第116話 押し倒すっ

井伊千鶴は、未菜とは学科が違う。

人文学部スポーツ学科。

生徒の殆どが推薦入学の学科である。

野球部の2年生エース、大和祐樹もこの学科だが、彼はエスカレータ組なので、推薦入学ではなかった。


「わざわざ呼び出して悪いな井伊。」


「全然大丈夫ですよ。轟君。」


サークル連の議長である轟は、井伊千鶴を呼び出していた。


「何度も、何度も、言ってるが、俺は先輩だぞ?」


「私は気にしません。」


「・・・。」


何度も繰り返されるやり取りではあるが。


「まあいい。それで呼び出した用件なんだが、野球部の大和祐樹は、同じ学科だよな?」


「はい、そうです。」


「実は、先日、大和が1年の女子を押し倒してだな。」


「わかりました。きっちり全殺ししておきますね。」


「ま、待てっ。あれでも野球部のエースだからな。」


「女性を押し倒すような輩に情けは必要ありません。」


「いや、押し倒したと言ってもだな、押して、倒したんだよ。」


言葉としては、轟は間違ってなかった。


「つまり、押し倒したんですよね?」


「井伊の押し倒したと俺の押し倒したは、意味が違うような・・・。」


「1年の女子を劣情に駆られて押し倒したんですよね?」


「いや、そうじゃなくてだな。んー、そうだっ。突き飛ばして倒したんだ。」


「同じ事ですよね?」


「いや、肩を突き飛ばしたんだ。」


「ベットの上にですか?」


「いやいや、外だ外。地面の上にだな。」


「卑劣なっ!即、殺してきます。」


「まてまてまて、1年の女子は尻餅をついただけだ。怪我があった訳じゃない。」


「へー・・・。」


「俺が動けば、大事になってしまうからな。何とか穏便にすまそうかと。」


「わかりました。穏便に半殺しにすればいいんですね?」


「いやいやいや駄目だろっ。」


「どうしろと?」


「1年の女子に謝らせてほしいんだ。本来なら野球部に頼みたいところだが、とてもいう事を聞くような奴じゃないらしく・・・。」


「そうですか?大和君は、犬のように従順ですよ?」


「・・・。」


あえて何も言わない轟。


「ま、まあ、井伊に任せてもいいかな?」


「わかりました。同級生としてきっちり教育しときますね。」


「怪我だけはさせないようにな。」


「わかりました。」


少し不安になった轟だった。



大学は、受ける講義によって教室が異なる。

K大のように総合大学となると、教室の数は百をゆうに超えてしまう。

千鶴は、次の講義の教室へ向かった。

机に伏せて寝ている大和を見つけて、声を掛けた。


「大和君、先日、1年の女子生徒を押し倒したそうですね。」


周りに居た生徒がザワつく。

突然、突拍子もない事を言われた大和は、ガバッと起き上がった。


「は、はあ?」


「言い訳無用です。この講義が終わったら謝りに行きましょう。」


そう告げて、大和の隣に座る千鶴。

大和は、言い訳をしたかったというか何の事かわからない。

周りの学生も、ざわついいる。

が、なんてったって、K大の裏番。

言い訳無用と言われた後に、言い訳しようものなら、アイアンクローは、必至である。

ちなみに、対男性用のアイアンクローには一切の手加減はない。


「ねえねえ、大和、あんた1年の女子押し倒したんだって?」


そう言いながら、千鶴の前の席に座ったのは、陸上部の香林めぐみだった。

ボーイッシュな髪形に、スラーっとしたスタイルは、いかにも陸上部らしかった。

スラーっとね、スラーっと・・・。


押し倒してねえよっと言いたいところだが、そんな事を言えば。


「ねえ、千鶴、こいつ何処で押し倒したんだろ?」


「外だそうです。」


「マジで?クソ外道じゃない?」


「クソ外道です。」


まったく身に覚えのない濡れ衣である。普通なら逆切れしたい所だが、相手は、裏番。

何も言わず、従った方が被害は少ないと大和は既に学んでいた。


「大和君、私の事は襲わないでね。」


黒髪の綺麗な大人しげな女性が、そう言いながら、大和の前に座った。

弓道部の柘植京香である。


「襲わねえよっ!胸無い奴に興味はねえっつうの。」


「へえ。いっぺん死んでみる?」


大人しげな女性の目が狂気に変貌した。


「す、すまん。間違えました。柘植さんは、いい胸もってらっしゃいます。」


柘植京香、Bカップだった。


「言葉には気を付けてね。大和君、矢でコメカミ打ち抜いちゃうぞっ。」

とニッコリと笑った。


【危うく、殺される所だった。】


何とか難を逃れた大和。

しかし。


「京香がいい胸なら、私はどうなんでしょう?」


隣の裏番が聞いてきた。


「す、すばらしいスタイルかと・・・。」


「じゃあ私は?」


斜め前の香林が聞いてきた。表情からするにもの凄く怒っている。


「ほ、ほら、香林は、カモシカのような足をもってるだろ。」


【ナイス俺】


珍しく、いいフォローが言えたと内心で安心する大和。


「今は、胸の話をしてるんだけど?」


「・・・。」


「千鶴、こんなクソ外道には、いつものでいいんじゃ?」


「そうですね。」


「ぐ、ぐぎゃっ・・・。」


問答無用で、対男性用アイアンクローをかます千鶴。


ボテッ。


そのまま机の上に伏せるように、大和は倒れた。

どうせ、講義は寝てるだけだから、いつもと変わりようはない。

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