★24 夢の中で

「おい」

 黒衣こくいはうっすらと目を開くと不機嫌そうな声を出し、それに灰色のローブを纏った者が答えた。

「……何だ?」

「そんな声出したって、もうばれてんだよ」

 黒衣は擦れた声に怒りを滲ませ、その死神を睨み付けた。すると、驚いたように立ち止まり、ぱさんとフードを下げて笑った。

「あはは……いつから?」

「最初に声、聞いた時から」

「なあんだ、あなた、あの時は死んでたじゃない」

「意識はあった。ただ、体が動かせなかっただけだ」

「あらぁ、そうだったの。ねぇ、それにしても私、かなり上手かったんじゃない? あの人の心内なんてお見通しなのよ。あなたが居なくなって、心配と焦りでいっぱいだったわよー」

 見せたかったわと笑う彼女を見ると苦い物を吐き出すようにして嘆息し、自分の横に立って歩く、ローブと同じ灰色の髪をした人物に向かって呆れて言った。

「何でわざわざそんな格好をしてまでここへ来るんだ」

「だって、あなたが惚れ込んでいる子がどんな子か見てみたかったのだもの」

 そう言うと彼女はころころと声を立てて笑った。年は素納多と変わらない位で、この色の無い世界ではひときわ目立つ青い瞳が印象的だった。

 彼女は鎌を持っていない方の手を顎に添え、考えるように微笑んだ。

「うんでも、確かに可愛い子だったわねー。あの子が私たちの義理の娘になのねぇ……」

「お袋!」

「あら、そうじゃないの?」

 黒衣は叫んだせいで咳き込み、不自然に真っ赤になって、もごもごと口の中でそうじゃなくは無いけど、といったような意味の言葉を呟いた。

 彼女はそんな様子の黒衣を見てまた笑った。

 彼女こそ黒衣の母親であり、死の神の王である黒衣の父親の妻だ。

 彼女は腕の良い巫女だったが、それと同時に不治の病を抱えてもいた。運が良くても、二十歳にならず落命するであろうと言われていた。彼女が死の神の王と会ったのは、一通りの仕事ができるようになった、十三歳の頃だった。

 二人は会ってすぐに恋に落ちた。人と神という決して結ばれることのない恋だったが、彼らは会って居られるだけで幸せだった。

 しかし、彼は訴えた。彼女の死期がもう後数週間に迫っている時だった。あなたとずっとに居たい。

 自分の力を使えば、あなたを自分と同じ者に変えることができ、そうすれば、自分たちは結ばれることができる――――

 彼の言葉に彼女は戸惑い、考えさせてくださいと言った。

 答えは、私が死ぬ前に、必ず伝えます。彼と彼女は一時の間別れ、そして、彼女は自分の命が終わる少し前に、彼に、つまり彼女の今の夫に言った。あなたと一緒に居させてください。ずっと考えました、でも、あなたと離れて、二度と会えなくなるなんて耐えられない。

 彼女の命の火が燃え尽きたその時、彼女は彼の手によって死神にその身を変えた。

 そして晴れて二人は結ばれ、彼女は、もうこの姿で数百年もの時を過ごしている。

 そんな小説にでも出てきそうな恋愛話を、黒衣は耳にたこができるほど聞かされていたが、二人のいつもの様子を見ると、到底そんなことがあったとは考えられなかった。

 彼女は大きな目を細め黒衣に微笑んだ。

「心配していたって言うのは本当のことよ。私も、あの人とっても心配だったのよ……いい? あの人は見かけからは判断できないだろうけど、私が言ったみたいにナイーヴなところがあるんだから、ちゃんと話して、それから謝ってきなさい」

 それは紛れもなく母親の微笑で、黒衣は頭をがしがしと掻くと――父がナイーヴだということには決して納得がいかなかったが――わかったと頷いた。

「まったく。あなたのせいで、家にある金星のうち一個が使い物にならなくなったのよ。いくら家が裕福だからって、無駄遣いをしていいってことにはならないんですからね。その点についてはあの人も同感なのだから、戻ったらたっぷりと罰があることを覚悟しなさい」

 黒衣はそれを聞いて顔をしかめたが、その後で少し笑った。

 紅恋はきっとお袋に可愛がってもらえるだろうし、心配することは無いな。はやく、あいつに合わせてやりたい。

 まだ少し時間がかかるかもしれない。でも、もう少しだけ待っていてくれないか? 

 彼は微笑み、目を閉じた。自分を信じて待っている彼女のために、一刻もはやく体をもとに戻すために。

 

 *


 紅恋くれんにはひかりの隣の部屋をあてがわれた。何かあれば、すぐにベッドサイドのボタンを押すように言われたが、ベッドに倒れると泥のようになって眠りに落ちた。

 黒衣、あなたはまた、遠くに行ってしまった……それがとても、悲しかった。


 紅恋は、気がつくと暗い所に立っていた。そこでは色々な濃度や密度の黒が、渦巻きながら息づいていた。何の音もしない場所に、足音が聞こえてきた。紅恋が音のするほうを向くと、そこには自分とまったく同じ顔をした人間が立っていた。しかしそれは洸ではない。

 紅恋は息を呑んだ。

 自分だった。紅い髪。紅い目。けれど、表情が違う。

 自分だが、自分ではない。

 そう、彼女は……

 ずっとあたしに殺人を強いてきた、彼女。

 会ったこともない、もう一人の、あたし―――――!

 挨拶の代わりに彼女は微笑んだ。紅恋は、気が付くと叫んでいた。

「何で!? 何であたしにあんなことをさせたの!?」

 おどろいたかのように目をぱちくりとすると、挑むように紅恋を睨んで口を開いた。

「なにそれ。って言うより、実際やっているのはあたしでしょう。あなたはその間ずっと寝ていればいいんだもの。記憶だってないはず」

 紅恋は口を閉じた。彼女は少し暗い顔をして、続ける。

「あたしだって気持ちのいいことじゃなかったわ。あんなことをするのは」

「じゃあ……!」

「でも、しかたなかった。だって、あたしはそれをするために、そのためだけに生まれたのだから」

 それが、あたしの役目なのだから。

 そのまま、彼女は続けた。紅恋に教えるために。

「あなたは自分でも知らないうちに、自分の中に大きなストレスをためていたのよ。両親からそういうことをやられてね。「どうして?」「何で?」「あたしは何にも悪くないのに!」そうよ、実際、悪いのはあなたじゃなくてあたしたちの親よ。その不満はだんだんあなたの中で大きくなってきて……それで、あなたの中の力が暴走しちゃった」

 紅恋は驚いた。そんな風に考えたことは一度もなかった。ただ、自分が悪いと思っていたのだ。理由なんて、考えてもみなかった。

 やる気なさげな手振りをしながら、彼女は説明をする。

「こう、ストレスの重さで変なとこが開いちゃったのよね。元々人間誰でもちょっとした能力はあるの。ようはそれが強いか強くないか、開くか開かないか。あなたの場合、元々特殊な力を持っていた。そして、それが爆発しちゃったってこと」

 ため息を吐く。

「だから、一番最初のだけはあなたがやったってことになるわね。それは正直に言わせてもらうわよ」

「じゃあ……なんであなたは……」

 彼女は少しの沈黙の後、答えた。

「あなたは黒衣と会って楽しい思いをして、それで大体のストレスは消えて行った。でも、そう、ストレスはまだ少しになっても残っていたの。消えなかった。おまけにあの時のことで髪の毛も瞳も真っ赤になってしまったから、いくら黒衣が名前を付けてくれて、その髪の毛と瞳も少しは愛することができたとしても、それはあなたにとって自分のやった罪を証拠付ける一番大きなものだから、どうしてもストレスは無くならなかった」

 そこで彼女は言葉を切って、紅恋を見つめた。

「それで、あたしが生まれた。あなたの中に」

 あなたのストレスを消化するために。

 ただ、それだけのために。

「あなたは優しい性格で、普段は考えることは少ししても実行することは出来ない。でも、ストレスを溜め続けていたらあなたは本当に死んでしまっていた」

 あなた、本当はずっと危ないバランスの上に居たのよと彼女は言った。

「だから、代わりにストレスを発散するためのあたしが生まれた。あなた、一番初めに人を殺してしまったとき、それでも何かすっとしたでしょ? 嫌だった。あの気持ちこそ、あたし。あたしはあなたのなかの残酷で一番恐ろしい物。あなたが嫌だと思ったことを平気で出来る。あなたの心を守るため、あなたの命を守るため、あたしが生まれたの」

 冷静に続ける彼女に向かって、今まで堪えていた物を吐き出すように聞いた。

「だけど……なんで、人を殺すなんて……そこまでしなければならなかったの!? こう言ってしまうのは……いけないことかもしれないけれど、あたしは殴られただけだし……そんな、人を殺すなんて!」

 彼女は哀れむような目をしていた。

「「殴られるだけ」なんて、よく言えるわね。あなたは、自分をこの世に作り出した親に、自分の存在を否定されて、その上暴力まで振るわれたのよ? そのストレスは計り知れないわ……ただのストレスなんかじゃない。憎しみ、悲しみ、恐ろしいほど哀しい気持ちが集まってできた、キモチ。「あたしのことをいらないと言うなら、あなただっていらない」「あたしのことを憎むなら、あたしだって、あなたを憎む」「あたしに死ねというのなら、あなただって、死んでしまえ」……それで、爆発したの。どれだけ哀しくて、どれだけ強い気持ちか、あなたにだってわかるでしょう?」

 でも、安心してと彼女は目を逸らして両手を肩の高さで広げた。

「あたしはもう必要ないの。もうすぐに消えるわ。あの人を殺して、それで、最後までわだかまっていた、あなたのあのストレスは解消された。本当はもっと何人もやる必要があったと思ってたけど、あの子と会ったおかげで随分、無くなったみたい。あの子に感謝しなさいよ」

 紅恋は、ぽつりと呟いた。

「あの……ありがとう」

「なあに?」

 彼女は振り向いた。

「どうして? あたしはあなたにとって嫌なことばかりしてきたじゃない。あなたの心を守るためだけど、同時にあなたを傷つけたじゃない」

「でも、あたしのために、あなたにそんなことをさせちゃって……ごめんなさい。それで! あの、あたしのために、そうやって、嫌だけどそう言う事、やってくれて、あの……ありがとう、と思ってるの」

 紅恋は両手を握り締め、自分の気持ちを自分でも確かめるように、慎重に言葉を選んで言った。彼女は呆れたように苦笑した。

「ほんっと……あたしとあなたは違うのね。いやになるくらい、あなたはこんなに優しいんだもの」

 ちょっとだけ、うらやましいかも。

 そう言って寂しげに笑うと、彼女は紅恋に近付いてきて、彼女の胸の真ん中を人差し指で突いた。

「いい? あたしはあなたの一番残酷で恐ろしい所なのよ。あたしとあなたは今、二つに分かれているの。あなたが完全なあなたに戻るために、あなたはあたしを取り込まなければならないの」

「え!?」

「実を言うと、この状況ってあなたに大きな負担を掛けているのよね。あたしを作り出すことでストレスを解消しなければ、あなたは死んでしまっていたけれど、早く元に戻らないと、あなたは長く生きられない」

 嫌だろうけど。と彼女は強く突いて紅恋の目を見つめた。

 全く同じ形の、暗い瞳と、清純な瞳がぶつかる。

「あたしを、受け入れて」

 紅恋は目を閉じ、深呼吸をすると、目を開いて、言った。

「わかった……いいよ」

 彼女はにっこりと笑うと、紅恋の胸に突いた指を中心にだんだん紅い帯に溶けて、激しく渦を巻きながら紅恋の中に吸い込まれていった。自分の心の中に、強く、鮮やかに紅く光る星が出来たような気がした。

 紅恋はその星を抱きしめた。

 自分の中の、一番激しい感情だ。汚いところ、凶暴なところ。ずっと、あたしの代わりに汚い部分を守ってきてくれた彼女。それがかけてしまっては、人間ではないから。

 あたしの中の星は、一番強く光る。ずっと抱きしめているから。

 今までありがとう。

 これからも、よろしく――――

 紅恋は涙目のまま、淡く微笑んだ。

「ありがとう……」

 暗闇はもう怖くない。

 あたしは光を見つけたの。

「これからは、ずっと一緒に居るから」

 それにね、いくら暗くても、光はもう差し込んで来てる。

 あたしを、迎えに来てくれてるの。

 だから、大丈夫。

 大丈夫だよ!


 紅恋は一生懸命自分に向かって言い聞かせた。もう一人の自分を、自分の一部を、労うように。

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