★22 処刑の場(ショウ・ステージ)

 紅恋くれんは着けられていた目隠しを外された。そこは鈍く光る黒い檻の中だった。

「そこに居て。もうすぐ、来るはずだから」

 頷くしかなかった。女は笑顔だった。優しげな表情だ。しかしその顔で見られるたびに悪寒が走る。

 怖い。

 ぞっとした。彼女は肩に担ぎ上げていた龍巳たつみもどさりと檻の中に下ろした。そして扉を閉め、大きな鉄色の錠に同じ色の鍵をかける。紅恋は龍巳に駆け寄った。もう、死んでしまっているだろうか。本当に撃たれているのなら、もう生きてはいないだろう。彼の体にはどこにも撃たれたような跡はない。流れる血も見当たらない。念のために体を裏返してみたが、そこにもどこにも跡は無かった。

「ご心配なく、本当には撃ってないの。この形は脅しだけ」

 彼女は笑って、取り出した拳銃をくるくると回した。

 紅恋は安堵して息をついた。

「揺すぶってみれば、起きるんじゃないかしら?」

 急いで龍巳の体を揺らすと、彼はそれほど経たないうちに目を開いた。初めは細く、次第に生きていることを確認するかのように大きく開いて、二度、三度瞬きをする。

 彼は体を起こしてあちこち確認した。

「……お? わお。生きてるや」

 紅恋は安堵の息を吐いた。

「よかった」

「あ、紅恋。つーかここどこよ。俺ら拉致られちゃった訳?」

「……そうみたい」

「なーんか、いい気分はしないね。ここ」

 龍巳は周囲を見回して言った。紅恋たちが入れられている檻は、灰色の大きな何も無いホールの端に置かれている。

 ホールには本当に何も無く、がらんとしている。

 ただ灰色。息の詰まるような、重い色。

 広いのに、圧迫感を感じるようなそこには、紅恋達の他には彼女しかいない。彼女は床に座り、龍巳を撃つのに使った銃を磨いていた。 

「なー、あんた何の用があって俺らを連れてきたのさ?」

 紅恋はぎょっとした。一体何をやっているんだろう。

 そんな紅恋の心中も知らず、龍巳は飄々として続ける。

「私は用なんか無いわよ。用があるのは彼女だけ」

「あそ。彼女って誰?」

「それより、あんたあんたって呼ばれるのはあまりいい気持ちではないわね」

「だって名前しらねーもん。別に俺あんたっつっても気持ち悪くなんねーし」

「私の名前は素納多そなたと言うのよ」

「へーえ。ご大層な名前っすねー」

「まあね」

 彼女――素納多はくすくすと笑うと、立ち上がった。

「ほら、「彼女」の登場よ」

 龍巳はその「彼女」を見るために顔を動かした。

 硬い靴音がする。 

「B・B……」

「今日は、龍巳」

 B・Bは檻のすぐ近くまで来ると、微笑んだ。龍巳はショックを押し隠すように無理矢理唇を吊り上げた。

「ふーん。あんたが俺らに用なんだ」

「そうよ」

 B・Bは言った。

「それで? 俺としてはこんな窮屈で気が滅入るようなところ、とっとと出てきたいんだけど。動物みたいに檻に入れられるなんて、いい気分はしないんだよね」

「あら、そう急がないでくれない? あなたには大切な役目があるの」

「役目? ごめんだね。それにしちゃ連れて来かたが強引じゃない? あーあ、ひーちゃんの気持ちが分かったよ」

「分かってないわね。あなたに拒否はできないの」

「はっ! 何だよそれ」

 強がったが、額には汗が浮いている。手が、小刻みに震えていた。抑えようとしても、収まらない。紅恋ははらはらしながらその状況を見守っていた。B・Bは檻の隙間からするりと手を入れて龍巳の顎に手を当て、しっかりと、自分と目を合わせさせた。一瞬だけ目線が絡み、龍巳は途端に離れようと暴れ出したがB・Bは手を放さない。

「あなたを操るなんて簡単なことなのよ」

 龍巳は精一杯抗ったが、一瞬でも彼女の目を見てしまったのが間違いだった。目が離せなくなる。その黒い目からでる邪悪な光に顔をしかめ、いっそう激しく暴れるが目は捕らわれて動かせない。

 だんだんと動きが鈍くなる。B・Bの目に龍巳は見入ってしまった。黒い目の奥で何かが動いている。それはゆっくりと近付いてきて、より鮮明に見えるようになる。

 動いているのは炎だ。

 黒い炎。

 めらめらと燃え上がり、獲物を捕らえるための触手のように火花を散らしてうねる。

「……止めろぉおおおおおおおおおおおお!」

 口から悲鳴が迸った。紅恋は身を強張らせ、目を閉じ、両手で耳を塞いだ。恐ろしい苦しみの声は聞くに堪えない。

 苦しげに、酷い痛みを受けているように、耳に響く。

 嫌だ! 嫌だ!

 龍巳は目を背けたかった。しかしどうやっても動かせない。否応無しに見せ付けられる。

 苦しい! 痛い!

 あの日が蘇る。

 悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 オレンジ、赤、朱、黄

 火花が目の奥に散る。

 龍巳は喉が裂けるのではないかというほどの凄まじい声で喚いた。

 火が舐める。濃い陰影。黒い影。対照的に明るい炎。

 びしり、と心にヒビが走る。

 B・Bは目の力を緩めない。

 壊れる! 嫌だ!

 龍巳はいっそう激しく暴れた。壊れてしまったら、自分は無事で居られない――――彼は直感した。ヒビはみしみしと音を立てて大きく広がっていく。絶えられない。

 叫んだ。

 割れる!

 ―――― ばきん


 龍巳の動きが止まった。あれほど動いていた体の力が抜ける。叫び声もぴたりと止まる。彼はもう、空っぽだった。それは笹舟の時よりもさらに酷い。紅恋は震えながらその光景を見ていた。余りにも無残。あんなに楽しそうだった彼が、もう、壊れた人形のようだ。虚ろな悲しみがひたひたと押し寄せ、彼を飲み込み、深みへ引きずり込む。

 真っ黒な海の底にがんじがらめに閉じ込められる。

 小さな水の粒が、彼の目に一粒だけ盛り上がって落ちた。

 全ての希望も夢も、喜びを全部失って、彼の体に残ったのは悲しみだけ。

 それを見て紅恋は胸が締め付けられた。そして、同時にB・Bと言う人間の恐ろしさを嫌というほど思い知った。

 彼女は顔を上げ、今度は自分に目を合わせてきた。

 彼女の目は、もはや人とは思えなかった。黒一色。全く光を反射していない。塗り潰したかのような、芯まで染めたかのような、黒という色、ただそれだけ。不自然な、そう不自然すぎる黒。こんな物、黒だとは思えない。そう、黒なんかじゃない。あえて言えば、闇の色。「暗い」という色。極限までの、暗闇の色。そうでなければ恐怖の色。それでも、まだその恐ろしさを表現できていない気がする。言葉なんかでは言い表せない色だった。

 恐ろしくて、抗えない。いや、もうすでに彼女は諦めていた。こんな人間に、あたしが、「あの子」だったらともかく、ただのあたしが敵うわけがない、と。紅恋は彼女に見られただけですくみあがり、怯えてぎりぎりまで後ずさった。B・Bは微笑んだ。

「もうそろそろ……ね」

 ホールの天井に、形を抜いたかのように穴が開く。

 そしてそこから、青い髪の男の人と、洸と、そして

「……!」

 黒衣こくいが現れた。


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