第74話 入門

「今日何時にバイト終わるの?」


駅前のフォンデで、時野は、バイトしてる美緒に話しかけた。


「はあ?なんで?」


「デートに誘おうかと。」


「店長呼んでくる。」


「ちょっ、待って美緒ちゃん。」

ちょっと焦る時野。


「で?」


「こないだ俺と一緒にいた女の子覚えてる?」


「どの?」


「い、いや・・・。俺ここに他の女性って連れて来てないと思うんだけど・・・。」


「あの小っちゃくて、可愛い子?」


「そうそう。」

【って美緒ちゃんより年上なんだけど・・・。】


「あの子のお祖母さんが道場やっててさ、夜、見に行ってみない?」


「道場?」


「そう。薙刀や礼儀作法を教えてるんだけど、礼儀作法が女性に人気あるらしくてね。」


「ふーん。」

あまり興味なさそうに返事した。


「宇品の奴も呼ぼうと思うからさ、行ってみよ?」


「親父が来るわけないじゃんっ。」


「来るよ。俺がメールしたら、あいつ、いつも来てるでしょ?」


「そういえば・・・。」


「バイト終わるころになったら、迎えに来るからさ、ねっ。」

美緒は、結局、時野に押し切られ道場へ行く事になった。




「美緒ちゃん、ちょっと休もうとか、違う場所へ誘導されそうになったら大声で叫ぶのよ。」


バイト終わりに、時野が迎えに来たので、店長の洋子が美緒に忠告した。


「ちょっ、洋子さん、俺、そんな事しませんよ?」


「残念ながら時野さん、あなたの信頼度はゼロですよ?」

ズバっと言われた。




道場では、各自が持って来てるクッションの上に足を崩して座っていた。

時野は会釈だけして、邪魔にならないように美緒と二人で隅に座った。

皆さんいいですか?姿勢が変わると周りが違って見えます。これはね、景色が変わるという意味じゃないの。周りの対応が変わって来るって事なのよ。」


「先生、最近、私、姿勢が良くなったねって褒められました。」


「私は、セクハラ親父が近づいてくるように・・・。」


「そういう輩には、毅然とした態度を取るのよ。これ以上は、セクハラですよと、にっこりと笑ってあげなさい。」


「なるほど。」


「私も前にそれで、対応したら近づいて来なくなりました。」


千勢の礼儀作法では、格式ばった物ではなく、普段の姿勢をメインに生徒たちに教えていた。

時には、フランス料理店でのマナーといった、生徒の要望にそったものになったりしている。

OL達は、楽しそうに、それでいて真剣に講義を受けていた。


講義が終わり、帰るOL達の中に、美緒に声を掛けてくるものも居た。


「美緒ちゃん、また今度フォンデ行くからね。」


「大丈夫、時野さんと一緒で?」


「私達待ってようか?」

と、フォンデの常連のOLさん達である。



「今日は随分と若い子を連れてるのね時野さん。」

千勢が聞いてきた。


「娘さんってわけじゃないでしょ?」


「友人の娘ですよ。もうちょっとしたら父親も来ますんで。」

時野は、宇品にメールをしていた。


美緒ちゃんと二人きりナウ。


文面の下には、道場の地図のURLを張り付けていた。


「美緒ちゃんもここで、学んでみない?」

時野が美緒に聞いた。


「私が?」


「うんうん。」


「なんで?」

「いや、フォンデのバイトさ、宇品の誕生日プレゼント買っても続けてるから、それなら、ここで学んでもいいかなあと。」


「フォンデは、お店の人もいい人達だし、お客さんも優しいから・・・。」


「うんうん。だからね、ここで学んで、ステップアップしようよ。」


「???」



「美緒~~~っ!」

宇品が道場に飛び込んできた。


「宇品、靴はちゃんと脱げよ。」


時野に忠告され、ちゃんと靴を脱いで入ってきた。

すぐさま、千勢を見て挨拶をする宇品。


「初めまして、美緒の父です。」


元ヤンキーのくせに、さすが部長にまでなった男だけあって、礼儀正しい。


「井伊千勢と言います。時野さんの茶飲み友達です。」


「お気を付けられた方がいいですよ?こいつにとっては女性は何歳になっても獲物ですから。」


「あらまあ。ほほほほ。」


「仕事はいいのかよ。」

美緒が言った。


「そんなもん。部下に放り投げてきた!」

親バカである。


「まあ、宇品も来たことだし、どう?美緒ちゃん、ここで礼儀作法学んでみない?」


「むっ、井伊さんは、礼儀作法を教えてらっしゃるんですか?」

宇品が千勢に聞いた。


「ええ、OLさんや学生さんに教えてます。学生の方は、大学のなぎなた部を面倒見てますんで、それに合わせてですけど。」


「お恥ずかしい話ですが、うちでは美緒には礼儀作法とか教えれる人間が居ないんですよ。」


「今は、何処もそうですわ。」


「美緒が習いたいなら、父さんは賛成だが?」


「おっさん、さっき言ってたステップアップって何?」

美緒が時野に聞いた。


「フォンデはさ、可愛い店であると同時に高級店でもあるんだよ。高級感って、デザートだけでなく、他にも出せるの知ってる?」


「私達ウェイトレス?」


「そうだね。美緒ちゃんは若くて可愛いから、常連のおばさんたちには、それだけでいいと思うんだけど、そこからステップアップしたくない?」


「ここで礼儀作法を学んだらステップアップできるの?」


「美緒ちゃん。」

千勢が話しかけてきた。


「そこの隅にテーブルと椅子があるでしょ?美緒ちゃんは椅子に座ってて。」

美緒は、千勢に言われた通りに椅子に座った。


「時野さん、お願いできます。」


「俺ですか?」


「天職でしょ?」


「・・・。」


時野は、料理を持ってるかのようにウェイターの役を演じた。

元々姿勢のいい時野は、流れるような動作で、料理を置いていくフリをした。

ほんの一瞬、美緒は、自分が何処かのお嬢様のような錯覚を起こした。


「どう、美緒ちゃん。高級感は味わえたかしら?」


千勢が聞いた。

美緒は、コクリと頷いた。


「親父、私、ここに通ってもいいの?」


「ああ、美緒が通う日は、父さんが迎えにくるから。」


「まあこれない日が、あったら俺がお迎えに・・・。」


「お前は来るなっ!」

時野は宇品に釘を刺された。



結局、美緒は週2で、道場に通う事になった。

そして、親子二人仲良く帰って行った。


「随分と美緒ちゃんを気にかけてるのね?」


「うちの息子と同い年なんですよ。」


「あら、息子さんは?」


「十年以上会ってません。向こうにも新しい家庭がありますから。」


「美緒ちゃんも大変ねえ。二人もお父さんが居て。」

時野は、千勢に言われて、頭を掻いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る