☆23 操り人形

 黒い空間に居たのは一瞬だけだった。次の瞬間には、ひかりは灰色の床に足をついていた。

黒衣こくいいいいいっ!」

 紅恋くれんの叫び声が聞こえ、それに反応して黒い服、黒い髪の青年ががばっと顔を上げた。そしてすぐに叫び返す。

「紅恋っ!」

 洸は紅恋と龍巳たつみが大きな檻に入れられていることを見てとると、そこに向かって走り出した。目の端に、あの青年も飛び出したのが映った。檻に飛びついて名前を呼ぶ。

「龍巳っ! あんたなんでこんなとこに……」

「洸、駄目ぇっ!」

 紅恋がはっと身を強張らせて叫んだ。

「え……?」

 龍巳の腕が無雑作に突き出された。洸は咄嗟にそれを避けたが、腕に鋭い痛みが走り、つと何かがそこを伝う。腕をかえして見ると、そこには細い紅が一筋走っていた。龍巳の手の爪は伸び、鋭く尖っていた。

「龍巳……どうして」

 洸は問いかけた。龍巳の目は灰色で何も映っていない。

「ふふ……」

 洸は素早く振り返った。そこにはもちろん、彼女が居た。

「B・B、あんたがこんなことをしたのね……」

「ええそうよ」

 彼女は笑いながらそう言った。

「このっ……!」

 洸は歯を食いしばり、B・Bに飛び掛った。

「許せない!」

 そのまま攻撃するつもりだった。しかし、B・Bは洸の足が床を蹴った瞬間、パチンと指を鳴らした。それと連動して錠が落ち、扉が開く。洸は鈍い衝撃と共に床に突き飛ばされた。

「龍巳……」

 B・Bの前には、龍巳が洸を突き飛ばした形のまま、腕を伸ばして立っていた。

「いったい何!? 何考えてるの? 龍巳にこんなことさせるなんて!」

 洸は笑う彼女を睨み付けた。

「おしゃべりしている暇はないわよ」

 龍巳が素早く動いた。洸は反応できず、彼に首を掴まれてしまった。力をこめて締め上げられる。

(苦しい!)

 洸は暴れ、龍巳の手を振り払った。

「……何すんのよっ!」

 龍巳は何も言わない。無言で、無表情に彼女の顔を見つめるだけ。B・Bがほくそ笑みながら言った。

「龍巳に声は聞こえないわ。だってもう、私が心を壊してしまったもの」

 洸は龍巳に目を戻した。目の奥の光がない。ただただ、真っ直ぐに自分の顔に、顔を向けている。そう、彼は洸の顔を見ていなかった。龍巳の目には洸の顔が映っている。

 しかし、それは単に鏡のように映しているだけ。

 あんなに、明るかったのに。

 今は―――真っ暗だ。

 洸はぞっとして叫んだ。彼の、あのくるくると変わる表情が全く無いなんて、あってはならない!

「何てことするの!?」

「あら、だって」

 彼女は洸を見ずに笑っていたが、嘲る様に目を向けた。

「あなた、邪魔なんだもの」

 B・Bはその邪悪な目をそらさずに続けた。

「私の計画にはあなたみたいな、私の操れない人間は邪魔なの。とくに、あなたみたいに私のことを嫌い、疑っている人間はね。だから、殺すのよ」

 洸に悲しげな笑みを向ける。

「ほら、あなたは私の目を見ても、自分が揺らがない。そういう人間は邪魔なだけだわ」

「だからって……どうして龍巳を!」

「ふふ……龍巳は変わったの。あなたと会ったことで、本当の笑顔を手に入れ始めている。いつも、笑顔の仮面を被っているだけで、いつも、心に影を抱いていたのに……このままじゃ、あの子はあなたみたいな邪魔な人間になってしまう。だからまだ、心が強くならず、柔で壊れやすいうちに壊したの。また一人手にかけて、龍巳の心は完全に闇に消える。そうしたら、また、私の兵隊が一人増える……」

「でも、何でっ……」

「あなたたちのチームは、心に傷を負っている子ばかりを選んで作ったの。酷く傷ついた子のほうが、力が強い傾向があるようなのよ。傷を負っている子は、心が弱い。だから、その弱みを突けば簡単に壊せるの。まぁ、あなたみたいな例もあるのだけど龍巳はあなたとずっと共に行動しているし、役目を担うには丁度よかった。それだけよ」

 洸は龍巳を見た。

 からっぽで虚ろな顔。何もかも、奪われてしまった顔。

 彼女はぐっと唇を噛んだ。

「だけどっ……! こんなことっ、許されるはずない!」

 B・Bは洸を見て溜息をついた。

「まったくね……あなたのその正義感には感服よ」

 彼女の後ろに、二人の人間が現れる。

「けれど、どれが悪でどれが正義かなんて、どうでもいい。私は、自分の野望を果たすためならなんだってするわ」

 また、彼女は笑う。

「そう、たとえそれがどんなに黒い道でも、私は進む」

 洸は驚き、零れそうになる涙を、無理矢理堪えた。

「お父さん、お母さんっ……」

 二人は笑顔だった。とても優しそうに笑っているのに、その顔からは獰猛さ、残酷さが見て取れた。

「彼らが殺されたことも、言ってしまえば私には都合のいいことだったのよね。あの時すでに、いつどうやって殺そうか考えていたところだったし」

 洸は憎しみのこもった目で睨み付けた。B・Bは涼しげな顔をしている。

「死んだ人間の魂を拘束するのは簡単なことよ。二人の能力はそのまま無くしてしまうのにはあまりにも勿体なかったから、こうして蘇らせたの。おかげで今では二人共」

 彼女は言葉を切った。

「私の忠実な奴隷」

「ふざけんなぁっ!」

 洸は吼えると飛び掛った。次の瞬間、彼女は銃口と鋭い爪と光でできた刃を三方から向けられていた。

「ほらね」

 彼女は笑っている。

「心配しなくてもいいわよ。あなたの能力も惜しいものだし、兵隊はまだまだ足りないのが現状だから、洸、あなたも一度殺して、兵隊の一員に加えてあげる」

「そんなもの、なってたまるもんか!」

 洸は叫んだ。

「うーん……仕方ないわねえ」

 彼女は苦笑して言った。

「ま、死んでしまえば、いくら嫌でも甦らせた人間の言う事は聞くしかないのだし、せいぜい今のうちに叫んでおくことね。私は騒がしいことは嫌いだから」

 洸は言いかけて、ぎりりと歯軋りをし口を噤むと、彼女の右手に光が集まり始めた。青く光りながら洸の右手を包み、長くて細い剣が現れる。

 今迄で、一番美しい剣だ。

 柄にも、その刃にも細かい彫刻が施された、それはまるで一級の芸術品だ。神の与えたもうた神器だった。

「そう、じゃあ地獄はそうとう騒がしいだろうから覚悟しておくことね。あんたなんか蘇らせてくれる人、誰も居ないに決まってるんだから!」

 そう言うと、洸は床を蹴って自分を囲む三人の隙間をすり抜け、剣を勢いよく突き出した。硬質な音が生まれる。

 しかしそれは飛雄ひおの出した光の盾によって阻まれる。

 やれやれと彼は首を振り、B・Bに言った。

「うちの娘は随分強くなったようだ」

「あなたそっくりじゃない」

 素納多そなたは左手の袖で口を覆って笑う。その銃は洸に向けられたままだ。

「出来ることなら生きていて欲しかった」

「けれど、それは叶えられない望みなのよね」

 二人は悲しげに笑い、飛雄が盾を拳銃と変化させる。

「洸、愛しい私たちの娘」

「死して永遠に共にいましょう」

 黒い引き金と光の白い引き金が引かれる。洸は飛び上がって躱した。エアフィアの力が洸の体を取り巻いた。

「そんなのいやっ! あたしは……」

 体制を整え、また剣をB・Bに向かって突き出しながら急降下する。剣が払われる。

 白い盾が、揺るぎなくそこに存在していた。

「主を傷つけることはできない」

「なぜなら私達が居るから」

 素早い。その一瞬のやり取りで洸は力量の差を思い知った。自分には、到底敵わない。だけど、攻撃を緩めるわけにはいかない。洸はまた剣を繰り出した。死にたくないわけじゃない。

 死は誰にでも必ず訪れる物だし、それに、みんなと会うまでは、今すぐ死んだっていいと思っていた。

 ――――そう、みんなと会うまでは。

 今まであたしは、ずっと一人で生きていた。周りに誰もいないと思っていた。誰も振り向いてくれないと、決め付けて一人下を向いていた。唇を噛み締めて、大地ばかり見据えていた。

 今はもう違う。

 周りに人が居る。ようやくその事に気づけた。皆、ここに居る。あたしが只ずっと、黙っていただけだった。きっと前から、ここにいた。一人で生きていると思い込んでいただけだった。一歩踏み出せば、それでよかった。踏み出すのから顔を背けていた、それだけだった。

 一人は辛い。一人なら、生きていたくない。

 でも、今はもう、違う。

 あたしは生きたい。命の続く限り。

 それなのに、こんなところで死んで、蘇らせられて、言う事を聞くロボットに成るなんて、絶対に嫌だ。

「あたしは……あたしは、そんな風に何かなるもんか!」

 突き出す。払われる。横に払う。止められる。

 振り下ろす。また止められる。切り上げる。弾かれる。

 洸の剣は彗星のような軌跡を僅かに残しながら閃くが、彼らはそれを苦も無く受け止める。その動きを何度も繰り返していると、B・Bがうんざりしたような声で言った。

「そんな事を繰り返していても仕方ないじゃない。素納多、飛雄、もういいわ。あなたたちはあの子を殺しなさい」

 洸には、B・Bの言う「あの子」が誰なのかすぐに分かった。紅い髪の、優しいあの子だ。酷いことを強いられて、辛さに涙し、唯一の支えを無くして死のうとした子。

 一時、激しく憎んだ。それは確かだ。けれど、今はもう、乗り越えた。

 どんな過去があっても、同じ顔の――――友達だ。

「あの子の隣に居る子は殺しちゃ駄目よ。あまり酷い怪我を負わせても駄目」

「分かっています」

「なんて言ったって、死の神の息子ですものね」

「そう。でもあまり酷い怪我を負わせると、やはり半分は人間。死んでしまう危険もあるから」

「分かりました」

「では」

 彼らの足が床を蹴った。二人の体が横を通り過ぎる。

 洸は叫んだ。

「やめて!」

 彼らは振り向きもせず、止まりもしない。なんとかして止めようと走り出した。その彼女の背中に声が聞こえた。

「洸、あなたには、あなたの相手が居るじゃない」

 風が吹いた。慌てて剣を翻し、ナイフのように鋭い爪を受け止める。無表情な目が二つ、並んだ。

「龍巳……」

 剣を外して飛び退る。

「何してるの!? あんたは、こんなことする奴じゃないでしょ?」

「無駄だって言ってるのに、馬鹿ねえ」

「そんなの分かんないじゃない!」

 洸は言った。空っぽの彼の瞳を睨むように見る。龍巳は何の反応も示さない。B・Bは龍巳の心を壊したと言っていた。とてもつらかった。いつもの龍巳がいないことが。今の状況を、いつもの彼ならばどれほど苦しがるか、手に取るようにわかった。共に時間を過ごした仲間だからだ。

 それなら、あたしが元に戻してやる。

 辛い話を打ち明け、仲間だと言ってくれた彼の心が、砕けてしまったなら。

 その破片、あたしが拾う。

 割れてしまったならその割れ目、あたしが閉じる。

 何度目かに、ぎりりと歯を食いしばる。

(あんな奴に負けるな)

 龍巳が翼を広げて突っ込んでくる。

 洸は剣を構えた。

「負けるなッ――――! 龍巳!」


 その時、突如として激しい破裂音が鳴り響いた。音と共に、洸に向かってきていたはずの龍巳の体が吹っ飛んだ。

「えっ」

「馬鹿っ、何考えてるのよ!」

 声の方向に振り向くとそこには黒い穴があった。穴の前には大きな青い狼がいて、さらにその狼の上にリタが立って腕を前に突き出していた。

「リタ!」

「洸! 大丈夫だった!?」

 彼女は狼から飛び降り、駆け寄ってきた。後ろにはチームの他のメンバーも全員いる。

「洸さぁん!」

「あっ、スー! 聡貴、デリスト!」

 彼らも次々にそこから飛び降り、洸の周りに集まった。

「ったくあの馬鹿ドラゴン! 洸に攻撃するなんて、とうとう頭ブッ壊れたのかしら?」

「洸! 大丈夫だったか?」

「デリスト! 平気だよ。大丈夫」

 洸はそう言ったが、スーは目ざとく龍巳に付けられた傷を見つけると背負っていた楽器を下ろした。

「そんな事言って! 血出てるじゃないですか! 待ってください、すぐ治しますから」

「ほ、本当に洸だよね? お化けじゃないよね?」

聡貴さとき……あんたらしくもない。怯えてるとこなんておかしいよ」

「美しい友情ね。でも、そんな事してる暇があるのかしら?」

 皆B・Bを振り返った。その瞬間龍巳が飛び込んでくる。

 反射的にリタが衝撃波を繰り出して、龍巳はあらぬ方向に飛ばされた。だが今度は途中で体を翻し、またすぐに向かってくる。爪を突き出し、一直線に洸を狙って――――

 固い音が響き渡った。恐竜の物にも似た爪はデリストの作り出した氷の壁に阻まれていた。

「龍巳、オメェおかしいぞ。何やってんだよ、この馬鹿」

 無言だった。目も焦点があっておらず、見ていない。彼らは何も言わない龍巳を見て、異常さに気付いた。

「B・B! お前が……」

 聡貴が声を荒げた。

「ええそうよ。何か問題でもある?」

 淡々と返され、彼は言葉を無くした。

「B・B」

 声が通った。

 皆がそちらを向くと、静かな目をした笹舟ささぶねがゆっくりと、鷲と山犬を連れて歩いてくるところだった。

「笹舟博士?」

「博士があたしたちをここに連れてきてくれたんです」

「あの鷲と狼は? 狼のほうは、さっきは大きかったよね」

「青一と青二。人魂には身をやつしててただけで、ほんとは動物霊だったんだ。それで、ドクターの……えーと、そう、式神だったんだ」

 洸は驚きにただ黙るばかりだった。

「あら、博士。ようこそ」

「B・B、止めるんだ。こんなことをさせるために君を……君を呼んだわけじゃない」

「呼んだ? 随分持って回った言い方をするのね! この子達が居るから? 正しくは、〝作った〟わけじゃない。そうでしょう?」

 笹舟は少しも取り乱す様子が無く、静かだ。

「作っ……た?」

「そうよ。私はこの人に作られた人造人間アンドロイド

「あ、アンドロイド!?」

「嘘!?」

 チームの面々は驚いた。

「う、わっ!」

 その時また、龍巳が飛び込んできた。間一髪、体を捻って洸はそれを避ける。

「っくそ! 状況読めっ、てば!」

 洸は舌打ちして混乱する頭のまま盾を作った。龍巳の攻撃を受け流しながら、頭の中は考えがぐるぐると駆け巡っている。

 アンドロイド!?

 B・Bが!?

 それに作ったのが笹舟博士!?

「そうだよ。彼女は僕が作った」

 彼は遠くを見るように、昔の記憶の糸を手繰った。

 洸たちは龍巳の相手をするのに手一杯だったが、耳だけをそっちへ向けて話を聞いていた。

「僕は、小さい頃からこの力があった。けれど誰もそのことを馬鹿にするなんて事は無かったし、友達もいっぱい居た……だけど、ある日僕は一人の女性の霊に会った。

 学校の帰り道、友達と一緒の時だった。

「おいで……いい物があるよ、宝物があるよ……」

 そう言って、彼女は僕を手招きした。彼女からは余りよくない気配がしたけど、僕は霊を怖いとは思わないし、近所の霊たちも自分を見ることの出来る僕をよく思ってくれていて、魚のよく釣れる場所やカブトムシの取れるところなんかを教えてもらったりしたから、それほど疑わずに着いていこうとしたんだ。

 友達がどこへ行くんだと聞いたから、霊がいて、宝物があると教えてくれたんだ。とそう伝えた。彼は冒険が好きなたちで、宝と聞いていても立っても居られなくなったのだろう。すぐに連れて行ってくれと言ったよ。だから僕も承諾して彼と一緒に行くことにしたんだ。だけど、彼女はいわゆる悪霊だったんだ。僕らを崖に誘き寄せ、突き落とした。その後で、昔あそこで自殺した女性が居ると言う事を聞いたよ。僕らは茂みに落ち、それでも運よく死なないですんだ。そう、でも、突き落とす瞬間、彼女が彼にも見えたらしくてね。その後すぐに崖から足を踏み外して、恐ろしい思いを味わったから、彼はそれが相当ショックだったらしいんだ。

 彼は足も捻ってしまったし、次の日から、僕には友達が居なくなった。「あいつとかかわると怪我をする」「彼は上手く怪我ですんだけど、もしかしたら今度は死ぬかもしれない」そんな噂が飛び交って、皆僕と話すのも、触れるのも嫌がった。いままで仲の良かった人たちは、皆、皆去って行って、僕はあっと言う間に一人になった。そして、父も母も突然の病にかかって、まるで計ったようにぽっくりと死んでしまってね。青一と青二に慰めてもらいながら、ずっと泣いていた……。

 ダイヤモンド・グローリーからの迎えが来たのはその頃だった。洸ちゃん、君の両親とはその時出会ってね。年下で、その時は悲しみに暮れていた僕に、彼らはとても良くしてくれた……同じチームにも入っていたんだよ。君たちみたいに実戦に出たことも、実はあるんだ。あの時が一番楽しかった」

 記憶がよみがえったのだろう、口元には嬉しそうな微笑みが浮かんだ。しかし笑みはすぐに消え、彼の顔はまた悲しい色に染まった。

「ああ、ちくしょう。埒あかねぇっ! ちぃっと……!」

 いくら跳ね返しても向かってくる龍巳にデリストが拳を固め、彼に向かって突き出した。デリストの握り締めた手の周りには、きらきらと光る白い帯が纏わりついている。

「そこで反省してろっ!」

 デリストがさっと手を振ると、巻き付いていた白い冷気が龍巳に向かって迸った。白い帯が龍巳の体に触れた途端、彼の下半身は床に氷付けになった。

「霜焼け位したって、お前にゃ丁度良いくらいだろ」

「止めておいたほうがいいわよ」

 B・Bが冷めた声を掛けた。

「今、彼の頭の中には洸を殺すことだけしかない。自分の体のことなんてどうでもいいの。自分が傷ついても、その枷を外すことだけを考えるはずよ……そう、たとえば骨の一本や二本、折ってでもね」

「っくそ……!」

 彼は顔を歪めた。龍巳はもうそこから抜け出そうともがき始めていた。体が軋んでいるが、龍巳は一向に気にしていないようで力を緩めない。

 聡貴が慌てたように叫ぶ。

「デリスト! 氷を解かなきゃ!」

「くそっ」

 デリストが目を閉じると、氷が白い煙を上げて溶けた。

 龍巳は自由になるとすぐに床を蹴った。

「止めようとするのは無理よ。さっき言ったとおり、自分の体がどれだけ傷ついても、彼は洸を殺そうとする。私が、命令したのだから。まぁ、止めようとして、そこから彼が抜け出そうとした結果死んでしまったとしても、また甦らせればいいだけのことなのだけれど、ね……」

「B・B、もうこんなことは止めてくれ!」

 笹舟は必死に訴えた。

「僕は、君にそんな事をしてもらおうと思った訳じゃない。組織に来た全ての人間の居場所を守るため、今まで傷ついてきた人たちが、今度こそ楽しく過ごせるために僕は……」

「「君を作ったんだ」……そう言いたいんでしょう?」

 スーが、洸の腹部をえぐろうと爪を伸ばした龍巳を阻むために、歌う。するとどこからとも無く風が吹いて、龍巳をはじき返した。リタがバリアを張った。酷く疲れる技なのに、龍巳を除くチームの面々全員に、その技を使った。

 聡貴が、デリストが、龍巳を力ずくで止めようと飛び掛った。聡貴の軽い体は、彼に振り払われて硬い床に叩きつけられる。しかし彼は立ち上がり、また向かう。

「とんだお笑い種ね。嘘つき」

 B・Bは嘲った。

「本当は、両親を生き返らせたかったんでしょう? 私は実験台で、私が上手く行ったら、今度は親を作ろうと思ったんでしょ? それ位、作られた私だって分かるのよ!」

 彼は何も言わず、B・Bは凶暴さの見える笑顔のまま、続けた。

「ロボットを作ればよかったのよ。こんな風にならない、あなたの思ったとおりにだけ動くロボットを。だけど、生憎私は人造人間。人に作られたけれど、人間なの! 悲しみも苦しみも全て持ち合わせているのよ。私をこんな風に作ったあなたが憎い。いっそ、ロボットにしてくれればよかったのに。そうすれば、こんなことで苦しまずにすんだ。だから!」

 彼女は、泣いていた。笑いながら、その笑顔を歪めて両の目から涙を零していた。

「だから……私は作られて、あなたに対する憎しみが抱えきれないくらいに大きくなった時にあなたに催眠術をかけた。あなたがつけた能力が、あなたのあだになったのよ」

 彼女は笑った。そして続ける。

「私は! 私は、この世界を支配する。邪魔者は皆居なくなればいい! 鬱陶しいのよ! 私が最後まで心地よく過ごせる場所を作るの! それが、私の望み!」

 彼女は笑いながら、泣きながら笹舟を睨み付けた。

「分かった? あなたは捕まえておいて、一番暗く居心地の悪いところに閉じ込めておいて、生きるのも辛くなるようなところにずっとずっと押し込めておいて、私の世界が完成したら、その時はその世界中の人間の前で殺してやる! それがせめてもの、私への償いよ!」

 笹舟は黙ったままだった。少し間を置いて口を開いた。

「すまなかった。確かに君の言うとおりだ。所詮、さっき言ったのは綺麗事だろう」

「そうよ。やっと分かったみたいね」

「けれど、今では、さっき言ったことは本当だ。君がそんなに辛い思いをしているとは思っていなかった。本当に……すまなかった」

 彼は深く頭を下げた。

 B・Bは嫌そうに顔を歪め、吐き捨てるように言った。

「別に、謝って欲しいわけじゃないわ」

「わかっている。それに、僕が謝れるような立場じゃないことも、僕が一番承知している」「じゃあ謝らないで下さる? 急にそんな事されても気分が悪いだけだわ」

「わかってる……でも、お願いだ。謝らせて欲しい。そして、少しだけ、言わせてくれ」

 笹舟は眼を伏せて言い始めた。

「本当に、君にはすまないことをした。僕は、意図したわけじゃないが、結果として命を……君の命を弄んでしまった。そのことに対しては深く反省しているし、どうか、それだけは知っていて欲しい。けれど、今はさっき言ったとおりのことを望んでいるんだ。僕は孤独に耐え切れなくて、どうしてもどうしても、どこか寂しくて、とうとう……やってしまった。君が、君が目を開いて、立ち上がったときは嬉しかった。本当だよ。今までの苦労が報われた。まさにそんな感じだった。君には手伝って欲しかったんだ。僕みたいに、傷ついた子供たちにまた笑顔を取り戻して欲しい。その為の手助けを、君にして欲しかった……そうやって言えばよかったのかな。僕は君が生まれてくれて本当に本当に嬉しかったんだ。B・B、君のブルーバードと言う姓は幸せを運ぶ青い鳥を思って付けた。君のコードネームは、どんなことがあっても、子供を守る強い母熊にあやかった。そう、君にわざわざコードネームをつけたのも、子供たちを楽しませるためだ。冒険心を蘇らせるためなんだ。僕は、組織が遊び場で、居場所で、ここに来る人全ての家になって欲しかった。その為に色々な人と相談して、ここをこの形にするまでに何度も悩んだ。僕は、洸ちゃんと始めて会った時、この子があの二人の子供か、と思って、それと同時に少しだけ悲しさを感じた。それは、彼女が張り詰めていて、今までずっと傷ついてきて、怯えて無理に強がっているように見えたからだと、君の催眠が解けた今なら分かる。彼女が仲間に囲まれて、素晴らしい笑顔を見せるようになったのを、僕も何回か見てる。僕は、凄く幸せだった。今までずっと努力してきて、いつも、暗い顔をしていた子が笑顔を見せるようになったときが一番、嬉しいんだ。なのに……」

 彼は拳を握り締めた。怒りのままに、声をぶつけた。

「なのに君は、そんな子供たちの笑顔を奪おうとする! 無理に彼らを蘇らせて、無理に従えて。傷ついた子供を守るために君を作ったのに、君は、子供たちを逆に傷つけようとする! もう、止めてくれ。僕ならどうしてくれてもいい。自分の罪なら自覚している。殺したって恨まないよ。ただ、ただ! あの子達だけは元に戻してやってくれ! 幸せを、笑顔を返してやってくれ! 僕はどうなってもいい。本当だ。だから……だから!」

 B・Bは洸たちを見た。向かってくる龍巳を受け止める。

 傷つけないように、かといって、自分の方も傷つけられないように。正気を取り戻した友人が、傷つかないように。

 友を取り戻すため、皆はこれまでで一番真剣だった。

 洸はそんな中で一番に龍巳に向かっていた。剣を振りかざしながらも、どうにか彼の心を取り戻そうと、彼に向かって必死に呼びかけていた。

「無理よ」

 彼女は言った。

「私は、もう歯車を動かしてしまった。それに、どうやら私の思った事とは別の方向に向かって進んでいるらしいわ」

「え?」

「もう、無理なのよ。歯車は止まらない。運命は、誰にも止められない」

 彼女はゆっくりと唇を笑みの形に変えた。悲しそうでも、嬉しそうでもあった。

「ありがとう。あなたの気持ちは分かったわ。大丈夫よ。もう、私が動かなくても、すぐに終わる……」

「なん……?」

 くすり、と彼女は笑った。

「少しだけ、未来が見えたわ。大丈夫よ。ただ、時を待ちましょう」

 彼女は腕を組んで壁に寄りかかった。

 どんなことをしても、何度彼を守るために突き放しても、龍巳は無表情で何度も何度も向かってくる。悲しい。こんなに悲しかったことは、今までに無かった。

 洸は声を枯らしながら、目がじわりと熱くなるのを感じた。なんで、あたしはこんなに悲しい思いをしなければならないのだろう。絶対に、そこらの人より多いはずだ。

 唐突に両親が消え、守ってくれる人が居なくなった。あたしは一人になって、それからは今まで平気だった髪のことを言われるのが、妙に耳に突き刺さるようになった。

 常に孤独が付きまとう。両親は死んだと聞かされた。その時が一番悲しかった。

 そう思ってたけど。でも、今のほうがその何倍も悲しい。

 お父さんとお母さんが、無理矢理に生き返らされている。

 龍巳も、操られてしまった。暗い目が、ここからでも見える。今まで何度泣いた? もう、覚えてない。

 そんなの、覚えてる人なんか居ないだろうけど。

「―――っ!」

 悲しい。

「馬鹿あああああーっ!」

 洸は叫んだ。力が解けて剣が、空に解けて消える。拳を固めて、龍巳に向かって走り出す。制止の声が耳の横を掠める。構っていられなかった。

「元に戻れ!」

 飛び掛って、体を床に押し倒す。

「元に戻れ! 元に戻れ! こんなことして楽しいの!? こんなことするの、嫌なんじゃないの!? いつもみたいに、へらへら笑っててよ! くっだらない冗談もいくらでも聞いてあげるから! ねえ、いつもみたいにふざけてよ。皆でばーかって言って笑ってあげるから! ……龍巳、龍巳、笑ってよ!」

 龍巳は暴れ、洸を跳ね飛ばそうとする。しかし、洸は動かなかった。必死にしがみついていた。龍巳の方も、吹き飛ばせてもいいはずなのに力が出せない。

「あんたが言ったんじゃない。『俺らは仲間だろ』って。いつも笑ってろなんて言わない。泣いたって別にいいの! そしたら慰めてあげられる。怒ったっていいし、もっと、もっと、いっぱい感情出して! あんたの悲しみ聞いてやれないほど、度量がないと思ってんの!? 独りで抱えて、堪えてること、どうして教えてくれないの!? さびしいよっ! あんたが辛いと、あたしも辛いの!」

 皆、静かに洸の言葉を聞いていた。思いは一つだった。

「みんな、みんながいるの! あんたが言ってたの! みんな、辛い思いしてるんだから! そこらへんの奴より、ずっと分かるから! 泣きたきゃ泣けっ! 喚いてもいいから! 聞いててあげるっ! いくらでも、だから……!」

 洸は泣きながら言葉を次いだ。

「だから! だからそんな能面みたいな顔してないでっ! ばかたつみいいいっ!」

 龍巳の動きが止まった。

「え、やだ……うそ、た、たつみっ?」

「……ひーちゃん? ……声、でっかいよ……」

「龍巳!」

「じゅーぶん聞こえたから……」

 彼の瞳に、弱々しいがしっかりと光が戻っている。洸は手を振り上げ、彼の頬に鋭く振り下ろした。龍巳は思わず目を閉じたが、手はぺちんと弱く当たっただけだった。目を開けると、洸は泣き崩れるのを堪えながら、涙を頬に光らせながら、必死に気丈な顔で言った。

「お帰り」

「……ただいま」

 龍巳は疲れていたが、しかし笑顔で答えた。洸はスーに彼から引っ剥がされ、彼はリタからの叫びと共に盛大な拳で迎えられた。

「龍巳―――!」

「いでぇえええ!」

「ったく! あんた自分がどれだけ馬鹿な事したのかわかってんの!? ねえ!」

「そーだよ」

「そのとおりだよな」

 聡貴もデリストも賛同した。

「けど……今日のとこはこれくらいで終わりにしといたげるわよ」

 そして彼女も言った。

「お帰り!」

 皆、次々に龍巳に向けて言った。

「帰ってこないと、つまらないよ。お帰り」

「お帰り……心配させやがって」

「龍巳さん、お帰りなさい」

「お前ら……」

 龍巳は一瞬夢を見てるような顔をしていたが、次の瞬間、顔中で笑って言った。

「ただいま!」

 皆は、彼を笑顔で迎えた。しかし、その時楽しげな雰囲気をぶち壊すように、銃声が空間を切り裂いた。


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