずその建物の扉を開け放ち、

「……くそったれ」

 悪態を零した。

 彼の眼前には、ボロ屋にそぐわぬ高級ソファにどっかりと腰かけ、二人の女を侍らせる男の姿があった。

「よう、ユーリ。景気悪そうな顔してんなァ」


 右手で女の乳房を弄び、左手で股座のモノを咥える女の頭を撫でる彼こそ、ユーリの雇い主、ライオネルである。金髪を脂で後ろに撫でつけ、如何にも高級志向な衣服(今は下を脱いではいるが)を身に纏う白人の男だ。

 一見すれば上院議員かと見紛う風貌は、軽薄で嫌味ったらしい笑みと庶民の住むような茅屋ぼうおくとが相まって、奇妙で洒脱な雰囲気を漂わせている。


「ンな辛気臭ェ面でビジネスの話か? 入る金も入らねェぜ。ほら、女でも抱きゃあその眉間の皺も取れるだろ。お零れだがくれてやるよ」

「断る」

 ライオネルは肩を竦めて、右手で女の腰に手を回して秘所に手を伸ばす。愛撫された女は艶っぽい嬌声をあげた。

「そうか、女じゃ不満か……悪りィな、男娼の店は知らねェんだ」

 彼の戯言を否定するのも馬鹿らしく、ユーリは無視して向かいの木椅子に腰かける。

 懐から黒い泥で満たされた小瓶を取り出し、ガラステーブルの天板に置く。瓶には「スライヴの村」と書かれたラベルが貼られている。

「南東の村は終わった。さっさと報酬を寄越せ。次はどこで仕事をすればいい?」

「そんなに急かすなよ。早漏の男は嫌われるぜ、っと」

 ライオネルは女の頭をぽんぽんと叩き、そのまま口の中に射精した。女はその精液を嚥下し、愛おしげに精を吐き終えたイチモツを舐め始めた。一方で彼は愛液に濡れた自身の指を舐めている。

 ユーリはただその光景を黙って見ていた。


 娼婦達を帰した後、ライオネルは再びソファに腰を沈める。

「さて、仕事の話だったか。次はちょっと遠いが、北東の村アデインだ。歩いて三日はかかるが、果たしてお前さんの体力がもつかねェ」

「余計なお世話だ。……北東だな、分かった。明日にでも向かう」

 ユーリはライオネルから報酬を受け取り、長居は無用と立ち上がる。


「なぁ、ユーリ」

「なんだ」

 ライオネルはどこからかワインの瓶とグラスを取り出した。

「たまにゃあ一杯どうだ。男独りじゃ淋しくてねェ」

「さっきの売女と飲めばよかっただろ」

「馬鹿言え、未成年に酒飲ませるわけにいくかよ」

「……屈折野郎が」

 ユーリは振り返らずに扉を乱暴に閉め、自宅に戻った。

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