第126話 【リアル過去編】川俣千夏

川俣千夏は、大学一年生にして、全日本女子を制覇した。


「あの子凄いわね。」


この年、全日本女子のスポンサーの一つである鮫島化粧品は、社長自ら来賓席で、試合を見ていた。

一代で、大手メーカーにのし上がった鮫島化粧品の社長は、決して暇ではなかった。

偶々、関西での仕事があった為、急遽、社長自ら出席していた。


「川俣千夏ですか?高校の時も一度、日本一になってます。」


隣に座ってた部下が答えた。


「美人で、強いなんて、うちに欲しい位だわ。」


「ただ、愛想がないんですよ。」


「そんなもの、どうとでもなるわ。ちょっと声かけて来るわ。」


「私もお供します。」


「あなた、女子更衣室にも付いてくるつもり?」


「ここで、お待ちしております。」


部下は、男なので、あっさりと引き下がった。


「こんにちわ、川俣千夏さん。」


鮫島冴子には、どうしても気になったことがあったので、更衣室で、声を掛けた。


「こ、こんにちわ。」


防具は、既に脱いでおり、道着をしっかり来て、首周りの露出は極力少なめにしていた。


「鮫島化粧品の鮫島と申します。」


そう言って、名刺を差し出した。

名刺には、代表取締役と書かれている。

千夏も、名刺で大会スポンサーのお偉いさんである事がわかった。


「あの大会スポンサーの方が何の用でしょう?」


「少し気になってね。あなた、あまり肌を露出するのが好きではないようね?」


「そんなことは・・・。」


千夏は、左鎖骨部分に、まだら模様の傷跡があり、それを隠すために肌は露出していなかった。

無意識のうちに、手が左鎖骨部分を隠していた。


「左側に何かあるの?」


「いえ、そんな・・・。」


「ごめんなさいね。初対面の人間に言われたら、ビックリするわよね。でもね、私は化粧品メーカーの社長なのよ。あなたの力になれるかもしれないわ。」


大会スポンサーの機嫌を損ねるのも、剣道をやる者としては、極力避けたい千夏は、諦めて傷跡を見せた。

まだら模様の傷跡がくっきりと残っていた。


「少し、化粧をさせてもらってもいいかしら?」


「はい。」


化粧で、誤魔化したとしても、運動して汗をかけば落ちるのは、経験済みだった。

鮫島は、持っていたハンドバックから数種類の化粧品を取り出して、丁寧に塗っていった。


「よし、これでお風呂に入るまで、落ちる事はないわ。」


鮫島は、自信満々に言った。

千夏は、ロッカーについてる鏡で、傷跡の部分を確認したが、そこに傷があることが、本人ですらわからなかった。


「運動選手用にね、落ちない化粧品も開発してるのよ。本当は、あなたみたいな若い人には不必要な商品だけど、千夏さんには、ピッタリな商品ね。」


そう言って、鮫島はニッコリと笑った。

その日の優勝インタビューは、いつものように襟を締めすぎた感じもなく、

居たって普通にインタビューを受ける事が出来た。

鮫島が言うように、化粧は、風呂で落とすまで、落ちる事はなかった。



それから、千夏は、鮫島と連絡をとるようになり、サンプル品を貰い、化粧の塗り方を習った。

千夏自身は、傷跡自体を気にする事は、まったくない。

武道をやってるものなら、傷跡くらいあっても不思議ではないとそう思ってた。

ただ、この傷をつけた本人の目に入るのだけは、どうしても避けたかった。

この傷のせいで、彼女は突きを突けなくなった。

何度も何度も気にするなと言っても、再び突きを放つことはない。

それまでは、お姉ちゃんと呼んでくれていた可愛い従妹が、あれ以来、他人行儀に千夏さんと呼び出した。

あれは、単なる事故だったのに・・・。


そのまだら模様の傷跡を魔法のように消してくれる化粧品に千夏は感謝した。

そして、いつか鮫島化粧品に就職したいとも思うようになった。

もちろん、鮫島冴子も、是が非でも欲しいと思ってたわけだが。


以来、里帰り等で、千夏が千鶴にあうときは、必要以上に鎖骨部分を露出させた。

口下手な千夏は、口で直接いう事はなかった。

左鎖骨部分を必要以上に千鶴に見せる訳だが、千鶴は何の反応もしなかった。

鈍い者同士、意思が伝達する事は無く。

あれから、何年経っても、千鶴が突きを使う事は、無かった。

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